第3話 ジュリ賞をあげる

 朝起きると、とんでもなく強い雨が降っていた。

 ばちばちと世界中のなにもかもを叩く音がけたたましくて、おまけに外の景色は言いようもない色に塗り潰されている。

 ここ五十年で地球上の天候は激変した。もとを正せばインパクトによるもので、直接的な原因は世界各地で乱発した火山の噴火だ。

 地球のマントルから流れ出る溶岩には、硫黄が多く含まれている。同時多発的な火山の爆発後、大気中に二酸化硫黄が放出され、それにより発生した雲から、強酸性の雨が降る。大気中に溜まったエアロゾルがいまだに晴れずにいるのだ。強いときだと胃液が降ってくるのに近い。


「こんな雨じゃあ、今日は一日こもりっきりかな……」


 いつもの服を着て、バナナクリップで湿気た髪を結わえる。

 部屋を出て、あくびを噛み殺しながら廊下を歩いていると、その脇をてててっと駆けていく金髪が見えた。顔を洗ってきたらしいニィナだった。

 ニィナは私を見るなり、ぱっと顔を明るくさせ、足を止める。


「おっはよーう! ジュリー!」

「はい、おはようさん」

「おはようさん?」扁桃腺と同じイントネーションで、ニィナが反芻した。「ニィナはニィナさんだよ?」


 あたしはそれを無視した。無視したというより、ニィナの足元を見たのだ。あたしのあげたルームシューズを履いている。惜しみもせずに使ってくれているらしい。よかったよかったと頷くと、ニィナに服の裾を掴まれた。


「ジュリー、髪にリボン結んで」


 上目遣いでお願いされた私は、「はいはい」と言っていつものようにニィナたちの部屋に入る。ベッド際に散らばったリボンを拾い、一つ一つ、ニィナの髪に結んでいった。

 オオサカから贈られてきた大量のリボンだが、もちろん大量に余ってしまった。一応、暗器道具の備品なわけだし、予備として何本かはストックしておくことにしたのだが、にしても余る。ちょうどニィナの瞳の色と同じリボンを見つけたので、いくつか適当に結んであげたら、ニィナにたいそうウケたのだ。

 結わえることもなく、本当に結んだだけのものだったけれど、その日以来、ニィナには毎朝ねだられるようになった。

 いずれは自分でできるようになればいいと思うけれど、ニィナのふわふわな髪に青いリボンを飾っていくのは意外と楽しい。結局、私は一度も断ることなく、ねだられるがまま、リボンを結んでいる。

 毎日やっていることといえば、編み物もだ。あの日以来、あたしはずっとニィナに編み物を教えている。たまたま本棚にあった編み物の本を読み解きながら、いろんなものを二人で作っていると、ニィナのスキルが劇的に進化した。

 最近ではニィナのほうがずっと上手で、あたしやイチルたちの編みぐるみまで作ってしまった。さすがチルドレン、技術の習得と応用が速い。

 その様子を近くで眺めているのはレーヨンだ。ニィナが夢中で編み物をしている横で、ぼんやりとその様子を眺めている。

 イチルとミクロも一度は気にかけたものの、「教えてあげようか?」というあたしの誘いには首を振った。

 ただ、ヨハクは興味がありそうだった。すらすらと手指を動かすニィナがかっこよく見えたのかもしれない。たしかにあれはちょっと真似したくなる。あのスピードと正確さは、趣味の域を超えて、職人技のようだから。


「あんたもやってみる?」


 あたしがそう尋ねると、ヨハクは少しだけ迷った。

 もしもできなかったら恥ずかしいからだろう。

 しかし、変に意地を張って突っ撥ねることはなくなった。控えめな態度で「……僕にもできると思う?」とあたしを見る。


「できるでしょ。いきなりあの域は無理だけど、あんた要領はいいからすぐ追いつくだろうし」


 そんなふうにヨハクに言うと、むっとしたニィナが「ヨハクには負けないもん」とさらに編み棒を素早く動かした。目にも止まらぬ速さだ。ミシンか?

 ややあって、ヨハクは少しだけ嬉しそうにして、「やってみる」と頷いた。

 その日から、編み棒を動かすニィナとヨハク、そして見学のレーヨンというメンバーで、編み物クラブが結成された。

 もう教えることはなにもない、とあたしは早々にクラブから卒業したのだが、たまにニィナが「ジュリー、毛糸が絡まっちゃった、ほどいて」とあたしのもとを訪れる。あたしは「自分でほどけるやろ」と言うのだが、ニィナは甘えた声で「無理だもん」と言うのだった。

 このところ、ニィナのがすごい。あたしが臨時の世話係シッターになってから二週間も経ったし、懐いてくれたんだろうな、と思うのだが、にしたところで、尋常でない甘えかただ。

 朝にリボンを結ぶのはもちろん、昼には「ジュリー、ご本読んで」、夜には「眠れないの、歌って」、夜中に起こされては「怖いの、おトイレついてきて」。本当は読み聞かされなくとも自分で読めるし、五人の中の誰よりも先に寝るし、一人でトイレにも行ける。それなのに「ジュリー」とあたしを呼ぶのだ。

 一番手こずったのは「歌って」というお願いだ。子守唄なんて知らん。しょうがないので、子守唄代わりにキラキラ星を歌ってやった。


「きらきらリトルスター

 夜空のエレメノピー」


 ニィナのお気には召したようで、以来、ベッドに入る際には「きらきらの唄を歌って」とせがまれるようになった。昨晩も歌った。歌詞を覚えてしまったレーヨンとミクロとヨハクが一緒になって歌いだして、イチルが苦笑まじりに「寝ようよ」と言うまでがお約束である。


「昨日の夜も楽しかったねえ、ジュリー」

「ここに来てあんなに笑ったのはじめてよ。あんたら、ハモリなんてどこで覚えたの。いきなりメゾソプラノ・ソプラノ・アルトの混声三部合唱が始まって、あたしの腹筋は死んだわ」


 しかも、部屋に戻っても思い出し笑いをしてしまって、なかなか寝つけなった。

 あたしがそう言うと、「笑い声うるさかったよ」と返ってきた。

 誰のせいや思てんねん。ていうか聞こえてんのかよ。やはりこの子たちの耳が常人よりも遥かにいいからか、もしくはあたしが相当うるさかったからか。

 答えが出る間もなく、あたしとニィナは厨房と接続する食堂に着いた。

 ここでは朝昼夜の三度の食事を料理人コックに作らせている。この子たち専属の料理人コックがいるなんてありえない贅沢だ。この皇居に住むにふさわしい貫禄。洗濯なんかもしてくれる家女中ハウスメイドまでいるほどなのだ。仕えているつもりはまったくないが、世話係シッターであるあたしを含め、侍従職みたいなものだった。

 大きな四角いテーブルに向かい合って、あたしたちは朝餉を食べる。

 テーブルの長辺に三人ずつ座れるように椅子が用意されているのだが、あたし、ミクロ、ヨハクの座る体面、イチル、ニィナの座る側の席が、一つ分空いていた。


「……レーヨンは今日も来ないの?」

「うん。お腹すいてない、ってさ」


 ミクロはそう言って、食事を続けた。

 ここに来てから、レーヨンが食事の席についているのを見たことがない。寝坊かと思って部屋を見に行ったこともあるのだが、一人ボードゲームをしていた。朝は胃が弱いタイプなのかと思い、そのときは諦めたのだが、なんと昼の席にもレーヨンは現れなかった。さすがにあたしも呼びに行ったのだが、そのときもレーヨンは「お腹すいてないから」と言って、席に着くのを拒んだ。挙げ句、夜にも現れなかった。別のタイミングで食事を摂っているのかもしれないが、あたしにはそれがとても不審だった。


「ニィナこれ嫌ぁい。イチル、食べて」


 そんなことを考えていると、ニィナが皿に乗った色鮮やかな豆たちを睨みつけ、イチルに皿ごと渡しているのが見えた。


「いいよ」

「いや、待て」あたしは止めに入る。「ニィナ、イチルに食べてもらうの何回目よ。たまには自分で食べなさい。イチルも甘やかさない!」

「えー、だってだって、おいしくないんだもん!」

「ここの料理人コックの腕ってそんなによくないから、ニィナの言い分もわかるよね」ヨハクはフォークでサラダを突きながら言った。「たまに味つけがすんごいやつもあるからさ。それくらいいいんじゃない?」


