第8話


「斉藤さんの勘違いじゃないですか。振り回されていい迷惑でしたけど、呪いじゃなくてよかった」

 周囲の目を気にしつつ部室に戻ってくると、凉水は静太君に判明したことを伝えた。

「斉藤許すまじ」

 結愛先輩も表情を変えずお冠の様子だ。可愛い。

「あの短冊を見たときに、呪いと言われて違和感はあったんだよね。呪うってことは恨んでいるんだから、短冊を切るとか釘を刺すとかもう少し怨念が籠もる作法にするんじゃないかって」

「言われてみれば、名前書いた短冊を祠に置いただけですもんね」

「呪いの作法としては簡単過ぎるんだよ。簡単なら誰でもできるけど、そんな呪いでどうにかなるなんて普通は思わない。呪いで有名な丑の刻参りなんて、純粋な作法を守ったらとても現代じゃできないくらい決まりが多いのに」

 蓋を開けて見ればこんなものかと、静太君がねぎらいに用意してくれたポテトスナックを食べていると唐突に凉水は思い出した。

「あれ、それじゃ栄川先輩の感じていた視線とか、バッグの手はなんなんですか」

「短冊とは関係ないってこと」

 結愛先輩はもう問題は解決したと言わんばかりに脱力している。

「これは恋の話なんだよね。バカらしいけど」

 静太君も両腕を伸ばしたあとで脱力した。

「ちゃんと説明してよ、私も協力したんだから。恋の話ってどういうこと、結愛先輩だって知りたいですよね」

「あまり……」

「ほら、知りたいって言ってる」

「凉水さんって面白い人だよね。それじゃ僕の憶測だけど話すとしようか」

 静太君は椅子の上で起き上がると、机の上で両手を組んだ。

「依頼に来た卓球部所属二年の斉藤さん、彼女が犯人だよ」

「犯人ってなんのですか、殺人事件じゃあるまいし」

「彼女はね、あの短冊が呪いじゃないと知ってて編纂部に来たんだ」

「はい? それじゃ呪いだって嘘ついてたことになるけど、意味が分からない。そんなことして斉藤さんになんの得があるんですか」

「恋の話だって言ったでしょ。斉藤さんは田中さんが好きなんだよ」

 予想外の答えに、凉水は手にしていたポテトスナックを落とした。

「斉藤さんが対価として置いていったお弁当だけど、どう見ても斉藤さんには大きすぎる上に肉だらけで、男子高校生向けだった。あれは田中さんに作ったものなんだよ。ほら、あの日は田中さんの誕生日だったから、それを口実にお弁当を渡そうとしていたんじゃないかな。同じクラスだし」

「私達三人じゃなくて、二人がかりで食べたくらいだから大きすぎるとは思ったけど、斉藤さんが田中さんを?」

「妃栞先輩はポニーテールで、斉藤も少し前からポニーテールにしてた。つまりそういうこと」

「田中さんの片思いの人と、同じ髪型にしてアピールしてたわけですか。意外とけなげですね」

 話が逸れたので、静太君は咳払いをして注目を集める。

「斉藤さんは、お弁当を渡す機会を見計らっていると、田中さんはひとりで第三校舎の屋上に行ってしまった。こっそり後を付けた斉藤さんは不審に思っただろうね。だってその日の昼休みは雨で、屋上に出てた生徒なんかいなかったはずだし」

 確かに屋上には東屋みたいな休憩所はないから、雨の日はわざわざ行く生徒はいない。

「田中さんが屋上に出たあと、斉藤さんはドアから覗く。すると田中さんは祠の前で何かして戻って来る。慌てて斉藤さんは隠れて田中さんをやり過ごしてから自分で祠を確かめてみると、あの短冊があった」

「自分の好きな男が、他の女の名前を書いた短冊を祠に置いていた。どうみても恋のおまじないで、嫉妬に狂ってもおかしくない」

 結愛先輩がことさらに酷く言う。

「祠には呪いの噂はなかったけど、勝利祈願するような人もいなかった。なら斉藤さんはどうして短冊を見つけたのかと考えれば、こんなところだと思う」

「はあ……」

 静太君の説明を聞いてもまだピンと来てない凉水に、結愛先輩が解説する。

「私達を利用して田中君に、栄川先輩にはもう彼氏がいるから諦めろってメッセージを送るつもりだった。斉藤は性悪」

「え、でもそんなの斉藤さんが直接教えればいいのに」

「すずみん……」

 結愛先輩と静太君に、可哀想な子を見る目で見られた。なんで!

