第18話 別れと再会

――旭さん、怒りを感じたら、一呼吸置くんです。感情のピークは6秒と言われています。この6秒を乗り切ってください。


 昔、受けさせられたアンガーマネジメントだかの講習でそう言われた。他の内容はすっかり忘れてしまったが、6秒というやけに具体的な数字が印象的で、そこだけは今でも覚えていた。

「とっくに6秒以上経ったが……今、俺は手当たり次第に誰でもいいからぶちのめしたいぞ……!」

 病院の正面にある駐車場。自分の車の中で仮想世界にログインしていた旭は、怒りの感情と共に現実世界に戻ってきた。ログアウトを検知してシートのリクライニングが起き上がり、通信モードから運転モードへと内装が変化する。無意識に握りしめていた車のアームレストには、くっきりと爪の跡が残っていた。

 連絡を受けてORCAシステム管理局のバーチャルオフィスに向かった旭だったが、そこで予想外の反撃を受けることになった。仮想世界で行動不能にされ、その隙にせっかく見つけたターゲットを逃がしてしまった。

「クソ!ウィリェシアヴィシウスェめ!それに一緒にいた小さいの!なんだ、刀って!ゲームのつもりか!ただじゃおかねえ。」

 その時、旭の目の前を一台のバンが通り過ぎた。その一瞬で、旭はそのバンが装甲を施された特殊仕様だと気がついた。昔、よく戦場で同じようなものを見たからだった。昔の記憶を刺激され、不思議と冷静さが戻った。

「……こんな所を走ってるのはおかしいな。おい、病院イルカ!」

 旭は通信で病院に潜伏する仲間を呼び出す。

『私の名前は、ウィスタェリォスェですよ。いい加減覚えて……』

「うるせぇ、病院イルカ。あの医者の部屋の様子を確認しろ。それと中にいるミカコに警戒態勢を取らせるんだ。まだアイツの連絡先を知らねぇから、お前が伝えろ。」

『ミカコ?って誰ですか?』

「はぁ?今日、新しく来た、女だよ。」

『え、そんな話聞いてないですよ……今、鹿追医師の部屋に来ましたけど、中には誰もいませんよ。』

「何だって?」

 そして旭は理解した。次に口を開いたのはたっぷり6秒以上経ってからだった。

「……さっきのバンに浦幌御影がいる。探すぞ。警戒線を引け!絶対に見つけ出すんだ!」

 旭の車のアームレストの合皮は既に破れ、中からウレタンが飛び出していた。


 装甲バンはすぐに見つかった。奇しくもアル達が御影を探したのと同じ方法、つまりORCAシステムの市中センサーを活用するという方法で、病院からバンの動きを追ったのだ。アル達と違い、旭には上位のデータ閲覧権限が与えられていたから、簡単だった。

 怒りが振り切れると逆に冷静になるのだろう。旭は見つけたバンを自分の車で静かに追跡した。そして検問に捕まったバンの後ろに、静かに車を停めた。

 旭は高揚しつつも冷静だった。久しく感じていなかった、現場の、戦場の、感覚が戻ってきたかのようだった。

 そうだ、俺が本来いるべき場所はここだ。

 ジャケットの下、肩から吊ったホルスターから、銀色のリボルバーを取り出し静かにバンに近づき、運転手と警察官のやり取りに耳をすませる。ドアのロックを外せというやり取りが聞こえた。このまま、警察がバンの中身を調べるのを待っても良い。だが、それでは準備されてしまう。きっと逃げられる。中にヤツがいる。奇妙な確信。

 だから、旭は躊躇せず素早く駆け寄って、バンの後部のドアを開けた。そして一呼吸も置かず、中にいた人影に発砲した。

 結果、旭はまた仕事をし損なった。だが、彼が御影の精神に与えたダメージは大きかった。


                  ◆ ◆


 検問を強引に振り切ったバンは人気ひとけの無い河川敷に滑り込み、僕らは橋の下に隠してあった別の車に乗り換えた。ここでアルを置いていかなかったのは、ダニエルのプロの傭兵らしからぬ優しさだったのかも知れない。

 旭が僕に向けて放った弾丸は、アルの急所を撃ちぬいていた。なぜアルが僕を守る事が出来たのか、今となってはもう分からない。たまたま、彼だけがドアに近づく足音に気が付いたのかもしれない。 

 車を乗り換える間も、乗り換えて地下の秘密基地へと向かう間も、僕は一言も喋らなかった。

 うつろな視線でどこを見ていたのかさえ、記憶はなかった。

「すまなかったな。」

 ダニエルがポツリと呟く。その言葉は誰に向けられたものだったのだろう。

 車が停まった。ここからは歩きだと、ダニエルは背中にアルを背負いながら言った。僕の体は黙々と従う。気持ちとは裏腹に、ここで座り込んでいる余裕は無いのだと理解し、体を動かす理性が疎ましかった。運転手のイルカは車に乗って去り、僕とダニエルだけになった。

 既に日は暮れ、月明かりだけの中、迷路のような路地を進む。先を歩くダニエルとはぐれないように、僕は歩いた。昨日、アルに指示されてウィリーを抱えて走ったルートであり、今朝、アルと一緒に歩いたルートだ。もう遠い昔のように感じた。

