クリケットのプロになるっ!?

 モード画面にあるいくつかの項目のバックグラウンドに、楕円形スタジアムの俯瞰風景が流される。フィールドにはおそらくまだ誰も居ない。今のところ試合の攻防が繰り広げられるはずの、配色が異なる中心部の長方形のピッチと呼ばれる場所にウィケットと白線だけがプレイヤーを待っている。


「どのモードで配信しようかな? これ日本語訳に対応してなくて全部英語だからよく分かんないなー……あっそうだ、色々と準備しとかないとだね」


 私は思い出したと手を叩き、そのまま自部屋からリビングに飲み物などを取りに行き、しばらく放置して帰ってくる。すると操作が全くされないことに痺れを切らしたのか、再びオープニングムービーが開始されていた。


 画面には白服のユニフォームに身を包んだ有名選手と思わしき人たちが、美しい3Dモーションと共に、沈黙の熱闘を交えている。


「ほぉおカッコいいっ! こうして観るとすごい白熱してるねー。確かイギリスのプロリーグが収録されているんだったかな?」


 私はマウスをクリックしてスキップすることなく、映像をときおり眺めながら、配信の準備を着実にこなしていく。まだ北ノ内 べいかとリンクさせていなくて、画面にも表示させていない。


 既に配信専用ソフトはあと一手間で配信が開始するようになってるから、SNSで告知した時刻に遅れることはないと思うけど、慣れないゲームをプレイするし、もうちょっと急いで余裕を作ったほうがいいかな。


「んー、一応ルールも調べて試しプレイもしたけど、まだイマイチよく理解してないんだよねー……こんな調子で大丈夫かな私……」


 私とリンクするバーチャルキャラクター北ノ内 べいかの今日の配信は、ゲームのライブ配信。ゲーム実況はメインコンテンツに据える予定でいるし、そろそろ慣れていきたいんだけど、ひとえにゲームといってもたくさん魅力的なジャンルがある。


 知名度のあるファミリー向けのメジャータイトルから、知る人ぞ知るマイナータイトルまで、指折り数えるには圧倒的に足りない作品たちが溢れかえっている。


 私が北ノ内 べいかを介したゲームのほかに個人的にプレイしたモノを含めても、どちらかと言えば有名どころが多いと思う。


 そういった側面を加味しても今回選んだゲームタイトルは、初配信から私が意図せず伏線を貼ってしまったとはいえ、かなり挑戦的な一作だ。


「いや、みんなに配信するって言ったんだもん。有言実行しないとねっ」


 するとちょうどオープニングムービーが最終盤面を迎え、タイトルが煌びやかに表示される。【Pro Cricket2022】。表題通りクリケットのゲームだ。私の好きなヨーロッパを舞台にした物語に少し登場するスポーツというだけで即決購入、ダウンロードした、スポーツゲーム専門の海外企業から発売された一作。


 日本では対応プラットフォームが拡大こそしているけどパッケージ版はまだ未販売で、翻訳も無いダウンロード専売となっている。


 この辺はどうしてもヨーロッパと比較すると競技人口や認知度の格差が浮き彫りで、レビューを眺めていても高評価が多数を占めているけど英語ばかり。なかなか日本向けに売り出そうとはならないみたいだ。


「うんうん。よし、これでベーちゃんも動かせるから……いつでも配信出来るよっと。あとは飲み物の紅茶とお腹空いたとき用のイングリッシュマフィンっ。あと使えるかどうか分かんないけど英会話辞典と単語帳……これ出したの高校生のとき以来か、懐かしいな」


 クリケットはレギュレーションによっては日にちを跨ぐこともあるらしくて、そのときにティータイムを嗜むと検索すると出て来たからちょっと意識してみた。元々紅茶が好きで、別の配信でも用意した気がするからあんまり特別感はないかもしれないけどね。


 そしてゲームに翻訳機能がない備えとして英会話辞典と単語帳。スマートフォンでも調べられるから要らないかなとも思ったけど、別窓で反響を見るために使うかもしれないし、よくよく考えれば用意しといて私が困ることはないよね。


「……もう全然、使わなくなっちゃったな」


 それでいて久々に私の高校時代を思い起こさせる本が出て来て、なんだか使わないともったいない気がした。この本を開いて何度解答の間違いを指摘されたことか……あの当時は面倒に感じていたけど、年齢を重ね、まともな学習時間なんて無くなった今になると、とても恋しくなる。


 その友達とは高校生のときと変わらず逢ってるのに、また教科書とノートを広げて一緒にテスト対策はしなくなった。もう大人だし仕方のないことなんだけど、寂しいな。


「でも、今日は頼んだよ。学校の勉強だけは昔からダメだからね、私は」


 そう言いながら、英会話辞典の表紙を優しく撫でる。ずっと押し入れの奥底に仕舞い込んでいたせいもあって、細々とした塵埃が指に付着してる。


「……そっか」


 私はその箇所を眺める。

 まるで現在と過去を去来させるように。

 その埃に、本の折り曲がり具合に、変色具合に、どことなく時代を感じる。

 同時に随分と時間が経過したんだなと解る。

 それはまだ、バーチャル配信者になるなんて思ってもみなかった、若い私との共有を。

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