第36話 邂逅するオタクたち

 週末の渋谷センター街。まだ朝だというのに、街には人が多かった。


 と言っても、休日出勤でサラリーマンたちが会社に向かっているというわけではない。


 いかにもウェーイな陽キャたちが、一様に駅方面へと向かっていた。


 何なんだこの状況。


 早朝の渋谷なんて来たことがなかったからはじめてみる光景だけど、これが渋谷の日常なのだろうか。


「多分、クラブ帰りじゃないかなぁ?」


 僕の隣を歩く清野が、何気なく言った。


 どうやら僕がウェーイたちをチラチラと見ていたことに気づいたらしい。


 今日の清野はいつもよりカジュアル……というかスポーティな見た目だった。


 ピンクのキャップに、英語のロゴが入ったブカブカのシャツ。それに黒のスパッツ。背中にはだらんとリュックを背負っている。


 ピンクのキャップとか似合う人間なんてこの世にいるのか!? と思ってしまうけど、実際すごい似合っている。


 何を着ても似合ってるって、モデルというのは「オシャレ度+100」みたいな特殊能力を持っているのかもしれない。


「クラブって、あの音楽に合わせて踊る場所の?」


「そうそう。金曜日の夜って、クラブでオールする人が多いから」


「オールって、徹夜ってこと?」


「うん。週末はイベントが多いみたい……なんだけど、それにしても多い気がするな。何か大きなイベントでもあったのかもね。パンクファッションの子が多いし」


 なるほど。似たようなゴスっぽい服装の女の子が多いけど、あれはパンクファッションっていうのか。


「詳しいね。行ったことあるの?」


「クラブに? いやいや、無いよ。だってまだ未成年だもん。同じ事務所の里原舞ちゃんがたまに行ってるみたいで、話を聞くんだよね」


 里原舞って、確か清野と一緒にドラマに出演する女優だったよな。清野と同じくモデルもやっていて、バラエティ番組とかでも見たことがある。


 というか、「隣のクラスの子がさ〜」みたいなノリで出てくる名前のレベルが違いすぎるんですけど。


「あ、てか、早く行かないと待ち合わせの時間に遅れちゃうよ?」


「……あ、ヤバい。もうこんな時間か」


 清野に言われてスマホで時間を確認すると、約束していた9時の5分前だった。


 今日、こうして清野と一緒に朝の渋谷に来ているのは、クイーンオブVtuberこと猫田もぐらちゃんに会うためだ。


 昨日の放課後に、もぐらちゃんとツイッターのDMでやりとりをして「土曜日の朝9時に渋谷のカフェで会いましょう」ということになったのだ。

 

 昨日からドキドキがハンパないし、これからもぐらちゃんに会うなんて、未だに信じられない。


 朝の渋谷を指定してきたのは、周囲の目を気にしてだろう。


 夜だと逆に人が多そうだし、僕は高校生だということも話したので気を使ってくれたのかもしれない。


 もぐらちゃんから指定されたカフェは、センター街の先にあるホテル街のカフェだった──のだが。


「……」


 ホテル街。


 いやまぁ、これが「ホテル」っていうカテゴリなのは間違いないと思う。


 だけど、目の前に立ち並んでいるのは、ビジネスマンが泊まるホテルではなく、大人の男女がそういう行為をするときに利用するホテルだった。


 こ、これがいわゆるラブホテルというやつか。


 なんだか気まずい。


 いや、別に清野とそういうところに行く予定ではないので、気にする必要はないんだけどさ。


 清野も意識してるんじゃないかと思ってちらりと隣を見たら、「うわ〜、これがラブホかー」と目を輝かせていた。


 いやいや、何だよその余裕。


 変に意識してるの僕だけかよ。


「……ねぇ、東小薗くん」


 などとジレンマに苛まれていると、清野がそっと耳打ちしてきた。


「ちょっと入っちゃう?」


「ヴォオ!?」


 瞬間、顔が爆発したのかと思うくらいに熱くなった。

 

 あと、股間も。


「ちょ、ま、おま、なな、何を言ってるですか!?」


「あはは、顔真っ赤!」


「……っ!!」


 こっ、この女……っ! ふざけたマネを!


