第4話

 外壁は白く輝いていて、とても美しい。蔦の細工が施された細身の門を潜り抜けると、そこには噴水まである見事な庭園が広がっていた。

 身長よりも遙かに高い入り口を潜り抜け、建物の中に入る。すると落ち着いた色合いのシンプルな服装をした女性が、ふたりを迎えてくれた。

「お帰りなさいませ、ジェイド様。お連れの女性は……」

 明るい茶色の髪をひとつに纏め、穏やかな眼差しでこちらを見ている彼女は、三十代くらいだろうか。とても美しい女性だった。

「ティラか。ああ、ようやく釣れた。午後の審議に間に合うように、支度をしてくれ。他に選出者は?」

「ふたりです。マルティ様と、ミルーティ様のようです」

「そうか、あのふたりか。ならば、もう勝負は決まったようなものだな」

 ジェイドは不敵な笑みを浮かべる。そんな彼は国の未来を憂う者ではなく、勝利を確信した権力者に見えなくもない。

(……もしかしてわたし、騙されている?)

 不安が胸をよぎる。

 どうも彼を信用することができないのは、出逢って早々に脅されたからか。

 それでも茶色の髪の女性に手を取られて部屋の奥に案内され、浴室に押し込まれてしまえば、もう逃げることもできない。

 それにここから逃げ出しても、行くところもないのだ。

「うーん、仕方ない」

 衣服を脱ぎながら、優衣は呟く。

 もしかしたら、探せばジェイドの他にもとの世界に戻せる者がいるかもしれない。外も安全とは言い難いようだし、ここは素直に従って置くのが得策か。

 そう考えてそのまま浴室に入る。

「わぁ……。温泉みたい」

 思わず歓声を上げてしまうくらい広かった。

 大きな浴槽にはたっぷりとお湯が張られていて、綺麗な色の花びらも浮かんでいる。向こうの世界で汗をかいてしまっていたので、ゆっくりと風呂に入ることができるのは素直に嬉しかった。

 手早く身体と髪を洗い、花の香りがする浴槽に身を沈める。

 少し熱めの温度が心地良い。ゆっくりと身体を休めて浴室から出ると、新しい服が用意されていた。もとの服はどこにもない。

「……これを着るしかないってことよね」

 手にとって広げてみると、それは絹のような手触りの、とても高級そうなドレスだった。

 色は咲き誇る薔薇のような真紅に、黒いレースが施されている。

「ええっ……」

 たしかにとても綺麗だが、着てみると想像以上に胸もとが開いている。繊細なレースの間から胸の谷間が見えてしまうほどだ。

「これ、サイズが違うんじゃ」

 そう思ってみたけれど、他の寸法は既製品ではないかのようにぴったりだ。

 仕方なく、乾かした髪をそのまま垂らして胸を隠す。

 今までこんな服を着たことがなかったので、それでも落ち着かず、何度も服装を直していると、扉の向こうから声をかけられた。

「は、はい!」

 反射的に返事をすると、ゆっくりと扉が開かれる。

「着心地はいかがですか?」

「だ、大丈夫です……」

 問題があるのは着心地ではなくデザインだったが、それを告げることができずに曖昧に笑うしかない。こういうところはさすがに日本人だと、我ながら思う。

「そうですか。それでは、こちらへ」

 導かれるまま浴室を出て、別の部屋に案内される。

 そこは明るい陽射しが窓から入り込む、とても綺麗な部屋だった。

 茶色の髪の女性は優衣を鏡の前の椅子に座らせると、櫛で黒髪を丁寧に梳いてくれた。

「……本当に綺麗な黒髪ですね」

 心底羨んでいるような声で言われ、何だか恥ずかしくなって俯く。

 生まれた場所では、ほとんどすべての人間がこのような黒髪をしているのだと言ったら、彼女は驚くかもしれない。

 髪を結って花の髪飾りをつけてもらう。この花も、服と同じ真紅だった。

 黒髪に赤は映えるが、せっかく隠そうと思っていた胸もとが晒されてしまう。恥ずかしくて、自分の姿を鏡で見ることもできなかった。

(うう……。どうしてこんな格好を)

