第4話


 昼過ぎには雨が止み、放課後は陸上部の練習メニューを一通りこなした凉水が更衣室で着替えていると、人混みを掻き分けて夏希先輩が小声で呼びかけてきた。

「凉水、編纂部は行ってきた?」

 夏希先輩の面倒見がいいところは、中学時代からなにも変わってない。凉水が州峰高校を進学先に選んだのは、夏希先輩の影響が大きかった。勉強もスポーツもできて、幼馴染みの彼氏までいて。こうなりたいと今でも憧れる先輩だ。

 それだけに当時部長だった夏希先輩が、今は副部長なのがちょっとだけ不満だったりする。

「昨日行って話は聞いてもらったんですけど、結局なんだったのか分からないままで、今日もこのあと顔を出してきます。ありがとうございました」

「そっか、昨日は目の隈が酷くてゾンビみたいだったけど、今日は顔色もいいし、このまま解決するといいな」

 アハハと笑いながら、昨日はそこまで酷かったのかと反省する。

「はい。それにしても除霊部とか、あれを見てなかったら信じられないというか、先輩もなにか見たことあるんですか」

「え……ッ」

 会話の流れで出た質問だったが、夏希先輩は虚を突かれたかのように絶句した。

「私は、見たことないけど……」

 夏希先輩が珍しく口籠もる。

「卒業までに一度くらい、見てみたいかもね」

 なんだか取って付けたような返事が気になったけど、私が湊に話さなかったように、夏希先輩も私を怖がらせないように気を使ってくれたんだと嬉しくなった。

 夏希先輩が部長に呼ばれて行ってしまうと、制汗スプレーを全身に振りかけ手早く着替えた。最後に鏡でサイドポニーと身嗜みを念入りに整える。

 夏希先輩と別れたばかりなのに、凉水の頭の中は結愛先輩に会えることで一杯だった。


 旧部室棟の薄暗い廊下を駆け抜け、編纂部の部室に飛び込むと凉水は真っ直ぐに読書中の結愛先輩の横に立った。

「お疲れ様です、結愛先輩」

「部活お疲れ様、すずみん。座って、静太がちゃんと調べたみたいだから一緒に報告聞こうね」

「はい、失礼します」

 昨日と同じ場所に座ると、静太君が苦笑を浮かべて手元のノートを開いた。

「僕の後ろにある資料棚には州峰高校の怪奇現象が収められているんだけど、それに付随して事故や事件も記録してあるんだ」

「これ全部怪奇現象の記録なんですか……」

 いくら歴史ある学校とはいえ、壁一面に並ぶ資料棚の全てが怪奇現象の記録とは空恐ろしくなる。

「すずみんに教えてあげると、生徒や教師、その親兄弟が死んだ場合も記録してるみたい。いっぱい死んでるみたいだよ」

「そんな、昨日と言ってること違うじゃないですか! 霊を見ても平気だって」

 凉水が、静太に激しく抗議する。

「それはね、因果関係が分からないんだよ。事故、事件、病気で死ぬ人は世界中に毎日いるでしょ。もし死ぬ前に何かを見ていたら呪いだ祟りだって思う人がいるかもしれないけど、だからって学校の怪奇現象が関係あるかは断定できないよね」

 まぁそういうものかと思う。私が中学のときにも、お葬式で休む子はいたし。

「だけどね、確実に呪いや祟りで死んだとしか思えない人はいるんだよね。だからわざわざ記録してるの」

「うぅ……」

 安心したところで結愛先輩が囁く。凉水は真偽を確かめようと静太君を見据えた。

「先輩は凉水さんを怖がらせてなにがしたいのかな。確かに、記録を見ると過去に死んだ生徒の数は、全国的な統計を調べたわけじゃないけど多すぎるような気はする、かも」

「静太、それはもういいから、調べたこと報告して」

 結愛先輩が話を打ち切って本題を促す。

「僕の考えでは、凉水さんが見たのは飛び降り自殺、転落事故、殺人で亡くなった霊だと思う、校舎の外を落ちていったわけだから。つまり霊が出るなら、死んだ人がいる。これを因果と言う」

