三十話 彼の本音
俺は走っていた。廊下に貼られた「走るな」の張り紙も激怒する勢いで走っていたのだ。向かうはもちろん、木皿儀がいるだろう裏庭。昼休みが終わるまであと僅か。もしかしたらいないかもしれないけれど、勝手な決めつけで約束を破る訳には行かない。
今はただ、裏庭に向かうことだけを考えろ。いなかったらいなかったで、その時考えればいいだけだ。
「……」
裏庭に着くといた。いつものベンチに座りながら漏れ出ている不機嫌オーラを隠そうともしていない木皿儀の姿が。
この時点で背中に冷や汗が流れる程度には恐怖を感じて仕方ないのだが、自分が招いた結果なので逃げる訳には行かない。
恐る恐る近付いて行くと、その足音に気付いたのか木皿儀が顔を上げこちらを見た。その際、バッチリ視線が合い、もの凄く強く睨まれた。出来ることなら逸らしたかったが、逸らしたら逸らしたで、どうなるか分かったものじゃないので、時間経過、近付く度に増える恐怖に蓋をしながら木皿儀の元へ行く。
「……遅い」
少しの間の後、木皿儀は肘置きを指先で規則的に叩きながらそう言った。てっきりボロカスに言われると思っていたので、その一言は正直、拍子抜けだった。
「悪い」
そう頭を下げたが最後、俺は完全に上げるタイミングを見失った。木皿儀が何も言わなくなったのだ。うんともすんとも呼吸の音すら聞こえない。
自分の判断で顔を上げようにも、それは何か違う気がして上げられない。
「……一応理由くらいは聞いておくわ」
首と腰が悲鳴を上げ始めた辺りでようやく木皿儀は口を開く。顔を上げると明後日の方角を見ている木皿儀が目に入る。
俺を視界にすら入れたくない、そんな気概を感じてしょうがない。
「実は~……」
一人勝手に沈みながら今までのことをかいつまんで話す。
「~……ということがあって」
「……はぁ」
全てを聞き終えた木皿儀の第一声はそんな呆れ交じりのため息だった。重く深くどこまでも諦め交じりにのそんなため息。
「そうならそうと連絡の一つくらいよこしたらどうなの?」
「よこそうとは思ったんだけど……」
「だけど?」
木皿儀は俺を睨みながらそう聞き返す。まるで、もししょうもないことだったら許さない、と言われているようだった。
「俺、連絡先持ってない」
「……そういえばそうだったわね」
何度かの瞬きの後、髪をかき上げながら木皿儀はそう言う。
「まあ、いいわ。連絡先は後で交換しましょう。もう時間もないし、今はお弁当を食べるのが先よ」
先ほどまでとは打って変わっていつもの声音。許された、と受け取っていいのか。木皿儀の表情を伺う限りはさっきまでの雰囲気は感じないのでひとまずそう思っておくことにする。
「ちなみに許した訳じゃないから」
「……」
そうですよね、知ってた。
「散々待たされたのよ?謝罪一つでそう簡単に許す訳がないじゃない」
過程はどうあれ待たせたのは紛れもない事実だしそんな簡単に許されるとは思っていなかったけど、そうなって来るといよいよ打つ手がなくなる。可能なら許して欲しいところだけど、謝る以外で俺に出来ることって何だ?
「許して欲しい?」
「出来ることならな」
「そう。なら、私の言うこと聞いてくれるわよね?」
その問いに対して俺に残されている選択肢は、首を縦に振る以外にない。
「とりあえず座ったらどうかしら?」
俺の頷きを確認し木皿儀は自身の隣を叩く。
「ああ」
言われた通りに座る。いつもの距離感だ。
「まずははいこれ」
言いながら弁当箱を渡して来る。受け取り膝の上に置くと木皿儀は首を傾げて見せた。
「食べないの?」
「いいのか?」
「いいも何もあなたの分よ?」
「そうだったな」
蓋を開けて手を合わせる。
「いただきます」
味はいつもと変わらず美味しい。
「どう?食堂のより美味しいでしょ?」
「……悪かったから根に持つの止めてくれ」
あの発言は正直、失言だったと後になって思った。
「ふふっ、何のことかしら私はただ、味の感想を聞いただけよ」
からかっているのが丸わかりのその態度に渇いた苦笑を返す。
「ごちそうさま」
走ったせいか思いのほか空腹だったらしく、完食するまでにそう時間はかからなかった。手を合わせ蓋を閉め包みに戻す。不器用故、完璧とはほど遠い仕上がりになったが、まあ、どうせ持って帰って洗うのは俺なので、そこまで気にはならない。
「お粗末様」
木皿儀のどこか嬉しそうな笑みを横目に映しながら視線を下げる。女々しく、ねちねちとしつこいのは承知の上だが、どうにも罪悪感と言うかが拭えなかった。待たせたこともそうだが、やはり一番気掛かりなのは今朝のこと。
