第五話 慈悲の町 シャリテ

5-1 慈悲の町 シャリテ

 外套で顔を隠しながらアルズを発ったあとの旅路は、なかなか困難なものとなった。

 宿屋の主人も場合によっては到着するまで時間がかかると言っていたが、確かにそのとおりだった。

 これまでは全て道が整えられており、距離があったとしてもスムーズに移動できる場所ばかりだった。

 これに対し、アルズからシャリテへの道は荒れており、非常に通りにくい。そもそもの距離があるのに加えて整備されていない道というのは人の足を遠ざけるには十分すぎた。


 おまけに、追っ手に見つからないよう気を使い、ときにはリーリャの体力も考えて休憩や野宿も挟んだ。真っ直ぐ進まずに途中で休んだのもあり、通常よりもさらに時間がかかってしまった。

 それでも、間違えずに進み続ければいつかは目的地へ辿り着くことができる。

 アルズを出発してからおおよそ三日。進む道の先に見えてきた町の影に反応し、リーリャはあっと声をあげた。


「アヴェルティールさん、あそこ!」


 彼が操る馬の背の上で、リーリャはだんだん見えてきた町の影を素早く指さして声をあげた。

 馬を走らせるのを止めず、アヴェルティールもリーリャが示した先を見つめ、浅く息を吐き出す。


「……ようやく見えてきたか。本当にこの道で合っているのか心配になるほどだったが、無事に辿り着けそうで何よりだ」

「本当に……。まさか、こっちの道がこんなに過酷なものだとは思いませんでした……」


 途中で野宿を挟んだとき、本当に宿屋の主人と少年の言葉を信じて正解だったのか一瞬議論が発生しかけたほどだ。

 リーリャもアヴェルティールも、すかさず二人を信じるのだと思い直したため、議論は発生せずに終わったのだが、一時は二人揃って不安になるほどだった。

 けれど、そんな道を通ってきたおかげで、少々考えることもあった。


「……まるで、シャリテという町そのものが存在していないのではと思わせるほどだった」


 はつり。リーリャが小さな声で呟いた言葉が空気に混ざり、アヴェルティールの耳にも届く。

 眉間へはっきりとシワを寄せ、アヴェルティールも小さく頷いた。

 リーリャが訪れてきたトレランティアやアルズの町は、神殿へ続く道も、次に訪れる町へ続く道も、綺麗に整備されていて簡単に通ることができた。

 一方、アルズの町からシャリテの町へ向かう道は整備されず、通るのに時間がかかってしまう状態になっている。


 民のことを思う国王であれば、すぐにこの問題を解決するため動いていてもおかしくはない――けれど、道は荒れたまま放置されていた。

 人の手が入らなければ、道は自然と荒れていく。

 町へ向かうための道が荒れれば、その先へ本当に用がある人間以外はあまり通ろうとしなくなってしまう。

 その様子がまるでシャリテという町の存在を無視しているかのように思えてしまった。


(もちろん、私の考えすぎかもしれないけど)


 ぱっと考えれば、リーリャの考えすぎだ。

 実際にその可能性のほうが高いだろうが、巡礼の旅で訪れる神殿が今と昔で変わっているかもしれないという情報が手元にあるからか、どうしても疑ってしまう。

 リーリャもきゅっと眉間にシワを寄せた瞬間、頭上で小さく吹き出す音が聞こえた。


「アヴェルティールさん?」


 この場でそのような音を出せるのは、アヴェルティールしかいない。

 訝しげなものからきょとんとした顔へ表情を変え、リーリャはアヴェルティールを見上げた。


「……いや。大したことではないが」


 ちらり。アヴェルティールの目が一瞬だけこちらへ向く。

 アヴェルティールの目からは、一種の冷たさは抜けない。はじめて出会ったときはその冷たさに恐怖を覚えたものだが、見慣れてしまえばあのときほどの恐怖や冷たさはあまり感じない。

 そのはずだったが、こちらへ向けられた紫色の目と視線が絡んだ瞬間、リーリャの心臓が恐怖とは違った理由で音をたてた。


「いつのまにか、似た表情をするようになったと思っただけだ。そこまで長い時間を共有したわけではないだろうに」


 ほんの一瞬だけリーリャを見たアヴェルティールの目には、冷たさのかわりに穏やかな暖かさがあった。

 巡礼騎士として振る舞っているときのような、貼り付けたかのような笑顔でもない、自然な微笑みも口元に浮かんでいた。


 すぐにまたいつもどおりの表情に戻ったため、リーリャが目にできたのはほんの短い時間。ほんの数秒ほどの、瞬きの間ほどの時間だ。

 目にできたのはそれくらいの短い時間だったが、リーリャの心と記憶に深く焼きつくには十分だった。


「……だ、……だって、一緒に行動してるじゃないですか。その間に似てきてもおかしくはない、かと」


 我ながら、短期間でどれだけ彼から影響を受けているんだと思われてしまいそうだが、アヴェルティールと似た表情をするようになってきているのなら彼から影響を受けていると考えるのが自然だ。


 なんだかじわじわと気恥ずかしさが湧きあがり、リーリャはふいと視線をそらす。

 頭上でアヴェルティールが喉を鳴らして笑う声を聞きながら、リーリャはどんどん迫ってくる町の影をじっと見つめ続けていた。

 とくとくと少し早いリズムで音をたてる心臓も、シャリテの町に到着すれば他の景色へ興味が向いて意識がそれるはずだと思いながら。

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