第9話-1『円卓の終焉』

「ビリー行ったぞ!」

「あ゛ー!」

 大人の手の平ほどのボールが紺色の髪の少年の頭の上を通り過ぎ、少年は走ってボールを追いかける。

「ベンのバーカ! ノーコン!」

「お前がチビなのがいけないんだろ! さっさと背を伸ばせ!」

ビリーと呼ばれた紺色の髪の少年は戻ってくるとベンジャミンにボールを投げ返した。グローブでボールをキャッチしたベンジャミンは再びビリーにボールを投げる。

その様子をかたわらでフランシスが見守っていた。




 二年前。世界の崩壊後、円卓の騎士たちが気付くとそこは王宮のある一室で、尻もちをついたフランシスの腕には涙をらした十歳前後の暗炎あんえんの少年が抱かれていた。

空中に空いた暗い穴から突き出た黄金の鎧の腕は円卓の騎士を一人一人指差した。

「次にお前たち人類が奇跡の子をないがしろにすれば、我々は兵を差し向ける。。せいぜい世話をすることだな」

腕はそれっきり消えた。

ベッド脇の机の上にはリンゴ酒が置かれたまま。

騎士の一人が外を見れば世界樹は燃え尽きたように金の粉を振りきながら崩壊していき、崩れた大地はゆっくりと元の姿に戻っていった。


 神秘はより薄れ、奇跡を使える者はごく一部に絞られた結果あちこちで争いが起きた。奇跡で生計を立てていた者、特に魔法使い魔術師には大打撃で国はその対応に追われた。

第一王子フランシスは国王により混乱を招いた者として王位継承権を剥奪はくだつされ事実上の軟禁なんきんを受けたが聖剣エーススは気まぐれに持ち手を変えることはなく、結局はフランシスが表立って混乱を収めて回らなければならず次代じだいの王権は彼の元へ戻ってきた。


 フランシスは護衛に監視されている間に若返った暗炎あんえんの子の寝床へ足繁あししげく通った。

人名録じんめいろくというものがあってね」

 フランシスはベッドの上で膝を抱える少年に分厚い本を差し出した。

「人の名前にはそれぞれ意味があるから、君が気に入ったものにしよう」

少年は無気力に足元を見つめるだけで、しばらくはフランシスの手元すら見ようとしなかった。

フランシスは諦めず、それぞれの名前の由来を教えたり、少年の目の前で彼に似合いそうな名を書いて見せたりした。

 何日か過ぎて、少年は一通り示された中からウィリアムの名を指差した。

ウィリアムの名の由来は意志と兜。愛称はビリー。

かつてベルナールだった少年は忌々いまいましく思いながらも慣れ親しんだベルの名残りと、オリヴァーの愛称オリーに音が近いものを選んだ。

「これがいいのかい?」

「……うん」

「なら、君は今日からウィリアムだ」

フランシスが頭の上に手をかざしても少年は逃げなかった。

「よろしくウィリアム」


 ウィリアムの名を得た少年はフランシスと共にオリヴァーの生家せいかである伯爵邸へ向かった。

オリヴァーの母は一目でウィリアムがベルナールであったことを見抜き、震える唇を噛み締めて柔らかく微笑ほほえんだ。

貴方あなたがよかったら、うちの子になる?」

ビリーは目を見開いて、すぐに涙をあふれさせ伯爵夫人が広げた腕の中に飛び込んだ。

「名前を聞いてもいい?」

「……ウィリアムです」

「そう、ウィリアム。ビリーと呼んでもいい?」

「はい」

「ありがとうビリー、帰ってきてくれたのね。オリーも喜ぶわ。さ、フランクに挨拶をしましょう。それからお父さまの墓前にもね」


 ビリーことウィリアムは伯爵家の養子となり、フランクの義兄ぎけいとして再び教育を受けることになった。

ウィリアムはベルナールだった頃の記憶を持ち合わせており武闘と勉学においては円卓の騎士たちと渡り合えるほどだったが、子供らしさにおいては全くそなわっておらず、伯爵夫人はひたすらにウィリアムを甘やかした。

 ウィリアムが夫人を母と呼び本当に甘えられるようになるまでには半年を要した。この頃になると幼いフランクもウィリアムを兄と認識できたようで伯爵邸にはオリヴァーが生きていた頃のような笑い声が戻ってきた。

長く夫のふくしていた伯爵夫人もウィリアムを迎えた後は二人の息子のために黒いヴェールを取り去った。


 ウィリアムの頭脳は相変わらず人より一つ上に出ていた。王太子フランシスの従騎士となるため王子のお側付きとなったビリーは、未来の王の側近たちの話をそばで聞いては「あれはああでは?」「それはこうでは?」とこっそりフランシスに提言した。

