パシフィス共和国
第27話 管理者御一行様
「次のニュースです。先日、G県山中で発生した事件についての続報です。警察はイルカ中心主義者団体『インテルフィン教団』の幹部、室米滝容疑者の自宅をテロ等防止法違反の疑いで包囲しましたが、その際、インテルフィン教団による激しい抵抗が行われました。室米滝容疑者とインテルフィン教団は違法なルートで入手した軍用ポッドで武装しており、警官隊との交戦により現場を指揮していた警察官が殉職した他、インテルフィン教団側にも多数の死傷者が出たとのことです。室米滝容疑者は自宅の地下室で死んでいるのが発見され、警察は追い詰められた末の自殺、とみています。」
<アバターファッションフォーラム『モダン・アバター』記事>
日本が誇る天才ホビーアバターデザイナー、シロキ氏がパシフィス共和国を訪問する予定であることが、編集部の取材によりわかった。シロキ氏のパシフィス共和国訪問は初めて。国内外で幅広く活躍するシロキ氏は、著名人の完全オーダーメイドのアバターの製作も手掛けており、今回の目的もパシフィス共和国の顧客からの依頼と見られている。世界長者番付のトップ10のうち、実にその半数以上がパシフィス国籍であることを考えれば、今までシロキ氏がパシフィス国を訪問していなかったのがむしろ不思議なくらいだ。大富豪の個人オーダーメイドは一般公開されることは少ないが、実験的な試みがなされることも多い。そういった経験を一般向けのコレクションに反映し、常にアップデートを続けるのがシロキコレクションの魅力だ。精力的に活動を続けるシロキ氏の作品からは、これからも目が離せない。今年の秋の新作コレクションへの期待がますます高まる。
◆ ◆
パシフィス共和国に向かう高速客船の一等船室に、僕たちはいた。広さは家族が旅行で泊まるようなホテルの一室と同じくらいで、テーブルやベッドの大きさも同様だ。だが、それが容積に限りのある船の中にあること、そして大きな窓からはリアルタイムで変化する海を堪能出来るのだということを考えれば、一等の名に恥じない、それなりのコストが要求される空間だ。レイヤー1権限のおかげで今や無限の財布を持つということを思えば、これでも控えめな選択かもしれないが、あまりにも高級な部屋だと庶民の僕たちは流石に目立つだろう、という考えだった。それが船内の家具であることを主張するように床に固定された机に向かい、僕は『パシフィス共和国 観光ガイド 基本編』の記述を読み返していた。
パシフィス共和国は、ハワイ沖に作られた複数の巨大都市構造物とハワイ諸島の陸地で構成された、知性イルカが治める国だ。人間と知性イルカを合わせた人口は、現在約30万人。ハワイ諸島の陸地は今はほとんど自然公園になっているため人は住んでおらず、パシフィス国民のほとんどは海に作られた都市構造物に住んでいる。
都市構造物は、海底から海面までそびえ立つ巨大な軸『メインシャフト』を中心として、その最上部から6方向に向かって伸びる枝状の『メインブランチ』が基本構造になっている。『メインブランチ』は、さらに細かく『サブブランチ』に枝分かれして広がっており、もし上空からその姿を見れば、まるで海面に浮く巨大な雪の結晶のように見えるだろう。都市構造物の海面から上には建造物が並び、地上と同様に人間がそのまま過ごせるエリアになっているが、さらに海面から下の部分には海中都市が作られ、知性イルカがポッド無しで過ごせるエリアになっている。
なぜ、このような不思議な形になっているのかといえば、なんとこの巨大な都市はメインシャフトを中心にゆっくりと回転するのだ。これにより、ブランチの海中都市にいる知性イルカたちは、常に水の流れを感じながら過ごすことができる。これは知性イルカたちにとってはとても快適なことらしく、したがって、ブランチ部分は主に居住区――地上とは比べ物にならないほどの高級住宅地――となっており、中心のメインシャフト部分には全員が使う公共施設や観光施設の他、居住区へ繋がるインフラ関連の設備がまとまっている。
このメインシャフトを中心とした都市構造物1つが都市1つ分という扱いになっており、現在は大小20個ほどの都市構造物がパシフィス共和国を構成している。
そして、その中でも最大の物が『首都パシフィスシティ』だ。パシフィスシティは、メインシャフトの海上に出ている部分の直径が5km、そこから伸びるメインブランチは一つ長さ20km、幅2kmを誇り、今まで地球上に作られた中で最大の、可動する構造物だという。