 魔族を誘惑しろと言われたことを思い出して、気持ちが暗くなっていく。

「準備はどうだ?」

 そう言いながら、ジェイドが扉を開けて入ってきた。仮にも女性が着替えをしているというのに、ノックひとつせずに。

 彼もまた、改まった服装に着替えていた。

 ますます王子様のようだ。

 外見だけなら極上の男だが、残念ながら中身は自分勝手で、こちらの都合など一切考慮してくれない。

 そのジェイドは、着飾った優衣の姿をじっくりと眺めている。

「靴はもっと細いものを。ドレスはそれでいい。髪はもう少し前に垂らせ」

 彼の指示で、茶色の髪の女性はてきぱきと優衣の支度を整えていく。

戸惑いながらも、言われるまま細身のヒールの靴に履き替え、髪を結い直した。長い黒髪が前に垂れて、胸もとが隠れたことに安堵する。

「よし、それでいい」

 支度を終えると満足そうに頷き、ジェイドは手を差し伸べる。

「行くか。王城までは遠いから、魔法で移動する。気分が悪くなるかもしれないが、絶対に手を離すなよ」

 まるで姫君のように恭しく手を握られて、思わず頬が染まる。だがそのあとの言葉を聞いて、慌てて握った手に力を込めた。

「待って、王城って、わたしをどこに……」

 問おうとした言葉は途中で途切れ、大きな魔方陣が描かれた広い部屋にいた。

(も、もう着いたの?)

 もちろん、魔法で移動するのは初めての経験だ。

 気分が悪くなるかもしれないと言われたので、もっとおそろしいものだと思っていた。でも実際には、気が付けば一瞬で景色が変わっていた。そのことに安堵しながら、周囲を見渡す。

(ここって王城って言っていたよね?)

 想像とは違い、この部屋には家具などは何もなく、壁も床もすべて白い。

 その白い床の中央に描かれた魔方陣だけが、ほんのりと赤く光っている。そして魔法陣の前には西洋の騎士のような姿をした男がふたり。どちらも腰に剣を差していた。

 彼らはジェイドの姿を見た途端、わかりやすく狼狽えた。王城を守る騎士に恐れられるなんて、彼はどれだけ強いのだろう。

「ジェイド・ロドリューン。国王陛下の許可を得て、審議会に参加する」

 その騎士に向かってジェイドがそう名乗ると、彼らは視線をちらりと優衣に向けて頷いた。そして何もない壁に向かって剣を掲げると、そこに扉が出現する。

(え、どんな仕組み?)

 目の前の光景に混乱した優衣の手を取って、ジェイドは歩き出す。

 細身のヒールでは歩くのも大変で、文句を言う暇もなく彼に従って歩いていた。扉を潜り抜けると、その瞬間に入り口は跡形もなく消滅する。

「これも魔法?」

 不思議に思って尋ねると、彼は頷いた。

「ああ、第一世界ではもう魔法は失われているらしいな。今の魔法は、外部からの侵入を防ぐために使われている。審議会が終わったら、ある程度はこの世界のことを説明しよう」

 彼が自分から説明しようと言うなんて、もしかして相当機嫌が良いのかもしれない。出逢ってからまだほんの数時間だというのに、今までの様子から見るとそう感じてしまう。

(審議会とかが終わるまで、その機嫌が続くといいけどね……)

 いざとなったら、あっさり面倒だと言われてしまいそうだ。だが今はそれを信じて、そのままジェイドに導かれて王城を歩く。

 王城というならばさぞかし豪奢だろうと想像していたのに、実際は装飾もほとんどなくシンプルな造りだった。これならば彼の屋敷のほうが豪華かもしれない。

 クリーム色の絨毯の上をしばらく歩いていくと、やがて大きな扉が見えてきた。その扉にも魔法陣が描かれていて、ジェイドはその魔法陣に手を翳す。

「ここは?」

「謁見の間だ。奥には国王陛下と王太女殿下。立会人として魔導師イドロ。そして他の選出者候補がふたりいる」

 彼がそう言うと魔法陣が明るく光り、扉が自動的に開いた。

(わっ……)

 ここは謁見の間というだけあって、さすがに大きな部屋だった。天井も高い。

 中央には緋色の絨毯が敷き詰められていて、優衣はその上をジェイドに手を引かれながら歩いていく。毛足の長い絨毯はあまりにもふわふわとしていて、歩きにくい。転ばないようにジェイドに掴まりながらゆっくりと歩いた。

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