王太子はもちろんのこと、最初はビリーを煙たがっていた側近たちも少年の有能さを認め、ついには一度ウィリアムに相談してから上司に報告するようになっていった。




 そうして二年。ウィリアムことビリーは円卓の騎士らとの親交を再び築くためキャッチボールをしていた。

召使いたちがお茶の準備を始めるとフランシスは椅子から立ち上がってビリーの元へ向かった。

「ビリー、そろそろ休憩しましょう」

「えー、もう一回やる」

「この前みたいにバテたら困るの君ですよ」

ビリーはぷくりと頬をふくらませるとベンジャミンに「休憩!」と叫んだ。

 騎士らが丸いテーブルを囲んでお茶を飲む間、ビリーは生クリームたっぷりのケーキで頬を目一杯ふくらませていた。




 第一王子フランシスはウィリアムの後見人こうけんにんとして年が離れた兄のように振る舞った。また日々ウィリアムの訓練にも付き合った。

社交界では一緒に夜会に顔を出し、貴族らにはクシール卿の親戚だと説明して回った。

無論、ウィリアムのことを根掘り葉掘り調べようとする無粋ぶすいな者もいたが円卓の騎士たちが総出で牽制けんせいすると力のない者たちは表向きは静かになった。




 まるでウィリアムの周囲が落ち着くのを待ったかのように隣国ガリアから宣戦布告がなされた。

簡潔にまとめれば「その土地は元々我々のものだったのだから返せ」と。

戦争というのは受ける側からすれば常に理不尽極まりないもので、ブリタニアは島国の地形を生かし防戦に徹した。

 世界が暗炎の子の夢から覚めて、奇跡は薄れる一方。魔法や魔術に頼ることが多かった両国は攻めあぐね、守りあぐね、戦争は半年も経たずにうやむやになった。

停戦の協定もないままだったが、両国とも疲弊ひへいする一方なので事実上は停戦となっていた。


 結局ガリアの狙いは何だったのか。王子も元・十代目円卓の騎士らも首を捻る中、ある日一人の人物が捕まった。鎧の意匠からするにガリアの下級兵らしいその男は、随分とせた頬をしていた。


「何事ですか?」

「申し訳ございません殿下……! 怪しい者が紫炎しえんさまを出せ、などと言って押し入り……」

 フランシスは懐かしい呼び名だと思いながらかたわらに立つウィリアムに振り返った。ウィリアムは子供らしからぬ重い表情をしており、王太子フランシスは己の背にウィリアムを隠す。

「捕らえたのですか?」

「はっ!」

「では牢へ入れておきなさい。後で向かいます」

「いいえ殿下」

王太子が振り向くとウィリアムは両の瞳で真っ直ぐ彼を見上げていた。

「長く捕らえておく必要はございません。いま向かいましょう」


 ウィリアムがそう言うならと王太子は予定をずらして牢へ向かった。狭い石の部屋で手足を縛られているのはにぶい銀色の甲冑を着た下級兵だった。

(報告通り、あれはガリアの鎧だが……)

囚われた兵士は紺の髪に紫の炎を灯した少年が姿を見せるとバッと顔を上げた。

紫炎しえんさま!」

ウィリアムは兵士には答えず、フランシスを見上げた。

「殿下。この者と二人きりで話を」

「私もいます」

フランシスは二度とウィリアムを一人にしないと決めた。

「……保護者としてですよ」

ウィリアムは切ない顔を見せてから、ぎゅっと唇を噛み締めうなずいた。

「かしこまりました、殿下」

ウィリアムの瞳がやっと己をとらえると兵士は身を乗り出す。

紫炎しえんさま……!」

「違います。あれは世界が見た夢です」

フランシスはあの時のことを聞かれたらそう申せと言い含めていた。ウィリアムには何の責任もないと。

「君が見たものも夢です」

「ですが俺はあの世界で貴方あなたと共に……!」

「俺は一人でした」

ウィリアムは淡々と言葉を続ける。

「誰も連れていません。俺は夢の中に引きこもっていただけだし、人は俺を追って安全とされる場所に逃げただけです。あの時迎えに来てくれたのは殿下だけでした」

ウィリアムはフランシスに振り向いてから再び視線を戻した。


「フランシス殿下は弱きを助ける真の勇者です」


ウィリアムはやっとあの時の女神の言葉を理解できた。

「殿下は自分がひどい仕打ちをされても諦めずに最後まで俺と向き合ってくださいました。自分の利益を考えるのではなく、俺と世界を失わないために。俺は子供でした。理解されないから自分の殻に閉じこもってしまえばよかった。あなたはどうですか?」

兵士はウィリアムの真っ直ぐな瞳から目をらせなかった。

「あなたも理解されないから、俺と一緒に閉じこもりたかっただけでしょう?」

「違います私は……! 俺は貴方あなたのために! 貴方あなたと共に!」

「俺は二度と殿下を裏切りません。帰る家を間違いません」

しかしウィリアムはきっぱりと断りながらもどこか哀しげだった。

「あなたも夢から覚めないと」

ウィリアムは小さな手をそっと伸ばして、兵士の頭を撫でた。


 ウィリアムの懸命けんめいな願いもあり夢の中で“紫炎しえんの導き教”の黄金騎士であったロビンは、その場での処刑はまぬがれた。騎士らが減刑の代わりにガリアの情報を寄越せと揺さぶると、ロビンは驚くほど素直に知っていることを吐いた。