 いつの間にか、秘密基地の隠し扉の前にたどり着いていた。この時ようやく、アルと合流してから一度もウィリーに連絡をしていなかった事に気が付く。

 扉の先には、ウィリーとユリネがいる。アルが僕を連れ帰ると疑いもせず。

「嫌だ……こんなの……僕のせいだ、僕のせいなんだ…!あああああ!」

 力ない悲鳴は呻き声にしかならなかった。いつの間にか隠し扉が開いており、アルを背負ったダニエルが、座り込んだ僕を振り返る。 

「……早く来い。いつまでもそんな所にいると危険だ。」

 その忠告に、僕の理性は体を動かした。溶けてしまいたい僕の精神を引きずりながら。


 アバターの姿で泣き崩れるウィリーを見ながら、そういえば僕は泣いていないなと思った。

 一瞬目を見開いて、その後無言で俯くユリネを見て、回収したファイルの事と、最後にアルとした会話を思い出したりもした。

 僕は何があったか二人に説明した。それが自分の義務だと言わんばかりに、丁寧に。だが、「百合音」と書かれたファイルの事は、あえて話さなかった。妙な冷静さに自分で自分に腹が立った。

 僕が話し終えると、最後にウィリーがポツリと言った。

「先輩が無事で、良かった、です。」

 それきり、しばらく誰も喋らなかった。沈黙が永遠に感じられた。


「君たち。良いかな。」

 落ち着いた口調のダニエルの言葉に、俯いていた三人はそれぞれ顔を上げた。

「ここも危険だ。乗り換えた車も追跡されている可能性がある。センサーの死角で降りて、車だけで走り回って攪乱しているが……じきにここの位置がバレるだろう。増援部隊を送ってすぐに保護すると、室米氏から連絡があった。それと、直接話したいと……」

 その時、アルが使っていたホログラムの装置が起動し、そこにぼんやりと人影が現れた。

『やァ、諸君。ご苦労。私が室米瀧むろめ たきだ。』 

 老人の声と共にそこに現れたのは、品の良いスーツを着た細長い女性のアバターだった。全く動かないが、なぜか美しい顔で僕らを見つめるその目の輝きには、言いようの無い不気味さがあった。僕はアルが言っていた事を思い出した。人形のアバター。この人が、室米―—アルの支援者だ。

『君が浦幌御影君か。初めまして。無事で何よりだ。』

 人形が僕の方を見て、優雅にお辞儀をした。僕は無言だった。人形――室米は特に気にせず、残りの二人へと顔を動かす。

『そして、ウィリェシアヴィシウスェ君だね。噂通りの綺麗なアバターだ。』

「あ、はい。初めまして……」

『そして、百合音。ご苦労。』

「はい。お父様。」

 ユリネがいつになく固い声で答えた。

『さて、聞いた通りだ。君たちは今すぐに私の屋敷に保護する。おとなしくついてきておくれ。ウィムアルゼムィンスェ君の事は残念だったが……最後にちゃんと仕事はしてくれたようだ。』

「ふざけないで!」

 その時、ウィリーが声を上げた。室米は不思議そうな顔で――そう、動かない顔なのに、確かに不思議そうな表情で――ウィリーを見た。

『どうしたんだい?私は彼に敬意を示しているんだ。彼は借りたものを返す立派な知性イルカだった、ということだよ。』

「あなたがウィムアルゼムィンスェを騙して巻き込んだんじゃない!話は先輩から聞いているんだから。インテルフィン教団、一体何が目的なの。」

『では聞かれたことに答えよう。インテルフィン教団は、インテルフィンを神と崇めている。インテルフィンをこの世に復活させ、地球を彼らに明け渡すのが目的だ。そのためにはORCAシステムの深層の謎を知る必要があった。だから、ウィムアルゼムィンスェ君に手伝ってもらっていたんだ。彼だってリスクは承知だったはずだよ。』

「インテルフィン……?知性イルカの事?」

 僕は疑問の答えを求めてウィリーの方を見る。だが同様に困惑した表情をしたウィリーと目が合った。

『我が屋敷の客人になるのだから、教えておいても良いだろう……インテルフィンとは、知性イルカだ。ウィリェシアヴィシウスェ君、君達今の知性イルカはインテルフィンの劣化コピーに過ぎない。』

「えっ……?何を言って……」

『人間の知性を大きく凌駕したと言われるイルカ、それは実験の被検体だった13なのだ。インテルフィンと呼ばれていた彼らは、類人猿戦争の際に逃げ出し、その後、密かに仲間を増やした。それが今の知性イルカだ。だが、自分達ほどの知能は授けなかった。せいぜい、人間の平均より少し高い程度の知能だ。おかしいと思わないかい?人間が理解出来ない程の高度な技術や理論は、全て30年前を最後に現れていない。なぜならインテルフィンは太平洋事変で、全て殺されてしまったからね。』

