第23話 再誕

 夢なのか現実なのかもわからない状況で、ウィリアムはゆっくり立ち上がった。

 目の前に広がっているのは岩だらけの海岸。人っこ一人いない状況で、彼は何をするべきかもわからない。

「……歩くか」

 口に出してみたものの、その判断が正しいかどうかもわからない。

 ウィリアムは伝令の服ではなく傭兵時代の黒いローブ姿だった。いつも腰にげているはずの聖剣も、旅のために持ってきた竜の盾もない。

(現実では無さそうだが、かと言って夢のように不可思議な情景でもない)

 サクサクと草を踏む音がする。短い草はわずかな岩の隙間から小さな葉を芽吹かせ、懸命に日光を得ようとしている。

 海岸まで向かうと、不思議な黒い塊がすり鉢状の穴の中に積み上がっていた。

 何とか歩いて海岸まで降りそれを確認すると、その黒いものは人の体のような形をしていて、穴の深いところへ向かってもぐっているようだった。

 ウィリアムは塊の中に懐かしい顔を見つけてぎょっとした。

「……母さん……?」

 それは己を九代目円卓の騎士の悪巧わるだくみから守って果てたはずの生みの母であった。あれはまだ幼い頃のことで顔なんて覚えていないと思っていたのに、彼女だとハッキリわかった。

「母さん、ここにいたの」

ウィリアムは母の髪にあたる部分をそっと撫でた。熊に襲われて死んだはずの母の表情は穏やかで、苦しそうには見えない。

「母さんの最期が穏やかだったんなら、よかった」

 ウィリアムが呟くと次の瞬間、母のように見えた黒い塊はただの溶けて流れた黒い岩になっていた。

「おやすみなさい、母さん」




 ウィリアムは竜たちの伝承にある暗炎のことを思い出しながら海辺を歩く。ゴツゴツとした岩が足の下にあり、それらは黒い。

(暗炎の故郷。なるほど、みんなここへ帰ってきてああやって岩になるのかな。俺もそうなんだろうか)

 小石の隙間に生えるわずかな草を踏みしめていると紺色の髪の少年が倒れていた。静かに近寄り抱き起こすと、少年は息も絶え絶えといった様子でウィリアムの色の違う瞳を見つめる。少年は両目とも紫の瞳だった。

「始祖さ……」

 少年はウィリアムの頬を撫で、満足したように息を止めた。

「……おかえり」

 ウィリアムは少年を抱き上げ、すり鉢状の穴にいる仲間の元へ連れていってやり、彼の亡骸なきがらを己の母の近くへそうっと置いた。


 直後、ふとウィリアムの頭上に影が落ちた。顔を上げると岩の竜が金の瞳を輝かせてたたずんでいた。

 ウィリアムは大岩のごとくそびえ立つ竜を見上げる。彼女は出会った瞬間から不思議な少女だった。幼いのに老いた賢者のように物知りで、人にはない潔さと自信、誇りがあった。その威風堂々いふうどうどうたる振る舞いがまぶしくて、美しかった。

(尊いとは、こう言う感情なのだろうか)

 ウィリアムが見つめ続けているとアビーは目を細めた。ウィリアムの体から、紫色の炎がふわりと舞い上がる。

「美しい。満ち足りた暗炎と言うものは本当に、伝承のごとく尊いものなのだな」

アビーもウィリアムと同じ感情を持って彼を見つめていた。

同じ想いで見つめ合う。それがどれだけ難しいことなのか、ウィリアムはよく理解していた。

「アビー、俺は……」

「あたしから言わせてくれ」

 巨竜は一つ呼吸をすると真っ直ぐにウィリアムを見つめた。

「あたしは以前から本能的につがいの存在を感じ取っていた。相手がビリー、あなただって知らずに。竜にとってつがいは絶対の存在なんだ。相手がどんな暴君でも、意地の悪い女でも、つがいを変えることは許されない。竜にとって絶対のおきてなんだ」