 料理人コックの名誉のために弁明させてもらうが、料理の味にはなんら問題はないこの子たちが贅沢を言っているだけだ。しかし、ニィナはあたしの意見を断じた。


「そんなことない! ジュリーが食べてるのはおいしい!」

「んなわけあるか。全部一緒のメニューよ」

「でも、この前ジュリーのデザート一口もらったときは、いつもよりもおいしかったもん!」

「は? あたし、いつあげたっけ?」

「えっ……う、うーんと」

「ニィナ、あんた、あたしの皿から勝手に取ったの? あんたたちの本気のスピードで盗み食いされたら、あたしもわかんないんだけど!?」

「とにかくニィナはこれ食べないから!」

「あっ、ちょっと」


 ニィナは皿を傾けて、フォークで掻き落とすように、豆をイチルの皿へと移した。イチルは「まあまあ」とあたしを宥める。そして、ミクロとヨハクも別の食べ物に苦戦しているのを見て、「二人の分も俺が食べようか?」と助け舟を出した。

 ミクロは不味そうにしながらも「自分で食べれるし!」と口の中にいれたが、ヨハクはけたピーマンをイチルへと寄越した。


「こら、好き嫌いしないの。しっかり食べなきゃ一生チビのまんまよ」

「一生チビのわけないじゃん、まだ子供なんだから、食べなくてもある程度背は伸びるよ。なに言ってんの?」


 このクソガキ。

 あたしはため息をつく。別に、苦手な食べ物があるくらいなら、あたしも目を瞑るのだが、この子たちはあまりにも好き嫌いが多い。なんでも食べるイチルを見習え、とまでは言わないが、もう少し選り好みせずに食べたほうがいいと思う。

 いまの時代、なんの不自由もなく食にありつけるのは、本当にありがたいことなのだ。特にトウキョウは、首長会議の日に暴動があったように、食料に困窮しているのが現状だ。市井では一日なにも食べないですごさねばならないところもあるのかもしれない。それを思えば、この子たちのわがままがどれほど贅沢なことか……。


「おはようございます、みなさん」そのとき、ゴローさんがやってきた。「食事中に申し訳ないのですが、イガラシ首長から、出動命令です。今回の任務は二つ。市街地を騒がせている玉蟲蜚蠊タマムシゴキブリの駆除と、ゴミ山からリストにある物で使えそうなのを漁ってこいとのことです」


 子供たちはむしゃむしゃと口を動かしながら、ゴローさんのお話を聞いていたが、あたしは驚いて「えっ」と声を漏らした。


「あの……こんな強い雨の日にも出かけるんですか?」


 あたしがそう言うと、ゴローさんは朗らかに頷いた。


「彼らはチルドレンですからね。私たちよりも体が頑丈なのです。こんなぞっとするような雨の中でも彼らなら生き抜いていけます」


 あたしは窓の外を見る。少しは弱まったみたいだけれど、まだ強酸性の雨はやんでいない。そんな中で出かけるなんて。

 あたしが呆気に取られているあいだに、イチルは、ごくん、と飲みこんで、「リストちょうだい」と手を出す。ゴローさんはリストを渡す。イチルは「……ふうん、」とこぼした。


「雑貨がほとんどだね。こんなの必要?」

「今回は予備のための回収ですから。人手もそんなにいらないかと。どちらかといえば、玉蟲蜚蠊タマムシゴキブリの駆除のほうが大きな問題ですね」


 玉蟲蜚蠊タマムシゴキブリは、日本各地で見られる害虫で、ホログラム加工したかのようなオーロラの体を持つ。なんでも食べるという特性を持ち、時間をかければコンクリや鉄ですら食べるので、見つけた瞬間に駆除しなければならない。

 七連では、オオサカとワカヤマに玉蟲蜚蠊タマムシゴキブリの駆除剤の生産工場を確保しているため、それを用いた駆除が主流だ。こちらでもチバに駆除剤の生産工場があると聞いたが、取引していないのだろうか?

 あたしが疑問に思っているのを見抜いたゴローさんが、苦笑まじりに答えてくれる。


「トウキョウにはお金がないので……」


 なるほどね。そう言われては、あたしも苦笑するしかない。

 なんとか食事を終えた四人は任務への段取りに移った。レーヨンともこの話を共有した結果、イチル、ニィナ、レーヨンが玉蟲蜚蠊タマムシゴキブリの駆除に、ミクロがゴミ山に行くことになった。人数が偏りすぎている気がしたが、ミクロは「一人でも平気」と言うので、任せることにしたのだ。ヨハクは「本の続き読みたい」とお留守番。

 本当にこの雨の中で仕事をするのか。あたしが気にかかっていると、ゴローさんは「大丈夫ですよ」と声をかけた。


「ダイマオウイカを退治したときの潜水スーツのように、雨にも溶けないレインコートと長靴を支給しています。でないと、僕だってこの皇居跡まで来れないでしょう?」


 あたしは、それもそっか、と息をつく。

 玄関扉の前のロビーに彼らと集まる。遠目からでも目立つような黄色いレインコートと長靴を身につけていた。特にレーヨンは「雨は苦手だもんな」とイチルにもっと着こまされていて、この少年の全貌が見えないほどだった。

 すると、あたしは服の裾を引っ張られた。振り返ると、レインコートを持ったニィナが、あたしを見上げていた。


「ジュリー、お着替え手伝って」


 またか。あたしは「一人で着れるでしょ」と返したが、ニィナは「ううん。着れないの」と目をうるうるさせた。

 それを見たミクロが鋭く睨みつけてくる。

 ああもうまた喧嘩になるやろ。


「いまの服にも寝間着にも着替えられるニィナが、たかがレインコートを羽織るくらい、できないわけがないでしょ」


 あたしがそう言うと、ニィナは顔を膨らませて、「ジュリーが手伝ってくれなきゃ着替えない!」とあたしの腰に抱き着いてきた。

 そのとき、ずっとイライラしていたミクロが、とうとう口を開く。


「おい、調子乗んなよ」あたしに掴まるニィナの腕を鷲掴んだ。「なにかわいこぶってんだブスのくせに! 甘えてんじゃねえよ!」


 暴言を吐くミクロに、イチルは「こら」と眉を顰める。

 しかし、ミクロは止まらない。


「毎日毎日、ジュリージュリーって! ジュリがいなかったらなんにもできねーのかよ! ガーキ! ガーキ!」

「あんたがクソガキや」


 囃すように騒ぐミクロの頭に、軽く手刀を落とす。

 なにすんだとあたしを睨むミクロをよそに、あたしはニィナを見下ろした。


「ニィナも。どれだけ甘えても手伝わないわ。イチルとレーヨンを待たせてるんだし、早く着替えなさい」


 あたしの言葉に、ニィナは唇を尖らせたものの、ややあってから渋々「はぁい」と言って、腕を離す。

 もうニィナが離れたというのに、ミクロはあたしを睨みつけている。かんかんに怒っていた相手であるニィナではなく、あたしを。

 ぶっちゃけ、ミクロのニィナに対する乱暴な態度は、好意の裏返しだと思っている。好きな子ほどいじめたくなるとかいうあれだ。

 最初は、純粋にミクロは苛立っているのだと思っていた。ニィナの空気の読めないところや、甘えたなところは、ミクロの癪に障るのだろう、と。

 しかし、よく見てみると違った。

 本来、ミクロは冷静な子で、負けず嫌いではあるものの、自分のだめなところはきちんと反省するタイプだ。だから、機嫌が悪くとも、誰彼かまわず怒鳴りつけたり、当たり散らすことはない。

 それなのに、ニィナの前ではその冷静さを欠くのだ。平常心ではいられない。ニィナには自分が負けているところを見られたくないし、自分以外の誰かに執心しているとイライラする。ミクロの感情のトリガーはいつだってニィナだ。

 今回のこれも、一丁前に嫉妬しているというだけの話だ。周りにごろごろ男子のいるなか、歳の離れた女のあたしに嫉妬するなんて、なにをとち狂ってんだとも思うのだが……客観的に見ても、現在のニィナの執心はあたしだ。

 おまけに、「レーヨン、行こう」と別の男の子の手を引いて、ニィナは出て行こうとする。

 ミクロは唇をぎゅっと縛った。


「……ゴローさん。そのゴミ山って、ここから近いんですか?」

「えっ」あたしの質問に驚いたものの、ゴローさんは頷いた。「ええ、そうですね。廃棄場ではなく、このあたりにあった公園を、昔、ゴミ捨て場にしたとかで作られたところです。歩いていける距離ですね」

「ゴローさんの着てきたレインコートはこれですか? 意外と細身なんですね。女性でも着れそう」

「僕はガタイのいいほうではありませんが、太っているわけでもないですから」

「ゴローさん、シュッとしてはりますもんね」

「えっ、?」

「てことで、これ借ります」

「えっ、シュッ、じゃなくてジュリさん!?」


 あたしはレインコートをふんだくり、それを着こみながら皇居を出た。本当にすみません、ゴローさん。なるはやで戻るんで、ヨハクと一緒に本でも読んでてください。

 外に出てみると、雨の猛威を思い知る。あたしは元々着ているジャケットのフードと、レインコートのフードを二重に被った。下手をすると顔が溶けちゃいそうだ。

 あたしは先に出ていたミクロを追いかける。一人ぼっちのレインコートが見えて、「待って」と声をかけた。その小さなレインコートはちらりとこちらを振り返る。案の定、ミクロだった。ミクロはあたしを見るなり「なにその格好」とこぼした。


