第7話 ガチ恋

 突然のプロポーズ。

 困惑した鳴子は、猫にならざるを得なかった。


「……にゃ、にゃにゃんでしゅと⁉」


 当然、優の一言は周囲の客を驚愕させた。


「「「ななな、なんだとおおおおおおおおおお——ッ!?!??」」」


 店内のどよめきは、次第に高まってゆく。

 しかし、彼は周囲の目など気にはしない。


「俺に毎日……焦げた魚と塩辛いみそ汁を出してくれっ!」


 それは意外と元ネタの知られていない名台詞のアレンジ……。

 一瞬だけ呆気に取られる鳴子——だが、彼女は気付いた。


「って、なんでマズそうな料理のチョイスをしてくるんですか⁉︎」

「それくらいなら得意だろ、簡単だろ!」

「どういう事ですか、私めっちゃくちゃディスられていないですか⁉」


 だが、本気でプロポーズをしているのだ。

 優は神絵師と会ったイラストレーター志望の少年のように、高ぶる気持ちを言葉に乗せていた。「毎日いいねとRTをして応援していますスケブお願いします」と、欲するばかりで相手に何も与えやしない豚の目をしている。


「毎日朝起きて、目を開けるとすぐそばに君を感じたい……感じられたらいいんだ!」

「えっえっ、あの……?」

「頼む、結婚してくれ!」

「す、少し待ってください……すこ……少しっっっ‼」


 優はまくしたて、強引に押し切ろうするが、鳴子はとても謙虚な姿勢でお願いする。

 けれども、埒が明かない事に気付いた鳴子は自分に言い聞かせた。


「お、落ち着いて私……」


 鳴子は顔を下に向けて瞑想、息を吐いて深呼吸をする。

 軽く瞼を閉じ、息を整えたところで、何か思いついたようにポンと手を叩いた。


「……なるほど」

「なんだ、婚姻を許可してくれるって事か?」


 そんな優の質問に対して軽快に笑い、こう答えた。


「結婚してください……それはオタク言葉でいう感情表現ですね、分かります!」

「感情表現……?」


 突然何を言いだすのか、と優は疑問の表情を浮かべる。

 鳴子はにっこりと満面の笑みで伝えた。


「よくライブ会場でアイドルに向かって『俺だ—、結婚してくれーっ!』ってファンが叫ぶのを見た事があります。メイド喫茶は私にとってのライブ会場。だからご主人様は、この会場——もとい店内を盛り上げようと……なるほど、良い人なんですねっ!」


 その発想はなかった! 皆が口を揃えて言いかける。

 しかし、優の言葉は本気のようだった。


「断じて違うッ、馬鹿かお前は‼」

「ひぅっ⁉」


 プロポーズ相手を容赦なく馬鹿呼ばわり。


「普段から何食って育ってんだ、バカみたいに胸ばっかり育ちやがってっ!」

「うぅ、そんなぁ~……」


 激昂した優は、意味もなく薄い本にありがちな、しょうもない罵声を浴びせる。

 そして、鳴子の機嫌などおかまいなしに、告げた。


「だから言葉そのままの意味だ、結婚してくれ!」


 優の奇行は止まらなかった。

 ……おさらいをしよう、プロポーズをしているのは初対面の相手である。

 にも拘わらず、怯んだ彼女に追い打ちをかけるように告げるのだ。


「そ、そんな……私なんて、バカで貧乏な、どうしようもない女の子なので……」


 すると、鳴子は顔や首、耳などを赤く染めていく。

 体よく断るつもり。だが、これだけ注目を浴びれば鳴子も口ごもってしまう。

 それについて優は——


(これはいける……あと一押し……‼)


