第三話


 午後の光が薄れて夕暮れの気配が近づくころ、ガウェインは宮廷での用事を済ませて中庭にやってきた。冷たい秋風が肌をかすめて温かいものが恋しくなる。アネットを求めて歩いていると、軽やかな笑い声をたてて、弟のモードレッドと楽しげに話している姿が目に入った。

 微笑ましく思って声をかけずに見つめる。ふと、あの二人は自分よりずっと歳が近いのだと思った──ほとんど歳が変わらず自分より〝お似合い〟と言われるだろう。たまらなくなって、

「アネット」

 と呼ぶと、少女ははじかれたように立ち上がり、ガウェインに笑顔を向けた。サー・モードレッドにお相手いただいたのですと言う。胸がきゅっと締め付けられた。モードレッドは兄に向かって行儀よくお辞儀した。


「すみません、兄上。道に迷っていらっしゃったので」

「いいや、助けてくれてありがとう」

 ガウェインは感謝しながらも、なぜモードレッドに会うと胸がざわつくのだろうと思った。記憶にあるモードレッドとは別人のようだからか。気難しく、あまり人と関わろうとしなかった末弟とは……。

 アネットに手を差し伸べて中庭を去る。弟の強い視線を背中に感じながら。




「今日は王妃さまにお会いできませんでした」

 歩き出してしばらくすると、アネットは気落ちした声で言った。やわらかな日差しが頬にまつげの影を落としている。

「事前に手紙を送っていたのでは?」

「はい……王妃さまのご体調が優れなかったのです。私も初めてで、うまくお伺いできませんでした。……でも、明日も頑張ってみます」

 まつげの影がわずかに揺れる。言うのを少しためらっている気がした。

 ──何かあったな。

 ガウェインは確信した。仕事を後まわしにして共に王妃の元へ行くべきか迷ったが、

「そうするといい。私もしばらく王宮に出入りすることになりましたから」とだけ言った。

 ──すでにアネットは『頑張る』と決めたのだ。それを無視してはならない。

 いっぽうで、前よりずいぶん切り替えが早くなったと思った。モードレッドが励ましてくれたのだろうか。どんな話をしたのか、くわしく聞きたい気持ちとそうしたくない気持ちがあった。

 代わりに「これから毎日、面会が終わる頃にお迎えにあがります」と約束した。アネットは「待ち合わせする楽しさを毎日味わえるのですね」と笑顔になった。

 ガウェインも微笑んだが、胸の内にはアネットに付き添って王妃に会いに行くことができない事情があった。それについてはあとの機会に話すことにしよう。



■□■□■



 次の日も、また次の日も、アネットは王妃に会うことができなかった。

 見慣れてしまった中庭でベンチに座って本を開く。だが、ずっと同じ本を読み終えられずにいた。中庭に来てしばらくすると、修練を終えて帰る途中のモードレッドが通りかかるからだ。

「こんにちは。気持ちのよい秋晴れですね」

 落ち葉をにぎやかに踏み鳴らし、今日も義姉上(あねうえ)にお会いできると思って参りました、と笑顔で話しかけてくれる青年にアネットの心は軽くなった。

 モードレッドは話し上手で、どんな話題も面白おかしく話した。アネットの話にも冗談まじりに相槌を打ってくれる。うわさにも詳しく話題が尽きない。彼の言葉は理解しやすく、心のなかにスッと入ってきた。

 モードレッドは自然な動作でアネットのとなりに腰掛けた。もう何日も連続で「座っていいですか?」と聞かれるので、こちらから先に「どうぞ」とすすめるようになっていた。

「また王妃さまにお会いできませんでしたか?」

「はい……」

 アネットがうつむいて答えると、モードレッドはあかるい話題を振ろうとした。

「暗い話題はやめましょう。でも、もう色々な話をしてしまいましたね。今日は義姉上にどんな話をしてさしあげればいいか──…」

「あの、差し支えなければ、サー・モードレッドのお話を聞かせて下さい」

 アネットは何の気無しに言った。だがモードレッドの眉間にうっすら影がはしる。

「僕の話ですか?」

「ええ、サー・モードレッドの……」

 ……聞いてはいけないことだったのだろうか?

