033 本牧埠頭に少年が降る

 それ──いや、少年はあっという間に、佳穂と便利屋の前に着地した。

 その背中にはブーメランのように滑らかな黒い翼があった。

「はい、お待たせー! 今日は特別、直接来たよ!」

 少年は翼をたたむと、ペコリとお辞儀をした。道化師のような衣装──コルボにいた、あの少年だ。

 手にはスマートフォンが握られている。

「こんにちはお姉ちゃん。昨日はよく頑張ったね!」

 便利屋は、携帯を持ったままあんぐりと口をあけている。

「お前も同類だったのか!?」

「そうだよー!」

 少年は見て見て!と言わんばかりにくるりとターンしてみせた。

 漆塗りに光る黒、滑らかなカーブ。

 どこかで見たことのある色と形の翼だ。

「お、おい!」

 便利屋が佳穂に肘打ちしながら囁いた。

「え? あ……あの、何ですか?」

「いいのか? 逃げなくて」

「あ!」

 傾いたとはいえ、太陽はまだあたりを照らしている。

 明るい中で見る『空を飛んでくる少年』には、自分の立場を忘れるのに十分なインパクトがあった。

「平気だよー!」

 少年はクルリと向き直るとニッコリ笑った。

「まだゲームは始まってないし、そもそもボクは追撃者チェイサーじゃないからねー」

「え……? そうなの?」

 『時間外』というのは、ヒツジの角を持っているウリアルも言っていた。

 しかし、翼があるのに追撃者チェイサーじゃない──そういう人間がいるというのは初めてだ。

 どうやら、何かしらの動物のパーツを持っていたとしても全員が全員追撃者ではないと言うことなのだろう。

 そもそも、彼等は──

「何なんだよ!? お前ら! ハネやらミミやら生やしやがって!」

 佳穂が訊きたかったことを便利屋が先に訊いてくれた。

「……え? 私も?」

「お前もだ、コウモリ女!」

「……コウモリ女はやめてください」

 とは言ったものの。便利屋の言うとおりだ。

 佳穂自身、自分になんで翼や耳が生えるのかさっぱりわからない。

 ましてやこれから逃げまわるためにも、必要な情報であることは間違いない。

「へへへ」

 少年は顎に人差し指を置きながら、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「ホントはね──。秘密にしておかなきゃいけないんだけど……。にはね」