 と、誤解した。

 まるで、機械の回転数を見極めもせず、後一万を投入すれば勝てると信じ切ったスロカスのようである。

 優は、最後の一歩とばかりに踏み込んだ。


「俺にはお前じゃないとダメなんだ、だからっ……結婚してく——」


 これを言い切れば勝ち確。目を輝かせ、優はそう信じ切っていたのだが。


「無理です! お断りします!」


 即答だった。


「ひ、ひぎぎいいいいいいいいいいぃぃ——っ⁉ んな馬鹿な……どうしてだ!」


 困惑の色に染まる優は、納得していない様子。

 怒鳴るように理由を要求され、慌てた鳴子は口早に答えた。


「……お、お金がかかるからです!」


 食事代、交通費、雑費……などと、交際費に関する事を口にしながら、自分の発言の真偽を確かめるように指を折り曲げ何かを数えていた。

 しかし、優は納得しない。


「待てよ、そんなの俺がどうにかするに決まってるだろ!」


 ざわっ……と、周囲が目を見開いた。

 そんな金がどこにあるのだ、そう言いたいのだろう。


「私知ってるんです、貴方が……無職だってことを!」

「そ、それを……どこで……」


 もちろん鳴子も彼らと同じ意見である。

 すると、彼女は出来の良い娘のような事を語り出す。


「私、将来の見通しが悪い人とはしたくないんです。そんな人と結婚して、家族を悲しませる事もしたくないんです……」


 こう考えてくれる娘の親は非常に嬉しいだろう。

 打算的だが、自分が幸せになる為には仕方のない事。世界中のどの女性もが思う事実を、優に突きつけた。


「じ、人生はお金だけじゃないだろ……? ほら、俺こんなに愛してるじゃん、すっげえ一途なんだぜ? 俺と結婚すれば……明るく笑いあえる日常が待っているはずなんだ、はずなんだ……」


 それを、まるで捨てられるヒモ男のように、必死に言葉を紡ぎながら押し留めようとする。約束されていない明日を、鳴子でどうにか凌ごうという気概が感じられる。


「葛本さん……でしたっけ」


 仕事の都合上、あえてご主人様とは言わず、まっすぐ優を見据える。

 どこか儚げな愛想を向けながら、彼に想いを告げた。


「——未来の話は、笑いながらじゃなきゃダメなんですよ?」


 それはなろう発のライトノベル。

 ファンが多く、アニメ化するほどに有名で、発売されたグッズは目白押し。

 長編異世界転生物語——リ〇ロの名セリフ、同じメイドの言葉ならではの告白であったッ!!


 優はそれを受け入れられずに苦しむ。それでもやはり、諦められないとばかりに、頭の中で解決策を探ろうともがいていた。


「な、なんだよ……なんだよ、なんだよそれ……ッ‼」


 もう返す言葉が見つからないようだ。膝を折り、床に手を付いて落胆する。人生、一発逆転を狙いたかった。そんな縋るような眼差しは、暗い絶望の淵にへと染まりつつある。

 そんな優を見かねたとある人物が、罵声を浴びせてきた。


「気持ちわる……風俗で婚活しにきたオッサン客じゃないんだから」


 萌花が、厨房から呆れながら顔を出してきた。いつまで経っても戻ってこない鳴子の様子を確認しに来たようだ。

 そこですかさず優は言い返した。


「婚活じゃない、これはゼロから始めるメイド生活!」

「はいはい、じゃあ死んで何度もやり直せば、異世界生活は楽しいわよ」

「ここはもう十分に異世界だ」

「働くのが嫌になるから異世界とか言うな。とりあえず、迷惑がられないようにメイド喫茶を楽しんでくださいな」


 そして、ネタがよく分からなかった方は原作の7巻を読んでみよう。


「って、他レーベルの作品をこんな所で紹介してるんじゃないわよ!」


 人手が足りなく、店が回らなくてイライラしているのだろう。萌花は誰に怒鳴ったか分からないが、鳴子の腕を引き厨房へ引っ張っていった。

 一方の鳴子は、愛想のよい笑みを浮かべて優に手を振る。


「さようなら優さん、またね~あはは……」


 優は後ろ髪を引かれる思いでその場を後にし、着席した。

 彼の席にはコーラの入ったグラスが置かれている。いつ頃入れたのだろうか、氷は小さな粒となって浮かび、グラス表面には水滴がびっしり張り付いていた。


「コーヒー無料券じゃないのかよ……」


 気の抜けたコーラをぐいっと飲み干すなり、タンッとテーブルの上に置いた。

 すると、横からハスキーな声が聞こえてくる。


「良い飲みっぷりだねー、ポテトでも食う?」

「あ? 同情してんじゃねーよ、人の食い差しなどいるかっ!」


 しかし、身体は正直。優の手は伸びていた。

 お腹が空いていたのだろう、ガツガツと口の中へと頬張っている。

 そんなあまのじゃくな優に苦笑しながら、キラは話し始めた。


「あの子、可愛いよねぇ」

「お前にあの子はやらんっ、このヤリチン!」

「俺をヤリチン認定するのやめてくれないかなぁ……」


 優の気持ちを汲んでの一言であったが、あらぬ誤解を受けてしまうキラ。

 せっかく息子の為にバーゲンで服を買ってきたのに、ダサイと言われて怒られた母親みたいな、ばつの悪そうな顔をしながら頬をかいた。


 当然だ、イケメンがあの子可愛いよねと言い出したら、もう手が出る一歩手前なのだから。

 これは間接的に『周囲に手を出す許可を貰う素振り』だ。

 きっと素敵な笑顔も作り笑いだ。鳴子というメイドは、どんな手を使ってでも女を手に入れようと企んでいる。まさに、ヤリチンの毒牙にかかろうとしているのだ。


 ……俺が守らなければ、そう硬い決意を胸に抱く顔に、優はなった。


「おーい、人を実績のない悪に染め上げるような目で見つめるのはやめてくれませんかー? それにわざと人を無視して何か他の妄想に没頭するのもやめてくれませんかー? おーい」


