かぼちゃとロブスターだけで作るカルフォルニアの旅

戸部 アンソン

第1話 気が付きゃ尾行

麻のセーターは、チャコール。

ウールのグレーのジャケットを着た女。

肩幅にフィットしている。

身長154センチ、体重は60キロ。

使い捨ての男女兼用サイズの不織布マスクのせいで顔がよく見えない、ピアスもしていない。10番で染めているであろう長髪を、ワニクリップでまとめて留めたという感じである。一番印象に残ったのは、切りそろえてから半年は過ぎている太い眉。


眉毛を描かれた白い犬を思い出させる。


右側のかかとだけが少し潰れた黒っぽい革靴を履いていた。靴には、白っぽい粉状の痛みがある。


電車の中で見つけた。その女、「ケイ」と名付けて観察している私。


ケイは、小田急線経堂駅で降りて行った。ケイは長時間仕事をしている。

帰宅する頃にはくたびれてしまう仕事をしている女だ。体格のわりに動きは軽い。頭をぺこぺこ下げながら、人をかき分け、経堂駅の下りエスカレータに沈んでいく後ろ姿。


夜の21時をまわっていた。


やっと今、自分の仕事が終わって帰宅途中、ふとケイの職業はなんだろうか?と想像し始めて止まらなくなったので小説にしました。


自分と重ねてケイを脳内尾行している私。


ケイが依頼される仕事は、求人広告の文章とか不動産の物件紹介。

一番多いのが、グルメ記事。ときどき美容系の案件が入る。


ケイが文章を書き慣れているのことは、出だしの一文を読めばわかる。

誰にでも伝わるが、だれにでも書ける、個性のない文章を書く。

可処分所得、月額35万円をウロウロしてる。

給料は、上りもしないが大きく下がったこともない。


上司はいるが、もはや空気と認識して、言葉を交わす前後はかならず「深呼吸」をする。雇われてライターをやれているのも会社ありきだ。

その中の人とうまく折り合いをつける技術は自分で編み出すしかない。


今のところ「深呼吸は最強」。


ライターの仕事の内容は、毎週締め切りと月末締め切のものとを遅滞なく誤字なくこなす。最近はAIチェッカーで添削もしてくれる。


社内の人間関係に期待もない代わりに、気分が悪くなるような事案もない。仕事をすることには支障のない環境ができあがっている。


15年間同ような感じである。毎日ネタを探し文章にするための倉庫(フォルダ)に入れておく。通常はTwitterやネット記事や商品口コミを200個読んで、マジョリティの関心事を見つけておく。傾向と対策とは良い言葉だと思っている。フェイスブックに「いいね」をつけた記事から、性格や政党や宗教まで割り出せるという大がかりな調査論文を読んだことがある。「いいね」を作りだす方は、マジョリティがどこかを見つけなければならない。自分が好きか嫌いかとか自分が「いいね」と思うか思わないかなど考えたこともない。


賃貸マンションの2年更新の通知が来るたびに、もっと快適な住処すみかを探しておこうと思うのだが、ひと月もするとすっかり忘れる。通勤路に桜の花びらがビタっと張り付き、ハナミズキの白い輝き。

病室から美少女が人待ち顔で眺めていそうな風景に変わる。


 ケイはきっと言葉にかかわる仕事をして生きている。言葉が体にダメージを与えていることもわかっている。感情の処理は言葉で出来ることを知っているはず。でもそれは、仕事ではない。自分の感情の処理作業がお金に変わるステキな世界があるかもしれないが。ケイには無い。


顕在化していない感情が特にやっかいだ。

潜在的に持ち続けているネガティブな感情は、言葉という形にしたとたんに、軽薄なものに感じられる。とするとそんな軽薄なものに、肉体をさいなまれていたかと思うと、その時間は惜しい。


ケイさん「最近の読者傾向を観察しているのか?」と他部署の人からいきなり聞かれたとしよう。

こんな時は、「YESかNO」で答えればよいのだが、ケイは感情的になるのだ。

いのちを削るほどに消耗する。


文章が古いと言うのか?

最近の読者を知っているのか?

かかわりがあるのか?

そんなこと、読者が何か教えてくれたとでも言うのか?


ただ、長く同じコーナーをもっているという事実だけで古いと言っているのだろうと勝手に解釈をして怒り心頭なのである。深呼吸をして、自分の潜在的な意識、不勉強を指摘されて怒っている状況を自覚している。


ケイの怒りは周囲に理解できない。腹の中にたまる言語化できない被害者意識。

『マンネリと言われたくない、文章が古いと言われたくない』つまるところ歳をとってしまったことを取り消したい思いがある。


そんな日に、仕事でカリフォルニアの海岸の近くのレストランのロブスターの香辛料について1000文字の仕事が入る。取材に行くわけではない。


香辛料のことについて書けというオーダーなのだ。


まず、紀元前3000年から使われていたという胡椒粒の色は、チャコルで黒で赤で紫だ。


店内照明で陰影が増す仕掛けになっている。画家の目で見ると、もっと多くの色合いと彩度が加わる。色について書けるだけの情報を収集するところからはじめる。

画家の目だって色弱もいるかもしれない。黄色い色だけがうまく判別できない弱視もあるかもしれない。いったいその人たちにこの香辛料の色合いをどう説明したらよいのか。

たとえば化石層の色というとケイの中では濁った白と黄土色が混ざているが、グレーの地層と表現されている場合。


そのほかの伝えにくい空調や空気の感じ、レストランの室温が21度で制限されている口のあいた瓶が随所に置かれ湿度調整をしている。テーブルクロスは深い紅であるが昔の東京大学の図書館の絨毯の色のような。その例えではほとんどの人は想像できない。国会議事堂の絨毯の色に変えてみよう。


胡椒の実がトッピングされた、オマールロブスターの白に薄いクリーム色が混ざった色の身。

添えられた薄い卵色のソースには、アボカドとクリームチーズも混ぜられている。

オレンジ色に近い赤い甲羅を眺める。

ロブスターは脱皮のたびに内蔵も新しくなるらしい、皮膚だけでなく腸や肝臓を新規作成できるなんてロブスターにあやかりたい。


脱皮するエビを想像しているとウェイターが白ワインを注ぎにくる。

グラスは薄くて軽い。


夕日の筋が店内に伸びてくる、店内の照明がまた一段、落とされる。


「パンプキンディナー」と呼ばれる黄昏時のディナータイム。


夕日がさすころになると、室温25度に一気に上げて制限されるレストラン。

かぼちゃの中に入ったかのように暖かい。


 夕日の中に王城のように輝く、行ったこともないカリフォルニアのレストラン。

音楽はKAWAIピアノとパーカッションだけで作られた音、どこまでも軽やかで、全く癖がないBGM。


白ワインのコルクが数ミリ伸びた。

行ったこともないカリフォルニアの黄昏は、深みを帯びてくる。


店内はアルコールで気が大きくなった者たちであふれてくる。


笑いさざめき、チーズが伸びている。

ケイはこうして、かぼちゃ色の世界にいる。


音楽が転調したのを合図に、オリーブの塩オイル漬けが出てくる。

オリーブオイルの種を見た。


香辛料の記事を書くために収集した資料に添える写真を集めて終了。


明日、再度読み直して納品する


タイトルは、「かぼちゃとロブスターだけで作るカリフォルニアの旅」



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