「似合ってない?」

「なんでジュリまでレインコート着てんのかって聞いてんの」

「こっから近いんでしょ? あたしもついていこうと思って」

「はあ? いいって、一人で行けるって行っただろ」

「あたしがミクロについていきたかっただけ」


 意味わかんねえし、とミクロはこぼしたが、あたしを置いて行くことはなかった。了承してくれたんだと思う。二人で並んで歩きながら、話を続けた。


「もうちょっとニィナに優しくしたら?」

「……なんだよ、叱りに来たのかよ」

「や、だって、好きな子に嫌われたらミクロも悲しくない?」

「すっ!?」


 ミクロはその髪の色のように、顔を真っ赤にさせた。人間って、こんなすぐに顔を赤くできるものなんだ。それぐらい血が上ったんだな、と思うとちょっとかわいくて、あたしはにやりと笑った。


「ニィナがあたしやイチルに懐いてんのは、ミクロみたいに乱暴な言葉を向けたりしないからよ。照れくさくなってつい言っちゃうのはわかるけど、素直になったらいいのに」

「べ、別に、ニィナのことなんて好きじゃねえし!」

「はいはい」


 ミクロはむきになりながら、あたしはそんなミクロを宥めながら、ゴミ山と化した公園まで歩いていった。

 からかったつもりはないが、本音を言い当てられた恥ずかしさからか、到着するころには、ミクロの口数は少なくなっていた。

 あたしは代わりにリストを確認する。探さなければいけないものは本当に雑貨だった。持ち運ぶことは大変じゃないだろうが、これらをこのゴミ山から探すのは難儀だ。

 清掃行政が崩壊してから、ゴミの収集も難しくなり、半ば不法投棄するようにしてゴミが積み重ねられ、各地でゴミ山が見られるようになった。その大半は、山が崩壊しないうちに燃やすことになっているのだが、それも間に合わずに野晒しにされていることが多々ある。探せばリサイクルできるものも多く捨てられているため、迂闊に手をつけられないのも理由の一つだ。それが雨によって中途半端に溶かされ、そこへ新たなゴミが追加され、地層のように固まってしまうこともある。列島連邦の各地で問題になっている事案だ。


「……こんな中で集めるの、無理じゃない?」


 雨はまだ降っている。ちょっと拾おうとして手を出せば、強酸性の雨粒が手を打った。ひりひりする。火傷したみたいな痛さだ。あたしはすぐに手を引っこめて、ミクロを見た。


「だから言っただろ。一人で大丈夫って」

「いやいや、やるわよ」あたしはグローブを嵌める。「手分けしたほうが速いし。こういうのは誰かとやったほうが楽しいじゃない」


 あたしとミクロは手分けしてリストの物品を探す。

 この広大なゴミ山から特定の物を探すのは骨が折れるが、品数自体は少ないため、意外にもスムーズに進んだ。ミクロは見つけるのが上手いのだ。あたしが手をこまねいているあいだに「あそことあそこ」「あれはそっち」と指差してくれる。どれだけ目がいいのよ。あたしはミクロの言われたとおりに拾いに行くだけでよかった。

 しかし、そのとき——銃声のようなけたたましい音が響く。


「はっ?」


 あたしはあたりを見回す。

 すると、少し離れた山の上で、ミクロが倒れようとしているのが見えた。

 突然なにがという混乱よりも先に、ミクロが撃たれたのではという予感で体が動いた。血の気の失せたあたしは急いでミクロに駆け寄る。


「しっかりして、ミクロ!」


 その体を抱き起こす。

 ミクロは腹を押さえこんで呻いていた。

 本当に撃たれたなら止血しなければ。いや、人を呼ぶのが先か。突飛な事態をなんとか飲みこもうとしていたとき、声が聞こえた。


「——かかれ! こんなことで〝タブー〟は死なない!」


 ぱっと顔を上げて、声のあったほうを見遣れば、見知らぬ男たちが公園の入り口に立っていた。目元を隠すようないでたちをしていたが、全員が腕章をつけている。

 落伍社の人間だとわかった。

 そのうちの一人は短銃を構えていて、ミクロはあれに撃たれたのだと理解する。


「おっ前ら……!」


 あたしはカッとまなじりを裂いた。

 そこへ、声を上げて走り寄ってきたのは三人。あたしは、一番近くにいた男の足へグローブを向け、リボンを噴射する。

 リボンが巻きついたところを思いっきり引っ張って、男の体勢を崩した。ゴミ山の斜面を滑り落ちていく男を横目に、次の男と相対する。

 殴りかかってきたところを躱して、蟀谷こめかみへとハイキックを食らわせた。金属の入った靴底でお見舞いしてやったので、しばらくは起きあがれないはず——一人目。

 ひしゃげた自転車のタイヤを見つけ、リボンを伸ばす。捉えたところから思いっきり振り回し、リボンに引っ張られるようにして半円の弧を描いたタイヤが、遠心力を上乗せした威力を伴い、次に来ていた男の頭へと直撃した——二人目。

 さきほどゴミ山を落ちていった男が起きあがったのが見えた。そいつの胴体へとリボンを巻きつけると、そのリボンはグローブの篭手へと高速で巻き取られてゆく。いきなり引っ張られたことによりつんのめったそいつの鳩尾みぞおちへ、あたしは飛び蹴りをかました。その勢いのまま地面に仰向けに倒れた相手の胴体に乗り、首を踏みつけることで気絶させる——三人目。


「くっそがああ!」


 怒りに満ちた雄叫びが聞こえ、あたしは背後を振り返る。

 出遅れた落伍社の男が、あたしを殴りつけようとしているところだった。しかし、あたしが対処するよりも先に、どこからともなく飛びだしたミクロが、そいつへ回し蹴りを食らわせた——四人目。

 独楽コマのように回転しながら着地するミクロへ、あたしは駆け寄る。


「ミクロ、大丈夫?」

「実弾じゃねえよ」ミクロは手の平にあるものを見せた。「毒矢だな。威力としちゃあ玩具おもちゃみたいなもんだぜ。ジュリが当たったら死ぬかもだけど、俺なら精々動きが鈍るくらいだ。毒素の解析と同時進行で分解も


