第一章「選ばれた場所」-005

 ……おかしい? どうして家で洗濯しないんだ? ひょっとしてこの学校、全寮制なのか? いや、全寮制だとしても普通、洗濯は寮でしないか?


 それにロッカーには替えの制服のみならず、下着や靴下まで入っていた。なぜ家に置いておかない? 全寮制だとしても自室に置くだろう。普通は。


 なにか非常にやばい所に迷い込んでしまったような気がしてきた。


 他の生徒たちを間近に見て一つ気がついた事もあった。首から提げた身分証明書、生徒番号の下辺りに金色の星印が付いているのだ。


 星の数は生徒によって違う。数人しか見ていないが、大体二個か三個だ。一個というのは見ない。一人か二人、四個がいたような気がするが、そこまではっきりとは確認していない。


 俺の身分証明書には星が付いていないが、確かに生徒番号の下辺りには何か貼れそうなスペースがある。


 学年か? クラスか? それとも成績なのか?


 まぁ、いい。あまりじろじろと見てると、不審がられる。


 俺はランドリーリフトから離れようとして、それに気づいた。書類入れくらいのプラスチック製の籠が、リフトの側に置かれた机の上に並んでいた。


 あぁ、ロッカーの張り紙にあった『タグ入れ』とはこれの事か。


 俺は合点がいった。


 籠はいくつかに仕切られ、それぞれにプラスチック製のタグ(札)が入っていたのだ。タグの大きさは500円硬貨の直径くらい。形は長方形だ。


 無造作に掴みあげて見ると『肌着サイズS』『肌着半袖』『トランクスサイズM』『ブリーフ 色:白』『靴下 色:黒』などと印刷してあった。種類やサイズ別に色分けされているようで、タグ入れは妙にカラフルだった。


 要するに今着ているものが合わない、もしくは気に入らない場合は、ここから好きなタグを取って洗濯物に入れるというわけなのだろう。


 そうすると洗濯物が戻ってくる時、新しい肌着や靴下が入ってくるというわけか……。


 そうだとしてもやはり疑問だ。


 自分で買ったらどうなんだ? いくら山の中とはいえ、日用品を売っている店くらいはあるだろう。学校があるんだから。なんなら通販でもいいはずだ。


 さすがに他の生徒へ、ちょっと聞いてみようかという気持ちになった。しかしタグ入れに用事のある生徒はいないようだ。みんな、洗濯物を籠に突っ込んで、あるいは洗濯が終わった衣服を受け取っとると、自分のロッカーに戻り、用事を済ませロッカールームから出て行ってしまう。


 それはそうだ。ロッカールームなど、そう長居する場所でも無い。


 俺は手にしたタグを籠の中に戻してロッカールームを出た。


 廊下に出て、改めてポケットに入っていた紙を広げる。校舎は夕日に向かって左右に、つまり西向きで南北に伸びて建っているようだ。記憶をなくす前の俺が書いた地図によると、大きな校舎が三棟あるようだ。西からA棟、B棟、C棟。そして少し小ぶりな校舎がその両側、東西に伸びるように四棟ある。それがD棟、E棟、F棟、G棟だ。


 俺が登ってきた道沿いにあったのは、体育館や講堂、プール。集会棟、食堂といった施設のようだ。


 こうしてみるとかなりの規模だというのが分かる。しかしそれが山の中にある意味は分からない。


 入り口の方から西日が差し込んできてまぶしい。手にした紙がよく見えないので、俺は入り口を背にして影を作った。しかし東側が山とはいえ、西向きに校舎を建てなくてもいいだろうに。山の反対側では駄目だったのか?