木皿儀のあの表情と声音の意味が気になってしょうがなかった。
「食べ終わったところで、私の言うことを聞いて貰うわよ」
「え……」
理解の外側から来た言葉に顔を上げ木皿儀を見る。
「あら、もしかしてこれが命令だと思った?何を勘違いしていたのかは知らないけれど、あなたにやってもらうことは別にあるわ」
「……分かってるよ」
俺も正直、木皿儀の命令にしては内容が薄いと思っていたところだ。それにこんなことで木皿儀の機嫌が治る訳ないと言うのは誰よりも俺が一番分かっている。
「早速……の前に一つ言いたいことがあるわ」
一段階下がった声音が耳に届く。
「この関係が終わった後のことよ。今朝、あなたは互いの為、と言ったわよね?それはどういう意味か聞いてもいいかしら?」
「……」
身構えていたとしてもいざ聞かれると答えるのに困るな。俺は頭をガシガシと掻きながら目を逸らしつつ口を開く。
「……この関係が終わった後もお前に迷惑をかけるのが嫌なんだよ」
「それってお弁当のことかしら?あれならそこまで大変じゃないからあなたが心配することでもないわよ、ということで話が付いたはずだけど」
「そうじゃないんだ。ただ、これはやっぱり俺のわがままなんだ」
「話の着地点が見えないわね。つまり何が言いたいの?」
「俺といるとお前の評価が下がっていく。それが嫌なんだよ」
「周りに誤解を与えるということならそれも話がついているはずよ」
違うよ木皿儀。俺が言いたいのはそんな簡単なことじゃないんだ。今朝の雑踏の中、俺は確かに聞いた聞こえてしまったのだ。
「お前を慕って尊敬してこの学園に来た人に申し訳が立たないんだ」
何もない俺とは違い木皿儀には主席候補に選ばれるだけの実力と人に憧れを抱かせるだけの魅力がある。これは海世も同様にだ。
多くの後輩が木皿儀にないしは海世に憧れこの学園に来たとしたら?それだけで二人には剣士として同時に人として大いに価値がある。
そんな木皿儀の価値を俺と言う凡人のせいで無闇矢鱈に下げたくはない。今まだ軽症だけど、このまま時間が経っていけば、そのうち木皿儀に対する憧れは薄れ、出所の分からない悪い噂が独り歩きするかも知れない。絶対はない、けど、絶対ないとも言い切れない。
俺のせいで開き始めた傷をこれ以上、重症化させる訳には行かない。だから俺はああ言ったのだ。「ただのクラスメイトに戻るだけ」と。「早くこの関係を終わらせたい」そう聞こえていたのならそれに間違いはないだろう。
けど、それは別に悪い意味で、ではない。むしろ互いに特に木皿儀に徳のあることだった。
「お前がどうかは知らないけど、この学園には一定数、お前に憧れを抱いている人がいる。そういう人たちからの憧れと期待をお前から奪いたくはないんだ。だから「ただのクラスメイトに戻るだけ」俺はそう言った。俺の為なんかじゃない、これは紛れもなく木皿儀の為なんだ」
ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情に乗せ思い付いたまま言葉のままに言い放つ。正直、まともに言葉として文法として成立しているかははなはだ疑問だ。
けど、言いたいことは全て言った。言えたのだ。
「それで?」
「……え」
呆けた声が出た。
「あなたの言い分は分かったわ。私の為を思っているのも分かった。けど、何であなたにそんなことを心配されなきゃいけないの?あなたは私の母親でも兄弟でもないでしょう?」
言われて気付く。そういえば何故なのだろうと。俺は何故そこまでに木皿儀のことを考えているのだろうと。仮にでも彼氏だから?違う。何となく心配だから?違う。色んな可能性が出るが、その全てがことごとく腑に落ちないままに消えていく。
「何でだ……」
そんなこと今まで一度も考えたことなかった。いつも木皿儀にかかる苦労や迷惑のことばかり考えていたからか?そんな訳ないだろ。何度否定しても分からない。分からないまま時間だけが過ぎていく。
「俺は何で……」
「あなたが分からないのなら私に分からないわよ。……でも、一つだけ可能性があるのなら……」
その瞬間、もしかしてという最悪の答えが脳裏を過った。考え過ぎかもしれないし勘違いかも知れないけど、もしそうなら完全に無意識だった。無意識のうちに俺は木皿儀を利用していた……?振り払いたい可能性に力が出ない。その仮説がまとわりついて離れない。
「全て自分の為、ということになるかしら?」
「……」
木皿儀の為と考えていたことがちょっと視点を変えただけでこうも簡単に醜くなるなんて、俺は……昔と何ら変わってないじゃないか。
