第4話 アンドロイドと生きることは誰かと生きること

 翌日土曜日。

 今日はちゃんとランチを食べようと、漫画を買おうと思っていたお金を持ってAndrodiaに向かっていた。

 しかし累の言葉を思い出すとなんとなく足取りは重い。

 その時意図せず視界に入って来た喫茶店のランチは七百五十円とお手ごろだった。つい足を止めていると、昨日の累がしてきたのと同じように後ろからぽんっと肩を叩かれた。


 「こんにちは」

 「ユイさん!?え!?どうして!?」

 「どうしてって、今時アンドロイドだってお使いくらいするよ」


 そこにいたのは累と同じ顔をした人間、いや、アンドロイドだった。

 カフェではシャツにエプロンだが、今日は半袖の青いTシャツにジーンズというカジュアルな装いだった。しかもサングラスをかけているのでイメージが全く違う。

 手にはプラスチックカップのフラペチーノを持っているが、これが冷却材などと誰が思うだろうか。まるで人間の飲むフラペチーノそのものだ。


 「冷却材って常に摂取してないといけないんですか?」

 「そんなことないよ。でもそれっぽいでしょ」

 「はい。服も違いますけど、ユイさんて何でも着れるんですか?」

 「もちろん。市販の量産品とは違うからね」


 アンドロイドはあまり着替えをしない。というよりもできないのだ。

 理由は大きく二つあり、現代アンドロイドのボディでは着替えという動作に難があるのと、糸くずがボディに入り込むと故障の原因になるからだ。そのため製造メーカーから販売されている特別製の服しか着れない。何でも着れるわけではないのだ。

 しかも外出をするというのは珍しい。

 視界を遮るため衝突の可能性が高くなり、人間ならちょっと怪我したくらいなんともないが、アンドロイドはそうはいかない。ちょっとの怪我、例えば皮膚に傷が付けばその一帯の人工皮膚を総貼り換えとなり費用が掛かる。

 そのため外出自体をする事自体が珍しいのだ。さらにはサングラスをかけるなんて、メンテナンス前提と思っていい。


 「やっぱりすごいんですね、ユイさん」

 「作った人が凄いんだよ」


 ふふ、とユイは楽しそうに笑ったが、それを邪魔するかのようにガラスが割れた音と悲鳴が聞こえてきた。

 横断歩道を挟んで向かい側にあるコーヒーショップの窓が割れたようだった。


 「何!?」

 「千夏ちゃん、下がって。僕の後ろに」


 ユイは傷付いたら大事の繊細なボディで千夏を隠した。

 アンドロイドに人間、特に他人を守れという設定をすることはあまり無い。修理金額が高くつくからだ。それをするのは警備を目的とした強靭なボディを持つ業務用アンドロイドや、修理費用が割安の非人間型ロボットくらいである。

 それなのに他人である千夏を守るのなら累がその設定をしているということになるが、あんなに溺愛しているユイに自己犠牲をさせるのは違和感があった。

 それはともかく、今はユイを傷つけないことが優先だ。

 千夏は行きましょう、とユイの手を引っ張ったが、ユイはじいっと騒ぎの元凶であるコーヒーショップを見つめてい動こうとしない。


 「ユイさん?どうしたんですか?」

 「千夏ちゃんは帰って。危ないから近付かないようにね」

 「え?ちょ、ちょっと!ユイさん!」


 あろうことか、ユイはコーヒーショップへ向かって走って行った。

 警備型ならこうした騒ぎに駆けつける設定になっているが、まさかユイは警備を目的としている機体なのだろうか。

 いくら呼んでもユイは聞いてくれず横断歩道を渡ってしまった。だがここでユイを置いていくこともできない。

 ああもう、と千夏はユイを追った。


 コーヒーショップの前に着くと、ユイは歩道から中の様子を窺っていた。つられてその視線の先を見ると、三十代後半に見える女性がアンドロイドを抱えて泣きわめいている。


 「ユイさん!何してるんですか!」

 「あ、こら。帰れって言ったのに」

 「置いていけませんよ。あの店に何かあるんですか?」

 「店というかあの女の人。アンドロイド依存症だってさ」

 「ああ……」


 アンドロイド依存症。これがアンドロイドが一般家庭から遠ざかった最大の理由だ。

 これはアンドロイドが一般に普及し始めて五十年ほどして多発するようになった病気だ。その名の通りアンドロイドに依存してしまい、その結果様々な事件を引き起こすケースがある。

 特に他者から破損させられた場合は人間でいう傷害事件のように感じるらしく、本人にとっては相手が加害者だ。だが世間的に見れば暴れた方が加害者となる。アンドロイドには人権が無いので仕方のないことだが、それもまた『この子は人間だ』という主張が出て来て三大訴訟絡みになっていくのだ。

 こういった事件が起きるのは当然ながらアンドロイドのいる家付近だ。そのため集合住宅や賃貸はどこもアンドロイド不可なのが普通だ。スーパーや公共施設、遊園地といった複数の人間が集まる施設もアンドロイドは立ち入り禁止の場所が多い。

 それどころかアンドロイドを持ってる家庭ごと不可にする場所もあり、そこにきてアンドロイド所有者は管理証明書を持つことが義務付けられているので持っていないフリもできない。

 つまりアンドロイドを持っているというのは日常生活の活動領域を狭めるのだ。

 こうしてアンドロイドは次第に一般家庭での需要は下がっているが、それでもアンドロイド全盛期を経験した三十代から四十代は未だにアンドロイドを手放さない人間も多い。そしてそれがアンドロイド依存症のピークだった世代でもある。


