第七話


 アネットが王妃を訪ねたころ、ガウェインも王城にいた。毒りんご事件の夜から王城に通い詰め、関係した人間すべてから話を聞き出そうとしていた。しかし明確な手がかりはつかめず、焦りと眠れない疲れで憔悴していた。

 その様子を、モードレッドはほくそ笑んで見ていたわけではない。モードレッドの計画はうまくいっていない部分もあった。

 彼の計画では、ギネヴィア王妃への疑いに苦言をていするかたちで、領主たちがアーサー王に強く出るはずだった。宮廷が混乱すれば、アーサー王の治世に隙が生じる……。だが狙いどおり混乱しなかったのは、ガウェインがあらゆる方策をもちい、ギネヴィアの無罪を証明するために奔走していたからだ。


「なにとぞ、早計なご判断はおやめください。王妃様に弁明する機会を」


 誰かが「弟のモードレッドが殺されかけたのにか」と言えば、ガウェインは

「一騎討ちとなればもちろん正々堂々と戦おう。それとは別に、本当に王妃様が罪を犯したのか私は知りたいのだ」とまっすぐに説いた。

 こんな状況でもアーサー王への忠義を尽くすガウェインを見て、人々はギネヴィアへの非難を言いづらくなった。アーサー王の宮廷は思ったほど動揺しなかったのである。むしろ、円卓の騎士の筆頭であるランスロットとガウェインが決闘することに心配の声が出はじめていた。

 ──今度の決闘で、どちらかが欠けてしまったら。王妃に疑いがあるとは言え、サー・モードレッドは死なずに済んだのだから……。


 そんな状況でも、アーサー王は妻であるギネヴィアへの処分を取り下げることができなかった。身内をひいきしていると思われては統治に影響を及ぼすからだ。

 ──愛する妻と親友か、あるいは信頼をおく甥か。

 アーサー王も苦しい思いで王座に座っている。数日後にひらかれる名誉の法廷まで、人々はそれぞれの思いを抱えながら、風向きを見守っていた。



■□■□■



 王妃の部屋をたずねたあと、アネットは城市を馬で駆けぬけた。侍女たちの屋敷をまわり、話を聞かせてもらえないか頼みこむ。連日休むことなく回ったので、三日目の夜までに屋敷のほとんどを訪ねることができた。

 アネットは小走りになった馬を急かした。馬はもう疲れたと言わんばかりに耳を後ろにぴたっと伏せ、不機嫌なことを伝えていた。

「ごめんね。あと一軒だけだから……」

 とっぷりと日が暮れていた。荒い呼吸は白い霧となって漂い、アネットのむき出しの鼻や耳は赤く、マントは雪がこびりついて真っ白だ。凍えた手足の指先はだいぶ前から感覚がない。だが疲れ切っているのに心臓だけは激しく騒ぎ、アネットに一瞬たりとも休むことを許さなかった。

「……っハ、……っ」

 つま先で腹を蹴って駆け足させ、雪道で揺れやすい馬上から落ちないよう耐える。吹雪になりかけていた。

 気力だけで馬を駆った。ぼんやりとかすむ視界に大きな屋敷の灯りが映った。かじかむ手で羊皮紙を広げ、最後の一軒であることを確認する。

 ──どうしてもここだけは行かなくちゃ……。

 無意識で最後にしたのかもしれなかった。ガウェインの元恋人だったという、バーネットの屋敷だ。


 馬から降りると扉を叩き、出てきた召使いに用件を伝える。夜遅いためしばらく待つことになり、召使いがアネットのびしょ濡れのマントを心配して、暖炉のある部屋へ案内してくれた。

 アネットは椅子をすすめられても丁寧に断った。いま座ったら、永遠に立ち上がれないような気がしたからだ。そのまま四半刻(三十分)ほど立ち尽くした。

 ──やはり会ってもらえないか……。

 ずっと待っていたアネットに、家令が頭を下げて詫びた。アネットはこわばった腰をかがめてお辞儀し、お礼を述べてから屋敷をあとにした。

 恐ろしいほど外は寒かった。それでも希望を頼りに、夜闇を駆ける。



■□■□■



 毒りんご事件からなん日か経った夜、バーネットは思わぬ客人に肝を冷やした。

 夜遅く、召使いが「お客人が来ています」と伝えにきた。客人の正体を聞いて、バーネットは落ち着かない気分で部屋の中を歩きまわった。

 ──まさか、りんごのことを知って?