「しかし、回るとは驚いたなぁ。海流への影響とかどうなってるの?」
僕は、船室の窓から海をキラキラした目で見つめているウィリーに話しかけた。
「さあ?インテルフィンの技術なんじゃないですか?」
手元のガイドブックには、「知性イルカ、脅威のメカニズム!!」と自慢げなフォントで書かれているが、その具体的な説明はどこにもなかった。漫画のアオリ文じゃ無いんだから。
「だとすると、今の人たちは誰も原理を知らないってことだよね。壊れたらどうするんだろ。」
「止まったって話は今まで聞いたことないですけどねぇ。自己修復とかするんじゃないですか?それより、先輩、見てください、あそこ。イルカがいますよ、喋らない方の。」
ウィリーは変装のために公共アバターを黒髪の長髪にしていた。見た目はなんだかおしとやかになった気がするが、中身は変わっていないどころか、無邪気にイルカを見て喜ぶ少女の姿は前より幼くなったように感じた。イルカが、イルカを見て喜んでいる。
「その表現ってこの時代ではあまり良くないんじゃ……ねぇ、知性イルカにとって、普通のイルカってどういう存在なの?」
「うーん、人間がチンパンジーとか、猿を見る気持ちと一緒だと思います。」
「ふーん、なるほどね。」
知性イルカは地上でポッドに入って暮らしていても別にストレスは感じないそうだが、やはり海への欲求が遺伝子に刻まれているのだろうか。ウィリーは、夢中で窓の外を見つめる作業へと戻った。
室米の屋敷を脱出した後、僕達はレイヤー1の管理者権限を使ってIDを偽装し、社会的に別人になった。電子口座に細工して一夜にして億万長者になった僕は、ほどほどのホビーアバターを買い、それを公共アバターに変換して纏うことで、ようやくパンチパーマとアロハシャツの暫定アバターから解放された。シロキさんが作ったアバターに仕込まれていた位置情報を発信する仕掛けは、ユリネが見つけて除去してくれていたが、そもそも、あれは出来が良すぎて目立つので使っていない。僕が選んだのは無難に整った日本人の姿のアバターで、これでも車が買えるくらいの値段はしたのだが、シロキさんのアバターを体験した後では普通の出来に思えてしまう。
ウィリー達は公共アバターを変えることはできないので、髪型や髪色の変更で変装しているだけだ。とはいえ、もし警察が怪しんできたとしてもIDが別人になっている以上、何もできない。普通、ORCAシステムのIDの改竄はできないし、できることを認めるわけにはいかないからだ。だからコードVの存在と、僕がその保持者と知っているウィルターヴェやシロキさんにさえ見つからなければ、安全なのだ。
つまり、ひっそりとどこかに身を隠せば、もう余程のことがない限り命を狙われずに済む、ということなのだが、にもかかわらず僕たちは今、パシフィス共和国にあるというORCAシステムの中枢へ向かっていた。インテルフィンが他人の脳に干渉できるようなシステムを使って何をしようとしていたのか、なぜ僕がコードVを発現したのか、その答えが、そこにあるはずだった。
謎を知ってどうするのか?
明確な方針が僕の中にあるわけではなかった。ただ、こんな恐ろしい力を持ったまま、謎を抱えてひっそりと暮らすというのは精神的にかなりきついものだと思ったし、何より、幸せにはなれないなと、思った。
謎を謎のままにしておけず、とにかく動いてしまうのは僕の性分なのだろう。そこにイルカが喋る世界への困惑が加わったことで、僕はシロキさんに良いように使われて、結果、アルは命を落とした。「人の気持ちがわかるから美しいものが作れる」、そう言ったシロキさんは確かに、僕の心理をあの時の僕本人よりも理解していたのだろう。
結局、人の精神の根にあるものはそう簡単に変わらない。僕はあんな失敗をしていながらも、やっぱり真実を知るために危険に飛び込む。だけど、今の僕にはあの時と違うところがあって、それは僕の中ではなく、外にあった。
色々なことを経験しても、結局僕の性格は大して変わっていなかったかもしれないが、周りに頼れるようになったのは成長であると、僕は思いたい。ウィリーとユリネに超特異点AIから聞いたことを全て話した上で、パシフィス共和国の中枢に行きたいので、協力してほしいと言った。これを言えるようになったのは、紗由のおかげだろう。2人の返答が快諾であったことは、僕たちが今パシフィス共和国に向かっているということが示している。
