第三章

第17話

 ルシェーは外見こそ魔族の血が濃いが、中身はほとんど普通の人間のようだ。

 穏やかで優しい、常識的な一般人。

 これではたとえ捨てられなかったとしても、純粋な魔族の中では馴染めなかったかもしれない。

 魔族が普段、何を食べているのかわからないが、食事も優衣と同じものを普通に食べる。強い魔力こそ感じるが、彼の人柄を知るにつれ、それが自分に向けられると思ったことは一度もなかった。

 そんなルシェーだったから、ふたりでの生活は穏やかで何事もなく、たまには一緒にお茶を飲むくらい打ち解けていた。

 彼はいつも美味しそうなお菓子を持ってきてくれるので、どこで買ったのか聞いたら、何と手作りだという。

(さらに趣味がお菓子作りだもんね……)

 今日もルシェーが自作したお菓子を持ち込んでくれたので、ティラにお茶を淹れてもらう。

 お菓子は、ドライフルーツをたっぷりと入れたパウンドケーキだった。

「うん、これおいしいね。ドライフルーツがさっぱりしているから、あまり甘くないし」

「そう? 気に入ってもらえてよかった」

 照れたように笑うルシェーは、ジェイドと違って鋭さはないが、とても綺麗な顔立ちをしている。

 それなのに優衣は緊張するどころか、今日もお茶を飲みながらすっかりと寛いでしまっていた。だが男性に慣れたというよりは、ルシェーには同性の友人か兄弟くらいの感情しか持てないからだろう。

(ルシェーは気配こそ人間とは違うけど、穏やかだし優しい。でもそれで好きになるかというと、違うのよね……)

 一緒にいて安らぐ。

 でも、恋とは違うようだ。

 恋に落ちる条件は、人それぞれ違う。

 条件というか、好みというか。

 それが優衣にとっては、安らぎを感じる相手が対象ではないらしい。

(恋って難しいし、面倒だなぁ。そもそも、しようと思ってするものじゃないし……)

 お茶を飲みながら、溜息をつく。

 こんな状況だが、パウンドケーキがおいしくて癒される。料理上手な人っていいな、と少し考えた。

「優衣は、これからどうする?」

 同じように物思いに耽っていたらしいルシェーにそう尋ねられ、首を傾げる。

「どうって?」

「ジェイドの言うように、魔族の相手を探すの?」

 優衣のことを心配して、こう尋ねてくれたのだろう。それがわかったから、わざと明るい声で言う。

「うん。それがもとの世界に帰る条件みたいだし」

「でも、大丈夫?」

「はっきり言うと、自信なんてないよ。でも、もともと恋愛にあまり興味がなかったっていうか。とくに好きな人もいなかったし、それが帰るための条件なら、仕方ないかなって思う」

 これで向こうの世界に好きな人がいた場合や、恋愛を大切なものだと考えているようだったら、帰るための条件だと言われても承知できなかった。

 それを思うと、自分が選ばれたのもまったくの人選ミスではないのでは、などと思ってしまう。

 どうやら自分はとうてい無理だと言われたのが、よほど悔しかったようだ。そう思ってくすりと笑った。

 優衣の答えを聞いたルシェーは、少し驚いたように目を見開く。

「ルシェー?」

「……いや、ほとんどの人間にとって魔族は畏怖と憎悪の対象だから、優衣がそんなふうに思っているとはわからなかった。てっきり……」

「ジェイドに脅されていると思った?」

「正直、そう思っていた」

 冗談っぽく返したのに本気で頷かれてしまい、思わず苦笑いする。

「まあ、帰るための条件だから、ほとんど脅されているようなものかもね。でもわたしが楽観的に見えるのなら、それは魔族の本当の怖さを知らないからかもしれない」

 魔族が怖いものだということは、知っている。

 本当は関わりたくないくらいだ。

 それでもこの世界で育っていない優衣は、大切な人を魔族に殺されたことも、住んでいた土地を奪われた経験がない。

 その違いは大きいだろう。

「一度、魔族に襲われたけど、ジェイドがあっさりと退けてくれたし。怖いのはジェイドのほうだと思ったくらいよ」

 あのときのことを思い出しても、恐怖よりも呆れたような笑みが出てしまう。だがルシェーは、当然だというように頷いた。

「ジェイドは特別だ。彼には純血の火竜族でも適わないよ」

「えっ?」

 最初に出逢ったとき、優衣はルシェーの力に畏怖を覚えた。あまりにも強い魔力が恐ろしいと思った。

 だが、ジェイドが言うには彼の力は純血の火竜族の半分以下であり、さらにルシェーが言うには、そんな火竜族もジェイドには適わないと言う。

「もうジェイドがいれば、守護者なんていらないんじゃ……」

「彼は……。うーん。この国を守る意志が、もしかしたら、ないのかもしれない」

 ルシェーが言葉を選びながら、慎重にそう言った。ジェイドの企みを、彼は知っているのかもしれない。

「ジェイドは何を目指しているの?」

「よほどお前は、俺が気になるらしいな、優衣?」

「うん、気になる。……え?」

 今の声は、どう考えてもルシェーの声ではなかった。

 魔法で目の前に転移してきたジェイドは、あきれたように座ったままのふたりを見つめていた。

 優衣は思わず助けを求めるように、隣にいるルシェーを見る。でも彼も突然現れたジェイドに驚いて、完全に硬直してしまっていた。頼りにはできないようだ。

(ええと、どうしよう……)

