第25話 愛情の是非(前編)
元傭兵の護衛ジェレミーを連れてアイヴィー嬢との対面を果たしたウィリアム子爵は、執務室へ戻る前に物陰へ身を潜めた。
「どうですか? 雇い主かどうか、確信はあります?」
アイヴィーがジェレミーたちを雇って竜の娘アビーを襲わせた証拠があれば、彼女を母国ヒルベニアへ送り返せるだろう。投獄までできずとも結婚の話はほぼなくなる。
「頷きたいところだが、あの小娘だとは断言できない。依頼主が高慢ちきなのはあの手紙に限ったことじゃないしな」
「特徴的な言い回しなどもありませんでしたか?」
「俺たちのところに来た紙には、こんな特徴の男が連れてる赤茶髪の小娘を襲えと言う指示しか書いてなかった。逆に、余計なことを書かないよう気をつけてたとも取れる」
「ふむ……」
ウィリアムは
「……ジム、手紙を見たら雇い主の文字かどうか判別できますか?」
「ああ、似てるかどうかくらいは」
「よし、俺
ウィリアムは王城内の私室へ戻ると手紙の中からアイヴィー嬢の名が記されたものを選別し、ジェレミーにだけ見せた。
「どうです?」
「こんな、丁寧な女らしい丸い字じゃなかった」
「そうですか」
(アイヴィー嬢以外にアビーを狙う者か……)
「手紙の文字には、どんな特徴がありましたか?」
「ええっとなんつうか、妙に字が上手いなと」
「妙に上手い? ……普通に上手いでもなく達筆でもなく?」
「あれは何て言うか……」
ジェレミーはウィリアムの
「強いて言うならあんたの字が一番似てる」
「ふん?」
「こういう、決まったクセがあって妙に滑らかな字だった」
ウィリアムは王の臣下の中では書類仕事ばかりしている。字の書き方は亡きオリヴァーに習った。オリヴァーはどんな文字なら他人が読みやすいか、またいかに自分がさっと書けるか考え抜いた独特の書き方を生み出していた。省略できる部分は省いてしまい、強調したいところは丁寧に書く。
(相手も宰相クラスの文官と言うことか?)
ブリタニアでもヒルベニアでも、旧王家の権力は大きい。宰相となる人物は本来なら旧王家のような大きな家から輩出される。
(仕事で文字を書き慣れている人物で、アイヴィー嬢と似た考えを持つ者……。そして直接兵士を動かせる者)
「……依頼主はアイヴィー嬢ではなく、その父親か」
「やっぱそうなるか?」
「推測が当たっていればですが……十中八九」
ジェレミーはううんと
「なら、お姫さんは兵士を動かしてない?」
「親にねだったのかもしれません」
「親子でグルなのか」
「ええ、生粋の貴族が取りそうな手段ではありますね」
ジェレミーはあくまで冷静に分析するウィリアムを見て、眉間にシワを寄せた。
「あんた、婚約者が襲われたってのにずいぶん落ち着いてるな」
「もちろん頭に来てますよ。しかし竜と言うのは
「自信満々だな」
「もちろん、俺の
ウィリアムは目を丸くするジェレミーに肩をすくめて笑ってみせた。
「
「
「半分は。なんと言うか、自信になるんです。相手の存在がね。気が大きくなるとでも言いましょうか。なるべく控えめにしますが」
ジェレミーはヘッと鼻で笑う。
「あんたの場合、自慢げに話すくらいでいいんじゃないか? ご令嬢がたに
「そう言うものですか?」
「なんでそこだけ鈍いんだよ……」
ウィリアムに明確な拒絶をされ、竜の娘アビーとの婚約が発表された今、ヒルベニアの姫アイヴィーはこれまで以上に焦っていた。
(大丈夫よ、まだ婚約段階なら
竜の
(もうなりふり構っていられないわ。何としてでもウィリアム卿を我が侯爵家へ迎えなければ……)
一方、ウィリアムは侯爵家からどうにかしてゆるがない罪の証拠を引きずり出せないかと考えていた。
(一番いいのは直接乗り込むことだ。暗炎の能力を取り戻した今ならヒルベニアへ乗り込むことが出来る)
ウィリアムが自覚していなかった暗炎の能力の一つに、岩や地面を通し別の場所へ移動できると言うものがあった。肉体に