 そう言うミクロの瞳はわずかに光っていた。

 ややあって、ミクロは舌を打つ。


「このあたりにコネクトできるもんはねえな……一応、ヨハクには電信メール飛ばしたから、ゴローあたりに報告してくれるはずだけど」

「そんなこともできるのね」あたしは目を瞬かせる。「にしても……なんで落伍社のやつらがあんたみたいな子供を狙うわけ?」

「それは、」


 と、そのとき、発砲音が二度鳴った。

 あたしが身を強張らせたとき、足元でがらごろとがらくたが落ちていく。足元に毒矢が当たったのだろう。そこから視線をずらせば、ゴミ山の麓で短銃をかまえる男が見えた。

 まだいたのか。

 あたしはミクロの手を取って、男のいない側へとゴミ山を駆け下りる。ミクロは「おい、あいつは?」と声を上げたが、わざわざ戦闘に持ちこむ必要なんてないのだ。

 背後では同じようにゴミ山の上を駆ける足音が聞こえた。あたしが振り返ると、ゴミ山のてっぺんから、こちらへと銃口を向ける姿が見えた。

 あたしは咄嗟にミクロを抱き寄せ、篭手のあるグローブで自分の頭部を庇う。発砲された毒矢は篭手に着弾し、弾かれたものの、あたしは自分を殴りつけるように吹っ飛んだ。


「ジュリ!」


 倒れこんだあたしの腕から逃れたミクロが、あたしの体を揺する。

 あたしは目だけで落伍社の男を追う。まだこちらへ銃口を向けていた。

 がんがんと頭痛のするなか、グローブに覆われた拳を握っては開く。篭手からはカチカチと空振りするような音が鳴るだけ。さっきのでイカれたかもしれない。


「ジュリ……」


 ミクロの声が遠い。なんとか我が身を奮い立たせ、あたしは起きあがろうとするも、視界の霞むような眩暈に襲われた。反射で呻き声を上げる。

 そんな私を見下ろしたミクロは、ゆらりと立ちあがった。

 左右で色の違うミクロの瞳が、閃くように発光する。雨で濁り、ゴミで汚れたこの世界の中で、その光だけが眩かった。鮮やかな虹彩で相手を見据え、低く囁く。


「ちょうどムシャクシャしてたんだよ……ぶっ潰してやる」


 ゴミ山さえ砕くような踏みこみで、ミクロは跳躍した。

 そこを狙った毒矢も腕の一振りでいなして、落伍社の男へと砲弾のように飛びこんだ。人間離れした動きに、ゴミの飛沫が上がる。

 たなびく塵芥が雨粒に敗北していく鮮明な視界の先には、横たわる男の顔を足蹴にしながら、短銃を持つ腕を捻りあげる、獰猛なミクロがいた。


「待ち、ミクロ!」


 あたしはやっとの思いで立ちあがり、そちらへと駆け寄っていく。

 声をかけたのに、ミクロがあたしへと振り向くことはなかった。掴んでいた腕をさらに捻りあげる。なにかが軋むような不吉な音が鳴ったと思えば、男が呻き声を上げた。


「さすがにやりすぎや!」


 あたしはミクロの腕を掴んだ。もう片方の手で、男の持っていた短銃を回収する。とりあえずは弾圧できたはずだ。しかし、ミクロの気は収まらないらしい。


「やりすぎ?」ミクロは鼻で笑う。「こっちは撃たれたのに?」

「あたしは大丈夫だから。怪我もしてない」

「…………」

「余計な恨みは買わなくていいのよ。でも、あたしのために怒ってくれて嬉しかった。ありがとう」


 自分が撃たれても激昂しなかったミクロが、こんなに頭に血を昇らせているのは、あたしが撃たれたからに他ならない。


「かっこよかったって、ニィナにも言っといてあげる」

「だから別に好きじゃねえし!」


 あたしの言葉に、ミクロは反発した。

 その瞳があたしのほうを見たので、やっと顔色を見れた。正気を取り戻したらしい。

 ほっと一息ついたのち、あたしたちは落伍社の男たちを捕縛した。

 しばらくすると、ゴローさんが駆けつけてくれた。捕まえた男たちを取り押さえる。身柄を拘束してもらうとのことだった。

 車に乗せられたあたしとミクロは、今回のことについての報告のため、イガラシ首長のいる首相官邸跡まで赴くこととなった。

 ややあって、玉蟲蜚蠊タマムシゴキブリの駆除に出ていた三人、そして、留守番をしていたヨハクとも合流する。

 はじめに口を開いたのはイチルだった。


「落伍社の人間の襲撃ですか?」


 イチルの前髪は濡れていた。イチルだけでなく、ニィナもだ。レーヨンは厚着していたため濡れてはいなかったが、この雨の中では、もしかしたら体が冷えているかもしれない。

 ここに来る前に、ゴローさんからたくさんタオルをもらっていたので、あたしはそれを一枚ずつ、三人に配った。どうせニィナが空気も読まずにねだるだろうから、先回りして、彼女の髪はあたしが拭いてやることにした。


「そのように報告を受けている」イチルの言葉に、イガラシ首長が答える。「そうだな? ジュリ補佐。ミクロ」


 あたしは頷き、ミクロは「そうだ」と言った。


「腕章があったので、間違いないかと」ただ、とあたしは続ける。「彼らは子供を狙うほど、過激派な組織なのでしょうか? もしかしたら、落伍社になりすました別の組織かもしれません」


 トウキョウの暴力的な実行組織は大まかに分けて三つだと、ゴローさんから聞いた。一つは反首長政権組織である落伍社。他には、義賊と名高い与奪党、侵略軍とも言われる野蛮党などが挙げられる。その名のとおり荒くれ集団である野蛮党なら、子供さえ手にかけそうだ。

 そう進言してみたものの、イガラシ首長も他の五人も、突拍子もないことを聞いたかのような反応をした。


「ジュリちゃん。落伍社は、っていうか、トウキョウの人間は、俺たちチルドレンの顔は知ってるんだよ。俺たちがただの子供じゃないって理解してる」

「や、だから、まずあんたたちを狙うのが意味不明って話で」

「ジュリって馬鹿なんだな」

「は? 誰が馬鹿よ」

「オオサカから来た君には解せないところだったな……」イガラシ首長は得心したように告げた。「現状、トウキョウは、現首長である私が、チルドレンに協力を要請する形で、あらゆる問題を解決している。つまり、チルドレンは現政権の象徴とも言えるわけだな。落伍社は私だけでなく象徴たるチルドレンも目の敵にしているんだ」


 あたしは愕然とした。

 たしかに五人はイガラシ首長に養育されているようなものだし、その予算はトウキョウ政権から捻出されている。わば、イガラシ首長の政策そのもののような子供たちだ。

 だからって、落伍社がまだ子供であるこの子たちを狙う理由にはならない——そんな大人の事情に、この子たちを巻きこんでいいのか。

 あたしがなにも言えずにいるあいだにも、話は進んでいく。


「ミクロ、状況の報告を」

「ジュリと二人でゴミ山を漁ってたら、いきなり撃たれた。弾は毒矢。ちょっと体が痺れるくらいで、効き目はそんなにない。そのあと、俺とジュリとで制圧して……終盤ごたついたけど、五人全員確保。俺もジュリも怪我はなし。リストの物品も回収済みで、任務は完了」

「ふむ。報告を受けたヨハクは?」

「すぐゴローに報告したよ。ちょうど二人でボードゲームしてたし」

「ちなみに、俺やレーヨンのところにも電信メールが飛んできました。俺たちも任務中だったし、ミクロは加勢を呼んでるふうでもなかったから、特に対応はしなかったけどね」

「ニィナたちも任務は終わらせたよ。たくさん見すぎて、いまでも目がちかちかするよね、レーヨン」

「ううん。別に」


 話はテンポよく進んでいく。

 動機や目的については拘束された男たちに直接聞くしかない。この子やあたしから聞きだせる情報なんて、状況報告くらいのものだった。


「戻っていいぞ」


 なので、イガラシ首長がそう言ったのも頷けることではあった。このひとはこのひとで執務に忙しいだろうし、いくら襲撃があったとはいえ、そればっかりにかまけている暇はない。

 でも。


「え?」


 あたしは呆気に取られてしまった。

 五人が各々踵を返そうとする中、あたしだけがその場で立ちつくしている。


「どうした? ジュリ補佐」


 イガラシ首長はあたしに尋ねた。

 ニィナが「ジュリー?」とあたしの手を引く。


「……えっと、あの、それだけですか?」


 上手く言えなくて、あたしにしては珍しく、歯切れの悪い質問をしてしまった。

 だが、それくらい動揺していた。

 まず一番に、ミクロの安否を尋ねるべきだと思う。怪我はなし、と報告されていたとしても、たとえば、ミクロを巻きこんだことを謝るべきだと思う。気遣うべきだと思う。首長である立場のこのひとからすると、もしかしたら、そうしなくてもいいかもしれないが、そうしてもいいじゃないかと、あたしは思う。

 だって、この子は、この子たちは、こんなぞっとするような雨の中で、貴方のために働いていたのに。


「……レーヨンとイチルは、玉蟲蜚蠊タマムシゴキブリの駆除を終わらせました。ミクロは落伍社の邪魔もあったなかで、お使いを果たしました。それに対するねぎらいの言葉はないんですか?」


 いくら出向先とはいえ、あたしは部外者で、臨時の世話係シッターで、イガラシ首長に物申しができるほどの立場でもないけれど、でも、チルドレンに対しての扱いが本当に疑問で、気づけばそんなことを言っていた。

 ややあってから、イガラシ首長が告げる。


「……褒美ならやろう。一週間、主食を米にしてやる」


 反論しようとしたあたしの声は、ニィナの「やったあ!」という言葉に搔き消された。

 ニィナはぴょんぴょんとゴムまりのように跳ねたかと思えば、「お昼ごはんはカレーがいい!」と執務室を飛びだしていった。ヨハクは「もう準備されてあるはずだから、献立を変えるにしても晩ごはんでしょ」と呆れる。ニィナの背中を追うようにして、ヨハクとレーヨンが出て行く。頭の後ろで腕を組むミクロは、「新しいゲームが欲しかったな」と言いつつも嬉しそうだった。

 あたしはイチルを見遣る。五人の中で、イチルだけは微妙な表情をしていた。その表情が心にうねり刺さった。

 あたしは再びイガラシ首長に訴えようとして、しかし、彼の目線がすでに手元の書類に移ろっているのを見た。この話は終わりだと、彼の態度が語っていた。

 結局、どうすることもできなくて、あたしはもやもやした気持ちのまま、「失礼します」と告げて、イチルと執務室を出たのだった。


「イチルは……あれでよかったの?」


 先を行く四人の背中を見ながら、あたしはイチルに尋ねる。

 大人が子供にする対応と考えれば、物を与えて機嫌を取るというのは常套手段だろうが、そうやって物で誤魔化して、大事なことを忘れている。現にイチルは心が晴れないでいるのに。

