第14話 暗炎と竜の買い物デート

 ウィリアムは朝起きると一番にアビーの元へ顔を出した。召使いにローズのドレスを着付けてもらった竜の少女は、朝一番に訪れてくれたつがいを笑顔で迎え入れる。

「おはようっ!」

「おはようございますアビー」

「あ、違った。おはようございますウィリアム卿」

アビーは挨拶をやり直してスカートのすそを持つ。

「家の中ですからそう厳密にしなくて大丈夫ですよ」

「いや、母君は普段の態度が出るから徹底しろと」

「それはまあ、確かに一理ありますが……」

「話し言葉もだんだん直せとおっしゃった」

 全部一度にと言うのは難しいからと、義母ローズは気遣ってくれたらしい。

(まあ、俺を育て上げた手腕は確かだしな……)

「そうですか。では淑女の教育は義母上ははうえにお任せするとして……今日は出かけましょう」

 アビーはきょとんとする。

「何故? ビリーは寝ていたほうがいい」

「私がいない間の王城が気になるので。今日は王の従者ではなく一人の騎士、いえ、民として街を歩きます。君も一緒に」

 外出へ誘うことが親睦しんぼくを深めることだとわからないアビーは首をかしげながらも、「ビリーがそうしたいんなら」と了承した。


 馬の散歩も兼ねてウィリアムは伯爵家から一頭借りた。これも本来ならウィリアムへの褒美として与えられていたが、彼は伯爵家あっての褒美だからと自分の物とは認めていない。

 アビーは竜の自分が馬に乗るという珍妙な状態になっているため最初は笑っていたが、だんだん腰が痛くなってきたのか渋い顔になっている。

「少し休みましょう」

「いや、いい」

 アビーはそう口にしながらムスッとしているのでウィリアムは手綱を引いた。

「意地を張らないで」

「ふん、おぬしに言われたくない」

 顔をのぞき込んでもアビーは疲れているのか口調がぶっきらぼうだった。ウィリアムは薄々気付いていたことを口に出してみる。

「アビー、君、普段は人間らしい喋り方を心がけていますね? そちらの喋り方が素でしょう?」

 ウィリアムは以前対峙たいじした岩竜の古風な喋り方を思い出していた。

「以前お会いした岩の竜は父上ですか? 母上ですか?」

「あれは母君だ」

「やっぱりそうですか」

彼女の母も男性かと思うほど最低限の話し方しかしなかった。おそらく竜は話し言葉に男女差が出ないのだろう。

「気楽な話し方で構いません。俺と君は……その、つがいなのでしょう?」

 ウィリアムは馬から降りてアビーに手を差し出した。

「今日は君とゆっくり話をしようと思って、二人きりになるために誘ったのです」

「なんだ、そうだったのか」

 アビーは言葉を飾るのをやめ、ウィリアムの腕にぴょんと飛び降りて地に降ろされるとぐーっと伸びをする。

「んんー! 体がこわばった」

「乗馬は初めてですか?」

「うん、旅をしていた時も乗らなかった」

 アビーは柔軟をして体をほぐすとウィリアムを見上げた。金の瞳は竜独特の輝きを放っている。

「旅をしてきたのですね。同行した人間はいました?」

「いた。奇跡使いのメスとよーへいのオス」

「そうでしたか。魔法使いの名を聞いても?」

「うーん、何だったか……。ああ、アニタ! アニタと言っていた」

「アニタですか」

女魔法使いにそんな名前はあっただろうかとウィリアムは記憶を探る。

「……魔法使いではなく魔術師かもしれないな……」

「ん?」

「魔法使いも、最近は力が弱いので魔術師と呼ばれる職に変わったのです」

「ああ、確かに奇跡のにおいは弱かった。ビリーと比べれば絶対にあのメス、じゃない女のほうが弱い」

「なるほど。その女魔術師は君に人間の少女らしい喋り方を教えてくれましたか?」

「何でわかった?」

「そうだろうな、と予想していました」

「そうか。うん、彼女から教わった。人間離れした話し方を子供がしていたら、まず人間は会話をしてくれないから、相手を油断させるためにも少女らしい喋り方をしろと」

「そうでしたか」

 女魔術師アニタのおかげでアビーはだんだん人間社会に慣れながら旅をしてきたようだ。

(いつか会ったら礼を言わなければ)

 ウィリアムは体をほぐしたアビーを招いてゆっくり歩き出す。

「馬には乗らないのか?」

「無理に乗馬をしなくてもいいと思います。このまま少し歩きましょう。城下に着く前に格好をつけるため、もう一度乗ります」

「そうか、わかった」

 ウィリアムは隣を歩くアビーの顔をチラチラうかがいながら歩みを進める。

「なに?」

「いえ、寝床を分けたら君は悲しそうだったので……」

つがいに拒絶されたら悲しい」

「す、すみません……」

 ウィリアムはハァと溜め息をついた。

「結婚するなんて一度も考えていなかったんです……」

「なぜ?」

「結婚すれば間違いなく子供を生めと周りに言われるでしょうし、暗炎の一族への差別は人の間ではまだあるんです。なくなった訳ではない。自分の子供が同じような目にったら嫌ですから」