「あなたがどういう思考を持とうと私には一切関係ないけれど、それに私を巻き込むのは止めて頂戴。それこそ迷惑だわ」
「……悪い」
思い返してみれば思い当たる場面はあったのか。俺は木皿儀を言い訳に自己保身に走っていた。自分を守る為に何度も同じことを聞いていた。まるで言質を取るかのように。
もしもの時、木皿儀を出せるように何度も卑しいくらいに。口では木皿儀を思う言葉を並べつつ、心の底は誰よりも黒かったんだな。
「それはそうと三度目はないと言ったこと覚えているわよね?」
「ああ……」
自分の醜悪さに打ちひしがれ満足に言葉も返せない。
「罰としてあなたには二つ言うことを聞いて貰うわ。私を利用しようとしたんだからそのくらいは呑めるわよね?」
「何でも来い……」
無意識とは言え木皿儀を利用しようとしたことは事実だ。少なくても木皿儀への懺悔になるのなら何を言われようとも喜んで受ける。
「一つはこの関係が終わった後のこと。こういう形で言うのは癪だけど、私と友達になって欲しいの」
「友達……」
「もちろん、いいわよね?」
「……そんなのでいいのか?」
俺はそこそこ恨まれるだけのことをした。社会的に死ぬようなことを命令されても文句は言えない。けど、木皿儀の瞳に冗談の色はない。
「それはどういうことかしら?」
「俺はお前を利用しようとした。その程度で晴れるのか?」
「正直、晴れないわ。けど、私は憔悴しきった罪人に釘を刺すほど落ちぶれてはいないの。あなたが心の底から反省しているのなら私はこれ以上、何も言わないわ」
木皿儀の優しさにつっーと頬を熱いものが流れた。涙だった。
「悪い。ほんとごめん……」
「ハンカチ使う?」
木皿儀からハンカチを受け取り涙を拭く。
「それで二つ目のお願いだけど……」
ある程度、涙が収まってきた頃を見計らって木皿儀は口を開く。
「これは保留にしておくわ。特にないというのもあるけど、今じゃない気がするから。……それで一つ目の件だけど、一応聞いておくわ。友達になってくれるかしら?」
「木皿儀さえ良ければ喜んで」
手を差し出すが木皿儀はそれを眺めるだけで取る気配を見せない。
「悪い、握手は違ったな」
こういうのは同性同士だから成立すること。異性に強要するのは違うか。
「ええ、今はまだ早いわ。この関係が終わった頃にもう一度手を差し出してくれないかしら?」
「ああ、喜んで」
仮にでも恋人関係の今、友達として握手をするのは確かに気分が悪い。木皿儀の言う通り、この関係が終わる五月頃にまた、手を差し出そう。
キーンコーンカーンコーン
「戻りましょう。授業に遅れる訳には行かないわ」
「ああ」
二人揃ってベンチから立ち横並びで校舎へと戻る。同じ道を同じくらいの速度で足並みを揃えて歩いて行く。その現状に今朝の一件が頭を過った。一度離れたと思っていた距離に手の届く距離に木皿儀がいる。歩いても開かない距離に俺は一人頬を緩ませる。
「そういえば、ずっと言わなかったけど、私のことは灯香と呼んでと言ったはずよ。次はないから忘れないようにしなさい」
横目で見上げながら睨んで来る木皿儀に苦笑を返す。
「悪い」
「と言ってもあなたはすぐに忘れるわよね」
否定は出来ない。
「試しに一度呼んでみてくれないかしら?」
「いや……それは」
「もちろん、呼んでくれるわよね?」
目も眩むように眩しいほどの笑みが怖い。
「あー……」
目を逸らしつつ考える。今になって恥ずかしさたるものが遅ればせながらやって来た。
「私って余り長く待てる方じゃないの。五秒以内に言わないと怖いわよ?」
具体的なことを言わないところが余計に怖さを引き出し、引き立てている。
「5」
「ちょ」
「4」
「うっ……」
「3」
「ああー……」
「2」
「っ!」
「1」
「と、灯香……」
相当の勇気を振り絞り若干苦しそうな声音で木皿儀の名前を口にする。
「ギリギリセーフ。まあ、及第点ってところかしら。次はないから忘れないように」
「了解……」
たかが名前を呼ぶだけで何でこんなにも疲れているのだろうか。
「何をやっているの?早く行きましょう」
一メートルほど先を歩く木皿儀に催促されその歩幅を広める。
「明日のお弁当も楽しみにしておきなさいよ」
「楽しみじゃなかったことなんてなかったよ」
「そう?なら、いいわ。……凪くん。なんてね」
一人クスッと笑う木皿儀に俺が気付く事は最後までなかった。
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