「ふん!」

 便利屋はそっぽを向いた。

「でも、そんな事も言ってらんないね。幸い今日はまだ時間もあるから、少しだけ説明するね」

 少年はくるくると踊るような振りで話しを始めた。


「これから話すのは、百を百重ねた年ほどの昔の話。

 はるか彼方の大海原にあったお国の話──。


 月に満ち欠けがあるように、見方が変わればその姿も変わる。

 そこでは、こう考えられておりました。


 人間は誰でも、魂と体の二つを持って生きている。

 魂は形のない意思で出来ており、体は形のある物質から出来ている、と」


「はあ……? 全然っ わかんね!」

 便利屋はかぶりを降った。

「早っ!」

「うるせー! ムズカシイ話は耳が拒否するんだよ! 耳が!」

「しょうがないなー。

 まあ、聞いていてよ。


 形のない魂が形のある体を動かしている。

 それがその国で考えられていた人間の姿でした。


 そして、実際にその考えを裏付ける「ある力」が発見された。

 それが『クオリア』。


 人間が目や耳で感じたり、手足を動かしたり出来るのは、魂と体が半エネルギー体である『クオリア』で結びついているからという事がわかったんだ。


 一方で、魂は体に束縛されているとも言うこともできる。

 例えば、どんなに魂が空を飛びたいと思っても、体に束縛されているので、そのままでは飛ぶ事が出来ない。


 人間の体には空を飛ぶ機能はないからね。


 そこで昔の人は考えた。

 『クオリアを体の外に引き出して直接使えば、人間の体では出来なかった事ができるんじゃないか』ってね。


 でも、クオリアをただ単に体の外に引き出しただけではダメだった。

 「純粋な力」は、暴走しやすくて、とても扱いにくい。


 大事なのは引き出したクオリアにイメージを与えること。

 魂がその使い方を想像しやすいようにビジョン化することだった。


 それが、これ」

 少年は翼を大きく開いてお辞儀をした。

「クオリアに、わかりやすいイメージを与えること」

「おい、わかるか?」

「い、いまいち……」

 佳穂と便利屋は顔を見合わせた。なんとなくわからなくもないが、サッパリだ。

「だよねー。自分もよくわからないんだ。この能力のない人の感覚がね。

 とにかく、乱暴に言うと動物のパーツが付いて、その動物の能力が使えるようになるという事。

 人間が思い描いた、その動物の能力がね」

「全然わかんねぇ。わかんねぇけど、とにかく獣のように早く走ったり、鳥のように空を飛べたりできる、魔法みたいなもんだと思やぁいいのか?」

「そうだよ。大体あってる」

 少年はにっこり笑った。

「まさか、『天使様と獣』の噂が本当だったとは……」

「そうだよ、その噂の出所は僕らの事さ!」

「ん? じゃあ、どうにかしてもらったら、オレもそれが使えるようになるってわけか?」

「それは、だめー」

 少年が人差し指を交差させる。

「僕達、クオリア使いの血統はむか~しに沈んじゃったどっかの大陸までルーツが遡る。普通の人間のクオリアは、薄れちゃってて使い物にならないよ!」


「けっ そうかい! 大層な血統だな」

 便利屋が口を尖らせた。

「ちょ、ちょっと待って! 私の親戚にはそんな人はいないと思うんだけど……」

「そりゃそうだよ。お姉ちゃんのコウモリのクオリアだけは血統に関係のない、まったくの「別もの」だからね」

 少年は両手をヒラヒラさせながら言った。

「コウモリのクオリアは祭礼専用。お姉ちゃんが参加しているのは、僕達『クオリア使い』が行っている祭りなんだ。何年かに1度、『クオリア使い』の氏族の代表がコウモリを捕まえるというのが、祭りの本当の姿。お姉ちゃんから見たら逃げるのがルールだけどね」


『一族の名誉のため、あんたを捕まえる!』


 昨日の追撃者が言ってたセリフが思い出される。

「昨日のあの人達も、あなたと同じ『クオリア使い』なの?」

「ケイキンの瀬々理たちの事だね。そうだよ」

「あいつら、翼があるのに飛べないようだが……」

 便利屋が言った。

「え、飛べない……?」

――――考えてもみなかった。

 あれだけのカーチェイスをし、間近まで迫ったのだ。飛べるなら、最期の詰でそれをやらないはずはない。そこから考えると、彼らが飛べないというのはありえない話ではない。

「うん。飛べないね。『鶏禽』だし」

「──鶏……ニワトリか!」

 便利屋が声を上げた。なるほど、翼があるのに飛べないわけだ。

「じゃあ何か他に能力のあるのか?」

「さて……。氏族トーテムによって大まかな能力はわかるけど、クオリアはあくまでも使う人間固有のものだからね。個々がどんな能力を使うのかまでは、わからないよ」

「じゃあ、追撃者というのはあれで終わりか?」

「違うよ。これから毎日追加される。今日は一人増えて二人だね」

「ふ、二人?!」

「昨日のヤツらは三人いたぞ」

「あれはズルをしてるんだよ」

「ズル?」

「本当の追撃者は一人。瀬々理せせりってだけだよ。あとの二人はサポート」

「そ、そんな!? こっちは一人なのに……」

「だから、ズル。

 祭礼の決まりごとでは、追撃者はクオリア能力を使うことが前提なんだ。でも、能力を使用せずサポート参加することについては規定がない」

「つまり、能力を使わなければ誰かがサポートしても構わないとも取れるわけか」

「クオリア使いは自分たちの能力に誇りを持っている。この祭りそのものが、氏族トーテムの代表の力量を試すものでもある。

 道具やサポートを使うのは、恥とされているからね。最初っからサポートを用意して臨む、なんてのは前例が無いんじゃないかな」

「バイクや車も普通は使わないのか?」

「普通はね。それだけ彼らには、なりふり構わない事情があるって事。

 でも、大丈夫!

