第1話 待ち望まれた長男と偽の長男-④

「何故そんなことをする必要があるんだ」


「では逆にお聞きしますが、ヴァーリウス様はこのまま帰ったところでご無事でいられるとお思いですか?」


 質問を質問で返され、クロノアの問いの裏にある真意に気づいたヴァーリウスは答えることが出来なかった。


 騎士に極秘で汚れ仕事の命令を出せる程の権力を持つディークラン家にすればヴァーリウス一人葬るなど造作の無いことであり、このまま考えも無しにノコノコと帰ろうものなら何をされるか分かったものではない。


「そこで私からの提案なのですが、ヴァーリウス様はここでベアドラゴンと相討ちとなり死んだことにしませんか?」


 先程からクロノアは背格好が似ている顔も性別も分からぬ程焼けた死体をヴァーリウスに仕立て上げようとしていたのだ。


「だが、それは……」


 クロノアの言い分は理解できるが、もし彼女の提案に乗ってしまえばそれは今までの自分を捨てるということ。


 洗脳に近い英才教育で騎士として、男として育て上げられたヴァーリウスとって簡単に答えが出せる問題では無い。


 だが、そんなヴァーリウスを見兼ねたクロノアは、彼女に近づくと耳元で捲し立て始める。


「お悩みのようですねヴァーリウス様。ですが悩む必要などありませんよ。あんな貴女に自分を捨てさせ跡取り息子としておきながら本当の長男が産まれた途端不要だからと追い出すどころか殺そうとしてくる家に義理だても気遣いも不要です。寧ろ向こうがもうヴァーリウス様を要らないと言うのならば家に縛られる必要も無いのですから自由に生きてみられてはいかかがですか?」


 一息で言い切り貼り付けたような笑顔を浮かべるクロノアに得体の知れぬ恐怖を少し感じながらも、ヴァーリウスは彼女の言う通りなのかもしれないと思い始める。


 思い返せば、唯一の肉親である父には父親らしいことをして貰った覚えは無く、義理の母や事情を知る使用人たちには常に妾の子と軽蔑され蔑まれてきた。


 おまけに命まで狙ってくる人間たちを家族など呼べるはずもなく、身寄りのなくなった自分を引き取ってくれた恩は有れど向こうがヴァーリウスからの恩返しを受ける気も無いようなのだ。


 ならば、ただ不用品と処分されるくらいならクロノアの提案に乗るのも良いのかもしれない。


 そう決断したヴァーリウスはクロノアを自分から引き離すと彼女の顔を見ながら出した答えを言葉にする。


「……分かった。君の提案に乗ろう」


 ヴァーリウスが自分にとって最適解の返答をしたことにクロノアは大いに満足したのか、憧れの人物に見つめられたことも手伝って顔を真っ赤にしながら人間の口角はここまで上がるのかとヴァーリウスが驚く程の笑顔を見せる。


「素晴らしいですヴァーリウス様! これで貴女は晴れて自由の身。これからやりたいことなどが既に思いつかれているのならこのクロノアになんでも言いつけて下さい。ディークラン家への復讐でも、この国を支配するのでも、どんなことでもお手伝い致しますよ!」


 自分は果たして、この差し出された救いの手を取って良かったのだろうかとヴァーリウスは興奮するクロノアに引きながら若干の後悔を抱く。


「落ち着いてくれヤーデレ殿。私はどちらもする気は無い。ただ普通に、何者にも縛られず自由に生きる、それだけが望みだ」


 小躍りするクロノアの両肩に手を置いたヴァーリウスは物騒なことを言う彼女に言い聞かせ、落ち着かせる。


「少々残念ですがヴァーリウス様がそうお決めになったのならば仕方ありません。貴女様を苦しめたディークラン家のクソ共をどう料理してやろうかと考えておりましたのに」


 本気で残念そうにするクロノアに何故か申し訳ない気持ちが生まれた生真面目なヴァーリウスは、話題を逸らそうと思いついたことを慌てて口にする。


「そ、そうだ、これから私はどうするれば良いのだろうな。騎士になるべく訓練漬けの日々を過ごしたせいで世間のことは何も分からないんだ」


 いくら何でも話題を変え過ぎたかと心配するヴァーリウスであったが、クロノアは自分を頼ってくれたと思ったようで嬉しそうに話題に食いついてくる。


「お任せ下さいヴァーリウス様! 私が誠心誠意お支えしますとも! まずは新しい名前を考えましょう。死んだはずの人間の名は名乗れませんし、ディークラン家に生きていると悟られては不味いですから」


 これまでの人生を捨てるのだから、当然のことだと納得したヴァーリウスは頭を悩ませる。


 これから一生名乗るかもしれないものなのだから適当に決める訳にいかない。


 だがペットを飼ったことも無く、当然子供のいないヴァーリウスに名付けの経験などある訳がない。


 色々と考え思いついては違う、という感覚に何度も襲われヴァーリウスは悩み続ける。


 そもそも自分の名は自分で付けるものではなく誰かに付けてもらうのが一般的であって、ヴァーリウスという名もディークラン家に引き取られた時に父に付けられたものだ。


 そう思った時だった、ヴァーリウスが思い出したのは。


 自分にもう一つ名前があることを。


「……ルナ」


 ポツリと呟いたその名は、生まれた時に母から貰った名だった。


 今は亡き母からの、唯一手元に残された贈り物。


 ヴァーリウスと名乗るように矯正されてからは一度も思い出すことが無かったが、ヴァーリウスが死んだ今、新しい名を名乗るのではなく元の名を名乗りたいという衝動がヴァーリウスの、ルナの中で生まれた。


「そうだ、新しい名など要らない。私には母から貰った大切な名があるのだから」


 この日騎士ヴァーリウス・ディークランが死に、一度この世からいなくなった少女、ルナが蘇った。

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