 竜の娘の声は震えていた。珍しく弱々しい態度を見せるアビーを見て、ウィリアムは目を見張った。

「あたしの父上と母上はうまくいってた。お互いを気遣うし、父上はまだ卵だったあたしにも優しかった。いい夫婦だ。でも……あたしのつがいが父上のように優しいとは限らない。だから今回の旅で、つがいに出会うことを予感していたけど、楽しみであると同時に怖かった。恐ろしい男だったらどうしよう? って。旅の最初に出会った男はハンスだったけど、あいつはつがいじゃなくて……。その後もどんな人かな、とか、どこで会うのかな? とか、考えながら旅をしてきた。そしたら、旅の目的であり命の恩人であるあなたがつがいなんだって感じるようになって……確証はなかったんだけど」

 彼女は誤魔化さない。人間のように我が身可愛さに仮面を被ったりしない。ウィリアム自身ですら生きるために、嘘なんていくらでもつくのに。

「母上と出会った場所で寂しそうな匂いを残す人。居場所がないから転々としている感じだった。でも王城に近付くほど寂しそうじゃなくなって、人に囲まれていて安心した。城に着いた時は、ビリーが倒れたって聞いて怖かった。お礼を言う前に死んじゃうんじゃないかって。泣き出したいのを我慢して、目を開けて欲しくてずっとそばにいたんだ。本当に、元気になってよかった」

 竜の娘は再び目を細めた。

「あたし、ウィリアムと一緒に長く土を踏みしめたい。同じ花を愛でて、優しく笑い合いたい。だから、あたしの伴侶はんりょになってほしい。同じ時間を生きるつがいになってほしい」

 アビーが言葉を終えてもウィリアムはすぐに答えを返せなかった。胸が詰まってしまって、苦しくて。

「ビリー……? どうしたの? 泣いてる?」

「アビー、俺は……」

「うん、ゆっくりでいいよ」

 ウィリアムはこぼれそうになる涙をこらえて、ぐっと喉を引き締めた。それから何とか、声を絞り出す。

「……俺は、家族を三回失いました。一度目は母、二度目は育ての父。三度目は、義兄弟。もし、次に家族を失ったら耐えられない。そう思って、気持ちを抑え込んできた。陛下も円卓の騎士たちも、義兄オリーの家族も大事だから……!」

 彼らもいつかいなくなる。そう思うと足がすくんだ。足の下で暗闇がわらって大口を開けているようだった。

「怖かった、怖かったんです……! 次に失うことなんて考えたくないのに足が震える! 大事なものが増えたら、その分失うのが恐ろしくて……」

 ウィリアムの左右で違う色の瞳からしずくが落ちた。

「俺は臆病です。己の心を守るために大切な人たちの気持ちから目を背けて、一線を引くのが精一杯だった。でも君は、俺に真っ直ぐぶつかってきた。俺がこばんでも内側に入り込んできた。それをわずらわしく思ったし、無遠慮だと思ったけど、心地よかった。嬉しかった」

ウィリアムは涙が落ちるまま頬を緩めて目を細めた。

「あなたが好きです。ブリタニアの宰相ウィリアムではなく、暗炎の生まれである俺をそのまま受け入れてくれる方。愛しています。あなたと家族になりたい。あなたを失ったら二度と立ち直れないとわかっているけど、この愛しさを止められない」