 良いだろう。そっちがそういうことをするんなら僕だって考えがある。余裕の笑みを添えて「いいよ。じゃあ入ろうよ」と返して、赤面させてやろうじゃないか。

 

「じゃ、じゃ、じゃあ……」


「ん? 何?」


「…………あ、いや、なんでもない」


 無理でした。


 そんな根性が僕にあったら、きっとこんな陰キャ野郎になってないです。


 何だろう。色々な意味でへこみそう。


 そんなふうに、ひとりで敗北感に打ちひしがれながら歩いていると、もぐらちゃんに指定されたカフェに到着した。


 こんな朝早くからやってるのかと心配したけれど、入り口に「OPEN」のサインボードが掲げられていた。


「はぁ〜……大人のカフェって感じだね」


 店内に入ると、感慨深げに清野が吐息を漏らした。


 なんともオシャレなカフェだ。


 清野の家の近くにあるジャックポットカフェに雰囲気が似ているけれど、広さは3分の1くらいで、店内にはオシャンティーなピアノのBGMが流れていた。


 席は3つほどしかなく、ぱっと見たところお客は誰もいない。


 まぁ、こんな朝からカフェに来る人間なんてそういないか。


 お店の雰囲気にマッチしたイケメン店員に窓際の席に案内された。


 もぐらちゃんが来てから注文したほうが良いかなと思ったけど、清野がアイスオレを頼んだので、流されて僕も頼んでしまった。


「こんにちは」


 店員と入れ替わるように、誰かが声をかけてきた。


 ふと振り向くと、若い女性が立っていた。


 年齢は僕や清野と同じくらいだろう。


 だけど、僕たちと決定的に違うのは、その見た目だった。


 銀のショートヘアに黒いパーカー。膝上まであるソックスは片方が黒で、もう片方がシマシマになっている。


 さらに、トゲトゲの首輪みたいなアクセサリーと、手首にはベルトみたいなものとシルバーのアクセサリー。


 これは、あれだ。


 さっきセンター街で見かけた、パンク系ファッションってヤツだ。


 ファッションのカテゴリー的には僕の嗜好とかけはなれているけれど、結構オシャレだったので、清野の知り合いかと思った。


 だから清野に視線で尋ねたのだけれど、「知らない人だけど誰?」と言いたげに目をパチクリとされた。


「どちらの方がSato4さんですか?」


 パンク少女が尋ねてくる。


 Sato4。僕のツイッターアカウント名。


「……あっ、東小薗くんはこっちの可愛い方です!」


 すぐさま清野が両手をバッと僕のほうに広げた。


 や、可愛い方ってなんだよ。


「……」


 パンク少女が胡乱な目で僕を見る。


 なんだか怖い。


「あの、本名暴露されちゃったけど、大丈夫ですか?」


「え? あ、えっと……平気です」


 清野が「しまった」と両手で口を覆っていたけど、全然大丈夫だ。


 だって僕、有名人でもないし。


 そんな清野が、そっとパンク少女に尋ねた。


「あの、もしかして、もぐらたゃのマネージャさん……ですか?」


「あ、いえ。本人です」


「「……ファ?」」


 思わず清野とハモってしまった。


「わざわざ来てもらってすみません。猫田もぐらです。はじめまして」


 もぐらちゃんを名乗ったパンク少女を唖然と見つめる僕と清野。


 え? ウソ? この人がもぐらちゃんの中の人?


 ピンクのロングヘアーに猫耳のほんわか美少女もぐらちゃんの中の人って、パンク少女だったの!?


 マジで!?


「あ、びっくりしました?」


「あ、いや……えと、しました。メチャクチャ」


「ですよね」


 おっかなびっくりに答えると、もぐらちゃんがクスッと笑った。


 あ、この笑い方は絶対もぐらちゃんだ。てか、声がモロにもぐらちゃんだし。


 ぞわぞわと背中にむず痒いものが走る。


 う、うおおおお……! 生もぐらだ!


 僕、もぐらちゃんの中の人に会っちゃった!


