養っていただかなくても結構です!〜政略結婚した夫に放置されているので魔法絵師としていざという時の為に自立を目指します〜

陰陽

第1話 ロイエンタール伯爵家

 ああ、何度目の話し合いになるのだろう。

「──またその話しか。聞くまでもないと何度も言っているだろう。君はいったい何が不満だと言うんだ?貴族の婦人が働く場合は、その家が貧しい場合に限られる。私はじゅうぶんな稼ぎを得ている筈だか?」


 そうね。ロイエンタール伯爵家は、領地こそ狭いものの、我が夫であるイザーク・フォン・ロイエンタールの辣腕により、先代までとは比較にならないほどの収益をあげている。いわば成り上がり貴族だ。公爵家にも引けを取らないとすら言われている。


「それが妻が働きになど出てみろ、実は内情は苦しいのだと、口さがない連中が噂をするだろう。君は私の仕事の邪魔をしたいのか?」

「……そんなつもりはありません。」

 私の言葉に、イザークは何度目かのため息をついた。


「ならどんなつもりだと言うのだ。貴族の婦人の一番の仕事は社交だというのに、君はそれを分かっていない。それをおろそかにしておきながら、別の仕事をしたいだと?私が買ったツボも、絵も、お茶会を開くのにじゅうぶんな口実になる筈だがな。だが君は一向に招待状を出そうとはしない。それどころか、届いた招待状にすら、数えるほどしか顔を出さない始末だ。」


 そうね。ツボも何枚も購入した絵も立派。ほとんどが立派過ぎてこの家には合わない。成金趣味丸出しの、ただ高いだけの品。これを自慢したくて招待状を出す婦人もたくさんいるだろうけど、あなたが求める上位貴族の婦人たちは、そんなものの為に集まったと見せかけて、この家の成金ぶりを嘲笑うだけだわ。


 この国は自給自足で成り立っていて、主な産業は水産加工物と農産物と鉱物。国全体がかなり裕福で、その為芸術方面にも力を入れている。芸術の為の学校まである国はそうはない。人気が出そうな芸術家のパトロンになる貴族も多く、平民ですら自宅に絵を飾っている人も割といるという。


 特に最近人気なのが、スキル持ちでない魔法絵師の描いた絵だ。元々魔法使いは冒険者や王宮の魔法師団の他に、魔力量が少ないながらも、魔法そのものを作れる魔塔の賢者たち、魔石という魔物が落とす結晶に魔法をこめることを仕事にしている人たちというのが存在する。


 魔石は生活に根付いていて、裕福な商人や貴族の家のオーブンや明かりなんかは、大体魔石を使った魔道具を使用している。

 我が家もしっかり魔石を使用した魔道具のものを揃えている。

 魔法を使う方法はそれに限られていたのだが、ごく微細に砕いた魔石にであれば魔力を込められる人たちもいることが分かったのだ。


 それを活かす手段として、魔石の粉末入りの絵の具が開発された。描いた絵に魔力を込められる、魔法絵師というスキル持ちの人がいることから開発のヒントを得たらしい。魔法絵師のスキルがなくても、魔石を砕いたものを練り込んだ絵の具で絵を描けば魔力が宿る。


 魔石の粉末入りの絵の具で描いた絵は、まるでそこに存在しているかのように絵から飛び出して見えたり、眼の前で動いたりもする。

 魔法絵師のスキル持ちや魔力の強い人であれば、描いたドラゴンに命が宿り、使役するなんてことも出来るのだそうだ。普通に絵を描くよりも高く売れるので、魔力持ちの絵師たちの新たな収入源となっている。


 これが今、他の国の人たちや、この国の貴族の間で流行っているのだ。

 イザークが購入した絵というのも、魔法絵師が描いたものになる。

 だけど基本貴族が魔法絵師の描いた絵を飾る場合、パトロンになっている絵師の絵を飾るのであって、売っているものを目的もなく購入するのは成金商人だけだというのに。


 なぜって、魔力を持たない、だけど元々芸術家として名を馳せていた絵師たちの反発があるから。芸術に重きをおく、この国ならではの価値観だ。貴族が魔法絵師の絵を飾るのは、あくまでも芸術支援の為という触れ込みなのだ。パトロンをしているわけでもない絵師の絵を飾って見せびらかす貴族なんて笑われるだけだ。


 ……あまり家から出ない私ですら知っているようなことを、誰もあなたに教えてはくれないのね。あなたは私の話や意見を聞こうともしない、そもそも見下していて信じようとはしないから、私もわざわざあなたに教えたりはしないけれど。


 持参金代わりに祖母からいただいた素敵なアンティークの家具も。この家のちぐはぐな調度品の前では滑稽にすら見える。

 婦人同士の交流が、あなたの仕事につながる可能性を広げるという理屈は分かる。

 だけど私はそんなもの好きではないの。


 私はただ。朝聞いた鳥の声に一緒に種類を想像したり。花の香りに季節の変化を感じたり。美味しいものに感動したり。そんなことがしたかった。私の両親たちのように。

 貴族の結婚は政略結婚。結婚相手は親が決めるもの。それも分かってる。


 婚約者として初めてイザークに引き合わされた時は、彼の人目を引く容貌に、内心、でかしたわ!と叫んだ。愛そうと思った。愛せると思ってた。なのに。あなたは私個人に興味がなかった。メッゲンドルファー子爵家と婚姻を結ぶことで、ロイエンタール伯爵家の持つ鉱山と地続きになり、通行料を払わなくて済むようになったと喜んだだけ。