これで良かったのだろうか?と思わなくはない。結果はまだ未来の中――
客室のドアがノックされる音に僕の巡る思いは中断された。開いたドアの方を見ると、ユリネとダニエルが顔を出していた。
「食事、ランチタイム。」
いつもの調子でユリネが入ってくる。ユリネの公共アバターは、ベリーショートの茶髪、服装もパンツスタイルで、ぱっと見では少年のようにも見える。ニュースで室米が死んでいた、という報道を聞いた時は流石に動揺していたが、今は落ち着いたようだ。そもそも、ORCAシステムやインテルフィンがらみでは、報道の信憑性など全くないようなものだ、ということを僕たちは身をもって知っている。本当に死んでいるのか、死んでいたとして自殺だったのかは怪しい。
「オープンデッキに行かないか?ざっと見回ったが、ウィルターヴェやシロキ、その他、危なそうなやつはいなそうだ。外で一緒に食べるくらいじゃ、別に怪しまれないだろう。」
ダニエルが言った。室米の屋敷を脱出した時からずっと、彼は僕達に力を貸してくれている。傭兵の彼にしてみれば、無限の財布を持つ顧客を手放すつもりはないということだろう。僕は手に持ったガイドブックを閉じ、机の上に置いた。
「わかった、みんなで行こうか。」
水平線で区切られた空の
クルーズ船と呼ばれるような船には乗客数が5000人を超える、まるで小さな街がそのまま入ったような巨大な物もあるが、僕たちが乗っている船はそこまで大きくはなく、乗客数は最大でも300人程度、客船としては小さな部類に入る船だった。デッキには豪華客船のようなプールこそ無いものの、乗客たちが風を感じながら、海を眺め、飲食をしながら歓談するための真っ白な椅子とテーブルがいくつか設置されていた。出航してから一日が経った船上からは、360度どちらを向いても陸地は見えず、ただ太平洋が広がるだけ。まるで僕らの立っている場所が、世界に残された唯一の足場であるかのようだった。
「すごい!周りに何もないですよ、先輩!」
「ウィリー、はしゃぎすぎだよ。子供みたいだよ。」
「初めて見た凄いものに感動できないなら、私は子供のままで良いですよ。」
デッキに出たウィリーは、まるで子供のように、両手を広げてその場でくるくると回っている。
「ははは、俺も初めて外洋を見た時はあんな感じだったかもな」
「着くのは明後日。好きなだけ見られる。」
夏の観光シーズンには少し早いということもあるのだろう。船は満員にはほど遠く、デッキにもポツリポツリとカップルや夫婦と思しき姿があるだけで、ピークの時期であれば争奪戦になるであろうデッキの椅子と机は難なく確保できた。デッキから乗り出して海を覗き込んでいるウィリーを横目に、僕はユリネとダニエルと一緒に椅子へと腰掛けた。
「到着は明後日か。やっぱり飛行機の方がよかったかな?」
「これでも80年前のクルーズ船の倍の速度だぞ。飛行機で襲われたらおしまいだからな。まあ、逃げ場がないのは船も変わらないが。」
「わかってますよ。ダニエルさん。それにウィリーは喜んでいるみたいだし、のんびりするのも良かったかな。ユリネは海には興味ないの?」
どこからか取り出したチョコレート味のバーを無言で食べていたユリネは、僕の問いに気がつくと顔を上げ、首を横に振った。
「私は泳げないから怖い。」
「そうなの?じゃあ、ウィリーに泳ぎ方を教えて貰えば良いよ。」
自分の名前が出たのを聞きつけたウィリーがパタパタとテーブルに駆け寄ってきた。
「なんですか?……えっ泳ぎ?私はイルカだから、人間の泳ぎ方は先輩が教えてくださいよ。普通のポッドは沈んじゃうんですよ。」
「ははは。ボウズ、水着姿が見れなくて残念だったな。」
僕の方を見てダニエルがニヤニヤとした顔で言った。
「ダニエルさん、僕はそういうつもりじゃ……」
「うーん、公共アバター用の水着データは持ってないなぁ。先輩、買ってくださいよ。水に浮く特殊素材のポッドと一緒に。ユリネちゃんも一緒に水着を買おうね。そしたら泳ぎを教えられるよ。」
ユリネが輝く目で僕の方を見つめる。
「買って。」
「はあ、僕は打出の小槌かよ。」
その場が笑いに包まれた。
忘れていた笑顔。
束の間の平和。今日は良い日だ。
こんな時間を積み重ねて行ければ良いなと、思った。