「は、はい」

「死亡現場では、死んだときの状況を再現するような霊の目撃があるんだよね。駅のホームでの飛び込み、首吊り、そして飛び降り。まぁ自殺が多いんだけど、過去に学校でそういう死亡の記録があったか調べてみたよ」

「いたんですか、校舎から落ちて死んだ女子生徒が」

 それを知るのは怖い、でも知らなければと凉水の気が逸る。

「結論から言うと、転落死した女子生徒の記録は無かった。念のために大怪我の項目を調べてみると、旧校舎の頃に転落した女子生徒が二人いたけど骨折で済んでいる」

「いないって、それじゃ因果はどうなるんですか。落ちて死んだ女子生徒は確かにいるんですよね」

「この学校では珍しいことじゃないよ。むしろ極めて通常の出来事なんだよね。例えば、旧校舎の頃には子供や老人の目撃が多かったし、赤ん坊の鳴き声もあった。それじゃ老若男女が過去に学校で死んだのかと言えば、そんなことはないんだ」

「この学校は霊の掃き溜めなんだよ、すずみん」

 まさに掃き溜めに鶴の結愛先輩が言う。

「それって、付近の霊が集まるってことですか」

「察しがいいね。ここの土地が霊を集めるスポットになっているみたいなんだ。だから転落する霊は、他の場所で死んだ女子生徒だと思う。州峰高校の制服はありふれたセーラー服だから、どこの学校の生徒か特定するのは難しいね」

「だったら、最近転落で死んだ娘を探せば見つかるんじゃ」

 転落死なら新聞に載ってるかもしれない。

「そんな簡単な話ならよかったんだけど、旧校舎の頃は、戦時中の服装の霊が目撃されているなど時差がある。最近死んだから、学校に現れたとは言えないんだ」

 静太の説明で、これ以上あの霊がなんなのか調べられないことは理解できた。だけど私は、納得できないでいる。

「静太、すずみんが不満だって。もっとしっかりやらないと怒るよ」

 いつの間に取り出したのか、またグミを食べている結愛先輩が静太君を嗜める。

「あとはもう自分で霊能者を探して霊視してもらうしかないよ。まぁそんなことできる霊能者なんていないと思うけど」

 アハハと笑う静太君に、凉水が怒りを覚えていると、結愛先輩が部室の入り口に顔を向けた。

「あの! ここ編纂部ですよね。相談があってきました」

 いかにも体育会系の溌剌とした声が部室に響く。凉水が振り返ると上級生らしき女子生徒が入り口から大股で近付いてくる。思わず凉水が立ち上がって椅子を譲ると、それまで凉水の影で見えなかったのか、その人は川乃先輩を見て一瞬フリーズした。

「な……ッ」

 編纂部に川乃先輩が居ることに驚いている様子だ。

「か、川乃さん、何してるの」

 そういえば二年の女子は、結愛先輩を敵視していると湊から聞いたばかりだ。これはそういうことなんだろうかと緊張した空気に凉水は身を縮ませる。

「えっと、栄川さんだっけ? 私、ここの部長」

「違うから! 斉藤だし、同じクラスじゃないの」

 結愛先輩の一言で激昂する斉藤先輩は、小柄な体型で、小さいポニーテールを作った大人しそうな雰囲気とは裏腹に、大きな瞳は意思の強さを感じさせる人だった。

 実際今のやりとりを見る限り、かなり気が強そうに見える。

「よかったら、とりあえず座ってください」

 この空気を少しでも中和しつつ逃げようと椅子を勧めると、斉藤先輩はお礼を言って座る。このまま私はフェードアウトしようとしたところで、

「すずみんはそっちに座って」

 結愛先輩のありがたいお言葉を前に、逃げること叶わなくなった。

 四人が机をそれぞれ囲んで座ると、気を取り直した斉藤先輩が自己紹介と共に相談内容を口にした。

 なんでも第三校舎の屋上に小さな祠があるらしく、卓球部所属で二年生の斉藤真由さんは、来月行われる他校との交流試合で部長の勝利を祈願しに行ったのが今日のお昼休み。すると祠に小さな紙切れが置いてあるのを見つけ手に取ってみると、斉藤さんが勝利を祈願した卓球部部長の名前が書いてあったという。

