番外編 前編
二度、三度深呼吸をした後、改めて目の前の鏡を見つめる。
そこには、可愛らしいワンピースに身を包んだ私の姿があった。
ここは、ショッピングモールの中にあるアパレルショップの試着室。しかも、いかにもイケてる女の子達がやってきそうなオシャレなところだ。
言っておくけど、オシャレなも可愛いのも、あくまでもお店や服の話。私自身は、服に着られているって言った方が正しいかもしれない。
それもそのはず。普段は服なんて、着れれば何でもいいと思っていて、まるで無頓着。
このワンピースだって、私が着てもいいのかと思っちゃう。
「どう、北条さん。準備できた?」
試着室のカーテンの向こう側から声がして、ハッと我に返る。
いけない。待たせていたんだ。
「うん。もう大丈夫」
サッとカーテンを開けると、そこには佐野君の姿があった。
どうして二人してこんなところに来ているのか。それには、こんな理由があった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私と佐野君が家族になり、さらには佐野君が『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』の作者リリィさんだとわかってから少し経ったある日のこと。
私は、カクヨムでリリィさんにコメントを送るのはもちろん、佐野君にも直接感想を伝えるようになっていた。
「今回もすっごく面白かった。理恵のピンチに駆けつける良介にキュンとしちゃった」
「よかった。もう少ししたら今やってる話は一旦区切りがついて、その後は二人のデートシーンを書くつもりなんだ。そこでは──」
「待って! そこから先は、公開された時の楽しみにとっておくから!」
佐野君と話していると、時々こうして先の展開を聞きそうになるけど、その度にストップをかけている。
そりゃ、これからどうなるのかはとっても気になるけど、ネタバレしちゃうとつまらないからね。
ちなみに、さっき私が言った理恵が、その小説のヒロイン。そして良介が、理恵の義兄になったヒーローポジションのキャラだ。
「あっ、ごめん。こんな風に作品のこと誰かに話すのって初めてだから、どうにも歯止めがきかなくなるんだ」
申し訳なさそうに謝る佐野君。でもネタバレはともかく、こうしてどんどん話ができるのは嬉しかった。
やっぱり、共通の話題があるのはいい。それも、大好きなものならなおさらだ。少し前までまともな話もできなかったのが嘘みたいだ。
その時、ふと、佐野君が小さく呟いた。
「だったら、これは相談しない方がいいかな……」
「なに?」
さっきも言ったように、ネタバレになるようなことなら、もちろんNG。だけど内容を話すだけなら、相談なんて言わないよね。いったいどういうこと?
「何か聞きたいことでもあるの? 少しくらいなら、いってもいいけど」
何も聞かずにスルーするには、あまりに意味深だ。好奇心に負けて、尋ねてみる。
佐野君は、ちょっとだけ迷ったあと、ゆっくりと話し始めた。
「えっと……さっき言った二人のデートシーンなんだけど、せっかくだから、理恵がいつもよりもオシャレして出かけるって展開にしたいんだ」
「いいじゃない。良介に可愛いところ見せたくて、どれがいいか迷ったり、似合っているよって言われてドキドキしたりするところ見たい!」
これくらいなら、ネタバレというより予告って感じだ。しかも、すっごく本番が楽しみなやつ。
まだ書き始めてもいないのに、今から読むのが楽しみだ。
だけど、佐野君はそこで少し顔を曇らせた。
「そこまではいいんだけどね。このままだと、ひとつ問題があるんだ」
「問題?」
「そういう展開になったら、どんな服を着たか、具体的にイメージできた方がいいと思うんだ。だけど俺、女の子の服なんて全然わからないから。今までだって、そういう描写はほとんど避けてた」
「そうだっけ?」
言われて、『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』の様々なシーンを思い出す。だけど確かに言われてみれば、具体的にどんな服を着ていたかなんて、書かれているのを見たい覚えはなかった気がする。
ついでに、メイクやってるシーンもない。別に絶対必要ってわけじゃないけど、こういうところは、やっぱり男の子なんだなって思う。
「じゃあ、どうするの?」
「オシャレしたって言葉だけで、実際にどんな服を着たかは書かずにすますしかないかな」
そうは言っても、佐野君の顔は曇ったままだ。やっぱり、どうせやるならより納得のいくものを書き上げたいんだと思う。
なんとかできないものかな。そう思っていると、佐野君はさらに何か言いかける。
「それで、その……もし北条さんがよければの話なんだけど…………」
「えっ、なに?」
言いにくいことなのか、少し喋ったところで口を紡ぐ。だけどここまで聞いたら、もう知らない顔なんてできないよ。
ぐっと詰め寄り次を促す私に向かって、佐野君は頭を下げながら言った。
「理恵の服どうすればいいか、北条さんの意見を聞かせてほしいんだ。できれば、実際に色々着たところを見せてほしい」
「ふぁっ!?」
思わず変な声が出てしまったのは、そのお願いがあまりに予想外だったからだ。
「実際に着る側である女の子の意見があった方がいいなって思ったんだけど、ダメかな?」
「それは……」
どうしよう。そりゃ私だって、それでより良い作品になるっていうなら協力したいし、せっかくこうしてお願いされているんだから、できれば断りたくはない。
だけど、ここで簡単にいいよとも言えなかった。
だって……
「私、オシャレやファッションなんて全然詳しくないんだけど」
自慢じゃないけど、オシャレなんてとんと無頓着。「なにそれ? 美味しいの?」状態だ。
だって、私の容姿は、ザ、平凡。わざわざが着飾ったって特別よくなるとは思えないし、見てくれる人なんて誰もいない。
そんな私が協力しても、力になんてなれるとは思えない。
「特別詳しいことを教えてほしいんじゃないんだ。だだ、どんな気持ちで選んでいるのかなとか、色々着てみて、似合うと思ったのがあったら参考にしたいとか思ったんだけど……ごめん。無理に頼むことじゃないよね」
佐野君は少しだけ食い下がるけど、すぐにその勢いは弱くなる。
一緒に暮らしてみてわかったけど、彼はどうにも、人に気を使いがちだ。もしかしたら、迷惑かもしれない、困らせるかもしれない。そんな風に思うと、とたんに引き下がろうとする。
それは断る上ではとてもありがたいのだけど、不思議なもので、そんな態度をとられたら、逆になんとかできないかと考えてしまう。
だって、ちょっとしょんぼりしながらごめんって言ってくるんだよ。決して狙ったわけじゃないだろうけど、こんなの、見てる人の心を撃ち抜くに決まってるじゃない。
「ねえ。本当に、詳しくなくても大丈夫なの?」
「ああ。理恵だって元々オシャレにはそんなに興味ないって設定だから、むしろその方がいいかも」
「センスが壊滅的で、クソダサイの選んでも大丈夫?」
「それは──ええと、それは、実際に見てから決めるかな」
大丈夫とは言わないんだね。けれどその選択しだいで理恵の服装が決まるかもしれないんだから、ダメならダメとちゃんと言ってくれるなら、むしろその方がいい。
「本当に役に立つかわからないし、時間の無駄になるかもしれないよ。それでもいいならやるけど、どうする?」
念を押すようにもう一度聞くと、佐野君は一瞬目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「ありがとう。それじゃ、協力してくれるかな」
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