 やけに清野が静かだと思ったら、驚きのあまり呆然としているようだった。これは再起動までしばらく時間がかかるかもしれない。


 もぐらちゃんが席に座りながら尋ねてくる。


「あなたがSato4さんで、そちらの彼女は?」


「あ、ええと、彼女は僕のカノジョ──」


「もしかしてSato4って、ふたりの活動名とか?」


「えっ?」


 ギョッとしてしまった。


 まさかもぐらちゃんの方から、そういう発言が飛び出してくるなんて。


「そっ、そうなんですよ」


 フリーズしていた清野が慌てて返す。


「実は私と東小薗くんで一緒に活動してて!」


「……?」


 もぐらちゃんが、小さく首をかしげた。


「あなた、もしかして黒神ラムリー?」


「……っ!?」


 ギョッとしてしまう僕たち。


「ど、どうして」


「声を聞けばわかりますよ。あ、すみません、注文お願いします」


 もぐらちゃんが店員を呼んで、アイスコーヒーを頼む。


 店員がカウンターの向こうに消えてから、今度は僕が口を開く。


「そ、そうです。彼女は黒神ラムリーの中の人をやっていて、僕と一緒に活動をしてるっていうか……」


 ウソではない。僕と清野はVtuberとママという関係なのだ。


「メインでイラストを書いているのは僕です。ツイッター名も、本名が『さとし』だからSato4って名前で」


「簡単に名前を明かすんですね」


「あ、う、すみません」


 再びもぐらちゃんがくすくすと笑う。


 何ていうか、見た目は怖いけど笑顔はメチャクチャ可愛い。


小俣こまた寧音ねね


 もぐらちゃんがポツリと言った。


「え?」


「私の名前です。こちらだけ活動名じゃフェアじゃないですし」


 唖然としてしまった。


 どこの馬の骨ともわからない僕なんかにあっさり教えちゃっていいの?


 慌てて「本名は秘密にしますから」と言おうとした瞬間、清野がもぐらちゃんこと、寧音ちゃんに顔をズズいっと近づける。


 その目は、爛々と輝いていた。


「……可愛い名前!」


「っ!?」


 流石にビビったのか、寧音ちゃんが軽く身を引いた。


「てか、声はもぐらたゃなのに、見た目がかっこいいとかギャップ萌えすぎるんですけど! あ、私、清野有朱って言います!」


「ありがとう……でも、ちょ、近い……です」


「どうしよう!? メッチャ可愛い! えと、私、ずっと前からもぐたたゃのこと大好きで、Vtuberはじめようって思ったのも、もぐらたゃにあこがれてて、ああ、私もあんな尊いキャラになりたいって思って……うわっ、まつげ長いっ!」


「……っ!? ちょっと近いですってば!」


 いつものハイテンションになる清野と、ドン引く寧音ちゃん。


 清野は本名を明かすのヤバくないか……と思ったけど、反応しないところを見ると、どうやら寧音ちゃんは清野のことを知らないみたいだな。


「と、とにかくですね、今日はわざわざ私のために時間を作ってくれて、ありがとうございます」


 アワアワと慌てふためきながらも、ペコリと頭を下げる寧音ちゃん。


「それで、ええとDMでお話したとおり、Sato4さんにお願いがありまして……」


「あ、僕の名前は東小薗でいいですよ」


「…………じゃあ、聡さんにお願いがありまして」


 吹き出しかけた。


 ま、まさか、あのもぐらちゃんに下の名前で呼ばれる日が来るなんて。


 ひょっとすると僕はこのまま死んでしまうのかもしれない。


「一応、おふたりに確認なんですが、ここでのことは他言無用でお願いできますか?」


「もっ、もちろんです」


 大丈夫だよね、と清野に念押しする。


 彼女はコクコクと何度も頷いた。


「ありがとうございます。では、単刀直入に言いますね」


 スッと寧音ちゃんの目が真剣になる。


「聡さんに、私のママになってほしいんです」


 静かに、だけど芯の通った声で寧音ちゃんが言った。


 流れる沈黙。


 彼女の声が、店内に流れる音楽の中に溶けていく。


「……はい?」


 既視感に襲われてしまった僕は素っ頓狂な声を出してしまう。


 あの、それってもしかして…………ママ活的なやつですか?

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