「えっと、それのどこが怪奇現象なんですか」

 幽霊の目撃談だと緊張して聞いていた凉水は、肩透かしされた気分でつい言ってしまうと、斉藤さんに睨まれた。

「誰かが栄川先輩を呪っているの! だから何かある前にこうして相談に来たんでしょ。編纂部員ならそのくらい分からないの」

「す、すみません」

 思わず謝ってから、凉水が編纂部員と勘違いされてることに気付いたが、訂正する前に静太君が話を進めてしまう。

「名前が書いてあった紙はまだ祠にあるんですか」

「証拠はちゃんと持ってきた。先輩に何か起こる前にこれを書いた犯人を見つけてやめさせて欲しい」

 斉藤先輩は短冊のように切られた白い紙を机に置いた。濡れて滲んだ箇所があるのは、雨だったせいだろう。短冊には朱い墨で、栄川えいかわ妃栞きりと書かれていた。

「犯人探しは編纂部の活動じゃないよ。知らないの?」

 結愛先輩が親切に教えてあげると、斉藤さんは俯いてグッと唇を噛み締める。

 やはり斉藤さんは二年だから、噂通り結愛先輩を敵視しているってことなんだろうか。それにしても男子に人気だからって、こんな無邪気で純真無垢な結愛先輩を嫌いになるのは理解できない。

「先生に持っていっても相手にされないし、当然警察なんかあり得ない。先輩にこんなこと伝えてコンディション崩して欲しくないし何かあったらほんとに困る」

「呪いとか信じてるの?」

 結愛先輩の言葉に、斉藤さんはまた唇を噛んだ。

「栄川部長は人から恨まれるような人じゃない。恨まれているとしたら逆恨みなの。それに、この学校にはどこかに呪いの木があって、そこで呪ったら確実に死ぬって……」

 そこまで一気に言い切ると、斉藤さんは顔を上げた。

「だから、栄川部長を助けてください。部内の秘密だけど、部長には大学生の彼氏もいて、今一番輝いているときなのに、部長になにかあったら、わたし、わたし……」

 途中から涙声になると、斉藤さんは堪えきれない様子で涙を流した。

「先輩、泣かないでください」

 凉水は慌ててハンカチを取り出して渡すと、斉藤さんが受け取る。

「ごめん。なんか、気が高ぶって涙出ちゃった」

 涙を拭う先輩思いの斉藤さんは気の毒に思えて、凉水も胸が痛くなる。

 呪いが本当にあるのかは分からない。それでも斉藤さんの味方をしてあげようと決めた。

「静太君、引き受けてあげなよ。呪いとかオカルトだし編纂部案件でしょ」

「そう言われても編纂部は話を聞くついでに供養するだけなんだよ。呪いはどうしようもないというか、こんな半紙に名前書いたくらいで死ぬわけないよ。せめて栄川先輩になにかあってから来てほしいところなんだけど」