 お姉ちゃんには、このお兄さんがサポートしてくれるから!」

「は!? オレは送迎しかしねぇぞ!」

「またまた~。遠慮しなくていいよー。今朝、お姉ちゃんの鞄持って山手をウロウロしてたじゃん」

「な……! 見てやがったのか?!」

 便利屋は、言うなり少年の襟首を掴もうと手を伸ばした。

「そうだよ! ボクの出来ることは、見つけること、報せること、届けること、だけだからね」

 少年は翼をひらめかせると、便利屋を軽く躱して着地した。

「はあ? 意味がわかんねえ!」 

「昨日の夜も、崖下探していたよねえ!」

「く、クソガキ!」

 無駄な鬼ごっこが何度か繰り返される。

「車の修理代の為だ……。クソ!」

諦めた便利屋が肩で息をしながら言った。

「まあいい、ということは、今日は悪くすると二組同時に相手しなければいけないのか?」

「そうだよ。頑張ってね!」

「ええっ?!」

 昨日の三人ですらヘロヘロになったのだ。

 更に新手があらわれたら一体どうなるだろうか。

「大丈夫、飛び方はクオリアが教えてくれるから」

 少年はウインクしながらにっこり笑った。

「追加の一人はどんな奴だ?」

 少年はかぶりを振った。

「これだけは教えられない。

 昨日の三人は、たまたま顔を知ってただけだからね。見ればわかるかもしれないけれど、これからどんな追撃者チェイサーが現れるのかは、言えないよ」

「…………あ!」

 佳穂は声を上げた。


 『ボクの参加は三日目からです』


――――ウリアルの言葉だ。

「わ、わたし、三日目からの追撃者チェイサーに会ったかも……」

「え、誰だよ。ソイツは?」

「昨日、崖から落ちた時、助けてくれた人」

「確かにあの後、お姉ちゃんを見失ったんだけど……。その人、自分から名乗ったの?」

「うん……。ヒツジの角が付いてた」

「──珍しいな。自分から正体を明かすなんて」

 少年は真顔で考えこんだ。

「ヒツジか……。あまり鬼ごっこの役に立ちそうにない動物だな」

 便利屋が苦笑する。

「本当の実力がわからないうちは、侮らないほうがいいよ」

「ふん! それにしても、だ。妙にコイツに肩入れするな。コウモリを捕まえるのが祭りだろ。まるで、逃げ切って欲しいみたいじゃねえか?」

「さあてね──。

 あ、そうそう忘れちゃうところだったよ! 大事なボクの仕事『届けること』。おねえちゃん、手出して」

 少年は、はぐらかすように表情を変えて佳穂に駆け寄った。

「え……?」

 佳穂の左手を取り、その中指に何かを通す。

――――真鍮色のリングだ。

 翼で指を抱くようなコウモリの姿をしている。

「ランカスターから。はい、これ仕様書。昨日、時間がなくてインストールできなかった追加機能だってさ。本当は今日、これを届けに来たんだ」

 少年はにっこり微笑んだ。

「変身する時は必ずそれを付けておいてね。ランカスター、昨日はずっと悔やんでてうるさかったし。あと、それからこれ」

 そう言うと、少年は佳穂に一つの懐中時計を手渡した。

「こっちは、毎日の祭礼の終了の時間がわかる時計。時間がきたらベルが鳴るからね」

 そう言うが早いが、少年は背中の翼をひらめかし、舞い上がった。

「じゃあね! 応援してるよ、お姉ちゃん!」

 あっという間に、虚空に消えて行く。

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