 イチルは苦笑して、「米だってさ、」とあたしにこぼした。


「本当しけてるよね。イガラシはいっつもプレゼントのセンスがないんだ。首長会議の議席とか穀倉の管理権とかくれたらいいのに」


 思わず、足が止まった。イチルの言葉を処理するだけの余裕がなくて、脳以外の全てが疎かになって、表情すら取り繕うことを忘れた。

 突然立ち止まったあたしを、イチルは振り返る。ぱちぱちと目を瞬かせてから、首を傾げた。


「あれ? そういう話じゃなかった?」


 あたしがしていたのは、そういう話ではなかった。

 もっとこの子たちのがんばりを認めてほしいとか、心からの言葉をかけてやってほしいとか、そういう話だった。

 でも、その気持ちも吹っ飛んだ。


「……そんなのもらってどうするのよ」


 動揺の抜けきらないあたしの声が、おもむろにそれを紡ぎだす。


「どうするって、そりゃ、会議に参加するし、穀倉も管理するよ。でも、俺が言ったのは、たとえばの話、具体的に言うなら、ってこと。欲しいのはなにかしらの権利だ……いや、権力かな?」


 たとえば息を呑むことも、目を見開くことも、肩を強張らせることもできずに、驚き呆れて、イチルを見つめた。

 イチルがそんなことを言いだすなんて思ってもみなかった。

 チルドレンの五人の中でも、イチルは比較的常識がある。年嵩らしく、落ち着いていて、お行儀のよさも持ち合わせている。悪さをする他の子たちを叱るような場面もよく見かける。あたしがここに来てから、イチルに対して手を焼いたりだとか、頭を悩ませたことは、たったの一度もない。

 でも、いま、あたしはイチルに困っている。

 だって、イチルが〝権力が欲しい〟と言ったなら、それはまさしくそのとおりの言葉なのだ。意味を知らないいたいけな少年が、いたずらに言うのとはわけが違う。


「どうして、イチルが、そんなものを」


 あたしがおもむろに呟くと、イチルは少しだけ視線を落とした。


「ジュリちゃんは、俺たちの寿命ってどれくらいだと思う?」

「えっ、寿命?」あたしは素っ頓狂な声を上げた。「よくわかんないけど、二百年くらいは生きるんじゃないの?」

「二百年って、いまの平均寿命の何倍だよ」

「まあ、二百年は言いすぎでも、長生きはするんじゃないかな、知らんけど。あたしは、あんたたちの爪の垢を煎じれば不老不死の妙薬でもできるんじゃないかって思ってるくらいだし」


 あたしがそう言うと、イチルはけたけたと笑った。緩くお腹を押さえて笑う姿は、至って普通の少年のようなのに。


「まあ、俺も長生きはするつもりだけど……言いたいのはそういう寿命じゃないかな。人間に用いられる言葉で表現しようとしたのが齟齬の原因だったかもね。俺が言いたいのは、使用期限だよ」

「使用期限……?」

「俺たちはいつまでイガラシたちに有効活用してもらえるか、ってこと。俺たちはチルドレンだから、並の人間よりも丈夫だし、頭の回転も速いだろうね。だけど、周りが一番ありがたがってるのはだ」自分の頭を指差して。「超科学技術オーバーテクノロジーな神の悪戯。先人たちの置き土産とコネクトする脳。空気清浄機の稼働も発電も俺たちの身体制御もなにからなにまでこなす驚愕の機能」

「…………」

「でも、それさえも先人たちの置き土産だよ。現代では超科学技術オーバーテクノロジー失われた技術ロストテクノロジー。今日か明日かはわからないけど、俺たちの中のこの機能が壊れたとき、それを直せるやつなんてどこにもいないんだよ。いや、もしかしたら、俺たちよりも、地球上にある全ての機械が壊れるほうが、先かもしれないね……でも、結局は同じさ。そうなったとき、俺たちの中に残されたのは、置き土産じゃなくて無用の長物。そこが俺たちの使用期限だ」


 インターネット・オブ・シングスを実現した社会でなら最強のようなその力も、退廃しきった社会ではなんの役にも立たない。


「……役立たずになるときが来たら、イガラシ首長は自分たちを捨てるかもって、イチルはそう思ってるの?」

「かもじゃない。捨てるよ。ちょっと体が丈夫なだけの子供を、予算を使ってまで育てる意味が、どこにあるのさ。知ってるでしょ、ジュリちゃん。トウキョウはお金がないんだ」


 イチルの言葉は、どこか嘲笑を帯びていた。

 たしかにイチルは行儀のよい少年だった。けれど、大人に対して素直で従順かと言えばそうではなくて、悪く言えば斜に構えているというか、よく言えば達観しているというか。まるで大人と対等になろうとするような、背伸びにも見たかわいらしさがあった。

 でも、あたしはいまになって思い改める。

 なんじゃない——イチルは周りを、いや、大人を、だと思ってるんだ。


「あいつらに使い潰される前に、いつ切り捨てられてもかまわないよう、ある程度の権力を持っておかなくちゃ。でないと、なにもできない、なんの意味もない子供が、この世界で生きていけるわけがない」


 自分たちの価値は《神の落とし子チルドレン》であることにしかない——そんなことをイチルが平然と言ってのけるのが、つらくて悲しかった。

 まだ少年というにふさわしいよわいで、それこそ宝探しをするように、楽しいことや面白いことを一つずつ拾いあげていくようなときなのに。それなのに、イチルは汚れた空の下で孤軍奮闘している。


「イチルが、そこまでする必要なんて、ないのに」


 だって、まだ子供なんだから、甘えたっていいはずだ。

 そういうつもりで言ったのに、イチルは顔を顰めた。


「俺は、みんなのお兄ちゃんだから」

「お兄ちゃんって、大して歳変わんないじゃない」

「ああ、そうだね、みんなより一年だけ早くに出産されただけの子供だ……ジュリちゃんなら、俺よりずっと上手にやれるんだろうね」


 どういう意味かわからず、あたしは目を瞬かせる。

 イチルは譫言うわごとのように言葉を続けた。


「ヨハクは俺がどんなに言っても弱気だったのに、ジュリちゃんの言葉でそういうことも減った。みんなが夜に寒がってるのだって知ってたのに、俺はなんにもできなかったよ。それだけじゃない、ミクロは、たまに俺の言うことだって聞かないし、闘ってるところを止めようものなら、こっちだって攻撃されることもある。でも、ジュリちゃんの言うことは聞くんだよ。お兄ちゃんぶってるだけで、俺だって子供で無力なんだって、言われなくてもわかってる。でも、したいんだ。なのに、できない」


 イチルは、自分の無力を嘆く顔をしていた。それでもイチルは笑った。そうするしかないとでもいうふうに。


「ジュリちゃんは俺ができなかったことをやったんだ。嫉妬するよ、ほんと」






——その後、あたしとイチルがどうやって皇居跡に戻ったのかは、正直のところ記憶がない。

 あたしたち以外はとっくに戻っていたし、たぶん、その後を追うようにして帰ったんだと思う。

 なんかもう、イチルに言われたことの全部に驚いて、いまだに放心してしまう。十三歳の男の子が、自分の将来をそんなふうに考えていることも、大人を心の底では信用していないこともそうだが、臨時の世話係シッターであるあたしを妬んでいるらしいことにも、とにかく驚愕してしまったのだ。

 でも、思慮深いイチルは、年下の子供たちのために前線に立っていて、彼らのことを誰よりも考えている。自分たちが生き抜くために、この世界を見据えている。

 あたしからしたら、自分だって子供じゃん、というところなのだが、彼からしたら、それも承知のうえで、自分の役目を奪われた、と錯覚したのかもしれない。

 おかげであたしは事あるごとにイチルの目が気になりはじめた。気まずいというかなんというか。子供たちと仲良くなりすぎると、イチルにとってはよくないんじゃないかとか、思うようになってしまった。

 けれど、ありがたいことに、ニィナだけでなく、最近はヨハクやミクロまで、なんとなくあたしに懐いてくれてるんだろうな、と感じることが増えたのだ。今だけはやめろ。イチルの視線が痛いんだよ。このクソガキども、わざととちゃうやろな。

