第7話 厨房の大ピンチ

 さっき締め出された厨房の前まで戻ってくる。鍵がかかっているが、このドアにかけられた魔法障壁は水原のものか。内部だからかそこまで強固じゃない。


「久しぶりにやってみるか」


 障壁を焼き切り、黒い煙を鍵穴に吸わせる。中で這いまわった煙が鍵の形に変わり、そのまま当然のようにドアが開いた。


「瑠璃お嬢様か? 食べてくれるのは助かるが食べ過ぎは」


 振り返ったイヴが俺の顔を見て青くなる。だが、俺も目の前の光景にそれ以上に驚いていた。


「なんだよ、これ」

「なんで貴様が入ってきているんだ? まさか障壁をハッキングしたのか? 薄汚いネズミめ!」

「んなことどうでもいい。それよりこれはなんだ!?」


 俺が指差した先には、山積みになったリンゴが置かれている。軽トラックで持ってきたのかというほどの量で広い厨房が半分占拠されている。


「発注を間違えたのだ」

「どんくらい?」

「……予定の、三十倍」


 どうやったらそんな間違いが起こるんだよ。


「天河様はしかたないから周囲に配ってやればいい、と言ってくださったのだが」

「じゃあ配ってこいよ。魔法警察なんて掃いて捨てるほどいるだろ?」

「そんな厚顔無恥なことができるか! 聖魔法使いでありながらろくに詠唱ができずにメイドをやっている私が、どんな顔をして同僚に差し入れにいけると思うんだ!」


 お前のプライドの問題かよ、と言いたいところを堪えてリンゴを見上げた。口の悪いイヴが涙を浮かべてエプロンの裾を強く握っている。聖魔法を使えるエリートにとって、使用人の仕事はふがいなく感じてしまうのだろう。


 俺は真逆の理由だが、闇魔法を使うせいでいろいろなものを犠牲にしてきた。不自由の辛さは少しはわかってやれるつもりだった。


「しかたねえな。夕食の準備はやるって言ったんだから一人でやれよ。少し出てくる」

「あ、周りに言いふらす気か!?」

「言いふらすような相手がいるかよ」


 俺は近くの店の品ぞろえを思い出しながら、買い物用のエコバッグに手をかけた。


「戻ったぞ。小さい店だと在庫が少なくて困るな」


 俺が水原家に戻ってきたのは夕食の片付けも終わった頃だった。結局隣町の大きなホームセンターまで行くハメになってしまった。とはいえ目的のモノは揃った。さっさととりかからないと朝になってしまう。


「何を買ってきたんだ?」


 イヴはエコバッグを奪い取って中を見る。そこには包装用の手芸リボンが入っている。


「プレゼントっぽくすれば少しは恥ずかしくないだろ?」

「リンゴにこれを巻くのか?」

「そんなわけあるか。外の段ボールにビンが入ってる。仕事終わったならさっさと始めるぞ」


 俺はスーツのジャケットを脱ぎ捨てて、袖をまくる。この山のようなリンゴの処理が終わるのは朝方近くなるだろう。


「何を作るんだ?」

「こいつを全部、ジャムにする」


 俺は親指で山のようなリンゴを指して言い切った。

 果物は傷むのが早い。それを長持ちさせるためにする方法は昔からある。抗菌作用のある砂糖と煮詰めること。つまりジャムにするというものだ。


「洗って皮をむいて薄く切るんだ。そのくらいならできるだろ?」

あなどるなよ。そのくらい簡単だ!」


 イヴはそう言うが、ここ数日のドジの数と種類を見ていると安心はできない。一人でこれを下処理するのは大変すぎる。指を切るのだけは勘弁してほしいところだ。


 包丁を握ってとりあえずリンゴを一つ手に取る。水で洗い流して皮を剥きはじめる。するすると赤い皮が糸のように細く伸びていく。懐かしさを覚えながら床に落ちていく線を見つめていた。


「なんでそんなにきれいに剥けるんだ。闇魔法使いのくせに」

「お前は俺を何だと思ってるんだ」


 ほこりまみれの部屋で寝て、ネズミやヘビを食って、ろくに家事ができない。そんな奴もいるかもしれないが、俺には稼ぎの方法があったから困っていた時期はほとんどない。拠点はすぐに変えるから物を増やすことはないが、買えないほど落ちぶれたことはなかった。


「それよりなんだよ、それは」


 イヴの手元のリンゴは粗いポリゴンのようにガタガタに剥かれている。


「この包丁が使いにくいのだ。手になじんだものならこのくらい」

「じゃあその手になじんだ包丁を持って来いよ」


 俺がまっとうなことを言うと、イヴは少し考えた後、一段階小さくなった声で、

「どんなものを持ってきても笑わないな?」

 と聞いた。


「別におもしろいものでもないだろう」

「本当だな? 笑ったらこれを突き刺すからな」


 先のとがった万能包丁の先端を俺に向けてそんなことを言いやがる。俺が何も答えないまま黙って頷くと、イヴは観念したように厨房を出ていった。

 戻ってきたその手にあったのは、初日に俺を刺そうとしたあの軍用ナイフだった。


「これが一番手になじむのだ。私が魔法警察に入ったのは七年前、十歳の時だ。その時からずっとこれで演習も実戦もこなしてきた。私にとってこれは体の一部に等しい。どうだ、何かおかしなところでもあるか?」


 恥ずかしさを隠すためか、いつもより早口でまくし立てるイヴは、赤らめた顔を下に向けてリンゴの皮剥きに戻る。その手は先ほどとは別人のようにしなやかに薄く皮を剥いていく。


 それよりも俺はこの幼いと思っていた少女が十七歳という事実の方が驚きだった。声が上ずらないように一度深呼吸をして作業に手を戻してから答えた。


「別に間違ってはない。一本で何でもできる方が優秀だ」

「そうだろうそうだろう。なかなか話が分かるな」


 イヴは嬉しそうに作業の速度を上げる。さっきとはうって変わって手を切りそうな様子もない。意外と現金なやつだ。でもこれで安心して自分の作業に意識を傾けられる。

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