(こっそりヒルベニアへ乗り込んで、情報を集めて戻ってくる程度のことなら出来るだろう。問題はこの作戦を誰かに話すか、話さないか。話すとしても誰と共有するか……)
ウィリアムが元円卓の騎士たちやほかの議員たちと政務をこなしながらそんなことを考えていたら、慌ただしく執務室の扉を叩く者があった。
「ウィリアム子爵へ
焦った兵士の声を聞いて、ウィリアムは思わず騎士たちと顔を見合わせた。
「何事ですか」
ウィリアムが扉越しに用件を聞くと、兵士はアイヴィー嬢が王城内のウィリアムの私室へ勝手に入ったと告げた。
「何ですって……?」
侯爵令嬢ならば、相手の許可なくプライベートな空間に入るなどは無礼なことだと教わっているはず。
いよいよ手段を選ばなくなったか、とウィリアムが覚悟して私室へ向かうと、赤毛の娘アイヴィーはウィリアムが使っているベッドのふちへ腰を下ろしていた。騎士たちの私室に至るまでは数々の衛兵がいるのに、なぜ彼女はここまで侵入できたのか。ウィリアムがチラリと向けた視線を受け取った衛兵は気まずそうに視線を逸らした。
(権力で
「……ご令嬢、このような場所へ勝手においでになられると困ります」
「わたくしたち、まだお互いを何も知らないと思いますわ」
アイヴィーは扇子の下でニコリと微笑んだ。アイヴィー嬢の周囲をそれとなく観察していたウィリアムは、常に彼女が連れている侍女の姿がないことに気付く。
(母国へ突き返されるかもしれないこんな時に単独行動をしたのか?)
「ねえウィリアム様、一度でよろしいの。ヒルベニアの我が侯爵家へいらしてくださらない?」
それは今のウィリアムにとって、願ってもない申し出だった。
(侯爵家へ正面から堂々と乗り込める。しかし、相手が万全な状態で俺を迎えるとすると不意打ちで逃げ出せる可能性は低い)
ウィリアムが返事を保留にしていると、アイヴィーはそれを動揺と受け取ったのか満足そうに微笑む。
「ウィリアム様。わたくしがどうやってここまでたどり着いたのか、方法を知りたいのではなくて?」
(確かに気にはなるが……)
「ウィリアム様」
アイヴィーは笑っているが、ここまで強気に出ると言うことは余裕がない証拠でもある。
(いや、これを好機と受け取ろう)
「のちほどお返事いたします」
アイヴィーは目をパッと見開いて、満足そうに細めるとベッドから立ち上がった。
アイヴィー嬢が部屋から遠く離れたのを確認し、ウィリアムは衛兵に声をかけた。
「一体何が? 仕事をしなかった訳ではないでしょう?」
「それが、我々が気付いた時にはご令嬢は部屋に入っていたんです」
「なに?」
「驚きました。内側からノックをされて声をかけられたんです。音も何もしませんでしたし、窓も開いておらず……。魔術でしょうか?」
(まるで王の影のようだな)
「……そうですか。わかりました。陛下には己の口で報告を申し上げるように」
「はっ!」
その日の晩。素っ気ない一枚着と黒いローブをまとったウィリアムは、フランク伯爵家へ外泊の断りを入れ、ガリアよりもさらに高い山の上にある竜たちの古い
「……覚えると便利だな」
その場所からさらに山を登ったウィリアムは、岩肌に開いた洞窟の前で立っている赤褐色の髪の少女を見て顔をほころばせた。
「アビー」
「お帰り」
ウィリアムが洞窟へ足を踏み入れると、苔むした大岩のごとき竜がどっしりと座っている。
「……お久しぶりです、竜よ」
「よく来たな、暗炎」
アビーの母はぐっと頭を下げてウィリアムの顔を見つめた。ウィリアムは彼女が撫でて欲しいと音にする前に自分から近寄り、ざらざらとした岩肌に優しく触れた。
「またお会いしましたね」
「よい顔になった」
「アビーのおかげです」
ウィリアムと岩竜の母が視線を向けるとアビーはうなずいた。
「あたしを人間風に呼ぶとアビーになるらしい」
「そうか」
母親は満足げに頭を持ち上げ、洞窟の奥を目で示した。
