第三章 「待ってあげなよ陽葵ちゃん」

第21話 「待ってろよ陽葵」

8月1日



みーんみんみんみんみんみん



 7月も終わり、新しい月がやってきた。

 今日もセミが鳴き、むしむしと暑くなりそうな朝だった。


 雲一つない青空が、今日はすごく気持ちがいい。


 月も変わり、心機一転するにはこの上なく良い天気だった。


 今日もブラック企業勤めの癖で早く起きてしまったのだが、昨日までとは違う俺になるためにあることを頑張ることにしたのだ!


「うぉおおおお! 待ってろよ陽葵ひまり! 必ず幸せにするからなーー!」

「春斗くん、全部声に出てるよぉ恥ずかしいよぉ……」


 キッチンにいる陽葵が朝食の準備をしながら恥ずかしそうに声をあげる。


「……なにやってんだお前ら?」


 そんなやり取りをしていたら、省吾くんと雅文さんが起きてきた。


「あっ、省吾くん! 雅文さん! おはようございます!」


 和室のテーブルに広がったテキストの山を見て、二人が呆れた様子で声をかけてくる。


「……それ、本棚にあったやつ?」

「そうなんですよ! 丁度いいのがあったので勉強することにしました!」


 一階の広めの通路には、いくつかの大きな本棚が並んでいた。

 漫画や小説、自己啓発本など多種多様な本があった。

 その中に、様々な資格のテキストがあったので、その中から役に立ちそうな資格を見繕って勉強することにしたのだ!


「お前って恐ろしいほど本当に単純だなぁ」

「今できることをやれって言ったのは、省吾くんと雅文さんですよっ!」

「……お前の性格がたまに本当に羨ましくなるわ」


 省吾くんと雅文さんが笑いながら、食卓につく。


「雅文、賭けようぜ。こいつの勉強とやらが何日持つか」

「……三日」

「じゃあ、俺一日な」


「……二人とも日数があまりにも短くないですか?」

 

 なにやら不本意な日数を賭けの材料にされ、少しだけむかっ腹が立つ。


 そんな俺の気持ちを代弁したのか、キッチンにいた陽葵オカンから思わぬ援護射撃が飛んできた。


「春斗くんはもっと頑張ってくれます!!」


 思ったよりも大きな声が陽葵から飛んできたので、二人ともびっくりして、


「「ごめんなさい」」


 と同時に謝っていた。 

  



※※※




「ショーゴとマサフミは何で正座してるんだ?」

「……なんとなく」


 それから少しすると、佳乃さんが起きてきた。

 背筋をピンと正座している二人を見て、佳乃さんが笑いながら二人に声をかける。


 陽葵の圧力プレッシャーに負けて、二人が大人しくしている。

 陽葵のこのシェアハウスでのヒエラルキーが、今まさに男性陣をゴボウ抜きにした瞬間であった。



「お~、ハルトは勉強してるのか」


 佳乃さんが興味深そうに俺が広げてるテキストをのぞき込む。


「簿記やってるのか懐かしいなぁ」

「簿記は邪魔にならないって聞いたときあるので! って懐かしい?」

「あそこの本棚にあるの私が持ってきたやつだからなぁ。簿記はお金の流れが分かるようになるから勉強して損はないぞー」

「えっ、あそこのテキスト全部佳乃さんのやつなんですか?」


 そのテキストは本当に色んなものがあった。

 簿記、TOEIC、ファイナンシャルプランナー、経理士等々。


 これ全部、佳乃さんがやっていたのやつなのか……。

 その量の多さにびっくりする。


「……ちなみに佳乃さんって何の仕事されてるかたなんですか?」


 そうなると当然、佳乃さんが何をしてる人なのか疑問が沸いてくる。

 佳乃さんの仕事について聞くチャンスだったので、率直にそのまま聞いてみることにした。


「あー、私か? 私は小さい会社経営してるんだ。田舎の空き家とか土地の斡旋する仕事だなぁ。ここの山奥付近の限界集落の空き家の斡旋とかもやってるから、ここのシェアハウスって割と丁度良くってさ」

「小さい会社を経営かぁ。——えっ、経営?」

「そうだぞ、社長さんだぞ!」


 えっへんと佳乃さんが大きな胸を前に突き出す。


「えぇええええ!?」

「春斗うるさい」


 急に大声を出したものだから、正座していた省吾くんにツッコミをくらう。


 それにしても社長さんとはびっくりした!

 佳乃さんの属性に“女社長”が新たに付け加わるっ!

 これはいい…これはとても良い響きですゾ。


「そこにあるのは私も教えられるから分からないことあったら聞いていいぞ」

「ホントですか!? 助かります!」


 佳乃さんが男らしく、こちらに親指をサムズアップさせて微笑んでいた。


 

 ——この時の俺は、キッチンにいる陽葵から漆黒のオーラが少し溢れ出てることに全然気づくことができなかった。

 



※※※




「いただきまーす!!」


 陽葵が用意した、朝食がテーブルの上に並んでいる。

 ご飯に漬物、海苔に鮭などの朝食の定番がずらっと並んでいた。

 そして、今日も当然のように“ヤツ”が顔を見せていた。


 ——ナメコ・ミソスープ選手、まさかの4日連続の登板。

 粘り強いと評判のナメコ選手もさすがに疲れが見える。


「どう? 春斗くんおいしい?」


 陽葵は、屈託ない笑顔で今日も俺に味噌汁の感想を求めてくる。


「お、おいしいよ」


 ちらっと、省吾くんと雅文さんに助けを求めて目をやる。

 省吾くんからは「お前が言え」というアイコンタクトが送られる。

 くそぅ……助け舟を求めたのに。


「ひ、陽葵」

「なーに?」

「そろそろ豆腐の味噌汁が飲みたいかも……」

「お豆腐かぁ、ちょうど冷蔵庫にあったから明日はお豆腐にするね!」

「サンキュー」


 さらば、なめこ。

 ようやくナメコ選手も休息が得られそうで、ひと安心する。

 ご機嫌で作っていた陽葵には、ちょっぴり申し訳ない気持ちになる。


「また、なめこも頼むな」

「うん!」


 一応、なめこ選手のフォローもしておく。

 できる男は各方面のフォローを忘れないのだ。


「ところで今日はみんな何するんだ?」


 ご飯をバクバクと豪快に食べていた佳乃さんが声を出すと、省吾くんと雅文さんがびくっっと過敏に反応する。


「あ、あねごは何するご予定で?」

「んー、私は今日は仕事しないとなぁ」

「じゃあ俺たちも大人しくしてないとなぁ」

「そっか」


 そんな佳乃さんの一言に、あからさまに胸をなでおろす省吾くんと雅文さん。

 そんなにお姉さまに振り回されるの嫌なのか……。

 別に俺は嫌いじゃないんだけどなぁ。


「陽葵は今日どうするんだ?」


 隣の陽葵にも今日の予定を聞いてみる。


「私も今日は勉強したいかなぁ」

「じゃ、俺も」


 月初めの今日はいつもと違って大人しく過ごせる予感がする朝だった。

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