第28話
そう決意する。
できれば、ジェイドが両親から受け継いだ願いを叶える瞬間を見届けたいと思う。
「魔族の魂が解放されたら、この国はどうなるの?」
「呪法を解除したら、もう使えなくなる。この国はもう二度と守護者を得ることはないだろう」
こんなことをした国の人間を、魔族が愛することはない。
「自分達の力で国を守らなくてはならないってことね」
「ああ。だが魔族の魂が解放されれば、むしろ襲撃は減る。他の国と同じように軍を強化して自衛すれば、国は存続できるだろう」
「……むしろ今のままの方が、この国は滅びてしまうの?」
「そうなるな」
ジェイドは頷くと、考えを巡らせるかのように視線を落とした。
しばらくしてから、そのままの体勢で言葉を続ける。
「俺はたしかに魔族だけではなく、人間の血も引いている。だが、父の力と記憶を受け継いだせいで、思考がほぼ魔族のものになっている。それに、今まで関わってきた人間も、碌な者がいなかった」
「うん……」
さすがにそれは、同意せざるを得なかった。
「父の願いは、契約によって縛られた魔族の解放。これは何としても叶えるつもりだ。だが、母の願い――。人間たちが平穏に暮らせる世界を目指す気には、どうしてもなれない」
無理もないと優衣は思う。
人間側も生き残るために必死だった。それは理解できる。
この世界には魔族だけではない。魔物もいる。魔物は魔族と違って意志の疎通など不可能で、さらに人間を餌として食らうものもいる。
呪法は、魔族と魔物の襲撃に追い詰められた人間が必死に編み出したものだ。だが仲間を大切にする魔族にとって、同族の魂が囚われているのは屈辱でしかない。
結局人間たちは、わずかな平穏と引き換えに、魔族の憎悪を背負うことになってしまったのだ。
「だが優衣と出逢って、少し考えが変わった」
この世界の人間たちの未来は、明るいものではないだろう。そう思って俯いた優衣に、ジェイドは優しい声で告げる。
「この世界に無理矢理連れてこられて、苦労しただろう。俺は人間が嫌いだったから、態度が悪かったことは認める」
「え、まぁ……」
ここで全面的に同意するのもどうかと思い、曖昧に頷く。
たしかに最初の頃は散々振り回されたが、彼の過去を知ってしまうと、それも仕方がないと思ってしまうのは、甘いのだろうか。
「でもほら。危ないときは助けてくれたし、離れてもちゃんと迎えにも来てくれたから、大丈夫だよ」
それにもう過去のことだ。
今のジェイドはすべてを話してくれたし、優衣に協力してほしいことも明確に教えてくれた。だからそう言った。
優衣の言葉を聞いたジェイドは、柔らかく微笑んだ。
ただ純粋に好意だけの笑みを向けられて、優衣の顔が瞬時に赤くなる。
(な、なんて破壊力……。本当に、綺麗な顔だなぁ……)
だが、攻撃はそれだけではなかった。
ジェイドは手を伸ばして、優衣の黒髪にそっと触れる。
「お前はいつもそうだ。どんな理不尽なことを言われても、それを受け入れてしまう。素直で純真、と言えば聞こえはいいが、すぐに騙されるような単純なお人好しだ」
「ぐ……」
つまり馬鹿と言いたいのか。
浄化されてしまいそうな綺麗な笑顔で毒を吐かれ、胸の鼓動が少し収まった。
ある意味、これがジェイドだ。
彼は、赤くなったりむっとしたりする優衣を見て笑みを深める。
「第一世界、中でもお前が住んでいる国は平穏だと聞く」
「そうね。問題がないわけじゃないけど、それでも普通の生活を楽しむ余裕はあるかな」
一か月ほど離れていただけなのに、もう懐かしく思える。
平凡だけど平和な、当たり前の日常。
「もしこの世界も第一世界のように平和になれば。お前のように、疑うことを知らない優しい人間が生まれてくるのかもしれない。そう思ったとき、初めてこれからの人間の未来ことを考えた」
優衣の黒髪に、ジェイドはそっと唇を寄せる。
「……っ」
祈るように、願うように紡がれる言葉。
「優衣。俺を助けてくれないか? この国と魔族の憎しみの連鎖を断ち切るために」
涙が滲みそうになった。
何もできないと思っていた自分が、この世界が変わるきっかけになれたのかもしれない。
そう思うと涙はもう零れ落ちそうだったが、優衣は俯かなかった。流れる涙をそのままに、顔を上げてジェイドに微笑む。
「ええ、任せて。きっと役目を果たしてみせるから」
この世界の未来が明るいものであるように、優衣は祈った。
それからは少しずつ、ジェイドの計画に基づいて動き出した。
