2-7 忍耐の町 トレランティア

「聖女様」


 優しい声で呼べば、リーリャはおずおずとした様子で部屋の中へ入ってきた。

 神殿守も一緒に入ってくるかと思ったが、どうやら今は彼女一人だけらしく、少し待ってみても神殿守が姿を見せる気配がない。

 祈りの間から彼女が一人だけでここまで辿り着けるとは思えない。部屋の外で待っているのか、案内してもらったが一人にしてほしいと頼んで別れたかのどちらかだろうと予想をつけた。


 祈りの間から一人で移動した結果、偶然ここに辿り着いた可能性も考えたが、その可能性は非常に低いだろう。

 神殿守がたった一人だけで行動するリインカーネーションを見て、何もしないとは考えにくい。

 丁寧に扉を閉めてから、とてとてと軽い足音をたてて歩み寄ってくるリーリャへ、アヴェルティールも近づいていく。


「聖女様、祈りの間までお迎えに行けなくて申し訳ありません。少々調べ物に夢中になってしまっていました……あなたをお守りする騎士失格ですね」


 二人きりとはいえ、どこに神殿守がいるかわからない以上、素の状態で話すのはリスクがある。

 そう判断し、外向きの口調で話しかければ、リーリャは気にしないでほしいと言いたげに首を左右に振った。

 かと思えば、この場にいるのがリーリャとアヴェルティールの二人だけであるのを確かめるかのように周囲を見渡す。一度閉めた扉の前に戻り、扉に耳をつけて外で物音がしないか確かめるほどの徹底ぶりだ。

 不審なリーリャの様子に、アヴェルティールの表情から穏やかさが消える。


(何をするつもりだ? ……まさかとは思うが、武力抵抗でもするつもりか?)


 腰に差した剣へ手を伸ばし、グリップ部分に手をかける。

 アヴェルティールにリーリャを殺すつもりはない。彼女は今代のリインカーネーションだ、彼女が巡礼の旅を終える前に命を落としてしまえば滅びに向かう世界を救う者がいなくなる。何より、今代のリインカーネーションに選ばれてしまっただけの彼女には哀れと思う気持ちはあれど恨みもなければ殺す理由もない。


 だが、それはアヴェルティールの場合の話だ。


 リーリャからすれば、アヴェルティールは突然馬車を襲撃してきた襲撃犯。殺すつもりはないと本人にも告げているが、彼女からすればその言葉が真実であるかどうかはわからない。いつ気が変わったと言われて殺されてもおかしくない状況だ。アヴェルティールに攻撃をし、怯んだ隙に逃げようと考えてもおかしくない。

 アヴェルティールにリーリャを害する理由はなくても、リーリャにはアヴェルティールを害する理由が十分にある。


(……ぱっと見た印象では、武器らしきものは持っていないように見えるが)


 もし、リーリャが武器らしきものを取り出したら即座に峰打ちをし、気絶させる。

 そう心に決め、アヴェルティールは再度こちらへ歩み寄ってくるリーリャの様子を見つめる。

 すぐ目の前まで歩いてきた瞬間、リーリャが懐に手を入れ、グリップを握るアヴェルティールの手に力が入った。


「あの……これ」


 だが、リーリャが取り出したのは武器ではなく、古びた一通の封筒だ。

 予想とは異なるものが目の前に差し出され、アヴェルティールは目を丸くした。

 わずかに反応が遅れたが、またすぐに冷静さを取り戻し、剣のグリップから手を離して差し出された手紙を受け取る。

 ひっくり返して表と裏の両方を確認するが、宛名らしきものや差出人と思われる名前は一切書かれていなかった。


「……聖女様、これは?」


 アヴェルティールが問いかけると、リーリャはもう一度だけ周囲を見渡した。

 一歩、二歩。わずかに空いていた距離を詰めてほぼゼロにすると、リーリャはちょいちょいと軽く手を動かしてアヴェルティールにしゃがむよう促してきた。

 大人しくその場に片膝をついて座れば、リーリャは内緒話をするかのようにアヴェルティールの耳元へ顔を近づけた。


「持っていて、ほしいんです。……私じゃ、落としてしまうかも、しれないから」


 最初にそう告げ、リーリャがさらに言葉を続ける。


「……詳しいことは……また、馬に乗ってるときにお話しますから。今は……それを、私のかわりに持っててほしいんです」

「……わかりました。聖女様がそう望むなら」


 何を考えているのかわからないが、この手紙に何かあるのは間違いない。

 静かに頷いて返事をすれば、リーリャはほっとしたように表情を緩めた。

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