 アビーは彼の顔を見て、目を細めるとゆっくりかがんでウィリアムの右目に口付けた。

「嬉しい、ありがとう」

 アビーは満足げにウィリアムから口先を離した。

「竜とのちぎりは、相手の力をその身に宿すことでかなう。これでビリーはあたしのものだ。そしてあたしはビリーのものになった」

 ウィリアムの右目は竜の金色の瞳に、アビーの右目は炎を宿す紫色に変わる。

「この先、ビリーはあたしたちのように長く生きる」

「竜のような寿命に?」

「あなたが望むならね」

 岩の竜は満足そうに頷くと、大きく翼を広げた。

「あたしは一度故郷へ戻る。ビリーとちぎったことを母上へ知らせてくる」

「わかりました」

「何かあったらすぐ呼んで」

アビーは短く鳴くと巨体を持ち上げ空へ舞い上がった。

 ウィリアムは彼女がブリタニアを越えずっとずっと先の山へ向かう姿を、静かに見つめた。




 ランズエンドへ向かう途中、暗炎の末裔ウィリアムと竜の娘アビーが忽然こつぜんと姿を消した。

 アビーたちを襲ったヒルベニア兵の中に紛れ込んでいたフランシス国王のは、そのように二人の旅を報告した。

「消えた、とは?」

 玉座ではなく寝室で報告を聞くフランシスは、まだ早朝も早朝の肌寒い中、寝巻き一枚という姿だった。

「文字通り、突然消えました。竜の娘もろともです」

「どこかへ飛び去ったのではなく?」

「は、その場で急に姿が見えなくなりました」

 フランシスはベッドの上で起き上がった姿勢のまま静かにうなる。

失踪しっそうした原因に外部要因はありそうですか? 誘拐など」

「見たままであれば、さらった者は竜の娘でしょう」

「そうですか。……報告ご苦労、下がってよい」

 影は音もなく立ち去った。

 フランシスは一人で頭を抱え、重い腰を上げた。


 その日の執務室にて。ウィリアムが失踪しっそうした話は、元・十代目円卓の騎士たちとフランク伯爵にのみ話された。

「ローレンス公爵が一芝居打った可能性は?」

「影が直接いるのであり得ないでしょう」

「なぜ突然消えたのでしょう……? ウィリアム卿は、その、別にもう我々をうとんでいる訳ではないでしょうし……」

 ホレイス卿が自信なさげに言うと、周囲は気まずい空気になる。

「我々ではなくご令嬢に追い回されて世間が嫌になった?」

「おい、言うな」

「少なくとも、後継者がいるとは言え一言も告げずに宰相の立場を放り出す男ではありませんよ、彼は」

「わかりませんよ」

 フランシスの言葉を否定したのはほかでもない、ウィリアムの義弟フランク伯爵だった。

「フランク」

義兄上あにうえは散々言っておりました。そもそも自分は本来跡目を継ぐはずだったオリヴァー子爵の教えを私につぎ込むためのであって、それ以上でもそれ以下でもないと」

「それは私も聞いておりましたが、しかし」

「陛下のもとで仕事をするのもかつての恩を返すためだと」

「フランク伯爵」

「私の教育が終わって、宰相補佐をこなすようになり、肩の荷が降りたのでは?」

 フランクは自分で否定しておいて嫌な気分になった。義兄ウィリアムはいつもどこか寂しそうな背中をしていて、空気に溶けて消えてしまいそうだった。いつまでも“義理の兄”と呼ぶよう自分に言いつけていた。ウィリアムはオリヴァーのようにフランクと血が繋がっていないからと。

(私にとっての兄は、ウィリアム兄さんしかいないのに)

幼かったフランクには実兄オリヴァーに関する記憶や思い出はない。兄という存在の実感はウィリアムにしかない。

「別に構わないんですよ、兄上が仕事を放り出して好きな女と駆け落ちしても。幸せならそれで」

 フランクは元円卓の何人かから背中をぽんぽんと優しく叩かれた。義理の兄や父という点ではこの場にいる騎士たちも変わりない。顔を知らない父や兄の代わりにウィリアムと自分を導いてくれたのは彼らだ。

「フランク、今はまだ姿が消えたことしか分かりませんよ」

「ウィリアム兄さんは……真の意味で伯爵邸を家だと思っていなかったように思います」


「なら我が家が引き取っても問題あるまいな?」

 しんみりした空気を打ち破ったのは口ひげと自信たっぷりのローレンス公爵だった。公爵閣下は一応の姿勢としてフランシス国王に頭を下げたが、勝手に部屋に入ってきて話に割り込んだことから王への敬いはだいぶ薄い。