 信じられない。なにかあってからじゃ遅いかもしれないのに。

「人が不幸になるのを待つなんて酷いです!」

「この娘の言う通りよ!」

 凉水と、斉藤さんの想いが一致した。

「そう言われてもなぁ」

 困ったように笑みを浮かべている静太君を、どうやって説き伏せたものかと凉水が腕を組むと、大天使が動いた。

「やってあげてもいいよ。だけど仕事を依頼するなら対価を払ってね」

 編纂部部長こと結愛先輩がこう言ってしまえば、静太君は逆らえないはず。

 対価に何を要求するのかと思っていると、斉藤さんが自分のバッグから包みを取り出して、机の上にドスンと置いた。

「私が作ったお弁当。今日調子悪くて食べなかったからあげる。これでお願い」

 そのとき、斉藤さんのお腹がぐ~と鳴った。お昼を食べていないのは本当みたいだ。

「いいよ、引き受けてあげる。引き受ける以上栄川先輩は助けてあげるけど、これは貸しだよ、斉藤さん」

「分かった……」

「それじゃここに署名して、あとは静太がやるから」

 言われたとおりに署名すると、斉藤さんは力無く立ち上がる。

「洗って返せなくてごめん。その代わりお弁当箱も返さなくていいから」

 凉水にハンカチを返し、それだけ言い残すと足早に出ていった。

 お弁当を改めて見ると、小柄な斉藤さんには不釣り合いに大きい。

「お弁当で引き受けるんですか」

「対価をもらった以上、静太はやるしかないよね」

「部長が引き受けちゃったから、もう断れないよ」

 結愛先輩は静太君の返事に満足すると、早速お弁当の包みを開ける。中からは百均でよく見るタッパーと割り箸が出てきた。そのタッパーは、凉水のお弁当箱の4倍は容量がありそうだ。

「斉藤さん、痩せの大食いってタイプですか。普通は食べきれないですよ」

「しかもおかずが唐揚げしか入ってない。どうしたらこんな弁当作れるのか疑問」

 蓋を取って中身を見た結愛先輩は眉をしかめている。

 お弁当の中身は、白米と唐揚げがちょうど半分ずつ埋められている。そこに彩りを添えるたくあんが二枚。運動部とはいえ、これはどうなんだろうか。

「それじゃみんなで食べようか、これ食べたら晩ご飯食べられなくなるなあ」

 静太君が机の中から割り箸を取り出して配る。

「お肉食べて明日から頑張ってね、静太」

 心なし声が弾んでいる結愛先輩と、こんなことには慣れた風の静太君。新入生と先輩の仲にしては親しい空気が醸し出されていて、凉水は軽く嫉妬を覚えてしまう。

 やっぱり付き合っているのだろうか。そんなことを考えていると、結愛先輩が唐揚げにかじりついた。

「冷たい、固い、美味しくない。すずみんも食べてごらん」

「いただきます」

 確かに唐揚げは冷たくて固いけど、部活のあとだと空腹も相まって美味しく感じる。そんな自分の貧乏舌を、誇るべきか嘆くべきなのか。

 結局そのあと、結愛先輩はたくあんを食べただけで、残りは私と静太君でなんとか食べきった。もう窓の外はすっかり暗い。

 満腹の苦しさを覚えながらそろそろ凉水も帰ろうと立ち上がったところで、静太君に呼び止められた。

「凉水さんは、陸上部の先輩に祠にまつわる噂を調べてもらうよ。明日報告してね」

「なんでですか」

 私は除霊部もとい編纂部員ではないのだ。

「もちろん僕も調べるけど、やっぱり同じ部活の先輩なら聞きやすいでしょ。新入生より先輩の方が噂には詳しいだろうからね。ちなみにこっちの先輩は可愛いだけで役に立たないポンコツだから期待できないんだ」

「そんなことない。私もやればできるけど本気出さないだけ」

「そうですよ! 結愛先輩のこと悪く言わないでください。じゃなくて、なんで私まで手伝わないといけないんですか」

「だって、お弁当食べたでしょ」

 当然のように静太君が言う。

「え?」

「斉藤の手作り弁当を、すずみんは食べてしまった。前払いの対価を」

 結愛先輩も続く。

「ええ?!」

 罠だった。つい流れで同席して、ついつい空腹だったがために食べてしまった。

 おまけに私の問題は何も解決していない。

「お願いね、すずみん」

 ダメ押しに結愛先輩の笑顔でお願いされてしまったら、断ることなんてとてもできない凉水だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る