 昨日と同じようなことを言えば、アビーの目が細められる。

「ビリーは家族思いだ」

「え、いや」

 話がだいぶ飛んだなと思っているとアビーはウィリアムの目を見る。

「まだいない子供に対してそう考えるのは愛情深い証拠だ。家族を大事にしたいんだな」

 ウィリアムはそう言う見方をしたのかと目を丸くした。

「大丈夫だ。ビリーと我の子なら我が守る」

「……俺と君が結婚する前提ですよね、それ」

つがいだから」

アビーの中では、いや竜にとってつがいと言うのは発覚した瞬間に確定となるようだ。

(君の中では絶対相手は俺なんですね……)

「どうした?」

「いえ、何でもありません」




 街へ着く前にウィリアムはアビーへ話し言葉を人間用に戻して欲しいことと、義母ローズに教わった淑女の仕草を心がけて欲しいと念を押して、城下町へと馬を進めた。

 顔見知りの門番たちに手を上げると彼らはすぐウィリアム卿だと気付いて門を開けてくれた。

 療養で領地に戻ったはずのウィリアム卿が顔を見せると街の者たちはあっという間に寄ってきた。

「先生! これうちで作ったパン! 持っていって!」

「先生見て! 編み物綺麗にできたんです、もらってください!」

 人々が口々にウィリアムを先生と呼ぶのでアビーは首をかしげた。

「せんせい?」

「ベルナールだった頃に人々に読み書きや計算を教えたことがあって、その影響で今でも先生と呼ばれるんです。先生と言うのは物事を教える立場の職業のことで……」

「先生! 安くするから寄っていって!」

「すみません、城へ顔を出すのでまた後で! あれはベルナールの功績であってウィリアムは先生じゃないのに……」

 ウィリアムは人に気付かれないようひっそり頭を抱えた。

 アビーは彼らの声が好意的だと理解できたのでウィリアムが困る意味がわからなかった。

「なぜ嫌がる? 彼らはビリーが好きなのに」

「彼らが嫌いな訳ではなくて……。俺はベルナールの頃の自分と今の自分を分けて考えたいんです」

「なぜ?」

「ベルナールは自分の命と引き換えに世界を呪ったんです。夢の中だけですけど。彼を肯定することは呪いを肯定することになってしまいます。それはフランシス国王への裏切りも同然です」

「……あたしはベルナールに助けられた。それも裏切りになるのか?」

 ウィリアムはアビーの顔を見てぎょっとした。彼女が静かに怒っていたから。

「恩に礼を返すのは当然だ。それは人間も同じじゃないのか?」

「そ、それはそうですが……ベルナールはれっきとした罪人で……」

「わかった、ビリーは自分を信じられないんだな?」

 アビーはフンと鼻を鳴らして胸を張った。

「あたしがビリーを信じるから、ビリーはあたしを信じればいい」

彼女はだいぶ無茶苦茶な理屈を言っている気がする。だがウィリアムは反論する気にならなかった。

(こうなると自信満々を通り越して高慢こうまんというか……)

「わかりました……もうそれでいいです……」

ウィリアムは大きく溜め息をついた。アビーは溜め息の理由がわからずに首をかしげた。


 ウィリアムは手土産をたっぷり持たされた状態で登城する。馬を馬番へ預け、広く長い廊下を歩いていると今夜の舞踏会のために訪れていた令嬢たちが嬉々としてウィリアムに近付く。

「ウィリアム卿! 体調はいかが?」

 聖剣を腰にげてはいるものの今日のウィリアムは私服だ。仕事中ではないからと令嬢たちは気安く話しかけてくる。ウィリアムはまた囲まれてしまったと思いながらいつもの仏頂面をする。

「ご機嫌よう皆さま」

「ねえウィリアム卿。アイヴィー様がフランク伯爵ではなくあなたをご指名だとご存知?」

 義弟おとうとから聞いたばかりの話をこんなすぐに令嬢たちが耳に入れているのはおかしい。大方、アイヴィー本人に吹き込まれてこの話をウィリアムへ持ち出すよう交渉したのだろう。

(高位貴族らしい。上の者から婚約話が出れば爵位の最下層である私が断れないと思っているな)

 ウィリアムが愛想笑いを作ると令嬢たちはパッと顔を赤らめる。

「その話はであるフランク伯爵からしていただいたばかりです」

「まあ、では」

「なぜあなた方がその話を先回りして聞いているのでしょうね?」

 令嬢たちはブリタニアの伯爵家とヒルベニアの旧王家の間でまだ確定していない婚約話を勝手に口にした。水面下で約束を取り付けてから表立って口約束と、書類を作らなければならない事を先回りすることは両家、両国への失礼にあたる。

