マッチング

【八月十四日(日)】


 同窓会から一夜明け、お酒と食事で取ったカロリーを消費するために俺はジムに来ていた。運動を終えて風呂で垢と汗を洗い流したのだが、うだるような残暑の熱気の中で自転車を漕いで帰宅するうちに、さらなる汗でベトベトになってしまった。


 自宅まで十五分の暑さに負けた俺は、日差しが弱まるまで涼もうと近くのカフェに立ち寄った。


 商品の乗ったトレーを持ってカウンターに座り、リュックから読みかけのラノベを取り出す。しおりを挟んだページは約半分。これを読み終わる頃には日が傾いているはずだ。


 季節限定のフラペチーノをひと口吸い上げて甘みとコクらしきモノを味わいながら、ラノベを読み始めること一時間。トイレに立って戻ったところで、スマホに見慣れない通知があることに気が付いた。


『いいね!が届きました』


 いいね? いいね? いいね! マジかぁぁぁぁ!


 期待していたわけではなかったが、いざ『いいね』が届くと胸がドキドキと踊り出してしまう。昨夜はほろ酔い気分に乗っかって上限いっぱいの『いいね!』を送ったのだが、この時間までマッチングの通知などひとつとして届いていない。


 同窓会で会った友人の中でもビジュアルは負けてないという自己評価は、音もたてずに崩れようとしていたところ、ついに手応えがあったのだ。


 ん? ちょっと待てよ? 『マッチング』じゃなくて『いいね!』が届いたってことは、俺が送った人からじゃないってことか?


 残念感と期待感が入り混じる胸の鼓動を押さえて、俺はスマホをタップした。


「えっ?!」


 写し出されたその写真を見て俺がこんな言葉を漏らしてしまったのは、その子が元カノにそっくりだったからだ。


「髪の色と髪型を変えただけだろ」


 アイというハンドルネームの彼女の出身はニューヨーク。これだけでも身を引いてしまいたくなったのに、送られてきたメッセージに小さくない衝撃を受けた。


『ハルくん、初めまして。わたしはアイ。君の自己紹介を見て笑ってしまったので、どんな人なのか気になった。文才を感じるね。趣味のコミュニティーも共通点が多いから、きっと楽しく話せると思うな。是非最初の一歩を踏み出して欲しい』


 なんて攻めたメッセージだ。アメリカ生まれは伊達じゃない。


 これが文章から受けた彼女に対しての第一印象だった。だけど、それが嫌だとは思わない。それどころか逆に俺を強く惹き付けた。


 アイさんが書いていたとおり共通するコミュニティーも多く、その他のプロフィールを見ても現時点で彼女に非を打つべき点などない。唯一気になるのは元カノに瓜二つなことだ。


 アイツはこんなイタズラをしそうな奴だけど、それなら顔写真は変えるんじゃないだろうか? それにイタズラするよりも『ひさしぶり』とメッセージを送ってきそうなものだ。


 いろいろ思うところはあるが、こっちから送った『いいね!』は全滅なことを考えれば、これ以上の女性とそうそうマッチングできないであろうという弱気な気持ちが膨れ上がる。


 覚悟を決めてマッチングしようとするのだが、初めての『いいね!』に返すことに気後れしてしまう。なにごとにも初めてはあるもので、これはそのひとつだ。だけど、目に見えないプレッシャーに打ち勝てずにしばしスマホを見つめていた。


 押せ、押すんだ! 新たな出会いが欲しいんだろ?! そう自分に言い聞かせながら彼女のメッセージを読み直したことで、心の抵抗感が弱まっていくのを感じた。それは、この初回にもかかわらず礼儀のなさげな短い文章には、俺の心にするりと入ってくる妙な既視感があるからだ。俺にはそう感じた。


『最初の一歩を踏み出して欲しい』


 この一文に俺は背中を押され、これまで動かなかった指が表示されているボタンに触れる。


 ついに俺は出会い系の扉を開いて踏み込んだんだな。小説に書きそうな捻りのない一人称のモノローグから十数秒後、スマホが震えてメッセージがポップした。


『新着メッセージがあります』


 まさか、もう? と思ったとおり、アイさんからマッチングのお礼らしきメッセージが届いたのだ。


『最初の一歩を踏み出したのだね。素晴らしい! ここから君の幸せは再開されるんだ。共に頑張ろう!』


「マッチングしたらこんな感じのメッセージを送るもん? それに、再開ってなんだよ。俺の幸せはどこかで止まってたってことなのか?」


 カウンター席の横に人がいるにもかかわらず、俺はこんな言葉を漏らしてしまう。


 この日から、こういった不思議な言い回しをするアイさんとやり取りが始まる。最初こそ変わった人だと困惑したが、それはすぐに慣れて心地よささえ感じるようになった。出会い系の不安はあっという間に払拭されて、俺の毎日に楽しさが上乗せされた。

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