 あの少女が屋敷に来ていた。不安になったが、侍女たち全員の屋敷をまわって話を聞いているのだという。疑ってここに来たわけではない。

 バーネットはほっと息を吐き、「会う必要はないわ」と返事した。すでにバーネットへの取り調べは済んでいるのだ。

 召使いは、お召し物を濡らして訪ねていらっしゃいますが、と断りづらそうに言った。……こんな夜遅くに屋敷をまわり、さぞ寒くて辛いだろう。みっともなく濡れてかぎまわっているのだ。手足を震わせいっそう小さくなりながら。

 バーネットは少女の不幸に残酷な歓びを感じずにはいられなかった。自分なら、もっと賢い方法でガウェイン様の力になろうとする。そうだ。こんな方法をとったりしない。

 ──でも……。

 あの子なら、こんな方法でガウェイン様を手に入れようとしない。

 自分で考えたことに驚いてはっと目を開いた。



 あの子なら、こんなことをしない。その気づきはじわじわとバーネットを苦しめた。奇妙なゆらぎが心に生じて、頭から離れなくなる。

 でも本当はわかっていた。机の小棚を開け、ガウェインに宛てた手紙を取り出した。とたんに嫌悪感が胸につかみかかる。

 バーネットだって真剣にガウェインを愛していた。だが、罪の意識を持っている今だからこそ残酷に分かった。──私はこの手紙すら出せずにいるのに、彼に愛されたいと思っている。彼を窮地に追いやってでも。

 じぶんの愛の身勝手さが、ガウェインに対する愛の正体なのだ。

「………」

 バーネットは何度もあの少女とじぶんを比べ、何が劣っているか考えた。容姿、家柄、教養……。自分のほうが勝っていると考えて優越感にひたった。ガウェインがあんな少女を好きになるわけがない、と確信するために。

 あの少女がいなくなれば自分を愛してくれる、という根拠のない確信を抱いていた。容姿や家柄で勝っているから。そうやって基準を作ればやり直せると思えた。ガウェインの心は取り戻せないのだと思いたくなかった。

 だが、本当はガウェインがあの少女を好いている理由がそんなことでないと分かっている。バーネットにあの少女のようなことはできない。事実、手紙を机の小棚にしまい込んだように。

 ──あの子なんか大嫌いだ。あんな子なんか……。

 少女に対して燃えるように沸騰していた血が静かになり、だんだん、むなしい気持ちになった。何かが身体の芯から抜けて、そのすき間に冷たく、不快な自己嫌悪が染みわたってきた。初めての敗北感だった。


 ──あの子なら……。

 ガウェインを助けるために行動し、罪を犯したと思えば素直に告白するだろう。きっと同じ立場でも違うことをする。自分が不利になることを恐れて、立ち止まったりしない。

 なぜか、ガウェインに言えなくてもあの少女には話せる気がした……憎しみと一緒にぶちまけてしまいたいのかもしれない。自己嫌悪や敗北感も一緒に。

 バーネットは再び手紙に目をやった。

 ガウェイン様に宛てた手紙……これを渡せば、彼を助けるだけでなく、私の罪も軽くなるように動いてくれるだろうか。

 なんて虫のいい考え方をするのだろう、とバーネットは自分の弱さを嘲笑った。それでも決心がつけば、堂々と顔を上げてあの少女と話せる気がした。



■□■□■



 アネットはタウンハウスに戻ると、夕食をとらずに部屋へ行った。疲れ切って食欲もなかった。

 濡れた服を着替えてベッドに入り、毛布にくるまって震える身体を暖める。すこしずつ手足がぬるくなり眠気がやってくる……。


 そのまま少し眠っていた。うすく扉が開いて、光がひとすじ差し込む。アネットの前髪を優しい手がなでた。

「……申し訳ありません。起こすつもりはなかったのですが」

 うすく目をひらくとガウェインの姿があった。アネットは嬉しくて笑う。幻でないことを確かめるために手を差し広げると、ガウェインはぎゅっとアネットを掻き抱いた。温かい胸に思わず涙がこぼれそうになった。

 ガウェインもアネットの髪に顔をうずめ、胸いっぱいに彼女の香りと感触を味わっている。

「アネット。愛していますよ」

「ええ、私もです……」

 自然と愛の言葉がこぼれ、久しぶりの抱擁を二人はあじわった。まるで欠けていた半身のように隙間なく抱き合って、心の奥底がほどけた。

 ガウェインはようやくベッドの上で抱き合っていることを気にしてささやいた。

「このまま抱きしめて離せなくなりそうだ。マイ・レディ、どうかあなたの騎士に無礼をやめるように命じてくれませんか?」

「では騎士さま……あなたのレディが、それを許すと言ったら?」

「それは、その……」

 ガウェインには意味が分かった。でもアネットの気持ちを確かめたくて聞いた。「具体的に、どこまで許していただけるのでしょう?」

 アネットは耳まであかく染めてこたえた。

「……一緒に眠ってくださいませんか? あなたの温もりを朝まで感じていたいのです」

 そこまで言うと恥ずかしいのか、アネットは顔を見られないようにガウェインの胸に顔をうずめる。やわらかい身体の感触が脳天まではしった。

 ガウェインはアネットの愛を乞うしぐさに心を貫かれ、ええ、とうわずった声で返事した。

「いったん着替えて参ります。本当に良いなら……」

「先に眠ってしまっていたらごめんなさい」

「すぐに参ります」


 ガウェインは言葉どおり、すぐに着替えて戻ってきた。シーツの隙間にたくましい体躯を入れ、行儀良くアネットと並ぶ。天井を見上げたままアネットの手を探し、こわれ物をあつかうように握る。

 ……ただ並んで眠っただけだ。

 だが、ガウェインから伝わるぬくもりが全身を包み、アネットは寒さを忘れて眠ることができた。体温が溶け合い、まるでひとつの身体のようだった。



<つづく>

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