 令嬢たちは己の頭で考える前にアイヴィーに言われるまま、彼女に利用されたのだとウィリアムの指摘で気付いてさっと顔を青くした。

「ち、違うのですわたくしたち……」

「アイヴィー様は他になんと?」

「え、ええと……」

 話を出してしまった令嬢はほかの乙女へ助け舟を乞うが、ライバルをお互い蹴落とすために容赦がない令嬢たちは目元だけ微笑んで黙って見ている。

(だから貴族の娘は嫌なんだ)

「あ、あのわたくしはこれで……ほほほ……ご機嫌よう……」

 恥をかいた令嬢はさーっと逃げ出した。下手なことを言うより懸命だ。

 ウィリアムは顔から愛想笑いを消して一瞬氷のような冷たい表情をする。令嬢たちはその表情を見て背筋を凍らせた。

「私もこれで」

「え、ええ……ご機嫌よう……」

「ご機嫌よう」


 アビーは苛立いらだった足取りでその場を離れるウィリアムを見上げる。

「どうした?」

「順番に説明します。まず、俺は一代限りの男爵です。この場合、あらゆる話は私自身より領主、家のおさであるフランクを通して了解を得てから私に話が来るようになっています」

「ふむ?」

「フランクが昨日私にしたばかりの話を、彼女たちがするのはダメなんです。まだ家同士で了解を取っていない状態ですから」

「うーん?」

伝わっていないなと感じたウィリアムは直接的な表現を持ち出す。

「……フランク伯爵は俺とつがいだと主張しているあなたのことを認識しています。あなたを無視して婚約話を進めるなんてあり得ない。なのにあの娘たちはさも、俺とアイヴィー様が婚約を進めている最中かのように口にしたんです」

「……あたしがいるのに別のメスがビリーとつがうつもりなのか?」

「そのつもりでしょう」

「横取りだ!」

 事態が飲み込めたアビーはぷんと頬を膨らませた。

「貴族の娘っていうのは自分勝手なんですよ。本来地位が低い俺の都合なんて全部無視なんです」

「なんだと!? ビリーとつがいたいのにビリーを無視する!? おかしい!」

「そのおかしいのが当たり前なんです、貴族のワガママ娘たちは」

「信じられん!」

 アビーもすっかり貴族子女に呆れてしまったようだ。

 城の執務室前に着いたウィリアムはしっと口の前で指を立てた。

「今の出来事は、君と私だけの秘密にしてください」

「わかった、言わない」

「君は物分かりが良くて助かります」

 ビリーの助けになっている。アビーはムフンと鼻を広げて胸を張った。

「当然だ。ビリーのつがいなのだから」

「フランク伯爵と挨拶をするのでそのあいだ静かに待っていてくださいね」

「わかった! 任せろ」




 ウィリアムは街でもらった土産を義弟おとうとと執務室の人員にお裾分けして、雑談のように業務連絡を済ませてさっと城を出た。

 本来の目的であるアビーとのデートをこなすため、彼は馬を引いて再び街へと戻った。

「竜の子は何が好きなんですか?」

「我々か? そうだな……木の実も好きだが、花が好きかな。美味いし」

「た、食べるんですか」

「いい土で育った花は甘いし、魔力の補給にも向いている」

「へええ、そう言うこと」

 ウィリアムは花屋を見つけると立ち寄ろうとアビーを誘う。

「食べる用でも見る用でも、好きな花を言ってくだされば買いますよ」

「花をかう」

 いまいち理解できていないようなのでウィリアムは鉢に入った花を指差す。

「大地から摘むだけでなく、人の手で花を育てたりするんです。花を育ててくれた者に対して対価であるお金を支払います」

「あなたが花を育ててくれたのか?」

 アビーに見つめられて花屋の主人は「ええ」と笑顔になる。

「そうか、ありがとう。とても甘い匂いのいい花だと思う。かうならこれがいい」

 アビーは綺麗に花弁を広げたカモミールを指差す。

「鉢でください」

「ありがとうございます」

 ウィリアムは買ったカモミールをアビーへ差し出す。

「私からあなたへのお礼です」

「礼?」

「看病をしてくれたでしょう?」

 アビーは珍しく戸惑った表情を見せる。

「ん、でもそれは、あたしがビリーに助けてもらったお礼の一つで……」

「嬉しかったんです」

 感謝の印だと言うとアビーはおどおどと花を受け取った。

「礼に礼を返しているとキリがない」

「確かに」

ウィリアムはふふっと笑う。

 花屋の主人は、普段は鉄面皮てつめんぴのウィリアム卿が微笑むなんて珍しい、と目を丸くした。

「帰りましょうか」

「花食べてもいい?」

「そ、それは二人きりになってからにしましょう……」

 アビーは花屋の主人に礼を言ってから馬の荷入れへ花を積んで、ウィリアムと共に去っていった。

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