五話 昼休みの始まり

 全くと言っていいほど授業に身が入らず。気が付けば昼休みになっていた。ほぼ白紙に近いノートと教科書を仕舞い、教室を出て行く担任の背を見送る。

 担任の姿が見えなくなったことを確認した瞬間、全身から力が抜け机に倒れ込むように突っ伏す。


「はぁ……」


 教室を出て行く直前に担任が零した言葉が強く耳の奥にこびりついて離れない。『今日はここまで。午後の授業はくれぐれも遅刻しないように』明らかに俺に向けて言っていた。

 とはいえ、それもしょうがないことだろう。遅刻したのは俺なのだから。何で俺はいつもこうなのだろうか。

 大事な場面や頑張ろうと決心した瞬間に限って遅刻や失敗を繰り返す。その発生頻度はもはや呪われていると言っても過言ではない気すらする。

 今朝だって。いつも以上に早く寝て、アラームの音だって通常よりも高く設定していたのに遅刻した。

 これだったら起きれるだろう。絶対に寝坊なんてしない。そう確信めいたものすら感じていたのに。

 まさか無意識のうちに止めているとでもいうのだろうか。……さすがにないと信じたい。

 もし仮にこの仮説が本当だったならもう俺にはどうすることも出来ない。一人暮らしの辛いところである。

 誰でもいいから同居人が欲しい。なんで出て行ったのだろうか。訳の一つでも話してくれればよかったのに。

 そもそもあいつが出て行かなければ実技試験当日も今日も遅刻することはなかったのではないか?

 ……良くない思考だ。考えば考えるほど誰かのせいにしないと気が済まない俺がいる。

 誰かのせいにしたって起こった過去は変わらないのに……。でも、少しくらいは誰かのせいにしたっていいじゃないか。

 誰かのせいにするのに他人の了承は要らない。迷惑さえかけなければ心の中だけだったら好きなだけ人のせいに出来る。

 人に聞かれてなければ言い訳だって好き放題だ。……ダメだ。らしくないな……。


「凪!」


「ああ、圭地」


 顔を上げると目の前に笑顔の圭地が立っていた。その隣には心配そうな表情の蓮もいた。


「凪、大丈夫?体調悪そうだけど」


「大丈夫だ。ただ、ちょっとな」


 無用な心配をかける訳にも不必要な同情を買うつもりもないので気丈に振る舞うことに注力する。

 それでも蓮の表情は曇ったままだ。


「でも、顔色悪いよ。保健室行った方がいいんじゃ」


「心配し過ぎ問題ないよ。ちょっと寝不足なだけだ」


「なら、いいけど」


 蓮らしい提案だが、そもそも旧校舎に保健室に相当する医療技術が揃っている教室なんてあるのだろうか。

 もし担任が診るなんてことになったら、それこそ体調を崩しかねない。


「まあ、遅刻なんてよくあることだしな。いちいち気にしてもしょうがないだろ!」


  圭地には見事見抜かれていたようだ。観察眼が凄いのか、勘が鋭いのか。まさか当てられるとは思わなかった。


「そうだな」


 気にするな、ね。確かにそうだと思う。けど、こればかりは気にしないとやっていけない。

 なんせ試験当日に遅刻するような遅刻癖の持ち主だからな。ここで何の対策も考えずに「しょうがないよね」で済ませたら俺はまた大事な場面で遅刻をするだろう。

 たかだか遅刻そう片付けるのは簡単だが、そのたかだかでいつか長く後悔する時が来るかもしれない。

 悔やんで泣いて、自分を心の底から嫌悪するくらいの後悔に苛まれる可能性が今、少しでもあるのなら、それは今のうちに潰しておきたい。

 帰りにでも時計を追加で買っておこう。現状俺が思い付く対策はこれくらいしかない。


「そんなことより昼休みだし飯食いに行こうぜ!」


 そういえば昼休みだったっけ。


「いいけど。どこで買うの?やっぱりあそこのコンビニ?」


「昼休みの度にコンビニまで行くの面倒だろ?せっかく食堂があるんだからそこで食べようぜ!」


「え、いいのかな僕たちが使っても……」


 蓮の疑問はもっともだった。本校舎の廊下には既に俺たちの顔写真がでかでかと張り出されている頃だろうし、もう悪い意味で有名人だ。

 そんな俺らが本校舎の敷居を跨いで食堂を利用したとなると、辺りが騒がしくなったり、嫌味なことを言ってくる輩も出てくるだろう。

 正直、火種自らが木材に突っ込むような行為は避けたい。万が一絡まれてそれが問題に発展したら?

 考えるだけでも億劫だ。多分、蓮はそういう問題が起こることを危惧しているのだろう。


「大丈夫だって!何かあったら俺がどうにかしてやるからよ!行こうぜ!」


 こんなに不安一杯の「どうにかする」を聞いたのは初めてだ。暴力事件を起こした圭地の言葉はいまいち信用に欠ける。

 とはいえ、行動には必ず理由がある。自分の勝手な思い込みで圭地を完全悪として見るのは避けたいところだ。

 今の圭地を見ていてもそう簡単に他人に暴力を振るうような人物には見えない。きっと何かしら理由があったのだ、拳を振るわなければいけなかったそれ相応の理由が。

 それを聞かないうちは出来るだけ圭地の味方でいたい。


「何してんだ凪!行くぞ!」


「ん、ああ、今いく」


 いつの間にか廊下に出ていた圭地たちを追う。どうか何も起こりませんように……。

 その祈りは果たして現実のものになるのだろうか。

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