第11話 僕と本田君


「あ、忘れてた」

 午後の授業開始一分前。後ろの扉から教室へ入った瞬間に眼に入ったのは僕の後ろの席の本田君。彼のために涼羽から数学の教科書を借りなくてはいけない事をすっかり忘れていた。というか、涼羽にLINEしたまま返事すら見ていない。


 もう五時限目の数学教師が教卓で荷物を広げているので今更涼羽のところに取りに行くのは不可能だ。さっき皆が見ている中彼の手を払ってしまった上に、教科書すら借りることが出来なかったとあればこの先クラスでより一層僕の存在が浮いてしまうだろう。


 既に教卓では五時限目を担当する数学教師が荷物を広げているので今更ダッシュで涼羽のいる三組に走るわけにもいかないし、ここは素直に謝るしかないか。なんなら僕が忘れたことにして僕の教科書を渡そう。先生に怒られるのは嫌だけど、クラスの人気者である本田君に嫌がらせをしたとヘイトを集めるのはもっと嫌だ。

 僕はまだまだ真っ当な高校生活を諦めていないんだ。


「えーと、本田君」

 恐る恐る声をかけると、本田君は予想外の気軽な反応を返してくれた。

「おっ、藤波。サンキューな」

「あれ?」

 本田君は数Ⅰと書かれた教科書を僕に見せてニカッとアイドルみたいに白い歯で笑っている。一体どういうことだ?

 わけもわからないお礼にとりあえず僕もぎこちない笑顔で返し、チャイムと同時に席に着いた。




 授業が終わり、僕が後ろを振り返ると本田君の方から話しかけてくれた。

「藤波! さっきはごめんな。あと教科書ありがとう!」

 パンッ、と両手を大袈裟にあわせて頭を下げる本田君。

「いや、僕の方こそ叩いてごめん」

「急いでたんだろ? それなのに呼び止めて悪かったよ。別に痛くなかったし」

 そうか、普通は男子に触られたのが不快だったからなんて思わないか。

「それでその教科書、どうしたの」

 結局他の人から借りたのかと思ったけれど、僕にお礼を言うという事は違うようだ。

「三組の藤波の彼女・・・じゃなくて友達が届けに来てくれたんだよ」

「涼羽が?」

 そう言われて僕はメッセージ通知が溜まっているLINEを開く。僕が教室を出て直ぐに数学の教科書を貸してほしいと連絡を入れたきり見ていなかったメッセージが次々と表示されていた。


『数学の授業今日ないから持ってない』

『ざんねんでしたー』

『仕方ないから別クラの委員会の子に借りてあげたけど、こっち取りに来るの?』

『教室で昼食べてるからいつでも来ていいよ』

『もうすぐ予鈴だけど取りに来ないの?』

『教科書あるよー?』

『おーい』

『もしもーし?』

『どうした?』

『仕方ないからぽんこつ直央ちゃんの為に優しいボクが届けてあげるよ。今度なんかおごってね』

『五組であってるよね』

『今からいきまーす』

『あほ直央、教室にいないじゃん!』


 涼羽には悪い事をしてしまった。わざわざ僕のために他クラスの子から借りて来てくれたのか。

「えっと、涼羽はなんて?」

「ん? 普通に藤波が忘れ物したから渡しておいてって。それ俺の為ですって言って受け取ったらびっくりしてた」

 涼羽のやつ、僕に男友達ができたと勘違いしたな。珍しく昼飯一緒じゃなくていいって言ったし、そりゃそうか。

「そっか。じゃあ僕から返しておくよ」

 今日は委員会も無い筈だし、涼羽と一緒に帰って途中コンビニにでも寄って何か奢ってあげないとな。

 今回は涼羽のおかげでクラスメイトから大批判を喰らわずに済んだ。持つべきものは優しい幼馴染だな。


「あぁ、えーと。うん、よろしく!」

 この話は終了かと思いきや、本田君はなんだか挙動不審だ。

「・・・どうしたの?」

「いやぁ、その、本当に彼女じゃないんだよね?」

 しつこいな、と思ったけれど本田君は茶化している風には見えない。

「そうだよ。さっきも言った通り一緒にお昼食べてもらってるだけ」

「彼氏とかもいないのかな?」

「聞いたことないし、いないと思う」

 なんだ、急に涼羽の事ばかり聞いてくるな。

「好きな人とか・・・」

「え、わかんないけど、そういうのまだ興味ないんじゃないかな」

 彼氏の件についてはそんな話したことが無いので確証はないけれど、今まで一度もそういう話を聞いて来なかったので多分涼羽は男女交際に興味がないのだろう。一人称もボクで性格もちょっと男っぽい所があるし、恋人つくったりするようなタイプじゃないな。

 大体彼氏や好きな男がいるなら、いくら僕が恋愛対象にならない女顔だからって毎日一緒に昼ごはんを食べるのは嫌がりそうだ。


「あー、もしよければ。今度紹介してくれたりしないかなー、なんて」

「はい?」

 まさか本田君。

「涼羽のこと気になるの?」

「そっ」

 ぼっ、と顔を赤くして大き目の声量で首を振る。

「そういうわけじゃっ」

 もっとチャラチャラしているのかと思いきや、なんだか意外と純情でわかりやすい人だ。軽薄な気持ちで言っているわけじゃないみたいだし、別に僕が阻止する理由は無いか。

「そ、そういうわけじゃなくはないっていうか・・・はい」

 僕の疑いの視線に耐えられないのか、五秒で本音を吐いてくれた。

「涼羽に聞いてみるよ」

「ま、まじで!?」

「でも涼羽が嫌だって言ったら紹介はしないから、一応幼馴染だからね。涼羽が嫌がることはしたくない・・・それでもいい?」

「もちろん! ありがとう!」

 また音量調節のバグった声でお礼を言って立ち上がる。そのまま僕の手を掴もうとしたので、今度は触られる前に一歩後ずさる。

「あっ、ごめん。ぼ、僕。あんまり触られるの好きじゃないから」

 心証は悪くてもまた引っ叩くよりはマシだろう。

「そうなの!? ごめん! てかさっきもそうか、マジごめん!!」

 高校生になって初めて他人にこの事を話したけれど、意外とすんなり受け入れてくれるものなのか。改めて僕に見えている男友達との壁は僕が勝手に作り出しているだけなのだなと知らされてしまう。

「潔癖症ってやつだろ? 俺の親戚にもいるから大丈夫!」

 なにが大丈夫なのかよくわからない。でも潔癖症か、僕の触れられたくない理由とは違うけれどそれなら男の僕でも真っ当な理由になるんだ。

 今まで他者に言い訳してこなかったから、馬鹿正直に言って「男のくせに」とか「自意識過剰じゃね?」と言われて嫌な顔をされていた。今度からは相手を見て嘘をついた方がいいのかもしれない。


 少しだけ普通の学生生活に近付いた気がして、気持ちが明るくなる。

「そんなかんじ。ごめんね、自意識過剰で」

「価値観とか人それぞれだし仕方なくね? 俺もめっちゃ犬苦手」

「え、それはなんか違くない?」

「そうかも!」

 本田君は彼のこげ茶色の髪と同じようにふわふわと優しい性格だ。柔らかな見た目と、涼羽に気があることもあって、僕の警戒心は割と簡単に薄れていた。同世代の男子と会話が出来たのはいつぶりだろうか、五分休みいっぱいに僕は本田君とお喋りをして、その後にLINEも交換した。

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