「あとは
「……
以前アビーは父親が亡くなっていることを
「卵を取り戻そうとして人に狩られてしまった」
「っ……」
ウィリアムの瞳が悲しげに揺れると、岩竜は
「最後は
「……そうですか」
「さあほら、もう寝なさい」
母竜に優しく背を押され、ウィリアムはアビーの手を取り洞窟の奥へと向かった。
鳥の羽や羊の毛、青い葉や鮮やかな花を集めて作られた竜の巣はウィリアムの体調を考えてのものだろう。彼が少女を見ると、アビーは珍しく頬を染めて顔をそらした。
「ね、寝床を作るのも
ウィリアムは可愛らしい婚約者にふっと微笑むと、彼女の手を取って二人一緒に寝床へ入った。
「アビー、ありがとう」
「う、うん」
アビーは恥じらいを隠せないのかもじもじとして落ち着かない。
「どうします? 普通に寝ますか? それとも」
「ね、寝よう! な! うん」
アビーは横になると丸くなった。
ウィリアムは婚約者を後ろから抱きしめて耳元で
「おやすみ、俺のアビー」
朝。ウィリアムは今までにないほど清々しい気分で体を起こした。となりで横たわる未来の花嫁は深く寝入っており、ウィリアムは彼女の頬に口付けを落とす。
ウィリアムはアビーを起こさないようにそっと寝床を抜け出した。洞窟の入り口へ向かうとアビーの母が日を浴びている。
「おはようございます、お
「ああ、おはよう。よく眠れたか?」
「ええ」
ウィリアムが物言いたげに見上げると、岩の竜は目を細めた。
「何か聞きたいのであろう?」
「はい、あなたにしか聞けないお話もあると思いまして」
「あの子のことで?」
「はい。それと彼女の父上の話も」
竜はふむと物思いにふけ、頭を地面に下ろして静かに考えた。
「どこから話すか……」
「では、アビーの年齢から。見た目通り子供ですか?」
すると意外そうに母竜は眉間を持ち上げた。
「あの子から聞いていないのか?」
「聞きそびれまして」
「そうか。人に変身しているが、見た目通りと思ってくれてよい」
(やはり人で言うなら十六歳くらいなのか……)
「実際の年齢は……」
「七つだ」
アビーがフランシス国王の娘ウィレミナ王女とほとんど同じ幼さだったために、ウィリアムは激しく動揺した。
「うぇっ!? え、うそっ?」
「竜の成年は十年だ」
「意外と早いんですね……!? 竜は長命なのでてっきり成年までかかるかと……あ、いやその」
ウィリアムはエヘンと咳払いをして思考を切り替える。
「で、ではお
「ふむ、気になるのか?」
「人に狩られたとあっては無関係ではないので」
「お主は人とは少し違うだろうに、妙なところで責任を持ちたがる」
母竜は
「あの子の父は、卵を盗まれる前に仲間と小競り合いをして怪我をしていてな。卵を取り戻そうとしてさらに怪我を負い、それが良くならなかったのだ。争った相手が魔法使いだったこともよくなかったが、時期が悪かったとも言えよう」
「……そうだったのですか」
「ああ。我は彼を
ウィリアムはベルナールの頃、岩の竜と出会った時のことを懐かしんだ。
「あの時は竜と初めて対峙するので、膝が震えました」
「ふむ? 肝が
「虚勢を張っていたんです」
「そうだったか。我はあの時、そなたの気の強さを気に入った」
竜の意外な言葉でウィリアムは目を丸くした。
「虚勢だったとしても、我のような古い竜を前にしてあれだけの態度でいられるならば大したものだ」
竜はふっと笑うように目を細めた。
「だからこそ、あの子の
古き時代を知る竜から真っ直ぐに褒められるとは思わず、ウィリアムは頬を赤く染めた。
「んんっ、そうですか。……ええと、ほかに聞きたいことは……」
照れ隠しに適当な話題を振ろうと思ったウィリアムは、竜ならばアイヴィーが使った謎の術のことを知っているかもしれないと思いついた。
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