 あたしは常にイチルの視線にはらはらしながら、彼らの相手をしていた。すると、その様子を気にかけてくれたゴローさんが、二人きりのときに話しかけてくれた。


「ジュリさん。昨日から、疲れているように見えますけど……大丈夫ですか? なにかありましたか?」


 イガラシ首長のいる執務室に向かう道すがらのことだった。イガラシ首長から話があるとかで、ゴローさん伝いに呼び出されたあたしは、彼と一緒に官邸へと向かっていた。


「えっと……こう、年頃の男の子の考えてることってわかんないもんなんだなあ、と思いまして」


 たぶんだけど、イチルはあたしに言ったようなことを、ゴローさんには言っていない。

 だから、あのとき漂ったイチルの思惑を言うことも、彼の葛藤を勝手に吹聴することもできなくて、あたしがこぼしたのは、上澄みも上澄みの、反応にも困るような言葉だった。

 しかし、ゴローさんは「チルドレンに手を焼いておられるようですね」と汲み取ってくれたのか、苦笑で返してくれた。


「すみません。臨時とはいえ仮にも世話係シッターが」

「お気になさらず。元はと言えば、イガラシ首長が無理に推したようなものですし……これまでの世話係シッターも彼らには手を焼いていました」

「そうでしょうね」あたしも苦笑する。「イチルに限ったことではありませんが、あの子たちって、妙に達観してるというか、見透かすようなことを言うじゃないですか。たまに、こっちがハッとさせられたり、びっくりしたりすることがあります」

「やんちゃ盛りのさかしらな子供たちですからね。言葉に詰まるのはよくわかります。特にヨハクは口が達者で……昨日は大変でした」


 ゴローさんはヨハクとお留守番していたんだった。

 そのことが申し訳なくて、思わず目を逸らす。話を変えよう。


「前の世話係シッターは、過労で倒れたんでしたっけ?」

「ええ。体力のある者を選んだのですが、さしものチルドレンにはついていけず。ジュリさんが来てくれて本当によかったです」

「毎日かすかな筋肉痛は感じてますよ。でも、チルドレンの世話なんて、一種の公共事業じゃないですか。多少しんどくても雇われたいってひとはたくさんいたんじゃないですか?」

「そうでもありませんよ」ゴローさんは肩を竦める。「ジュリさんはトウキョウの情勢に疎いでしょうし、実感もあまりわかないでしょうが……そもそも、チルドレンは、ですから」

「タブー……」


 先日、落伍社もミクロのことをそう呼んでいた。

 先人たちの遺した人間遺産。宇宙空間でおこなわれた実験により誕生した、驚異の子供たち。そのように囁かれてはいるものの、これまでトウキョウが大々的に彼らの存在を発表しなかったのは、現在では存在自体がタブーとされているからだ。

 禁忌培養児タブー

 人体実験という、非人道的で、倫理に背いた研究により、この世界に産み落とされた子供たち。


「当時は『神の落とし子チルドレン計画』と持て囃されたようですが、概念としては、人造人間に近いですからね。神工ニューロンで構成された脳は、通常の人間の発火スパイクとは、頻度もタイミングも違うと言われています。姿かたちや臓器こそ僕たちと同じ人間ですが、まったくの別種と捉えられても無理はない。この汚れた世界を生き抜くために生み出されたポスト・ヒューマンであり、その成功体が彼らなのですから」

「それは……チルドレンに対して否定的な派閥も存在するということですか?」

「うーん。否定するにも肯定するにも角が立つ、という感じでしょうか。あんまり関わりたくないというのが本音でしょうね。チルドレンについては、繊細な問題なんですよ」


 あたしの顔色が芳しくなかったのだろう。ゴローさんはフォローを入れてくれた。


「けれど、現状、イガラシ首長の指揮下で、チルドレンは世のため人のために働いてくれています。先人の目論見どおり、人類の希望の光です。ただ、そんな光など求めていない者もいるということです」

「たとえば落伍社とか?」

「彼らは厭世主義のデストルドーと思われがちですが、実のところは刹那快楽主義。どうせこんな世界は長くはもたないんだから、苦しいまま延命するよりは楽しく死のう、というわけです。穀倉の開放を求めているのもそのためですね。だからこそ、下手に希望を振りまくようなチルドレンという概念、存在が厭わしいんですよ」


 ゴローさんはチルドレンについて繊細な問題だなんて言っていたが、繊細なのは問題じゃなくて、彼らの心だ。

 世のため人のために働きながら、疎まれることもあるのだとしたら、イチルの胸中も道理だ。自分たちの立場を思えば、周りの大人なんて信じられないし、無事に明日を迎えられるかも不安だし、自分でどうにかしなければと思い詰めてしまうだろう。

——首長会議の議席とか穀倉の管理権とかくれたらいいのに。

 ずっと引っかかっていたことがある。それは、彼らと出会った、首長会議のあの日。一般的な礼儀と常識を持ち合わせているイチルが、会議の中に乱入するなんていう暴走を、見逃したりするだろうか。

 もし、あのときの乱入が、ただお遊びがヒートアップしすぎたからではなく、たとえば首長会議の出席、内容を知ることも、彼の中での目的だったからだとしたら。

 薄ら寒さを感じつつも、胸の奥が煮えたぎるような、どうしようもない思いに駆られる。もどかしさに、体中を掻き毟りたくなる。

 執務室の前についたあたしたちは、会話をやめる。ゴローさんが扉をノックすると、扉の向こうから「入れ」という声が聞こえた。

 ゴローさんが扉を開けると、デスクで書類仕事をこなすイガラシ首長がいた。中に入ると、「ゴローは下がっていいぞ」と告げられる。ゴローさんは一礼して、そのまま部屋を出た。

 あたしはイガラシ首長に促されるまま、デスクの前にある大きなソファーに腰かける。目の前にイガラシ首長が座るのかと思ったが、彼は自分のデスクの椅子に腰かけたままだった。


「急に呼び出してすまなかったな」

「いえ」

「たいそうな話ではない。ゴローから君の様子は聞いていたが、直接話す機会は少なかったからな。なんの準備もなく仕事を任せてしまった。君の近況の確認と、不自由はないかと改めて知っておきたかった」


 つまり、面談のようなものだろう。

 たしかにイガラシ首長には長いこと放置されたが、首長という職務がいかに過酷か、あたしも元オオサカ首長補佐として理解しているつもりだ。今回こうして時間を作ってくれたこと自体がありがたいし、きっとイガラシ首長も大変なのだろうな、と察している。

 気を遣っていただかなくとも、なにも不自由はしていない。

 不満ならば、少し、あるのだが。


「……ここに来てから、とてもよくしていただいているので、なにも不足はありません」あたしは言った。「子供たちのお世話は思ったよりも体力仕事ですし、はじめは右も左もわかりませんでしたが、最近はずいぶん慣れてきたように思います」

「そうか。いつだったか、医務室の医師を脅したと聞いたから、さぞかし不満が溜まっているのだろうと思っていたのだが、杞憂だったか」


 あっ、ちげえな、これ。

 あたしをねぎらうためでなく、叱るための面談だ。


「……すみません。あのときはここの勝手がわからず」

「いや、いい」意外にもイガラシ首長は笑った。「ヨハクが怪我をしたのを心配してのことだと聞いている。普通の人間なら、心配するに決まっている」


 普通の人間とは、どちらの意味でだろう。

 あたしが普通の人間だからか、彼らが普通の人間だったならか。


「お前なんて医者だと挑発したらしいな」

「いえ、その……」

「あれはたしかに医者だ。心配しなくていい」

「すみません、すみません」


 イガラシ首長は声に出しこそしなかったが、表情は完全に笑っていた。あたしが困る様はそれほど愉快か。しかし、トカゲ相手ならまだしも、出向先の上司に舐めた口を利けるほどの命知らずではない。あたしはからかわれているのを承知の上でされるがままになっていた。


医者の多くなった現代で、その皮肉はなかなかに愉快だが」


 しかし、聞きなれない言葉が聞こえたので、あたしは手を挙げた。


「あの……やぶ医者いしゃ、ってなんですか?」

「ああ。もう死語だったな」イガラシ首長は続ける。「昔は人の病を治す者をといい、それを出鱈目な方法で行う者や腕に信用ならない者をと言った。しかし、爆心期では、中途半端な知識しか持たない医者もどきでも、医者として崇められるようになった。いまでは藪医者から藪が取られ、真実知識のある医者にをつけるようになった。あさ医者いしゃの語源だな」

「へえ」


 純粋に面白い話だったので、あたしは関心を寄せた。それに気分をよくしたとは思わないが、イガラシ首長はさらに話を続けてくれた。


「では、何故、本物の医者を麻医者と呼ぶようになったかといえば、それは二つのことわざによる。一つは、藪の中の荊。もう一つは、麻の中の蓬」聞きなれない言葉の連続だったが、イガラシ首長は説明してくれた。「荊も麻も近頃はあまり見なくなったが、どちらも植物だ。藪の中で生えた荊は他の植物に邪魔されてまっすぐに伸びない。まっすぐに育つ麻に交じれば曲がりやすい蓬も曲がらない。この二つの諺において、藪は悪であり、麻は良いものとされる。藪の反対は麻ということだ。なので、よい医者が麻医者と呼ばれるようになった」