 彼の横顔を見ながら、アネットは宮廷で紹介された夜、ガウェインが言ったことを思い出した。


『モードレッドとは兄弟ですが、いまいち分からないところがあるのです。あれは私たち兄弟と距離をとって、いつも母親のそばにいましたから』

『しかし、あんな性格の子ではなかったと記憶しています。彼がなぜ毛嫌いしていたキャメロットに来たいと思ったのか、納得がいかないのです』


 アネットは、弟に対してそう言うガウェインの胸中が分からなかった。

 ──サー・モードレッドは親切な青年だ。ずっと会わなくて印象が変わるのはおかしくない。よほど前の彼は違ったのだろうか。まるで警戒しているように……。


「とくに、今と変わったところはありませんよ。オークニーはちょっと退屈で、キャメロットに来て正解でした」

 モードレッドはいつもと同じ軽い口調で答えた。アネットは居たたまれない気持ちになった。これだけ仲良くして貰っているのに、探りを入れるみたいで嫌だ。過去のことを無神経に聞かれたら、自分も当たりさわりのない言葉で返すだろう。

 モードレッドは、むしろ、と話題の方向性を変えた。

「兄上はご自身の……オークニーでのことを話されているでしょうか。義姉上にどんなお話を?」

「………」

 ガウェインはアネットに、オークニーのみじかく美しい夏の季節や、先人が残した遺跡にまつわる不思議な伝説を話してくれた。だがそこに残してきたもの──母親や自分の子ども時代はあまり話してくれなかった。

「いいえ」

 アネットは唇をわずかに噛んで正直に言った。「オークニーには、騎士になってから一度も戻っていないと聞いています」

「ええ、その通りです」

 モードレッドは故郷を思い浮かべるような遠い目をした。

「兄上は長いあいだ、オークニーへ戻られていません。理由はよくご存知でしょう。

 昔、僕たちの母はロト王をそそのかしてアーサー王に反旗をひるがえしました。それがきっかけで、ガウェイン兄上も、他の兄上たちも、成人した後すぐオークニーを去りましたから」

 モードレッドの表情にいつもと違うものを感じた。彼の声は暗く冷たかった。

 アネットは彼をどうなぐさめればいいだろうと戸惑った。だが、モードレッドはアネットに向かってすぐ「大丈夫です」と言うように微笑んでみせた。声に明るさが戻っていた。

「母上のおこないを弁明するつもりはありませんよ。反乱をおこせば、責められるのは当然ですから。

 でも、もう十五年以上経つのです。その間、アーサー王陛下は母上と一度も話されていません。僕は、家族の情は取り戻せなくても、和解はできるんじゃないかと思うんです」

 モードレッドはアネットの瞳を見つめながら熱っぽく語った。「それはきっと、ブリテンのためになると思うから。……義姉上もそう思いませんか?」

 強く言われて、アネットは彼を励ますためにも同意した。

「ええ……」

「よかった。僕がキャメロットにきたのは二人の和解をさぐるためでもあるんです」

 この話は信頼できる人にだけ打ち明けていて、とモードレッドは声をひそめた。

「……まだご内密に。キャメロットには母上を受け入れられない人が大勢います。

 とくにガウェイン兄上には、内緒にしていただけますか?」



■□■□■



 その日の朝もアネットが王妃に面会を申し出ると、体調が悪くお会いになりません、と突き返された。はじめに申し出た日から十日も過ぎていた。

 すれ違い際に、馬鹿にされたとき感じるような──そういう視線や嘲笑を向けられている気がした。アネットにとっては馴染みのあるものだ。胃のあたりに気持ち悪さが込み上げ、手足の先が震える。