 無視を決め込む優は思った。


(ヤリチンのクセに、こんなにも悪びれもなく俺の友達ヅラをしようだなんて、本当に最低な奴だな。けど、コイツは悪い事をしていない目をしている。物事の善悪が分からないやつなんだな、そうか……そろそろ憐れに思えてきたぜ、仕方ない……返事をしてやるか)


 そんな憐憫の籠った表情で、やれやれと溜め息をつき両掌を天蓋へ向けた。

 伸びが終わると同時に、キラの肩を叩きこう言った。


「頑張れ」


 その一言は、キラの心に衝撃波を生んだ。


「え、待って『頑張れ』の一言で済むの? あっ、済んじゃうんだごめんね⁉ 勝手に心を閉ざされて、しかも何故か憐れまれる……⁉ 俺はどうしたらいいの⁉」

「イチイチうるさい奴だな、落ち着けよ」

「落ち着け……? 俺って落ち着いてないのか……?」


 お前の事など知ったことかと言わんばかりに優はポテトを口に運ぶ。

 自分を不憫に思ったキラは、溜め息を吐いてしまう。


「なんでコイツの妄想の中でボロクソ言われなくちゃいけないんだ……ぶつぶつ……」

「あん、なんか言ったか?」


 キラは「何も言ってない」と嘘を付くと、すぐに話題を変えた。


「ていうか、今回は変わった子を好きになったんだね」

「なんか棘のある言い方でムカつくな、やんのか!」

「や ら な い よ。そうだね、あの子掲示板とかじゃあんまり良い噂聞かないからさ」


 厨房の方を観察しながら、ぎこちない顔を向け優に話した。どうやら、悪口に聞こえかねない話を、鳴子に聞かれないように注意しているらしい。

 だが、優は真っ直ぐである。


「そんなの関係ない。俺が好きになったんだから」

「まぁ、可愛いのは可愛いとは思うけど……」

「でも、だからこそ勿体ない」

「勿体ないって?」


 キラが優に尋ねると、腕を組み自身満々に答えた。


「何故あぁまでドジっ子属性があるのか理解が出来ない」


 そんな例えに、キラが納得する。


「確かに……彼女をよく知らない人が見たら単純に迷惑なメイドだよね」

「そうかもしれない。だからどうしたものかと思ってな」

「確かに分かるよ。でも、別に優が考える事じゃなくて、オーナーさんや鳴子ちゃん自身が考える事なんじゃない?」


 落ち着いた口調で諭す。

 それでも納得のいかない優は腕を固く組み直し、頭を捻った。

 しかし、これといった妙案の浮かばず、テーブルに頭を付けた。


「あーまぁだからとにかく、何とかしてあげたい気持ちがあるんだよ……なんでだろうな、こんな気持ちが湧くのは……」


 優の真剣な表情に、キラはクスリと笑いだす。


「まずはお前をどうにかしてやりたい気持ちだよ」


 そんな皮肉を吐いて、腕時計を見るなり立ち上がる。


「あっ、やべもうこんな時間」


 キラは慌てて竹刀袋を肩にかける。

 その姿を、優はジト目でこちらを見ていた。


「……女か」

「どこをどう見たら女になるの⁉ 道場でバイトしてるんだよ!」

「おいおい、バイトなのに仕事とか言うのちょっとしんどいぞ」


 図星だったのだろうか、キラの顔は火照る。


「ぐっ……うるさいなっ、真面目にやってんだよこっちは……!」


 優の指摘に、歯切れの悪い返事をする。

 そのまま、キラは会計を済ませて店を出て行ってしまった。

 取り残される優。身体を後ろに傾けて、両手で後頭部を支える。


「あーあ、茶々入れる相手がいなくなってつまんなくなってきたなー。スマホ触ってだらだらしてるのも……うっ、ここ冷房効きすぎで寒いな……そろそろ帰るか」


 外が恋しくなった優は、立ち上がるなり厨房へとメイドに声をかけた。


「おーい鳴子ちゃーん、会計してくれー!」


 すると、萌花が真顔で厨房から出てくるので、優は残念そうな顔を彼女に向けた。


「……なんでお前が出てくるんだよ」

「任せると怖いからよ」

「お金に関してなら大丈夫なんじゃないか? お金に関しては熱い子だったし」

「そんな心配しなくてもいいの、ほらさっさと払った払った」


 最後に鳴子に会えず、消化不良の気持ちのまま優は店を後にするのだった。

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