第29話 トラブル解決マン

 乗冨から見えないトイレの前で急いで清野にLINEを送った。


『何かトラブル?』


 すぐに既読が付いたが、返信はこない。


 マルチタスク操作をしてYoutube画面を開く。画面は真っ黒のままだった。


 時間にして1、2分程度だが、配信が止まったせいでコメント欄はざわつき、視聴者が減っている。


 清野から返信は来ず、配信は止まったまま……ということは、焦ってあれこれ設定をいじっているのだろう。


 一抹の不安が過る。


 知識が無いのに設定を触ってしまったら、さらに予期せぬトラブルが発生してしまうかもしれない。


 配信が切れる……のはまだいいけど、突然カメラに清野の顔が映ったり。


 それだけはマズい。考えただけでもゾッとする。


 僕はLINEの「ビデオ通話」ボタンをタップした。


 電話をするのは苦手だ。それに、清野と電話で話すのもはじめてだけど、背に腹は代えられない。


 コールしてすぐ、スマホの画面に部屋着姿の清野が映った。


 その顔はだいぶ焦っているように見えた。


「……あ、もしもし? 東小薗くん?」


「き、清野さん? 大丈夫?」


「どうしよう、画面が消えちゃった」


「わかってる。今、配信観てるよ」


「原因ってわかるかな?」


「はっきりとはわからないけど、配信が切れてないからネットの問題じゃないと思う。だから多分、機材の問題だろうけど……」


 実際に見たわけじゃないから、自信がない。


 カメラの問題だったらキャラの動きが止まるだけだし。


「清野さん、もしかして何か設定いじっちゃった?」


「う、うん。画面が真っ暗になる前にキャラが動かなくなったから、びっくりして設定触っちゃった……」


「なるほど。それかもしれないな」


「わ、わ、私のせい、かな?」


「あ、いやいや、清野さんは悪くないから安心して」


 慌てふためきはじめる清野をとりあえず宥めた。


 偉そうに慰めてるけど、さっきから僕の膝は笑いまくってる。


 僕の判断ひとつで黒神ラムリーの未来が左右されるのかと思うと怖すぎる。


 正直なところ、逃げたしたい気分だけど──そんなことができるわけがない。


 僕は小さく深呼吸して心を落ち着かせ、解決策を考える。


 機材トラブルが起きた場合、一番手っ取り早いのはパソコンを再起動させることだけど、今回の場合は上手くいくかわからない。


 設定の問題だったら、再起動しても画面は真っ黒なままなはず。


 となると、設定を元に戻したいところだけど、清野はどこをいじったのか覚えてないだろうし、遠隔で指示をするのは難しい。


 やっぱり清野の家に行くべきか。


「……とはいえ、なぁ」


 陰からそっと座っていた席を見る。


 乗冨がそれはそれは幸せそうにシフォンケーキを食べているのが見えた。


 これから清野の部屋に行くなら、乗冨に断りを入れないといけない。このまま黙って行っちゃったら月曜日に何を言われるか、わかったものではない。


 でも、どんな理由をつける?


 清野の部屋にストーカーが現れたから行く……とか? 


 いや、それじゃあ「私も一緒に」みたいなことになりかねない。いや、100%そうなる。


 となると「帰る」ってパターンだけど、いきなり帰るって言っても疑われて後をつけられそうだし。


「ああ、もう面倒くさいっ!」


 ごちゃごちゃ考えている暇はない。


 乗冨のことは後で考えて、今は清野を助けに行こう。


 僕は乗冨に見つからないように恐る恐るトイレを出て、レジへと向かう。


「スミマセン、今あの女の子が座っている席の者ですけど、先に会計だけしてもらえますか?」


「承知しました。お会計は一緒でよろしいでしょうか?」


「……え? あ、は、はい」


 一瞬ためらったが、仕方なく一緒に会計をすることにした。


 急にいなくなった罪滅ぼしというわけじゃないけど、ここは僕の奢りだ。タダでケーキ食えてよかったな、乗冨。


 支払いを済ませてすぐに店を出たが、席に傘を忘れてきたことに気づく。


 ああもう! 次々とウザい問題ばっかり!


 店員に頼んで持って来てもらおうかと考えたけど、頼むのが恥ずかしかったので雨の中に飛び出した。


 カフェからマンションまで1、2分といったところだ。それくらいなら、ずぶ濡れにならずに済むはず。


 ──などという推測は大外れで、エントランスにつくころには上着から雨が滴り落ちるくらいに濡れてしまっていた。


 幸先が悪すぎる。


『今からそっちに行く』


 頭から雨のしずくを滴らせながらLINEをして、集合住宅用のインターホンの前に立った。


「……」


 そこでさらに困ったことが起きた。


 エントランスのドアを開けてもらうには、部屋番号を押してインターホンを鳴らさないといけないんだけど……清野の部屋番号、何だったっけ。


 前回はインターホンを押す前に開けてもらったから覚えてないよ! 


