半殺し、親から殺す、皆殺し（書籍収録時：心配ご無用！ 呪いなんてありません）

リサと謎

　リサは僕（ぼく）の隣（となり）の席の女の子。

　浅葱色（あさぎいろ）というのだろうか、ターコイズブルーというのだろうか、吸（す）い込（こ）まれそうな瞳（ひとみ）に見つめられると僕の心臓（しんぞう）は調子（ちょうし）がおかしくなってしまう。初めてリサを見た時からそうだった。

　リサはイギリスで生まれて十二年間過（す）ごし、この八月末に日本にやってきて伯父（おじ）さんの家にお世話（せわ）になっているらしい。

　新学期（しんがっき）そうそうの席替（せきが）えで祈（いの）りが通じたのか、リサの席は僕の隣（となり）になった。しかもリサは一番後ろの窓際（まどぎわ）に座（すわ）っている。つまり僕の反対側（はんたいがわ）には誰（だれ）も居ない。わーお。

　さらに、あまり日本語が得意（とくい）ではないリサのサポートをする役（やく）をクラス担任（たんにん）の先生から仰（おお）せつかった。

　お陰（かげ）でなけなしの勇気（ゆうき）を振り絞（しば）ることなく、自然（しぜん）と話をする機会（きかい）が得られたというわけ。もしかすると一生分（いっしょうぶん）の幸運（こううん）を使っちゃったかもしれない。

　僕は名探偵（めいたんてい）シャーロック・ホームズに憧（あこが）れているけれど、女性嫌（じょせいぎら）いまで真似（まね）するつもりはなかった。そういう面ではホームズシリーズの作者（さくしゃ）の名前（なまえ）がついているマンガの主人公の方がお手本だ。

　リサは全（まった）く日本語を知らないわけじゃなく、小学校低学年ぐらいの言葉（ことば）は問題（もんだい）なかった。でも難（むずか）しい言葉は分からないし、同年代（どうねんだい）が当然（とうぜん）知っているマンガやゲーム、音楽（おんがく）の知識（ちしき）は乏（とぼ）しい。

　僕はウザがられない程度（ていど）に声をかけるようにした。

　今のところ良好（りょうこう）な関係（かんけい）は築（きず）けていると思う。

　ただ、僕の独占状態（どくせんじょうたい）は長くは続（つづ）かず、クールなリサはあっという間にクラスの人気者になり、休み時間には常（つね）に誰かがそばに居るようになった。

　九月半（なか）ばの月曜日に登校してきたリサはどことなく上（うわ）の空のように見える。人物観察（じんぶつかんさつ）は探偵の基本（きほん）だからそれぐらいはすぐ分かった。のべつ幕（まく）なしにリサのことを視線（しせん）で追いかけているわけじゃない。

　さすがに踏（ふ）み込みすぎるのは嫌（いや）がられるだろうといつも通りに接していると、昼休（ひるやす）みにその原因（げんいん）が明らかになった。

　リサは周囲（しゅうい）に群（む）れる女子に聞く。

「ねえ。呪（のろ）いって本当にあると思う？」

　リサは憂（うれ）い顔をしていた。いつもの澄（す）ました姿（すがた）も素敵（すてき）だけど、こんな表情（ひょうじょう）をされると守ってあげなくちゃという気分になってくる。

「急にどうしたの？」

　問われてリサが説明（せつめい）した。

　ちょっと前にホストファミリーがネットで配信（はいしん）されている映画（えいが）を見ていたそうだ。

　タイトルは『這（は）いよる』。結構（けっこう）話題（わだい）になっている作品だ。ショートムービー投稿（とうこう）アプリ上のとある動画（どうが）を見ると温厚（おんこう）なはずの人々が少しずつ攻撃的（こうげきてき）になっていくというサスペンスホラーもの。

　今をときめく実力派（じつりょくは）俳優（はいゆう）演じる可憐（かれん）なヒロインが目を見開（ひら）き絶叫（ぜっきょう）するシーンの予告編（よこくへん）は僕も見たことがある。

　作品中では少しずつ日常（にちじょう）の歯車（はぐるま）がずれて軋（きし）んでいく。派手（はで）に血しぶきが飛（と）ぶ場面（ばめん）なんかは無いのだけれど、背中をアリが這い回るような不快感（ふかいかん）と恐怖（きょうふ）がクセになるらしい。しかも配信されている動画には複数（ふくすう）のバージョンがあって、中には本物が入っているそうだ。

　本物を見た人は映画の登場人物（とうじょうじんぶつ）同様（どうよう）に少し挙動（きょどう）や発言（はつげん）がおかしくなるという都市伝説（としでんせつ）がまことしやかに流れていた。

　どこどこであった強盗事件（ごうとうじけん）の犯人（はんにん）が見ていたらしい、暴走（ぼうそう）した車のカーナビに『這いよる』の再生履歴（さいせいりれき）が残っていたなどなど。

　ちなみに僕はまだ見ていない。

　リサが説明を続けている。

「私はあまりこういうのは好きじゃなくて……」

　やっぱり僕とリサは気が合うようだ。

「私は途中（とちゅう）で見るのをやめちゃったので、最後まで見たのはホストファミリーだけなんだけど、それからちょっと……」

　リサは口ごもる。

「ねえねえ、どうなっちゃったの？」

　リサを囲んでいる女子の中のお調子者（ちょうしもの）が問い詰（つ）める。

「あのね……。伯父さんのファミリーがみんな殺すって言いだすのを聞いちゃって……。普段（ふだん）は絶対（ぜったい）に乱暴（らんぼう）な言葉遣（づか）いをしないのに」

　リサが困惑（こんわく）しながら、物騒（ぶっそう）な言葉を並べた。ハンゴロシ、オヤカラコロス、ミナゴロシ。

「うっそぉ。それってマジで本物のやつ？　いいなあ、うらやましい」

「やめときなよ。ヤバいじゃん。人殺（ごろ）しになっちゃうかも」

「リサの家、もしかしたら事件（じけん）になってテレビに出ちゃうんじゃない」

「そしたら私たちもインタビューされたりして」

　四人の女子が口々に甲高（かんだか）い声をあげた。

　不安をかきたてるか面白（おもしろ）がるばかりで、リサはますます表情が曇（くも）っていく。あーあ。なんかちょっと嫌（いや）な感じ。

　自分を取り囲（かこ）む女子の隙間（すきま）から助けを求めるようなリサと目が合った。

「ねえ、秋人（あきと）くん。『這いよる』って映画見た？」

　視線（しせん）が僕に集中（しゅうちゅう）する。

「見てない。でも原作（げんさく）は読んだ。それで、呪（のろ）いなんて無いと思うよ」

　僕の返事（へんじ）に不満（ふまん）そうな顔をする女子が二人。

「じゃあ、なんで急にみんなが殺（ころ）すとか言うようになったわけ？　普通（ふつう）はそんなこと言わないじゃん。おかしいでしょ？」

「そうだよ。あたしらはノリで言うことあるけど、大人は言わないよね」

「秋人ん家（ち）ってしょっちゅう殺すとか言ってんの？　ヤッバ」

「ちげーよ」

「じゃあ、どういうことか説明して見なさいよ。思いっきり笑（わら）ってあげるから」

　挑戦的（ちょうせん）に宣言（せんげん）する女子は無視（むし）してリサを見る。僕に向ける熱（あつ）いまなざしにこめられた期待（きたい）には応えなくっちゃ。将来（しょうらい）探偵になるために詰（つ）め込んだ知識（ちしき）がこんな形で役に立つとは思わなかったけど。