第12話 かえって来た弟

 「千秋。次のお客さんもう来ちゃったんだけど出れる?」

 「出れる~!」


 千秋と呼ばれて返事をしたのは千夏と同じ顔をしたアンドロイド――以前はチハルと呼ばれていた機体だ。

 チハルは試験運用を終え美作に戻った。そこから半年ほど経ち、まだ桜が咲いている四月のうちにAndrodiaに帰って来たが、その時に千夏は新しい名前を付けたのだ。



 「名前はどうするの?」

 「新しく付けます。だってこの子は千春じゃないから」


 千夏はチハルだったアンドロイドの頬を撫でた。それはほんのりと温かくてまるで人間の体温そのものだ。

 すると千夏の体温に反応したのか、アンドロイドはゆっくりと口を動かし始めた。


 「初期設定を行います。まずは氏名を登録して下さい」


 それは何の温度も感じられないシステム音声だった。声は千春のようだったが、ただ流れているだけだ。


 「すごい。アンドロイドっぽい」

 「アンドロイドだもん」

 「千夏君。名前、教えてやって」

 「はい」


 千夏はチハルだったアンドロイドの顔を覗き込むと、瞳を点滅させて名前が呼ばれるのを待っている。


 「初期設定を行います。まずは氏名を登録して下さい」

 「……千秋。君は千秋だよ」


 千夏の声が聴こえたのか、千秋の額に『Loading』という文字がブルーグリーンに光り始めた。しばらくは一秒間隔に点滅していたが、一分もすると文字は消えた。そして二度ほどピピッという音が響くと同時に瞼がぱかりと持ち上がり――


 「千夏ぁ!おはよー!」

 「わっ」


 前触れもなく千秋は動き始め、がばっと千夏に抱き着いた。


 「名前有難う!僕だけの名前!」

 「千夏(ぼく)と千春の弟だから千秋。いいでしょ」

 「うん!千秋!僕千秋ね!」

 「……もう無理して千春のフリなんてしなくていいからね」

 「うんっ!」


 千秋は喜びの余りぴょんぴょんと跳ねて、ぎゅうぎゅうと千夏に抱き着き頬ずりをする。千夏も千春もしない末っ子の行動だ。


 起動した時のことを思い出しクスクスと笑っていると、コンッと頭を小突かれた。

 振り向くとそこにいたのは累だった。


 「サボってるな」

 「い、いえ。あ、ほら。あのお客さん失敗したのを可愛がるのが好きだからわざと失敗してるんですって」


 千夏が誤魔化すように目を向けたのは千秋が接客をする専用のソファ席だ。

 試運転期間に拾得した立体ラテアートを披露しているが、うまく形にならずとろりととけてしまっている。顔を描いたチョコレートも流れて黒い涙のようになっている。


 「うまいよな。ユイは頑として自分を曲げないから一度見て満足されちゃうんだよ」

 「ユイさんは完成度高いから仕方ないですよ。千秋は育てる楽しみってやつです」


 図らずとも、ユイと千秋は真逆の仕上がりとなった。

 完璧な接客でちやほやしてくれるユイと、つたない接客で一緒に遊んでくれる千秋。好まれる客層が違うので指名も偏ることなく良いバランスだった。だが千秋のパーソナルの土台がユイであったせいか、二人は行動の端々が似ていて兄弟のようだとも言われてウケている。


 「お兄ちゃんは僕らなんですけどね」

 「でも千秋はユイの後継機だから兄弟ってのは間違ってないよ」

 「そうですけど――」


 そんな話をしていると、途端に客席が騒然とし始めた。ざわざわとどよめく客の視線は店の入り口に向けられている。

 また不審者でも出たかと慌てて見ると、そこにいたのは一人の青年だった。サングラスを外して店内をきょろきょろとしていたが、千夏は青年を見て思わず後ずさった。


 「……え?な、何、どういうこと」


 千夏がガラス扉の食器棚に背を着くとガチャガチャと食器が音を立てる。隣に立っていた累も手に持っていた瓶ケーキを落としてしまったようで、ごとりと床に転がっていく。

 そして青年はこちらの動揺など気にもせず手を振りながら微笑んだ。


 「ただいま、累」


 そう言った青年は累と同じ顔をしている。

 いや、ユイと同じ顔をしている。


 「ま、まさか、あなた」

 「結!!」


 そこにいたのは累の弟である棗結だった。

 累は千夏を跳ね飛ばしてカウンターから出ると、弟の名を呼びながら青年に飛びついた。


 「お帰り!予定より随分早いじゃないか!」

 「うん。データが揃ってたから早く終わったんだ」


 ユイと同じ顔をした青年は、まるでユイがしていたように累にぎゅうぎゅうと抱き着いた。

 客も皆訳が分からずどよめいているが、きっと全員が同じことを思っただろう。それを代表するように千夏が零した。


 「まさか、生き返らせたって、ほ、本当に……?」

 「そんなわけないでしょ。留学してただけよ」


 いつのまに休憩から戻っていたのか、けろりと答えたのはユイだった。

 眠くなったりはしないだろうに、ふああ、と欠伸をしている。


 「留学!?でも結さんはもういないって!」

 「留学してるからここにはいないよね」

 「遺影持ってませんでした!?」

 「遺影?ああ、あの額に入った大きい写真?あれは結の顔を実物大で見てたいからだよ」

 「……え?結さんて、生きてるの?」

 「だからそこにいるんだよ」


 店内の全員が累と結を見つめた。

 千夏も混乱しながらじっと見ていると、ふいに結と視線がぶつかった。


 「こんにちは、千夏ちゃん」

 「こ、こんにちは……」


 結は累から身体を放すと、カウンターに入って顔を覗き込んできた。

 そしてじろじろと頭からつま先までじろじろと見てくる。


 「あの、何でしょうか……」

 「千春とも千秋とも雰囲気違うなと思って」

 「え?ち、千春を知ってるんですか?」

 「データでね」


 結はにっこりと微笑むと、今度は後ろにいるユイに手を伸ばした。頬を撫でようとしたようだったが、何故かユイはびくりと大きく体を揺らして逃げるように一歩下がった。


 「調子どう?」

 「う、うん……」

 「ちゃんと僕の代わりをやっててくれたみたいだね」

 「……結の代わり……」


 ユイがこんな露骨に動揺してるのは初めて見た。するとその時、ユイの目が点滅してるのに気が付いた。チカチカと細かく何度も点滅していて、まるで何か異常が発生しているようだ。

 よく見ればユイは小さく唇を動かしている。ぶつぶつと何かを言っているようで千夏は耳を澄ませた。


 「代わり……?累と結は一緒で、僕は代わりで……」

 「……ユイさん?」

 「代わり……代わり……」


 ユイは震えていた。まるで結が帰って来たのが怖いというかのように震えているのだ。

 結はクスッと笑ってもう一度ユイに手を伸ばして来たが、千夏はその手がユイに触れないように立ちはだかった。 

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