 貴族の婦人が働ける場所は限られている。上級貴族の家にメイドとして入るか、礼儀作法や王立学園入学前の勉強を教えたりする家庭教師になるか、果ては王宮勤めとして召し上げられるか。

 どちらにせよ狭き門だ。だけど私は働きに出たい。この家にいると息が詰まるから。


「明日はアンのところに寄るつもりです。よろしいでしょうか?」

「アンのところに?」

「産まれた子どもを見に来て欲しいと、アンより手紙をいただきましたので。」

「ああ、そうだったな、祝い金をタップリと包んでやるといい。」


「……ありがとうございます。」

 アンは私が結婚に際して子爵家から連れてきた来た唯一のメイドだ。アンの母親は私の乳母で、アンは私の幼なじみで乳姉妹にあたる。だが先日ついにアンもお嫁に行ってしまい、この家に私の味方は誰一人いなくなった。だから余計に外に出たくなったのだ。この家で長い時間を過ごさない為にも。


 義務のように繰り返される夜の営みは、私たちに子どもをもたらさなかった。伯爵のお手付きになれば。子どもを産んでしまえば。この家を乗っ取れる。そう思っている若いメイドたちは、イザークを狙っている態度を隠そうともせず、私をナメている。


 特に同じ子爵家であるラリサは、私につかえることが気に食わないらしく、露骨に嫌がらせまでされる。イザークとの関係があるかのようにほのめかしてくるけれど、イザークはそれを私に訂正しつつも、ラリサを諌めるようなことはしてくれない。


 伯爵夫人らしく堂々としていればよいというのがイザークの言い分だけれど、イザークの私に対する扱いが、私を堂々とさせてくれないのだけれど、などとはさすがに口に出しては言わない。義母は定期的に訪ねて来ては、そろそろ再婚を考えてもいい頃だわ、と私の目の前でイザークに言う。


 イザークもそれを否定せずに、毎回考えておくとだけ答えている。

 お医者さまには既に何度もかかっている。不妊の原因のひとつにストレスがあるのですと言われたけれど、私の場合間違いなくストレスが原因だと思えた。


 ……こんな家に、どうしていたいものか。

 本当なら、結婚なんてせずに家にいられたら良かったのに。それか、せめて私自身で相手を選べたなら。お互いを思いやれる、私の意見も聞いてくれる人とだったら。

 ……よそう。虚しいだけだから。


「痛っ!」

 乱暴に入浴の世話をするラリサに文句も言えず私は黙って世話をされる。生乾きの髪の毛を放置して、ラリサは部屋を出て行ってしまった。私は自分で髪の毛を乾かし直し、ベッドメイクのされていないベッドで休んだ。


 翌朝、朝食の席でいつものように、イザークが今日の訪問先を告げる。イザークが自宅にいる時は朝食だけは一緒にとる決まりになっている。ただ決まりだというだけで、会話らしい会話はない。イザークの告げる訪問先に、私がただ返事をするだけ。


「今日はオッペンハイマー男爵のところに小麦の買い付けに行ってくる。」

「わかりました。」

 今日の会話ノルマはこれで終了ね。イザークが朝食を終えたので、私の食事もここで終了しなくてははらなくなった。


 夫より先に料理を食べてはいけない。

 夫が食べ終わったのに食べてはいけない。

 国王陛下との会食の場合は、すべての貴族にそうした決まりがあるけれど、これを家族相手にしているのは、貴族広しといえどもロイエンタール伯爵家だけだ。


 これはイザークが始めたことではないけれど。イザークの父である先代のロイエンタール伯爵が始めたことなのだ。

 先代は王族の縁戚になることを強く願っていたのだという。そんなところにきて、たいそう優秀な息子を授かった。


 我が息子が公爵家と並び称されるほどの財産を手に入れた時、先代は王女殿下の婚約者候補に息子を盛大にアピールした。

 大量のお金をばら撒いたおかげで、イザークを推してくれる貴族も多数現れたが、蓋を開ければ王女殿下は、隣国の王太子のもとへと輿入れすることとなった。


 はなから王族には相手にされていなかったのだ。婚約者候補にもあげられなかったイザークを、ロイエンタール伯爵家を、上級貴族たちは嘲笑い、せめて侯爵家以上との婚姻をと求めた先代に、年頃の娘を差し出す真似はしなかった。


 一代限りの成金と金目当ての政略結婚を結ぶほど、この国の上級貴族たちは生活に困ってはいなかった。

 そこで白羽の矢が当たったのがメッゲンドルファー子爵家だったというわけだ。

 というか、イザークが伯爵家に柔順な妻と実家を、と求めた結果だという。


 我が家はお世辞にもお金があるとは言えない。私の父も貴族令嬢は政略結婚の道具という考え方の人だ。ロイエンタール伯爵家の打診は渡りに船だった。おまけに社交嫌いの私は、イザークがどんな男性であるのかも、ロイエンタール伯爵家が世間からどんな目で見られているのかも知らなかった。


 先代のロイエンタール伯爵は失意の中、お前の子どもは必ず侯爵家以上と婚姻を結ばせるようにとの言葉を最後に身罷った。

 だからイザークもロイエンタール伯爵家も、この結婚は本意ではなかったのだ。

 私はなんとか自立したいのだ。──いずれこの家を追い出される前に。

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