 それでも侍女たちに言い返したりガウェインに相談したりしなかったのは、理由があった。アネットなりに方法を考えていたのだ。必要なのはあと一押しだけだった。



 中庭で本を読んでいると誰かが近づいてくる気配がした。モードレッドだ。しかし今日は様子が違った。彼は同年代の騎士を引き連れている。

「義姉上どの、」

 モードレッドはやや興奮して息まいていた。

「至急、お耳に入れたいことがあるのです。傷付かれるかもしれませんが、僕たちは黙っていられません──…」

 アネットはとまどいながら後ろの騎士たちを見た。彼らはモードレッドを真似るように黒っぽい服装を着ていた。それに気付いたモードレッドはすぐ弁明にまわる。

「彼らは僕の賛同者です。ブリテンを真に守りたいと考えている、忠義者ばかりですよ。

 彼らから、義姉上が王妃様にお会いするのを邪魔している者がいると教えて貰ったんです。──その女性はバーネット嬢。申し上げにくいですが、ガウェイン兄上の元恋人です」

 元恋人、という言葉にアネットは肩を震わせた。本を閉じてうつむく。きちんと整理しようとモードレッドに質問した。

「それは……確かでしょうか?」

「ええ、王妃様付きの侍女と親しい騎士もいますから。義姉上が何度行っても会えなかったのはそのせいです」

「………」

 モードレッドは勇ましく宣言するように言った。

「兄上と婚約されている義姉上に対し、王妃様の侍女という立場を利用して嫌がらせをするとは……。僕たちが味方になります、一緒にやり返しましょう!」


 その言葉に、うつむいていたアネットは弱々しく首をすくめながらも顔を上げた。モードレッドは心配そうな表情をしてアネットの顔を見つめる。瞳をのぞき込み、どう出るのか、次の言葉を待っている。

「そのご令嬢は……どのように、王妃さまの邪魔をしたのですか?」

 問いかける声は震えていた。

「ええ、お答えします。義姉上はきちんと事前に王妃さまへ手紙を届けられていた。ところがバーネット嬢はまわりの侍女たちにけしかけ、義姉上が来ても『伝えられていない』『体調がよくない』とはね退けたのです。あなたがどこまで我慢するか試すためにね」

「………」

 再び黙ったアネットの目に涙が浮かぶのを見て、モードレッドはやさしく言った。

「まったくひどい話だ、恥をかかせて笑い者にするなんて。僕たちが手伝いましょう。まずはこのことを皆に知らせないと──……」


「王妃さまは、ご存知ないのですね」

 アネットは目に浮かんだ涙をぬぐった。「侍女たちだけで、やったのですね?」

「ええ……そうです。王妃さまはご存知ないかと思います」

 アネットはひどく気落ちしているように見えた。だが、実際には頭の中で十日間のことを順序立てて振り返っていたのだ。

「義姉上……?」

 モードレッドは改めてアネットを見た。しかし彼女は、ありがとうございます、と小さく言っただけだった。

「それが分かっただけで十分です」

 アネットは立ち上がった。「サー・モードレッド、騎士の皆さま、たいへん有難うございます。私は行かないといけない所ができたのでお暇します」

 さっとスカートの裾を掴むとモードレッドたちをかき分け、朝に歩いた道をまっすぐ引きかえした。



■□■□■



 アネットが朝と同じように王妃との面会を求めると、侍女たちは「また来たわ」と言わんばかりに立ち塞がった。しかも今日は2回目だ。

「何度来られても同じです。王妃さまは体調が悪く休んでいらっしゃるのですから」

「はい、存じております……。でもずっとお会いできなくて心配です。一言だけでも言葉を交わさせていただけませんか」

 侍女たちの余裕のある表情がすこし崩れた。いつもなら「わかりました」と引き下がるアネットが、軽くあしらわれたぐらいで帰らない態度をとったのだ。いつもと違う態度に、侍女たちはとまどいを見せる。

「まあ、なんて失礼な方なの」

 奥から侍女たちをかき分けるようにしてバーネットが現れた。「王妃様はゆっくり休まれたいのに。わがままが通ると思っているの?」

「……いいえ」

 アネットは女性がバーネットだと知らないまま、声を振り絞った。

「ですので、ここで待たせていただこうと思います。王妃さまが会って良いとおっしゃるまで……。ここに居させてください。皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、手続きどおりに面会を待ちます」

 アネットの態度はあいかわらず臆病で低姿勢だった。でも重い石みたいにがんとして動かない。これは抗うつもりで来たのだ、とその場にいる誰もがさとった。バーネット以外は。

「皆さんに迷惑をかけると知りながらそうするなんて」

 バーネットは挑発的に言った。「それでも会えなかったら、サー・ガウェインやアーサー王陛下に言いつけるのかしら」


 バーネットの言葉に対し、侍女たちはひそひそと耳打ちしあった。彼女たちはアネットを試そうと思っていたが、国王やサー・ガウェインが出てくると厄介だ。あまり挑発しすぎると、こちらも痛い目に合うかもしれない。