「乙女心は複雑。好きな男の片思いを、自分でへし折るのは嫌われるかもって不安になっちゃう。あの斉藤でも」

「そういうことかもしれないね」

 結愛先輩と静太君は、恋愛上級者か。

「でも、斉藤さんが相談に来たとき泣いていたじゃないですか。栄川先輩のこと本気で心配してたと思うし」

 あの涙も嘘だったのだろうか。先輩を慕う同士だと思ったのに。

「斉藤さんがうちに来たのは、ボク達経由で田中さんの片思いを潰すって思惑があったのは間違いない。ほら、栄川先輩に大学生の彼氏がいるって情報、あんなの言う必要なかったのに教えたのは、ボク達から伝えさせたかったんだ。一方で、短冊を誰が書いたのかっていうヒントを言わなかったのは、なんだか杜撰な計画だよね」

「どういうことか、すずみん分かる?」

「待ってください、頭で整理します」

 斉藤さんは、田中さんが好きで、その田中さんが片思いしてる栄川先輩に彼氏がいることを自分の手を汚さずに伝えたかった。

 なのに、短冊を誰が書いたのかというヒントなり手掛かりを私達に言わなかった。結果として田中さんを特定できたけど、それは田中さんが書道部を使ったからで、道具を自分で用意していたら特定は困難だった。

 更に、田中さんを特定して短冊のことを問い詰めたとしても、その過程で栄川先輩に彼氏がいる、という情報を私達が田中さんに教えなければ、これまた斉藤さんの思惑は外れる。

 つまり斉藤さんの計画は恐ろしく確実性に欠ける。ということを凉水は指摘した。

「その通りだよ。斉藤さんが確固たる意思で田中さんの片思いをへし折るつもりなら、もっと田中さんに繋がる情報と、栄川先輩の彼氏のことを伝えて諦めるようにしてくれとかボク達にお願いすればよかった」

「でも、それってあまりに図々しいからできなかったんじゃ」

「ほんとにそう思う? 斉藤のふてぶてしい態度は遠慮なんてない。あれは肉食系女子。場合によっては田中を寝取る勢いだった」

 結愛先輩は、澄ましたお顔で結構な毒を吐く。

「なんだか静太君の言い方だと、斉藤さんの本当の目的は別にあるように聞こえるけど」

「まさにその通りなんだよ!」

 立ち上がった静太君は、部室の中を歩きはじめた。

「斉藤さんの涙は本物だと僕も思う。つまりね、斉藤さんの本当の目的は栄川先輩の呪いを解くことだったんだよ」

「待ってよ、さっき栄川先輩は呪われてないって」

「それは短冊で呪われてないってことね、すずみん」

「それじゃ栄川先輩の呪いって?」

「当然、斉藤さんが栄川先輩を呪ったんだよ」

 遠くからトランペットの音色が聞こえた気がした。

「な、なんでそうなるんですか。斉藤さんが、敬愛する栄川先輩を――」

「そう、斉藤さんの態度から栄川先輩を敬愛しているのは伝わったけど、だからこそなんだろうね」

 静太君はまた苦笑を漏らして、結愛先輩があとを継いだ。

「すずみんは恋したことないの? 斉藤は短冊の名前を見て栄川先輩にブチ切れた。可愛さ余って憎さ百倍の恨みが爆発したんだよ。彼氏がいるくせに私の男まで盗るこの泥棒猫! ってね」

