第46話 「大家さんによるシェアハウス講座」

8月15日



「ただいまー」


 もう夕方になる頃、大家さんの声が聞こえてきた。


 シェアハウス退去まで残り二日。


 今日も、いつも通りに朝早く起きて、いつも通り朝食でなめこの味噌汁を飲んで、いつも通り陽葵と並んで勉強をしていた。


 省吾くんは、キャンパスを持ってこの暑い空の下に出かけてしまった。佳乃さんは仕事中で、雅文さんはトレーニング中だ。


 俺もやることはいっぱいあったので退屈はしなかったが、あと二日しかないのに各々が別々のことをしているのがどこか寂しかった。


 そんなことを感じながら、もう一日が過ぎようとしたころ大家さんの声が聞こえてきたのだ。


「おかえりなさいです!」

「ただいまー、鈴木さんと陽葵ちゃんの退去もあったので戻ってきました、つむぎも挨拶したいって言ってたので今回もつれてきました」


 大家さんの後ろからつむぎちゃんが現れて、ペコっとこちらに頭を下げた。


「あれ? 皆さんは?」

「みんな、仕事とかで忙しそうですよー」

「あらー」


 俺が大家さんにそう言うと、大家さんは少し残念そうな声をあげて、紬ちゃんを連れてキッチンに向かっていった。


「あっ、私も手伝います!」


 陽葵もキッチンに向かうと、大家さんが陽葵の肩を押してすぐにこちらに戻ってきた。


「あと二日は家事は私がやるから陽葵ちゃんはくつろいでて」

「でも……」

「大丈夫だから陽葵ちゃん。紬にも手伝ってもらうしね。ほら、紬も陽葵おねえちゃんみたいに色々できるように頑張りなさい」


 少しだけ不満そうな紬ちゃんと一緒に大家さんが再びキッチンに向かっていった。


「な、なんか何もやらないと逆にそわそわするなぁ」

「気を遣ってくれたんだろ」


 そんな話をしていたら、紬ちゃんがキッチンからよたよたとお盆にお茶をもってやってきた。


「粗茶ですがどうぞ」


 旅館で出されるお茶みたいなことを紬ちゃんが言ってきた。


「紬ちゃんが入れてくれたの? ありがとう!」

「……お母さんに言われたとおりにやっただけなので」


 陽葵がお礼を言うと、紬ちゃんが照れくさそうにしていた。


「この度は、陽葵ちゃんにご飯とか家事をやっていただき本当に助かりました」


 大家さんが夕食の下準備を終えキッチンから戻ってくると、陽葵にぺこっと頭を下げてお礼を言っていった。


「いえいえ! 全部やりたくてやってただけなので!」

「今まで、ここに来る人ってなぜか家事とかできる人いなかったので……」

「あー……」


 大家さんが困り顔をうかべていた。


「ち、ちなみに陽葵がくるまでは今までご飯とかはどうしてたんですか?」


 興味本位で恐る恐る大家さんに聞いてみる。


「全部私が作り置きしてました。あとは冷凍とかそういうのばっかりで。佳乃さんが特に家事とかはからっきしなので困っちゃいまして。省吾さんと雅文さんも全然やる気ないですし」


 なんと、ここのシェアハウスのダメダメトリオ。

 今まではなんと全て大家さんに頼りっきりだったらしい。


「山菜とか取ってきても全然手をつけないし! すぐ食べられないものは冷蔵庫にあってもすぐ腐らせちゃうんですよ、あの人たち! たまーに雅文さんが何か作ってはくれてたみたいですけど」


 大家さんも、ここの食料事情には不満が溜まっていたらしい。

 いつもよりも口数が多くなっていた。


「ホント、陽葵ちゃんみたいな子がいてくれて助かってたんですけど、もう明後日には行ってしまわれるんですね」

「陽葵の夏休みの間って大分早いうちに決めていたので」


 あーあと大家さんが大きくうなだれていた。


つむぎがですね、陽葵ちゃんみたいになりたいって料理はじめたんです」


 大家さんが紬ちゃんのことを話すと、紬ちゃんがあわあわと目に見えて焦りはじめた。


「料理できると鈴木さんみたいに男の人が喜んでくれると思ったみたいで、お父さんに食べさせるんだって秘密で特訓してるんですよ。鈴木さんと陽葵ちゃんのおかげです」


 大家さんが嬉しそう目尻を下げていた。


「鈴木さん、ここに来たときに比べて随分すっきりした顔になりましたね」

「えっ? そうですか?」

「はい、表情が明るくなったというか。目に光が戻ったというか」


 気持ちのうえではそうだったけど、顔まで変わるものなのかな?

 大家さんの言っていることは正直よく分からなかった。


「ふふっ、陽葵ちゃんのおかげですかね。ここのシェアハウス初めてのカップル誕生ですよ!」


 相変わらず大家さんは恋バナになると、テンションが上がる。

 こういうところは紬ちゃんと似ているのかもしれない。


「何かの縁ですから結婚式は呼んでくださいね」

「まだ早いですって!!」

「まだってことは予定はあるんですね!」


 悪戯心満載で大家さんが俺のことをからかってくる。

 ここにきて大家さんの初めての表情が見れてしまった。


「ここのシェアハウスって誰かの助けになれればいいなぁと思ってオープンしたんですけど、鈴木さんとか陽葵ちゃんみたいに良い方向に向かってくれる人がこれからも増えると嬉しいなぁ」


 大家さんはそのまま、しみじみと話を続けた。


「シェアハウスってね、家族じゃない誰かと一緒に住んで、色んなものをシェアするのね。物だけじゃなくて気持ちの何かも。私も、この家の前の持ち主のかたに色んなものをシェアしてもらったの。それがあるから今の私があるって言っても不思議じゃないくらいに」


 俺たちはその話を真剣に聞いていた。

 というのも、大家さんがその話をしはじめると、目に涙を浮かべ、切ない表情をしていたからだ。

 大家さんの、このシェアハウスに対する並々ならぬ思いがひしひしと伝わってきた。


「その人みたいに、誰かの力になれればいいなぁと思ってここを始めたのね。鈴木さんと陽葵ちゃん見てると、やってて良かったなぁって思って。前の持ち主さんみたいに誰かの力になれたのかなぁと思えて。なんだか嬉しいな」


「……俺、本当にここに来て良かったと思ってます。本当にありがとうございます!」

「私も、春斗くんとここに来れて良かったと思ってます!」


 陽葵と二人で大家さんに心からのお礼を言う。


「どういたしまして。あと、二日もあるのに何だかしんみりしちゃったね。今日は皆さん忙しそうだから、明日はパーッとご馳走でも食べましょう!」


「おーー!!」

「ご馳走だって! やったね春斗くん!」


 それからもしばらく大家さんとお話をしていたが、大家さんはその間ずっと満足そうな満面の笑みをうかべていた。

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