 一方で、アネットは挑発的な言葉に肩を震わせながらも、一歩も引かずにじっと姿勢を低くしている。

「いいえ、王妃さまにお会いできるまで待つつもりです。それが〝私に〟できる唯一の方法ですから」

 アネットは言い切った。どうやら本当に取り次いでもらうまで待つらしい。それを聞いた数人の侍女は、ほう、と吐息をもらした。感心した表情だった。旗色が変わり始めた。

 アネットの決意を感じとった侍女のひとりが、そっとバーネットの上着のそでを引く。もうやめましょう、と言うかわりに。

 ついに一番年上の侍女が口を開いた。

「──わかりました。では、改めて王妃さまに聞いてまいります。ここでお待ちになってください」


 しばらくして、アネットはようやく王妃の私室に入ることを許された。申し出てから十日が過ぎていた。こんなに長くかかれば恨みごとの一つでも言いたくなるのに、アネットは宮廷の礼儀作法にのっとり侍女たちに丁寧なお礼を述べると、王妃を待たせないようサッと中に入った。

 扉をくぐるアネットを止める者はいなかった。



 扉が閉じ、控えの部屋は静まりかえった。奥の扉を見つめたままのバーネットに、さきほど上着のそでを引いた侍女が言葉をかけた。

「バーネットさん、やめて正解だったと思うわ。ここに留まられたら、遅かれ早かれ陛下の耳に入っていたでしょう。あの子、私たちのことを告げ口するつもりはないみたいだし……」

「そんなふうだから侮られるのよ」

 バーネットは納得がいかなかった。──もし自分が同じ目にあったら、もっと早く解決できたはず。周りから笑われずに。そう思うと、なおさらガウェインが彼女を選んだことに納得がいかなかった。

「そうかしら?」

 アネットを王妃の元へ案内して戻ってきた年配の侍女がバーネットに言った。

「確かに、あの態度では侮られやすいでしょう。紹介されたとき宮廷の人々がアネット嬢に頭を下げたのは、サー・ガウェインの婚約者で、アーサー王陛下の庇護もあったからよ。

 彼女は二人に告げ口して、私たちを無理やり従わせることもできた。でもそうやって王妃さまに会ったら、あの子は『自分では何ひとつ出来ない』という印象を持たれてしまったでしょう。ところがあの子はそうしなかった。自分の持つ権利だけを主張し、公正で気高い資質をしめした……」

 まだ悔しそうな表情をするバーネットに、侍女は追い打ちをかけるように言った。

「このことを噂しても、私たちは正しく行動した彼女に嫌がらせしたと非難されるだけ。世間はアネット嬢を褒めそやすでしょう。逆に、もしアネット嬢がこの一件を黙っているなら、私たちは彼女から恩を売られたことになるのよ。

 ……偶然だったかもしれない。でも、私たちに頭を下げさせる状況を作るためにずっと耐えていたのだとしたら、大した策略家ね」



■□■□■



 控えの部屋でそんな会話が行われているとは知らず、アネットは大粒の涙を浮かべていた。金細工をあしらった椅子に美しい女性が座っている。去年の秋に会ってから、ずっとアネットが会いたかった人だ。

「ようやく来てくれたのね」

 ギネヴィアの顔色はよくなかった。以前会ったとき、輝くようだったバラ色の頬は細くなって蒼ざめている。でも、アネットへの優しいまなざしと朗らかな声は変わらなかった。

「なかなか来てくれないから文句の一つでも言おうと思ったのに、そんな表情をされては困るわ。どうして会いに来てくれなかったの?」


 どうして、と問われて、アネットは我慢していた涙がポロポロとこぼれ、一歩も前に進めなくなった。

 ──この十日間ずっと耐えていた。途中でガウェインさまに頼ろうか迷ったけれど、それでは弱い自分のままだと思った。最後に背中を一押ししたのは、サー・モードレッドが教えてくれた情報だ。

 ──王妃さまが私を拒んでいるのではない。

 それで、ようやくアネットは勇気を振り絞ることができたのだ。侍女たちに強く言えなかったのは、王妃さまが本当に私と会いたくないのかもしれないと思ったから……。


「泣いているのに何かやり遂げたような誇らしい表情だわ。そんな顔ができるようになったのね」

 ギネヴィアは歩み寄り、両腕でアネットを抱きしめて優しくささやいた。

「私のかわいい妹。ずっと会いたかったのよ」



<つづく>



ガウェインの子ども時代には諸説あり。『アーサー王の甥、ガウェインの成長期』はWikiであらすじが読めますのでぜひ(ローマ皇帝に仕えたりしています)。

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