 まるで見てきたかのような結愛先輩の口振りだが、凉水には真に迫ってくる。

「そして斉藤さんはお昼を食べずに、部室から栄川先輩の上履きを盗んだ。呪いたい相手の私物を使うのは基本だからね」

 静太君が机の下から持ち上げたビニール袋から、右側の靴を取り出した。ハサミで切られたのかズタズタになっている。

「雑木林で見つけたんだ。州峰高校には呪いの木っていう噂があって、そこで作法に従って呪うと相手を殺せるというんだ。さすがの斉藤さんも詳しくは知らなかったみたいで、第二体育館の裏から雑木林に投げ込んであったよ」

「女は怖い、平気で殺そうとする」

 結愛先輩にしては珍しく、実感の籠もった声。

「斉藤さんは勢いで栄川先輩を呪ってしまった。ほんとに逆恨みだし、八つ当たりみたなものだった。ところが放課後、部室で栄川先輩がバッグに腕を掴まれる。斉藤さんはそのときの光景を目撃していたのかもしれない。それで怖くなって、慌ててここに来たんだ」

「泣いたりするくらいなら、最初から呪わなければいいのに。恋する女は考え無しに動くから」

 呆れたように言う結愛先輩の言葉が、凉水には遠くから聞こえる気がした。

「栄川先輩の呪いはどうなるんですか」

「斉藤さんの呪いは、呪術として成立してないよ。作法が成ってないからね。だから栄川先輩死ぬようなことはない。それじゃバッグの手はなんだったのかと言えば、あれは斉藤さんの生霊いきりょうだろうね」

「い、生霊って、斉藤さんの霊が栄川先輩を襲ったってことですか」

「すずみんよく知ってるね、そうだよ。この学校じゃ強い恨みを持って、呪ってやったと自分が思い込めば生霊くらい朝飯前。私でもできる」

「でも、栄川先輩は斉藤さんが呪う前から、視線を感じていたって……」

「そういえば言ってたね。きっと田中さんの片思いのことを、斉藤さんは前々から知っていたんじゃないかな。髪型も以前から変えていたそうだし。だから栄川先輩を敬愛はしてるけど、同時に嫉妬も積み上がっていった」

「斉藤の気性の強さが裏目に出た感じ」

「相談に来た時の栄川先輩の態度を思い出すと、あの人はバッグの中に斉藤さんの顔をもしかしたら見ていたんじゃないかな。でも迂闊にそんなことは言えない。自分のことよりも、後輩を案じて来たのだとしたら大した人だよ」

 少し気分が悪くなってきた。息が苦しい。

「ほらすずみん、これ飲んで」

 結愛先輩がマイボトルを取り出して、キャップに中身を注いでくれた。飲んでみるとジャスミンの香りがして、少し落ち着く。

「まぁでも斉藤さんは命拾いしたよ。正しく呪っていたら、栄川先輩は死ぬけど、斉藤さんも死んでいたからね。人を呪わば穴二つって言うでしょ」

 なんだか会話の内容に付いていけない。この二人の話はどこまで本当なんだろう。私の知る世界からあまりにかけ離れている。

「これから、どうなるんですか。もう終わったんだよね」

 息も絶え絶えに尋ねると、静太君はボロボロの靴をもう一度掲げて見せた。

「念のためにこの靴を塩で清めてから燃やしておくよ。もちろん灰は水に流す。これは呪具として使われたから、祓い清めることで栄川先輩はもう心配ないよ」

「でもね、斉藤は人を呪った。正式な手順でなくても呪って生霊を飛ばした以上、呪いは返ってくる。だから斉藤は不幸に襲われる。これはもうどうしようもない。呪いっていうのはそういうものだから」

 気付くと凉水は泣いていた。人の心の奥底に触れた感触があまりにも悲しくて、溢れ出ていた。

 そんな凉水を、結愛先輩が愛おしむように泣き止むまでずっと抱きしめていた。

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