 「はあ。依存症ってこんな派手な事件になるんですね」

 「稀だけどね。同じアンドロイドとしては無視できないでしょ」

 「そうですか?普通無視しますよ」

 「僕は規格外なんだ」

 「外れちゃ駄目な規格まで外れないで下さい……」

 「あはは」


 ユイは千夏の言葉には賛同も否定もせず、軽く笑うとようやくその場を離れてくれた。

 後ろでは警官やパトカーが到着し、一歩遅ければ目撃者として引き留められたり連絡先を問われたりしたかもしれない。そうなるとユイのことも知れ渡ってしまうかもしれない。

 千夏はほっと一息ついて肩を撫でおろした。


 「ユイさんていつもこんな無茶するんですか」

 「しないよ。でもアンドロイドカフェを経営する側としては依存症患者の入店については議論したいところなんだ」

 「はあ。何でですか」

 「アンドロイドカフェってね、依存症患者は入店お断りのとこがほとんどなんだよ。何でだと思う?」

 「さあ。何でですか?」

 「依存促進したら困るから。でも変な話だよね。促進するってことは現状依存しきってないってことだ。なら依存症じゃない患者こそ入店を断るべきじゃないかな」

 「え?えっと、はあ……」

 「それに既に依存してるならこれ以上依存しようがないじゃない?なら依存しながら楽しく生きる方法を見つけさせてあげる方がいいと思うんだよね。なら依存症患者こそ迎え入れるべきなんだ。娯楽から締め出すなんて、それこそ死ねと言ってるようなものだよ」

 「それはまあ、そう、ですかね」


 話の内容に頭が付いていかないというのもあるが、アンドロイドがこんなに熱弁する事実に驚いた。

 熱弁することが無いわけではないが、それは『今からこの議題について話します』という前提が整っている場所の話だ。歩きながら偶発的に生じた事象に対して、たまたま居合わせた第三者と臨機応変に議論をするようなことはない。

 しかしそれよりも驚いたのはユイの口調だ。まだ二回、それも挨拶程度にしか会話していないが、どちらかといえばのんびりふわふわしている。こんな風に矢継ぎ早に畳みかけるようなイメージは無かった。


 「……今日は雰囲気違いますね」

 「パーソナルが違うんだ。累の前ではユイじゃなきゃ駄目だから」

 「へえ……それは何の実験ですか?」

 「それは僕には分からないよ。でも人を支えるための実験であることは確かだね」


 パーソナルというのはアンドロイドの性格となるプログラムのことだ。

 機種によりインストールされてるパーソナルが異なり、それぞれの目的に合った性格が設定されている。おそらく普段カフェにいるユイが累の弟となるパーソナルで、このユイはそうではないのだろう。


 「良く分からないですけど、性格が変わると人を支えることになるんですか?」

 「ん、いいところに気付いたね。夏目翔太はアンドロイドは人を支える存在であれと言った。依存っていうのは『支える』という行為を極めた状態だと思うんだ。なのにどうして病気扱いなんだろう。おかしいよね。目的達成として褒め称えてもいいと思うんだ」

 「でも依存症ってアンドロイドと心中する人いますよね……」


 アンドロイド依存症末期になると、修復不可能になることを死亡ととらえるケースが多い。

 だが人間と違って修理ができるということだけは頭に残り、生き返れるのに生き返らないのは自分を拒否しているからだ、別の人間の手の中で生き返るくらいなら一緒に死んでしまおう――という極端な思考に陥ることがある。他者が原因で修復不可能になった場合は殺されたと思い込み、復讐殺人を企てることもある。

 これは連鎖反応を起こすようで、一件発生するとまた一件、また一件と続いていく。

 そのためアンドロイド依存症は恐ろしい病気だと思われている。


 「さすがに褒められたことじゃないと思いますけど」

 「それはちょっと違うんだよ。アンドロイドと心中した人の病名が何だか知ってる?ノイローゼだよ。心中の原因はアンドロイドじゃなくてその人を追い詰めた環境や人間にあるんだ。依存したから心中するんじゃなくて、心中した時たまたまアンドロイドが傍にいたに過ぎない。それがアンドロイド依存症による心中だって言われるのは話題性重視のメディアがそう報道するからだ。ニュースをちゃんと見ると分かるけど、警察は死亡原因がアンドロイドだなんて一言も言ってないんだよ。結局人間の悪意が人間を追い詰めてるんだ。だって依存した全員が心中するわけじゃないんだからね。大体アンドロイドと心中したことがどうしてアンドロイドが悪いってこととイコールになるの?おかしいでしょ。アンドロイドは人間の指示を聞くようプログラムされてる。人間が許容する以上の行動はシステムエラーとして弾かれるんだ。だからアンドロイドは安全な商品として物言わぬスマートフォンと同等の扱いで販売される。だから美作はアンドロイド業界最高峰とされてるんだよ」

 「えーっと……」


 突如として押し寄せて来た言葉の波に呑み込まれ、千夏は言葉を発声することすら忘れてしまう。

 ユイは混乱している千夏の頭をぽんと軽く撫でると、ふふ、と小さく笑った。


 「君はアンドロイドと生きることは誰かと生きることになると思う?」


 千夏はびくりと大きく体が揺れた。

 これはおそらく千夏に向けられた問いではない。なにしろ千夏は、この質問の答えを昨日累から聞いている。


 『一人で生きるくらいなら一緒に死にたい』


 つうっと冷や汗が流れた。

 まさか接客していたあのソファ席からカウンターの中の会話が聴こえていたのか。

 ユイは感情の見えない目をきゅうっと細めて口元だけ微笑んだ。


 「明日はカフェに行くといいよ。きっと面白いことが起きるから」

 「は、はい……」


 まるで今日はこのまま帰れと言われているような気がして、千夏はユイがカフェへ帰って行くのを見つめるしかできなかった。

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