4-3 逃亡と真実の断片

 小鳥がさえずる声に誘われ、伏せていた目をゆっくりと開く。

 アヴェルティールが目を覚ましてから、最初に目にしたのは規則正しい寝息をたてるリーリャの顔だった。


「……。……は?」


 思わず間が抜けた声が出た。

 寝顔が間近で見れるほどの近い距離で、寝息をたてながらリーリャが眠っている。

 これがすぐ隣なら、アヴェルティールが眠っている間に何らかの理由でベッドに潜り込んできたのかと思えた。

 しかし、すぐ隣ではなく、リーリャははっきりとアヴェルティールの腕の中にいた。

 仲睦まじい男女がするような体勢だが、アヴェルティールとリーリャは決してそのような仲ではない。


(……待て。俺は何をした?)


 まだ眠っているリーリャを起こしてしまわぬよう、細心の注意を払いながらそっと彼女を離す。

 そのまま後ろへ下がって距離を取り、そっと起き上がった。

 何かとんでもない間違いを犯してしまったのではないか――焦りで心臓が早鐘を打っているのを感じながら、アヴェルティールは額に手を当てて直前の記憶を探りはじめた。


 昨夜は――確か、別々のベッドで休んだはずだ。隣にあるベッドもシーツが乱れており、リーリャがそちらで眠っていたのをはっきり示している。

 ということは、何らかの理由でリーリャが己のベッドからアヴェルティールのベッドへ移動してきたということになる。目覚めたときにアヴェルティールが彼女を抱きしめるような姿勢だった辺り、リーリャがベッドの中へ移動してくる理由を作ったのはおそらく自分だ。


(……本当に、昨夜の俺は彼女に何をしたんだ……?)


 考えても、思い出せるのは眠りにつく直前までで、その先は思い出せない。

 眉間に深いシワを刻み、アヴェルティールはいまだに小さく寝息をたてて眠っているリーリャへちらりと視線を向けた。


「――……」


 すぅ、すぅと寝息をたてて眠る姿が、記憶の中にいる人物の寝顔と一瞬だけ重なる。

 彼女はリーリャであって、アヴェルティールの記憶に残り続けるあの子ではない。

 けれど、一瞬重ねてしまうくらいに彼女は似ている――アヴェルティールの唯一の家族だった少女に。

 リインカーネーションとして選ばれたという点も含め、リーリャはあまりにも似ていた。


「……フィーユ……」


 今はもう、この世界のどこにもいない少女。

 アヴェルティールの唯一の家族であり、守りたいと思い続けていた少女。

 そして、リーリャよりも前の代のリインカーネーションとして選ばれ、伝説どおり世界と人々のために命を捧げた聖女の一人。


 ――リーリャ・アルケリリオンという少女は、ふとしたときにアヴェルティールの妹であるフィーユを思い出させる。


 まだフィーユがリインカーネーションとして選ばれていない、二人だけで暮らしていた頃の夢を見たのも、きっとそのせいだ。

 自分がどのような夢を見ていたのか鮮明に思い出せば、リーリャがアヴェルティールの腕の中で眠っていた理由も予想ができた。


「……寝ぼけてフィーユと間違えたのか、俺は」


 頭に浮かんだ予想を口に出してみれば、すとんと胸の中に落ちてきた。

 怖い夢を見て眠れなくなったときや雷雨の日、フィーユは決まってアヴェルティールの傍にやってきていた。

 アヴェルティールも恐怖や不安で寝付けない妹を自分のベッドの中に入れ、そのまま一緒に眠っていた。


 互いに成長するうちにそうすることも少なくなっていたが、アヴェルティールが見たのはちょうどその頃のフィーユと暮らしていた時期の夢だ。夢の残り香が残っている状態で、寝ぼけてフィーユとリーリャを間違えた可能性は十分考えられる。

 どのような理由でリーリャがこちらのベッドの傍まで来たのかはわからないが、今、手元にある情報から考えられる可能性はこれだけだ。


(……リーリャとフィーユは別人だと、きちんと理解していたつもりだったんだがな)


 はじめて馬車で出会ったときは、内心驚いた。

 今代のリインカーネーションであるリーリャの姿を見た瞬間、過去にリインカーネーションとして命を落としたフィーユのことを思い出したから。

 目の色は違うが、色素の薄い髪に『リインカーネーション』という共通点があったため、思い出してしまったのだろう。


 何度かフィーユとリーリャの姿が重なりそうになったこともあるが、ともに行動をする中で彼女とリーリャは別人であると感じたし、フィーユをあまりに重ねるのはリーリャという少女に対して失礼だとも思った。

 ――だというのに、このざまだ。


「……フィーユはフィーユ。リーリャはリーリャだ」


 小さな声で呟き、改めて自分自身へ言い聞かせる。

 リインカーネーションとして選ばれたという共通点もあるけれど、フィーユはリーリャではないし、リーリャはフィーユではない。

 あくまでも共通点があるというだけで、あの子は己が守りたかった世界でただ一人の妹ではない。


(ちゃんと見ないといけないだろ。リーリャを)


 改めて胸に深く刻みつけ、アヴェルティールはできるだけ物音をたてないよう気をつけながらベッドを離れる。

 少ない動きで振り返ると、まだすやすやと寝息をたて続けているリーリャの寝顔が視界に映った。


 つい先ほどまで間近に見ていた寝顔。

 普段は聖女としての教育を受けた振る舞いをしている彼女が見せる、年相応の少女らしい柔らかな寝顔。

 目と鼻の先といってもいいほどの距離で見ていた寝顔を改めて見た瞬間、アヴェルティールの頬へ一気に熱が集まるのを感じた。


「……ああ、くそ」


 フィーユと別人だと改めて理解しろと自分自身に言い聞かせたのは、他の誰でもないアヴェルティールだ。

 けれど、だからといってこのような意識をしろというわけではない。

 慌ててリーリャから顔を背け、早足に扉を開いて部屋から出る。閉めた扉にずるずるともたれかかり、その場に座り込むと熱を持った顔を片手で覆い隠した。

 忘れようにも、これまでの旅路の中でリーリャが見せたさまざまな表情が脳裏に次々と浮かんでは消えていく。


「……今はこのようなことを考えている余裕はないだろうに……」


 リーリャと一緒にいるのも今だけだ。リインカーネーションの真実を知るための旅が終われば、どのような結果になっても一緒に行動することはなくなるだろう。

 なら、このような感情を抱いても――リーリャをそのような目で見ても、あとで虚しくなるだけだ。


(早く忘れてしまおう。これも、あの子の寝顔も)


 そうすれば楽に生きられる。

 最初から大切に思わなければ、大事にしたかったものを守れずに取りこぼす苦しみも味わわずに済む。

 自分自身へ言い聞かせるアヴェルティールの頭とは反対に、心にはリーリャの顔が強く焼きついたままだった。

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