 さすがにこっそりと彼の真意を探っていたのは申し訳ないと思う。

 でも、ジェイドが秘密主義すぎるからだという思いもある。きちんと説明してくれたら、優衣だってこんなことはしなかった。

 沈黙が続いた。

「まぁ、ルシェーとはそれなりに上手くやっているようだな」

 口を開いたのは、ジェイドのほうだった。

 ふたりで仲良くお茶をしていたと知り、少し機嫌が良くなったらしい。

 ほっと息を吐き、すかさず優衣は頷いた。

「うん。強い魔力を感じても、あまり怖くなくなったわ」

 そうアピールしておく。

「そうか。ちょうどいい。ふたりでこれに出席しておけ」

 そう言って手渡されたのは、何かの招待状のようだ。

「え、何?」

「王城で開かれる夜会の招待状だ。友好的な魔族を数名、招待して行われている。守護者がいたときから定期的に開催していたものだが、選出者は出席が義務付けられている」

 ジェイドは肝心なことは何も教えてくれないのに、要求だけはいつも多い。それに向こうの世界では普通の一般市民なのに、王城とか夜会とか、急に言われても困ってしまう。

 しかも。

「……魔族が王城の夜会に?」

 守護者が存在していたときなら大丈夫かもしれないが、不在の今、そんなものを開催してもいいのだろうか。

 そんな不安が顔に出ていたのか、ジェイドが珍しく答えてくれた。

「人間に友好的な魔族だから、力の弱いものばかりだ。もし暴れても、イドロと王立魔導師がいれば問題ないだろう」

「そうかもしれないけど、ジェイドは行かなくても大丈夫なの?」

「……面倒だ」

 彼はあっさりとそう言うと招待状をもう一枚取り出して、優衣の背後にいるルシェーに向かって放り投げる。

「弱い魔族ばかりだが、優衣は奴らの好みの外見をしている。手を出されても面倒だ。お前も参加して優衣の傍にいろ。必ず守れ」

 招待状を受け取ったルシェーは死にそうな顔をしていたが、彼が傍にいてくれるなら心強い。

優衣はけっして逃がさないという決意を込めて、ルシェーの腕を強く握った。

「よかった。ルシェー、わたしから離れないでね」

「そんなにこいつが気に入ったか?」

 呆れたようなジェイドの声に、優衣に腕を掴まれていたルシェーがびくりと震える。でも、離さなかった。

「うん。穏やかだし人間みたいだけど強いし、護衛には最高」

 正直にそう答えると、ジェイドは機嫌良さそうに笑う。

「護衛には、か。そうだな。ルシェー、きちんと役目を果たせよ」

「……わかった」

 ビクビクとしていたルシェーだったが、ジェイドの機嫌が良くなったことを察したのか、ようやく力を抜いてそう頷いていた。

「服装や馬車の手配はティラに任せておく」

 そう言うと、来たときと同じように彼の姿が消えた。転移魔法で移動したようだ。

 優衣はほっと息を吐く。

「ああ、びっくりした。またとんでもない難題を押しつけられたけど」

 招待状を眺めながらそう呟いて、隣にいるルシェーを見上げる。

「まあ、ひとりじゃないからまだマシかな。よろしくね」

「……」

「ルシェー?」

 返事がないことを不思議に思って腕を引くと、彼はようやく優衣を見た。

「どうしてこんなことに」

 頭を抱える彼の姿に、少しだけ同情する。でも、優衣だってひとりで放り出されるのはごめんだ。

「まあ、ほら。ジェイドは誓約しろって迫らなかったし、ルシェーのこと友達だと思って信頼しているんじゃないかな」

 だから、せめてそう言ってみる。

 深い意味はわからなかったが、ジェイドは何度か誓約という言葉を使っていた。

 でもルシェーは首を振った。

「僕には人間の血が混じっているから、誓約できなかっただけだよ」

「そ、そうなんだ……」

 どうやらジェイドがルシェーを信用しているからではなかったらしい。

(あれ、じゃあティラさんは?)

 魔族特有だという誓約を、ジェイドはティラに使っていたように思う。

(考えるのはやめよう。何だか恐ろしいことに辿り着いてしまいそう)

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