 そろそろ日も暮れて来る時間帯だ。急がないと。しかし相変わらず生徒たちは下校する様子が無い。


 地図に寄ると俺が行かなければいけない教室は、一番奥のC棟三階にあるようだ。階段は各校舎の中央に大階段が一つずつ。大階段は直接、他の棟とつながっているらしい。そして南北の端に一つずつ小階段があると書かれている。残念ながらエレベーターやエスカレーターはないようだ。


 仕方ない。階段で行くか。

 俺は校舎の中央にある大階段へ向かった。


 大階段はすぐ近くだった。階段がある左右の壁には大きな液晶パネルが掛かっていた。数人の生徒が、それを見上げて何かを確認している。

『英語』『数学』『化学』『地理』等と教科名が表示されている所を見ると、授業に関する物かも知れないが、他は記号と数字の羅列だ。数字は四桁という事を考えると生徒番号かも知れない。


 いずれにせよ今の俺が見て有益な情報は有りそうに無い。それよりは先を急ごうと、階段を登り始めた。


 階段を登り始めて、俺は記憶を失う前の自分が地図を書くのが下手で分かり難かったのではなく、そもそもこの校舎自体が非常に分かり難い構造だという事を悟った。


 外見から気づくべきだった。この校舎は結構峻険な山の斜面に沿って建てられているのだ。つまり一番手前のA棟と次のB棟では一階の高さが違う。山の中にある古い温泉旅館のように、上の階から隣の建物に移ってみたら、一階だったというパターンだ。


 坂の上に建っているので、そもそも地盤の高さが各棟で違うのだ。奥に行くほど高くなるので、A棟の一階よりもB棟の一階の方が高い位置にある。


 つまりA棟の三階まで階段を上って、渡り廊下を通ってB棟に入ってみると、そこが一階だったというわけだ。


 おいおい、C棟に行く渡り廊下へ向かうには、また三階分登らないといけないのか? そしてC棟の三階に行くには……。都合九階分登らないといけないのか!!


 冗談じゃねえ! 九階分も階段を登れるか!! そういって引き返したくなったが、引き返したところで行くところがない。スマホも財布もないし、これから夜を迎えるというのに、どこへ行くべきかも分からない。


 俺はぶつくさ言いながら、また階段を登り始める。その俺の背後から、階段の窓越しに西日が差し込む。俺が記憶を失っている事に気づいてから、もう30分くらいは経ったはずだ。


 ずいぶんと日が長いな。今は夏だっけか? それにしてはそれほど暑くない。山の上だからだろうか。


 階段を登りながらもう一度、校舎の中を観察する。特に目立った所は無い。おそらく鉄筋コンクリート製の建物だ。テレビドラマなどで出てくれば、一目で学校の校舎、その内部だろうと分かる、飾り気の無い殺風景な様子だ。


 ただなんというか、古風な印象は受ける。別に古びて傷んでいるところが見受けられるわけではない。しかし何というか、デザインや雰囲気が古めかしいのだ。どことなく圧迫感すらある。

 そんな中で階段を九階分登らなければいけないのは、はっきり言って苦行だ。


 俺はようやく三階分を登り切り、渡り廊下を通って、となりのB棟へ向かう。三階分登ったにも関わらず、B棟に入るとそこは一階だ。


 B棟一階には飲料水の自動販売機が置いてあった。カラーリングはこの学校独自のものなのか、メーカーが分からないものになっている。


 生徒が何人か、缶入りドリンクを買っていたが、生憎と俺はスマホや小銭は持っていない。喉が渇いていないわけではないが、まだ我慢できるくらいだ。


 ここからさらに三階分を登り、さらに奥のC棟へ。また一階からやり直しというわけか。

 俺は黙々と階段をまた三階分登った。


 そしてB棟三階から渡り廊下を通ってC棟一階へ。またここから三階分。都合、九階分を登るわけだ。


 やれやれ。


 C棟は今までの棟よりも新しい雰囲気だ。最近、作られたのかも知れない。階段のあるホールも他の棟より広い。しかし三階分登らなきゃいけない事には変わりない


 俺はようやく三階分、登り切った。合計九階分だ。よくやった、俺!

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