船上の時間はその後も穏やかなものだった。誰にも襲われないし軟禁もされないという、普通は当たり前なのに何故かしばらく得られていなかった時間を噛み締めるように、皆それぞれの時間を過ごした。
そんな時間はあっという間に過ぎて、パシフィス共和国への入港を明日へと控えた夜、眠れなかった僕はウィリーに誘われ、2人でデッキに来ていた。街の灯りが無い真の闇に包まれた空間を、日本とは少し違う星空が覆っている。陽が沈んでしばらく経つのにふんわりとまだ暖かい空気が、船の動きに合わせて僕たちの間を流れていく。デッキに出ているのは僕とウィリーだけで、ぼんやり光る2人の公共アバターと月の明かりだけが、デッキを照らしていた。
「綺麗ですねぇ。あの日、河川敷で見たのとは大違い。」
「ああ、室米の屋敷から2人で逃げた日か。そうだね。」
僕らは、しばし無言で星空を眺めた。余計な灯りの無い夜空には、びっくりするほど多くの星が瞬いている。残念ながら僕は星座をよく知らないし、ギリシャ神話なんかに詳しかったりもしないから、こんな場で披露するロマンチックな話題は持ち合わせていない。だからといって気まずいというわけでもなく、心地よい沈黙に身を任せていた。
「明日ついに入港ですねぇ。このままずっと船旅をしていたいなぁ。」
ぽつりと、ウィリーがつぶやく。
このままずっと。幸せな時間が続くことを願って、今まで何人の人が同じ言葉を口にしたのだろう。だけど、それが叶った人はいないのだ。唯一それを叶えるのは、幸せの絶頂での死、かもしれない。生命とは生きる限り変化し続けることを定められているのだ。
「僕もそうしていたいけど……ここまで来ちゃったらね。逃げ続けていたら、きっと後悔すると思う。」
「中枢に行ったら、どうするんですか?」
「それは、まだわからないんだ。でも、僕の力でどうにかできるなら、ORCAシステムの秘密に関わる悲劇を止めたい……とは思っている。インテルフィンの目的も、まだわからないしね。」
「人間を滅亡させるか奴隷にして、イルカ中心の世界を作るんじゃ無いですか?私はいやですよ。そんなの。」
「うーん、それともちょっと違う感じだったんだけど……超特異点AIは、自分はオペレーターだと言っていた。管理者の僕の意思に従うって。だから、僕が決めないといけないんだ。」
僕は何を決めようとしているのだろう。明確な方針もなく、目的地に向かう僕は愚かなのだろうか。僕には権限があるが、決める権利なんて本当はないのだ。たまたま、実験の被験者になっただけ。持たざるべき者が権限を持っているから命を狙われる。でも、持ってしまったんだからしょうがないじゃないか。だったら、僕が納得できるように動くしかない。
「まあ、ここまで来たら後悔しないようにしてください。幸せになるんでしょ?」
いつの間にか俯いていた僕を勇気づけるように、ウィリーは明るいトーンで言った。
「そうだね。僕は――」
「あーあ!私、これからどうしようかなぁ!」
僕の言葉を遮るように、大きな声でウィリーが言った。
「え?」
「もう仕事にも戻れないし、家は燃えちゃったし。指名手配犯ですよ。一生逃げ続けなきゃですよ。だから――」
ウィリーは僕に向き直り、キラキラと輝くアバターの目で僕を見つめて、言った。
「私が死ぬまで、先輩が
「ええっ?」
困惑する僕を見て、ウィリーは笑みを浮かべている。
「だから私より先に死なないでください。困るので!」
僕は無言で、アバターの目で、ウィリーを見つめ返す。僕の見ている所にウィリーの本当の目は無いはずなのだが、その目はしっかりと感情を伝えているように思えた。現実世界における物理的なオブジェクトの配置なんて、脳の認識を上書き《オーバーライド》するこの時代には関係ないのだ。レイヤー0など使わなくても、とっくに僕たちはシステムの奴隷だ。
そのシステムのおかげで、僕は本来は会話すらできないはずの人間ではない知的生命体の感情に干渉し、そして干渉される。人間用に変換された、言葉や、表情や、身振りや、手振りや、距離感や、声色や、目の輝きといったものを通して、僕は彼女の心を感じる。
「わかったよ。」
「約束ですよ。」
僕達は、二人でもうしばらく星を見てから、船室に戻り、眠った。
翌日、僕達の船は予定通り、パシフィス共和国、パシフィスシティの東ターミナルへと入港した。
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