「面白いですね」

「このように、いまでは死語になっている言葉や、爆心期のあとから使われるようになった言葉は、山のようにあるぞ。驚いたのは、ゴローに〝転ばぬ先の杖〟と〝後悔先に立たず〟が通用しなかったことだな。先にあるのかないのかどっちなのかと聞かれた」

「どっちなんですか?」

「……ゴローも知らない言葉を君が知っているわけがなかったか」


 イガラシ首長は味わい深い顔でしみじみと言った。馬鹿にされたような気はしなくて、イガラシ首長はただ、知らないことを惜しむような、どこか悔やんでいるような、そんな表情をしていた。

 爆心期の只中を生き抜いた人は知識が豊富だ。当時の文明も文化も歴史も知っている。

 あたしは「あの、隕石落下メテオインパクトより前は、空や海が青かったって、本当ですか?」とイガラシ首長に尋ねた。


「空について言うなら、青というより水色か。千年も前なら真っ青だったろうが。海はその青さを映していた」

「水色が薄い青色なのは、当時の水がそんな色だったからですか?」

「私も専門的な学があるわけではないから、たしかなことは言えないが……水は本来わずかに青みがかっているらしい。プールに水を張るときなどがわかりやすかったな。底の色は真っ白いのに、何故か色が浮かびあがるんだ」


 イガラシ首長は懐かしむような顔をしたが、あたしにはわからない世界の話だった。だけど、それはかつてのこの世界のことなんだよなあ、と思う。

 インパクトの直後に比べれば、各地の学校体制も整いつつあるが、水泳の授業などは抹消されている。あたしはギリギリ学校に通えた世代だが、プール——というか、水の張られたプールを知らなかった。


「インパクトを経て、あらゆるものが消えていった。君が知らないというのも無理はない。純粋にこの世界の色数が減ったんだ」


 生まれてからずっと、あたしの見上げる空の色は、どんよりと汚れた色をしている。あたしはニィナの瞳を見て、はじめて、真っ青という色を知った。


「空の色だけではない。ほとんどの植物も死滅したことも大きい。かつては四季を誇ったこの島も、いまでは見る影もない。本来は、どの季節も色彩豊かだった。春になると、淡い薄桃色の花が満開に咲く。夏は青々と緑が茂り、秋は赤と黄が散り落ち、冬は白の雪化粧」

「賑やかですね……本に載った写真でなら見たことありますよ。ヨハクが植物図鑑を見せてくれたんです。絶滅した植物なんて、不思議というか、ファンタジーみたいでしたが」

「君たちにも見せてやりたいとは思うな。君たちは、春の訪れのもどかしさも、夏の訪れの眩しさも、秋の訪れの切なさも、冬の訪れの目まぐるしさも知らない」目を細める。「私もはっきりとは思い出せない。いまとなっては幸か不幸か、うっかり死に損なった老いぼれだが、その色を再び見ることなく死ぬというのは、寂しいものだ」


 イガラシ首長の齢はホッカイドウ首長と同じくらいだったか。爆心期より前ならまだまだでも、現代でいうと相当なお歳だ。それこそ、いつ死んだっておかしくはない。


「まだまだ死に損なってくださいよ、首長」

「ここまで足掻いたんだ。もう休ませてほしいところだが、そうもいかない。精々死ぬまで働くさ」イガラシ首長は笑った。「さて。雑談も多くなってきたところだが、私も多くは時間を取れない。君からはなにか相談事などはあるか?」


 なにも不自由は、不足はなかった。ただ、不満が少しあるだけで。

 いまなら、イガラシ首長もわかってくれるかも、と思い、あたしはついに相談することにした。


「……彼らには、もっと、彼らのことを見てくれる大人が、必要だと思います」


 あたしはイガラシ首長の目を見て話した。ガラシ首長は口を開かず、聞く態勢は取ってくれている。先を促されているような気がして、あたしは再び口を開く。


「あの子たちには、自分を見守ってくれる大人の存在が、圧倒的に足りない。もちろん、それが世話係シッターであるあたしの役目だとは思っています。でも、あの子たちはまだ幼くて、褒めてくれたり、叱ってくれたり、悲しんでくれたり、認めてくれたりする大人が、きっともっと必要です」

「……具体的には」

「具体的に、は……」先日のミクロのことを思い出したが、そこまで口を挟んでよいかわからず、数瞬、言い淀む。「いくらチルドレンとはいえ、危険な任務に就かせるのは、いかがなものでしょうか」

「あれはイチルが言いだしたことだ。チルドレンの養育のために予算を編むことに反発されるなら、いっそ自分たちを施策にすればいいと」

「あの子たちを学校に通わせようとは思わないのですか?」

「出産された時点で、あらゆる言語を駆使し、あらゆる演算をこなし、私の知らない知識すらその脳にあった子供たちだぞ? 学校へ通う必要などない。むしろ、通わせるほうが心配だ。あの怪力で他の子供たちに怪我でもさせたらどうする?」

「あの子たちだって怪我をする。いくら体が丈夫だからって、人間なんだから傷はつきます」

「そういう話をしているんじゃない」

「そういう話です」あたしは強く言った。「あたしが話しているのはそういうことなんです。もっと気にかけてください、あの子たちを。あの子たちはまだ子供で、それなのに、貴方のために……貴方の代わりに、任務をこなしているんです」


 あたしの言葉に、イガラシ首長は薄く目を見張った。こけた頬の上の鋭い双眸が、あっけを取られたように形を変える。


「……不満があるのは、私にだったか」


 イガラシ首長がそう呟いたのに、あたしはばつが悪くなって、しかし、視線を逸らすことはなかった。

 イガラシ首長はややあってから「善処する」と答えた。あたしは「具体的には?」と突っ返す。なにも返ってこなかったので、その具体例をあたしが提示した。


「働いてくれてありがとう、とか。重荷を背負わせてごめんなさい、とか。彼らが感謝や謝罪が苦手なのは、される機会が乏しいからです」

「……善処する。だが、やはり、私にできることには限りがある」


 あたしは眇めたが、イガラシ首長は「わかってくれ」とこぼした。


「私は節度を持ってあの子たちと関わる義務がある。たしかに、あの子たちは子供だ。だが、ただの子供ではない。己に力があることを理解し、そして、私に権力があることを理解している。私が彼らを受け入れるすぎると、彼らは錯覚してしまう」

「自分たちにも権力がある、と?」

「打算できるだけの思考力も判断力も、彼らにはある。そうなれば、力関係が覆る。十年先のことならばまだいいが……もしかしたらそれは近い将来かもしれない。人々を照らすにはあまりにも幼い希望が、最悪の形でこの世界を支配することになったとしたら?」


 イガラシ首長の言い分もわからなくはない。首長の立場なら、そのような問題にも繊細になってしまうはずだ。特にトウキョウは幾度となく解体と再編成を繰り返していて、いつの政権にも反対派がつきまとった。イガラシ首長は首長として、己の立場、そして、己の統治するトウキョウの、安寧のために考えている。


「私にはできないからこそ、予算を編み、君のような世話係シッターを雇うことにしたんだ。君の言う〝見守ってくれる大人〟であり、親のような存在」


 でも、あたしはあの子たちの親ではない。

 血の繋がりもなければ立場だって違う。

 あたしは、オオサカ首長補佐だったのを、無理矢理出向させられただけの、ただの臨時の世話係シッターでしかないのだ。


「君だからこそ響く言葉もある……彼らをもっと見ろと私に訴えた世話係シッターは、君が初めてだよ。ジュリ補佐」






 彼らをもっと見ろと訴えたのが、本当にあたしが初めてだとしたら、それはそれで問題があると思うのだが……しかし、イガラシ首長の言い分には得心する。

 あのゴローさんですら、チルドレンを人外的な子供だと思っているようだし、実際、彼らには人外的な能力があるのだ。

 ただ、そこに宿っているのがあどけない心で、未熟な精神で、誰かの庇護を受けるべきということを、忘れてしまっている。

 でも、あたしのそういう気持ちだって、イチルの心を忘れたものなのかもしれない、とも思った。イチルが無理をする必要はない、とあたしが言うと、彼は顔を顰めたのだから。

——なんて言ってあげるべきだったのか、ずっと考えていた。

 イチルが任務に携わるのも、他の四人を守りたいと思うのも、彼らのお兄ちゃんでいたがるのも、イチルが望んだことなのだ。イチルはしっかりしているから大人に流されて任務を負ったりはしないし、面倒見がよいから自分よりあとに生まれた子供たちがかわいいだろうし、優しいから甘やかすのだって得意だ。