優衣はルシェーと何度か王城に行った。
守護者候補との関係が順調だと示すためだ。でも、もともと同性の友人のように思っていたルシェーが相手だ。しかも火竜族ではまだ子どもだと聞けば、もはや保護者の心境である。
だかルシェーはそれが不満のようで、子ども扱いすると拗ねてしまう。
そこがまた子どもらしくて、可愛い。
「僕だってもう少し経てば大人になるよ」
「もう少しって、どれくらい?」
「あと五十年くらい」
「……その頃には、わたしはおばあちゃんね」
親子ではなく、祖母と孫になっているのではないだろうか。
そう考えてくすくすと笑う優衣に、ルシェーは複雑そうだった。
他愛もない会話をして、ゆっくりと商店街を歩く。
その間も、周囲からずっと視線を感じていた。町の人達だけではない。もしかしたらティーヌ国王の手の者が、こちらを監視しているのかもしれない。
「そろそろ帰ろうか。お腹すいちゃった」
「そうだね。帰ろう」
ルシェーの手を握ると、空間が歪むような感覚がした。
ジェイドの移動魔法では感じなかったことだ。前にジェイドが言っていたように、ルシェーはあまり得意ではないらしい。
「あっ、ごめん。少しずれちゃった」
屋敷の入口に出ようとしたようだが、どうやら廊下に出てしまったようだ。今のところ致命的な間違いはないが、そのうちまったく関係のない場所に飛ばされてしまいそうで、少し心配である。
「大丈夫。屋敷の中だったから」
でも少し落ち込んだ様子のルシェーを慰めようとした途端。
屋敷の奥で、何かを地面に叩きつけたかのような、激しい音がした。
「!」
続いて、断末魔のような叫び声。
「ルシェーはここにいて。見てくるわ」
びくりと身体を震わせたルシェーにそう言って、優衣は走り出す。
「待って。僕も行くよ。僕は優衣の護衛だから」
そう言って先に立つルシェーの後ろを歩き、物音のした場所に向かう。
「あれは……」
大きな扉のある部屋の前に、血まみれのティラが倒れていた。信じられない光景に、息を呑む。
「ティラさん!」
慌てて駆け寄って抱き起こす。全身に裂傷があるが、傷はそれほど深くないようだ。
「でも手当をしないと……。ルシェー、ティラさんを運んでくれる?」
「う、うん」
青ざめた顔をしながらも、彼は頷いた。手を伸ばして抱き上げようとしたところで、目を覚ましたティラがそれを拒絶する。
「ルシェー、ジェイド様を……。ヒースが裏切ったのよ」
「……っ」
ティラの言葉に、ルシェーは真っ青になった。そしてティラが倒れていた扉の奥を、震えながら恐ろしそうに見つめている。
「ヒースって?」
ジェイドには及ばないとはいえ、それなりに強いルシェーの反応に、優衣は思わずそう尋ねていた。
「前魔王様の……。グィード様の忠実な配下でした。魔王様が亡くなる際にジェイド様のことを託され、今までずっと……」
ティラの声が震えて、途切れる。
ジェイドは、父の力だけではなく記憶も継いだと言っていた。
それなら、当然のように忠実な配下だったヒースという魔族を信頼していたのだろう。
ジェイドは魔族の魂を解放するために、あれほど嫌っている人間の中に身を置いて戦ってきた。ようやく人間に対する認識が変化してきたのに、今度は魔族から裏切られるなんて。
「ジェイド!」
「優衣、危ないから駄目だ!」
「優衣様!」
止めるルシェーとティラを振り切って、優衣は目の前の扉を開けて中に飛び込んだ。
「!」
広い部屋は、無惨な状態になっていた。
机や本棚などがすべて凄まじい力で押し潰されたように破壊されている。
瓦礫の山と化した部屋の中央に、ひとりの男性が倒れていた。
激しい戦闘が行われていたようで、部屋と同じようにその男性もひどい状態だ。ぴくりとも動かない様子を見ると、もう息絶えているのかもしれない。
(ジェイドは?)
優衣は慌てて周囲を見渡す。
彼は、横たわる男を静かに見下ろしていた。
ジェイドもまた傷だらけだ。
髪も服も乱れ、全身の至るところに裂傷や打撲の跡がある。
早く手当をしなければと手を伸ばしかけたとき、ジェイドは小さな声で呟いた。
「ヒース。なぜ、あと数年待てなかった。どうせ殺されるのならば、お前がいい。そう思っていたのに」
「えっ?」
あまりにも衝撃的な言葉に思わず声を上げてしまったが、ジェイドは優衣を見ることなく、そのまま姿を消してしまった。
「あ、ジェイド!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます