3-3 希望の町 アルズ

 イエスと答えてくれるまで離さないとでも言いたげな様子からは、何やらとても必死になっているのが読み取れる。

 リーリャを見上げてきている目も真剣そのもので、とにかくリーリャが首を縦に振らなければいつまでもこうしていそうな勢いだ。

 その目の奥では、やはりリーリャへ助けを求めるような、すがりついてくるような色が揺れている。


「え、えっと……」

「ずっと聖女様に泊まりに来てほしいと思ってるけど、聖女様、いっつも違うとこに泊まりにいくし……お願いしようにも、いつもはたくさんの巡礼騎士に囲まれてて全然近づけないし……だから、今が頼むチャンスだと思って……」


 言葉を発する少年の声がだんだん小さなものへと変化していき、表情もどんどん曇っていく。

 リインカーネーションへ直接泊まりに来てほしいと訴えにくるほど、少年がいる宿は経営難に陥っているのか。こうして直接頼みに来るほどだ、少年の両親が宿の経営者なのかもしれない。


 周囲がざわめき、道行く人々の視線がリーリャと少年へと向けられる。

 ひそひそと小さな声で囁きあう声も聞こえはじめ、アルズの町の通りが少しずつ騒がしくなりはじめた。


「何? あの子供は……聖女様方はすでにお泊まりになられるところが決まっているのに……」

「よく見たらあいつ、あの宿屋の息子じゃないか? ほら、前に騒ぎになってた店の……」

「ああ……よく見たらそうね。全く、人を集めようとして伝説が誤っているかのような主張をするだけでなく、ああして聖女様方を困らせるなんて……」

「親があんな騒ぎを起こすんだ。子供もやっぱり問題しか起こさないんだろ」


 ひそひそ、ひそひそ。

 人々が囁く言葉の中に悪意が入り交じり、無数の視線が少年の小さな身体に突き刺さる。

 リーリャに声をかけてきたときは真っ直ぐリーリャを見上げていた少年だったが、次第にうつむき加減になっていく。

 過去にこの町で何が起きたのか、どんな騒ぎが起きたのか、来たばかりのリーリャにはわからない。

 だが、アルズの町で暮らしているほとんどの人から良く思われていないのだけは確かだ。


「人を集めるためになりふり構わない奴は本当に困るな。あいつらがいるだけでアルズの評判が落ちる」

「とっとと潰れてしまえばいいのに」

「――!」


 かっと少年の顔が怒りで赤く染まり、こちらへ視線を向けてきている男性を睨みつけた。

 勢いよく息を吸い込む音がリーリャの耳に届く。


「わかりました」


 凛、と。

 少年が何かを言い返すよりも先に、リーリャの声が場の空気を震わせた。

 周囲の人々に何か言い返そうとしていた少年はもちろん、様子を見ていたアヴェルティールも大きく目を見開いてこちらを見る。

 リーリャが口にした言葉は悪意に満ちた言葉を囁いていたアルズの住民たちにもしっかり届いていたようで、驚愕を隠せない目をリーリャへ向けた。


 無数の視線が一瞬で自分自身に集められ、誰かの後ろに隠れたくなってしまう。

 その衝動をぐっと飲み込み、リーリャは少年へ柔らかい笑顔を見せて頷いた。

 周囲から注目されるのは覚悟の上だ。それに、こんな小さな子供が悪意にさらされても逃げなかったのだ――リーリャも逃げるわけにはいかない。


「あなたのご両親が経営している宿へ……案内してもらえますか?」


 聖女が町で暮らしている子供の要求を飲むのは特別扱いをしているように見えるかもしれない。

 だが、自分よりも幼い子供が縋るような目を向けてきているのに、その手を振り払う真似はリーリャにはできなかった。

 何より、世界と人々を救うリインカーネーションが、助けを求めている子供の手を振り払うなど――そんなの救国の聖女として正しくない。


「……聖女様」


 アヴェルティールが渋い顔でリーリャを呼ぶ。

 彼からすれば、突然声をかけてきた見知らぬ子供の要求を飲むのが心配なのだろう。

 だが、先ほど聞こえてきた囁き声を元に考えると、この少年の家が宿屋であるのは間違いないはずだ。


「……大丈夫ですよ。きっと危ないことはありませんから」

「……」


 笑顔を見せるリーリャとは対照的に、アヴェルティールの表情は渋い。

 交わされていた言葉が途切れ、リーリャとアヴェルティールの間を沈黙が支配した。

 空気の中にわずかな緊張感が交じり、こちらへ注目してきている住民たちも宿屋の少年も顔をこわばらせて二人を見つめている。

 はたして、どれくらいの時間、無言で見つめ合っていたのか。しばしの沈黙が続いたあと、アヴェルティールが深い溜息をついて腕組みをした。


「……わかりました。それが聖女様の望みであれば」

「!」


 ぱあ、とリーリャの目が輝いた。

 宿屋の少年も同様にきらきらと目を輝かせたのち、ほっとしたような顔をする。

 喜びをあらわにする二人へ、アヴェルティールは溜息混じりに言葉を続けた。


「しかし、その子供についていって聖女様に何らかの危険が迫った場合、私は即座に聖女様を連れて宿から離脱します。よろしいですね?」

「はい。もちろん」


 もし、危険があった場合は即座に逃走することには反対する理由がない。

 リーリャもむやみやたらと危険な目には遭いたくないし、巡礼の旅の途中でリインカーネーションが命を落とすなんて事件も起こしたくはない。

 アヴェルティールへ頷いて返事をするリーリャの傍で、少年が不満げに唇を尖らせた。


「……そんなに警戒しなくても大丈夫だっての。聖女様も巡礼騎士様も危ない目に遭わせないし」

「口ではいくらでも言えるからな」


 とても小さな声での不満だったが、アヴェルティールの耳にはしっかり届いてしまったらしい。

 アヴェルティールがぎろりと冷たい目で少年を見やり、少年も大きく両肩を跳ねさせてリーリャの背後へ回り込んだ。

 幼い子供に強い敵意と警戒を向けているアヴェルティールに苦笑いを浮かべてから、リーリャは振り返って少年を見た。

 自分よりも低い位置にある頭を優しくぽんぽんと撫で、リーリャはふわりと笑う。


「では……改めて。あなたのお家に案内してもらえますか?」

「うん。ついてきて」


 一言、そういってから少年がリーリャとアヴェルティールの先を歩き始める。

 自分たちよりも小さな背中を見失ってしまわないよう気をつけながら、リーリャはアヴェルティールとともに少年を追いかけ始めた。

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