「そ、そんな、嘘だよ。だってORCAシステムは太平洋事変の後に作られたはず……」

『ORCAシステムの前身となるシステムはインテルフィンが設計し、太平洋事変の時には既に普及しつつあった。その後、インテルフィンを滅ぼした共存派が、機能を付け加えて使っているんだ。そう、レイヤー1と、2の一部までがインテルフィンの仕事だよ。その上のレイヤーは確かに良くできているが、人智を超越したレベルとは言えない。レイヤー4など、我が娘がハッキング出来る程度だ。』

 室米がちらりとユリネの方を見た。

「コードVを設定したのもインテルフィンってことか。だから、それを有効にする遺伝子配列が『インテルフィン配列』だったのか。」

 口を挟んだ僕の方を見て、口の動かない室米のアバターが答える。

「そうだ。我々はインテルフィンの秘密を知っているが、『インテルフィン配列』の情報は持っていなかった。上手くいけば手に入るかと思って見ていたが、残念だったね。」

「『インテルフィン配列』を組み込んだイルカを生み出して、インテルフィンを復活させるつもりか。」

『それはちょっと違うよ、御影君。』

 室米は、子供に言い聞かせる教師のように続ける。

『良いかい、知性の発達というのは、遺伝要因もあるが、環境の影響も大きいんだ。インテルフィンが誕生した環境を再現する必要がある。つまり、人工知能、AIだ。インテルフィンや知性類人猿がAIの実験で生まれたのは君も聞いただろう?AIと知恵比べをさせて相互に学習させるという実験だ。その時の、AIの方はどうなったと思う?』

「廃棄されたはず。その後、AI規制が行われ、研究は禁止された。」

 そう答えたウィリーに対し、室米は不敵な笑みを浮かべた、ように見えた。

『インテルフィンが、自分達の共に育った友人であるAIを置いて逃げると思うかい?インテルフィンや知性類人猿同様、人間を超える知性を持った、超特異点スーパーシンギュラリティAIは、未だ健在なのだよ。彼は今、ORCAシステムの深層にいる。』

 室米の顔が僕の方を向いた。

『インテルフィン亡き今、その深層に唯一アクセス出来るのが、コードV保持者なのだ。君には、我らの神の復活のために、神の友人を呼び覚ましてもらう。』

 頭を抱え、僕は叫んだ。

「あああ!もうたくさんだ!これ以上、都合よく使われてたまるか!」

 僕は逃げ出そうとした。だが、廊下に通じる扉がいつの間にかロックされており、開かなかった。

「扉を開けろ!ユリネか?!」

『百合音、開けてはいけないよ。』

「先輩……外は危険です!」

 ケーブルを気にしながら僕の横に来たウィリーが僕の手を引く。ポッドの機械の冷たい手だった。

『ダニゥエルィェテル君。御影君を拘束するんだ。』

 ウィリーに続いて僕の所にやってきたダニエルが、僕の手を掴んだ。

「おとなしくしてくれれば、手荒な真似はしない。悪いな、これも仕事なんだ。」

「先輩に乱暴しないでください!」

「もういいよ、放してくれ。」

 僕は二人の手を振り払った。これが現実。僕がどう思ったって、僕がコードV保持者だろうとも、今の状況を変える力なんて僕は持っていない。外に出ても行く当ては無いし、旭に見つかって殺されるだけだ。僕には選択肢は無い。

 やっぱり子供だったね――そう言ったシロキさんの言葉を思い出す。僕は弱弱しく床に座り込んだ。部屋の片隅に置かれ、布をかけられたアルのポッドが目に入り、そこで初めて涙が出た。

「……ごめんなさい。」

 ぼそりと、小さな声でユリネが言った。次の瞬間、僕は涙ぐんだ目でユリネを睨み付け、自分でも無意識に口が動いていた。

「ごめんだって?君はアルをスパイしていたんだろう?君が室米に伝えていたんだな、全部!」

 突然の僕の怒りを受けて、ユリネは目を見開いて硬直した。

「だいたい、君は何者だ?おい、被検体10号!本当は人間中心主義者どものスパイなんじゃないのか?もう何も信じられない!」

「先輩、それくらいにしてください。ユリネちゃんは……一緒に先輩を探してくれたんです。悪い子じゃないですよ。それに、被検体10号ってなんですか?」

『おや、そこまで知っていたのか。でもおしゃべりはここまでのようだ。』

「……増援部隊が到着した。今度は絶対に、安全に送り届ける。」

 ダニエルが僕の肩に手を置いて言った。

『百合音、仕事をしなさい。』

 俯いていたユリネは室米の言葉で我に返り、急いでコンピューターを操作した。無粋な明るい電子音が、出入口が開いたことを伝える。カチャリと、廊下に通じる扉の鍵が開いた音がした。まもなく、ダニエルと同じような軍用ポッドのイルカ達が、アバターを纏わずにドカドカと入ってきて、僕の周りに集まった。

「さあ、行こう。……残念だが、彼は置いていくよ。」

 アルの亡骸を見つめて動かない僕に、ダニエルは言った。ウィリーが涙をすする音が聞こえる。

 ああ、ORCAシステムの感情認識は今日も完璧だ。

 こうして僕たちは、アルの秘密基地だった場所を後にした。

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