 そんなことをしなくていい、じゃない。

 そんなことをイチルはしたかったのだ。

 ずっと、誰に言われずとも、していたのだ。


「イチル」


 夜。肌寒くて、蝋燭の光がぼんやりとあたたかい、そんな暗闇の刻に、あたしは五人の部屋へと足を運んだ。扉から部屋の中にいるイチルを手招きする。

 寝間着の上にジャケットを着こみ、あたしの編んだルームシューズを履いたイチルは、ずるりとしたブランケットを体に巻きつけたたまま、「なに?」とあたしのもとへ寄ってきた。


「ちょっとついて来て」

「いいけど……俺になにか用?」


 困惑するイチルの背後から、「逢引だ」「駆け落ちだ」と双子の声が聞こえる。呆れたあたしが「どこでそんな言葉覚えてくんのよ」と言うと、「覚えてねーよ」「生まれたときから知ってる」と返ってきた。頭の中に辞書でもあんのか。あたしは「意味知りながら使うなや」とツッコんだ。

 茶化す彼らを振り切って、あたしはイチルを自分の部屋まで連れてくる。イチルは真面目な顔で「えっ、本当に逢引?」と自らの口を塞いだ。小ボケをかますな。


「この前の話の続きよ」あたしは腕を組んだ。「さすがにあの子たちの前じゃ話せないでしょ」


 イチルは言った。自分たちには使用期限があって、それが来たら見捨てられると。だから、それまでに、見捨てられてもいいほどの、あるいは、見捨てられないほどの力が必要だと。


「……あれからあたしも考えてみたけど、正直、まだともとも言えないわ。イガラシ首長には、あたしも、なにも思わないわけでもないけど、根っからの悪人でも信頼できないひとでもない。あんたたちを見捨てるかもしれないし、見捨てないかもしれない。でも、万が一のためには、イチルの言うとおり、力はつけておいてもいいと思った」

「……そうだね」


 言われずとも、イチルだってわかっていることだ。だから、イチルは特に表情を変えず、頷くこともしなかった。あたしでも思いつくことなんて、イチルはとっくに思いつくして、考えつくしている。


「それと、あたしに嫉妬するっていうのは……わからん寄りのわかるって感じで、イチルからしたら、あたしのことはちょっと気に食わないかもね。あたしだって、散々あたしの言うことを無視してきたトカゲが、ぽっと出の臨時補佐の言うことを聞いてたら、ぶん殴りたくなるもの」

「ジュリちゃんの元上司だっけ」

「そう。いまごろなにしてるかな……真面目に仕事してくれてるといいけど。いや、してなかったらぶん殴るわ」

「どっちにしろ殴るんだ」

「そういう立場のやつだから」あたしは笑った。「あいつはちゃんとしてなきゃいけないのよ。だって首長だもん。イチルの言う、お兄ちゃんって立場と一緒。みんなから頼りにされる、みんなのまとめ役。昔っからの仲ってだけで、本来、あたしはあいつにこんな口利いちゃいけないんだ。でも、昔っからの仲だから響く言葉も、いっそ赤の他人に言われたほうが響く言葉もあんのよ」

「つまり……ずっとそばにいた俺の言葉より、ジュリちゃんの言葉のほうが、みんなには響いたってこと?」

「理解が早くて助かるわ。それと同様に、イチルでないと響かない言葉もある。あたしに褒められるのと、あんたに褒められるのとじゃ、あの子らの反応が段違いなんだからね」


 これは本当のことだ。ニィナもミクロもヨハクも、イチルに「すごい!」と言われたほうが嬉しそうにする。レーヨンに至っては、あたしとイチルに対しての口数さえ違う。最近はもはや、あたしってレーヨンに嫌われているのでは、とさえ思ってきた。ちょっとつらい。


「ていうか、ニィナやヨハクはともかく、ミクロは別にあたしに懐いてはいないでしょ。あのとき落伍社をぶちのめさなかったのだって、あたしの言うことを聞いたからってわけでもないと思うわよ」

「そんなことないよ」とイチル。「ダイマオウイカのときに、ヨハクがミクロに言いすぎてたのを、ジュリちゃんが庇ったでしょ。俺たちからしたら、自分の味方になってくれるってのは、普通に嬉しいよ」


 そういうことだろうけど、とあたしは笑った。

 でも、そういうことは、ずっとイチルがしてきたことなのだ。

 悪いことをしたら叱って、落ちこんでたら慰めて……あたしのそれをあの子たちが素直に受け止めて、喜んでくれたのも、イチルがこれまでがんばってきたからなのだ。

 あたしがここに来るよりも前から、ずっとみんなのそばにいて。それなのに、そんなことしなくてもいい、なんて、あまりに厚かましく、無粋な発言だった。後から口を出してくるなって思うのも道理だ。

 あたしが「ごめんね、イチル」とこぼすと、イチルは「え?」と目を瞬かせる。素っ頓狂な顔をするイチルへ、あたしは緩く笑った。


「とにかく。あたしのことなんて好きに妬んでいいけど、イチルはあたしのしたことを誰より先にやってたのよ。それはあたしが一番よく理解してるの」というわけで、とあたしは手を鳴らす。「ジュリ賞の受理! 授与ならぬ受理!」

「はい?」

「チャーンチャーンチャラーンラーンチャラララランランラーン」

「えっ、ちょ、なに?」

「チャラララランランラーンラーンチャーチャーチャーンチャチャーン」


 あたしはまともに聞いたこともないようなめでたい曲を口遊くちずさみながら、ポケットの中に隠し持っていたを取り出す。余った毛糸とリボンで作った、手編みのメダルバッジだ。あたしの口遊む曲が終わるころ、それは安全ピンによって、イチルのジャケットの胸元につけられていた。

 イチルはぽかんとした顔でそれを見つめる。ややあってから、おもむろにあたしを見上げ、口を開いた。


「なにこれ」

「ジュリ賞よ」

「なにそれ」

「よくがんばったね、っていうご褒美。どう?」

「どうって」

「嬉しい?」

「俺が嬉しくないって言ったらジュリちゃんどうするの」

「イチルが嬉しくなる方法を考えるかなあ。あたしはイチルをすごいって思ったから、褒めたいだけなんだよね」

「…………」

「イチルは、いいお兄ちゃんやってると思う。心配しなくても、ちゃんとできてるよ。純粋にすごいなって思うし、えらいよ」


 そう言って、イチルの茶けた頭を撫でてやった。ニィナの髪とはどこか違う。わずかに硬くて、でも、さらさらとした髪。男の子の髪って感じがする。このまま撫でつづけたら、機嫌を損ねてしまうかも。

 あたしはちらりとイチルの顔色を伺った。

 蝋燭の明かりに照らされた彼の顔は、たぶん、ちょっとだけ、赤くなっていた。

 それに気分がよくなって、今度は両手でわしゃわしゃと撫でまくる。さすがにイチルも「ちょっと」「やめて」と反抗して、あたしの両手首を掴んだ。でも、そこにはちっとも力が入っていなくて、それがなんだかかわいくて、あたしはイチルを抱きしめた。


「調子に乗りすぎ」


 さすがに突き飛ばされた。

 突き飛ばされたというか、追い返されただけだが、やりすぎは認めるので反省した。

 もうしません、というポーズのため、両手をポケットに突っ込む。

 抵抗するために手放したブランケットを、イチルは拾い、再び羽織った。イチルは五人の中でも一番の寒がりだから、夜は防寒具が欠かせないのだ。そんな自分を差し置いて、あの子たちのことを考えていたのだから、本当に、根っからのお兄ちゃんだ。

 どれくらいかが経って、イチルはあたしに言う。


「ジュリ賞、受理するよ」

「みんなに自慢しておいで」

「本当にみんな欲しがりそうなのがちょっとやだ」

「まだあたしに嫉妬してんの? いいじゃん、自慢し甲斐あって」

「そうじゃなくって」

「あたしに嫉妬するとか本当に不毛だから。ミクロにも言ってやって」

「えっ、ミクロ? ミクロもジュリちゃんに? なんで?」

「あー……」気づいてないんか、と悟って、あたしは濁す。「いや、いいわ。こういうのあんまり吹聴すべきじゃないもんね」

「またそうやって、俺は気づいてないことも自分は気づいてますってアピール? なんだかむかついちゃうなあ。教えてくれなきゃ、ゴローさんやイガラシに、ジュリちゃんと逢引したって吹聴するから」

「お前まじでやめろ洒落にならん」


 その夜——揚々と部屋を去るイチルをあたしが追い回し、その音を聞きつけた四人も加わり、どういうわけか鬼ごっこが始まってしまった。夜目の利くあの子たちは一切手加減も手抜きもしなかったが、イチルだけは手加減も手抜きもしてくれた。

 さすが、お兄ちゃんだ。

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