「細かい作戦までは知りません」

 王子を含めた元・円卓が椅子に縛られたロビンを囲んで尋問じんもんするのは城の一室。ロビンはその場に同席するウィリアムをチラリと見た。

 いわく、ガリアの上層部がブリタニアへ何かを仕掛ける手立てを考えていたのは本当で、魔法使いがしょっちゅう玉の間への廊下を歩いていた。

その中には夢の中で“紫炎さま”と行動を共にしていた白いローブの魔法使いオズワルドもおり、ロビンは夢から覚めたあとオズワルドに接触を試みた。

「お前なぞ知らぬと門前払いされました。ですが……」

 あの夢の中でオズワルドは“もう失敗してしまった作戦だから”と得意げに話していたらしい。

「ブリタニアに竜の卵を持ち込んだのはガリアです。そして、人を魔物に変換する術を組んだそうです」

これには騎士たちも耳をうたがった。

「人を?」

「仕組みまでは口にしませんでした。ただ、人を混乱させるにはいい手だと。ブリタニアの城内で人々が魔物になれば円卓も泡を食うはずだ、と……」

ベルナールが聖剣を振るった時もそうだったのだろうか? とウィリアムとフランシスは顔を見合わせた。

「その作戦は実行されたのですか?」

「いえ、それは失敗したと……。発動するための魔力の供給源がどうとか、素材がどうとか小難しい話をされて……。ブリタニアで邪竜が出たと聞いてガリアは驚いていましたし……」

「ならあれは偶然だったと?」

「そのはずです」

「なるほど。……では、あなたは夢の中とはいえ作戦を知ったから国を追われた?」

「いえ。ですがそのくらいは予想できましたから……自ら逃げてきました」

「それが逃亡理由ですか」

「はい」

重い沈黙の後、ウィリアムがフランシスの顔を見上げた。発言したいのだろうと感じ取り、王太子はうなずいて許可する。

「持ち込まれた竜の卵は一つでしたか?」

「いえ……オズワルドが話すにはいくつかあったと」

「なるほど。他に竜に関わることで情報は?」

ロビンはウィリアムの顔をチラリと見た。

「……紫炎しえんさま」

「その呼び方を続けるならあなたの処刑に賛成、と一筆書き添えましょう」

ロビンは一度口をつぐみ、再び開く。

「魔法使いたちの真の狙いは貴方あなたでした」

ロビンはウィリアムが表情を変えずにじっと見ていると不安になったのか饒舌じょうぜつになる。

「竜の子を改造して貴方あなたに差し向けようと。暗炎が円卓内部にいるなら、迫害されている貴方あなたをどうにか出来れば円卓に隙が生まれると話していて」

ウィリアムは微動だにせずロビンを見つめる。ロビンはもっと不安になり矢継ぎ早に言葉をつなげる。

「竜が貴方あなたの言うことを聞いて山に帰ったのを彼らは知っていました! だから自分達の手札に竜の子がいれば影から操れるはずだと! 本当です!」

「……そうですか」

ウィリアムは淡々と返しフランシスを見上げた。

「リリーと出会う前にその作戦が決行されていたら俺は落ちていたかもしれません。無条件になついてくる相手が、誰も味方がいない俺に差し向けられていたら」

いま思えば、だからこそ女神エポナは精霊の子リリーとして姿を現したのだろう。ベルナールの話し相手として、他愛のない話ができるように。本当に孤立しないように。

(彼女も俺を見守っていたんだ……。今までのように知らずに守られていた。それを一人で生きていると思い込んで……)

「……可能性は高いですね」

「竜は俺を、いえ、暗炎をいていました。ガリアの魔法使いも知っていたのでしょう」

「竜が君を好く理由は?」

「それはわかりません。知っているのは竜が口にした“あの男の子孫”という言葉だけです」

「……そうですか……」

初めの円卓の騎士らと同じく、神に愛された暗炎の奇跡を宿した男。それがベルナールに繋がる者だったとして、彼は一体いつの時代の人物なのか見当すらつかない。

「そちらの観点から話を辿たどるのは困難そうですね」

「調べるとしても膨大ぼうだいな時間を要すると思われます」

「ふむ……」


 フランシスは話の切りがいいところでロビンとウィリアムを交互に見た。意味ありげな視線を受けたウィリアムは眉間にシワを寄せる。その表情がかつてベルナールだった頃と同じで、フランシスはふっと笑った。

「いえ、今後ロビンをどうしようかと思いまして」

ウィリアムは王子の言葉が意外だったのか目を丸くして他の騎士たちの顔も見た。

「確かに。捕虜ほりょとしての役割はほとんど果たしてくれましたし……今さら処刑と言うのも」

「ですが、解放と言うのもどうかと」

「そうですね」

「……ならばウィリアムの従者にしては?」

ウィリアムはロビンをチラリとも見ずに言い放つ。

「信者はりません」

今度は騎士たちが意外だと目を丸くした。

「その者がすでに主となる者に心酔しているなら、主従ではなく教祖と信者でしょう。違いますか?」

ウィリアムはかつてのように目を伏せた。

「重ねて申し上げますが信者はりません」

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