 ムッとしたフランク伯爵の表情を見て、ローレンス公爵はフンと鼻で笑う。

「公爵閣下、私はまだ呼んでおりませんよ」

「残念ですが陛下、この問題には我が家も関わっております。部外者扱いは困りますな? まあ陛下のことですからあの時のように、ウィリアム卿に関する話は一部以外には秘密にしたいのでしょうけれど」

 フランクは含みを持たせた言い方をしたローレンス公爵の顔とフランシス国王の顔を見る。

「あの時?」

「ウィリアム卿がそちらの伯爵家へ引き取られるまで、卿そのものの情報はほとんど伏せられていたのですよ」

「ウィリアム卿のことは、オリヴァー子爵直々に私が世話するよう遺言されていましたから。それにウィリアム卿は自ら望んで前伯爵夫人ローズ様のお子になりましたよ。それは間違いない事実です」

「フン。子供になってしまった暗炎を騎士にするなど、酔狂なことをしたものです」

「公爵閣下! 陛下に向かって言葉が過ぎますよ!」

 ベンジャミン卿から叱り飛ばされてもローレンスは物怖ものおじしなかった。

「ならば陛下が自らのお子としてお引き取りになればよろしかったのです。なのに家は前伯爵、事実上の世話は若かりし頃の陛下。これでは家がどこだかわからなくて不安になるのも当然です」

「ローレンス公爵、私が間違っていたとでも?」

王の決定を疑うということは謀反むほんにも等しかった時代。ローレンスは王たちにどう思われようとこればかりは譲らなかった。

「帰る家と世話役の家を一致させるべきでしたな」

「陛下! この者を手打ちにする許可を!」

「まあ落ち着いて。……ローレンス、あなたならどうしたと?」

「私は彼の父になってもよかったと、それだけの話です」

ローレンスは遠回しに、フランシスはウィリアムの父になる覚悟がなかったのだと示した。

「陛下はヒョロガリの子供を城の中で甘やかして何もさせずに可愛がる余裕もなかったと、民に示していたのですよ」

「ええい公爵閣下と言えどあんまりな物言い!」

 アダム卿が剣に手をかけた時だ。冷や汗をかいた衛兵が、さっと騎士たちの話題に割って入る。

「陛下、ローレンス公爵家の伝令が参りました。緊急のようです」

「……通しなさい」

 まだ肩で息をしているローレンス公爵家の伝令は、自らの主人と国王フランシスの前で膝を折った。

「ウィリアム卿が見つかりました」

「場所は?」

「ローレンス公爵閣下の屋敷の前です」

「保護はしたのか?」

「はい、すぐに」

「ならよい」

 ローレンスはフンと鼻を鳴らすとフランシスをにらんだ。

「私はウィリアム卿を優先して屋敷へ戻りますので、どうぞ皆さまはいくらでもご自由に議論なさっていてください」

 ローレンスが立ち去ると、フランシスは大きく溜め息をついた。

「長年執着されるなとは思っていましたが、ウィリアム卿に関する嫉妬しっとだったのですね……」

「陛下、ローレンス公爵の処分は……」

「彼の指摘はもっともですよ。確かにウィリアム卿を騎士にする必要はありませんでした。あれは私のワガママと言うかこだわりです。義理の兄弟であるオリヴァー卿と同じ立ち位置にしてあげたいと言うね」

 フランシスは一つ息を吐いて気分を切り替えると、王の身分を示すマントを脱いだ。

「私もローレンス公爵を追ってウィリアム卿の様子を見に行きます。ついてくる者は?」

 フランシスはさっと手を上げたベンジャミン公爵とホレイス男爵を引き連れて、急な旅支度を始めた。

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