薄ーく、好きでいさせて。
白浜 台与
第1話 白髪の美しいひと
震災の翌年だったので確か5年前だったと思う。
アパートの隣の部屋に小柄でお上品でなおかつスポーティーな感じの美しい総白髪をショートカットにした年の頃60後半の女性が越してきた。
最初は朝夕のご挨拶程度、次第に打ち解け夏の夕方には井戸端会議。
年末には手作りのおせちを分けてくださる程その人とは仲良くなった。
マラソンが趣味で毎朝5時半に走るとか、海外のフルマラソンにも参加したとか、その会話で彼女の実年齢が70代後半だと知って驚いた。
この人の見た目も性格も話し方も若々しいのはいつも体動かしてるからか。
と今でもウォーキングとストレッチを欠かさずするようになったのは彼女のおかげ。と感謝している。
たぶんあれは酷暑の夕方。
いつものように彼女に挨拶したら何か浮かない顔をしていた。
「ねえ白浜さん、あなた看護の仕事していたのよね?」
「今はやってませんけど、何か?」
「うちの旦那、心臓悪くしていてね、椅子に座っていて立ち上がろうとするとふらつくことがあるのよね。一日何もしないでじっとしているのになんでかしら?」
あんた結婚してたんかーい!
今まで一言も出てなかったご主人の話題に内心ツッコミを入れたが、今は相談事の場。
ご主人の症状は慢性心不全ということが判り、
「あー、ふらつくのは急に動いて脳貧血を起こしたからだと思います」
そうなの?と彼女が上目遣いにこちらを見たとき、
「動かないから畑の草むしりなりと手伝いさせたいんだけどね」
と想像も出来ない一言が返って来た。
真夏の九州の畑の畝の間で急変を起こして倒れるご主人を思い浮かべたので彼女に、
「それは、かなりの負担だと思いますので洗濯ものたたみ位の手伝いでよろしいかと…」
と答えると彼女は、そこでやっとご主人の病状の深刻さを受け止めたようにうなずき、
「いつでも連れ合いがはって逝く心の準備せなんね」
と言った顔つきが彼女にしては冷たいもののように見えたので、
私は後日異性の知り合いに
「…って事があったんですけどね、妻帯している男の立場からこの奥さんの反応どう思いますか?」
と聞くと彼は、
「きっと妻として近い内に相手と死別する。という覚悟をしたんじゃないかなあ」
と答えた。
同棲も結婚もしたことがない私は「なるほど〜、そうなのかあ。参考になりました」とうんうん頷いたが、
はってく(熊本弁であの世にいく)という言い方の切り捨て加減と妙にさっぱりした表情はその後もしばらく引っ掛かった。
それから秋、半壊していた彼女の家も工事の目処が付いてこのアパートを出て母屋に引っ越す事になった。
「隣の部屋が空いて寂しくなりますねえ」
と私が言うと、
「でもね、代わりに主人が入居するから」と平坦な口調で彼女は言った。
「…え?」
「別れて私だけが母屋に戻るの」さらにそう言った彼女は、すんげえ清々した顔をしていた。
あんた離婚してたんかーい!
と年長者相手にわざわざツッコミを入れる気力も無かった。
引っ越しの手伝いをしてLINE交換して彼女とはそれきりになった。
翌月、年が明けて管理人の奥さんに家賃を納めがてら「いやあ、入れ替わりにあの人のご主人が入居するんですねえ」と話したら、
奥さんは声を潜めて、
「…あの人、旦那とは内縁関係で最初から籍も入れてないわよ」
そういう個人情報を他の住人に話すのは管理人の職務上どうかと思った。が、
白髪の美しいあの人の顔を思い浮かべて、
あんた、最初から結婚してなかったんかーい!
と年頭のツッコミを心で入れさせていただいた。
ちなみにLINEは2年経っても一個も連絡無いのでとうにアカウント削除した。
いやあ、仲良くご近所付き合いしたつもりでも…
人間ってのは、本当に分からない。
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