 確か32階だってのは記憶にあるけど……。


『部屋番号は3203』


 清野からのLINE。


 天啓とはこのことか。いや、ちょっと意味が違うけど。


 番号を押すとエントランスのドアが開いた。


 すぐに中に入ろうとしたが、インターホン越しに清野に話しかける。


「清野さん。とりあえず、配信のチャットに『機材のトラブル中なので少々お待ちください』的なコメントを入れて」


「……っ、わ、わかった」


 これで少しはリスナーの離脱を防げるはず。


 エレベータに飛び乗って、32階を押した。


 この前来たときはあんなに速いと感じていたエレベーターの階数表示が、ひどくゆっくりに思える。


 早くしろおおお! お前はリア充の城、タワマンのエレベーターだろ! 気合い入れて32階まで上がらんかいっ!


「……着いたっ!」


 ようやく32階に到着して、ダッシュで3203号室へと向かう。


 たしかエレベータを出てすぐのところだった。


 玄関のインターホンを鳴すと、ぱたぱたと走ってくる音が聞こえてドアが開いた。


「え!? ひ、東小薗くん!? びっしょりじゃん!? 待ってて、いまタオルを……」


「だ、大丈夫。それよりも、早く配信を……」


 清野にドン引きされてしまったが、今はそれどころじゃない。


 びしょ濡れの上着で軽く頭を拭いてから玄関に脱ぎ捨てて部屋に上がる。


 廊下を進んで清野の部屋に入ると、真っ黒な画面が映っている配信アプリの「OBA」が目に飛び込んできた。


「ちょっと、触らせてもらうね」


「う、うん、お願い」


 設定画面を開いてさっと確認したけれど、原因はいまいちわからなかった。


 カメラの認識はされている気がするけど。


「ごめん、一旦配信を切るよ」


 清野に断りを入れ、Youtubeに「一旦、配信を切ります! ごめんなさい!」というコメントを入れてから、パソコンを再起動する。


 すぐさまパソコンが立ち上がり、フェイストラッキングツールの「FaceBrink」とOBAを起動したが──画面は真っ黒のままだった。


 やっぱりだめか。こうなったら、一旦すべてのアプリを初期設定に戻してカメラのセッティングからやったほうが早いかもしれないな。


「清野さん、とりあえず椅子に座ってもらえる?」


「え? あ、うん、わかった」


 OBAの設定画面から「初期設定に戻す」ボタンを押して設定をリセットした。


 それから「FaceBrink」の設定も初期状態に戻し、キャラを読み込みなおして、リキャリブレーションをする。


 あさっての方向を見ていた黒神ラムリーが、パッと正面を向いた。


「えと、背景に使ってた画像はどこかな?」


「あ、デスクトップに」


「……あった、これか」


 自己紹介のテキストと、今後の活動内容が書かれた背景画像。


 それをOBAに設定して、最後にマイクのテストをした。


 ちゃんと音声が認識していることを確認して、すべての設定は完了。


「……これで良しと」


「え? ホント? もう治っちゃったの?」


「全部初期状態に戻したから、これで行けるはず」


「す、すご……東小薗くん、ホントにすごすぎなんですけどっ! 何!? 真凛まりんお姉ちゃんレベルであっさり問題解決してくれるじゃん!?」


 感激のあまり目に涙を浮かべる清野。


 ちなみに、真凛お姉ちゃんとは「君パン」に出てくる主人公ヒロくんのお姉さんで、何かとトラブル(主にかすみたん関連)を解決してくれるスーパーなお姉さんなのだ。


「や、僕はただ、自分にできることしかやってないし……」


「それでもすごい! 神すぎる!」


「あ、う……えと、とにかく、配信を再開するよ?」


「あ、そうだね! わかった……あ、ちょっと待って東小薗くん」


「え?」


「あの……ありがとうね。キミがいてくれて、本当に良かった!」


 清野は改まって姿勢を正し、少し恥ずかしそうにハニカミながら言った。


「私……この配信、目一杯楽しむから!」


「……うん」


 予期せぬトラブルで僕が一番心配していたのは、清野の精神状態だった。


 精神的にやられてしまって配信の継続が困難になる──なんてことを恐れていた。


 だけど、「楽しむ」なんてセリフが出てくるなら大丈夫だ。


 流石は芸能人だ。現場なれしてる。


 ──これなら、いつもの清野を100%出せるはず。


 そう確信した僕は、躊躇せず配信開始ボタンをクリックした。

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