第三膳(前編)シチューと苦手料理

 夕食を作っている途中、買い忘れた食材の為にスーパーに駆け込んだ。

 あれがないと味がしまらない。なくてもいいけどあった方が絶対に良い。脇目もふらず食材のある陳列棚へ走り、手に取ると速攻レジへ向かった。


 早く作りたいが故に、空いてるレジ目掛けて突き進む。夜のスーパーにいるのは、仕事終わりで疲れている人々がほとんど。だから、俺と同じ考えの人がいたのだろう。

 同じレジへ走ってくる人とぶつかってしまった。


「「すみませ……あ」」


 ぶつかってきたのは弥生ちゃんだった。一週間ぶりに顔を合わせた彼女は、少しだけ痩せた気がした。

 ずれた眼鏡を直しながら、居心地悪そうにそっとカゴを背中に回す。だが、カゴの中に入っていたものを俺は見逃さなかった。


「仕事終わり?」

「……そうです」

「お疲れ様。それ、夕食?」


 恥ずかしそうに頬を赤く染めた弥生ちゃんは、観念して静かに頷く。

 カゴに入っていたのは、半額シールが貼られたサンドイッチ一個。


「私、料理が苦手で……いつもお弁当を買ってたんですけど……」


 別に恥じらう必要はない。料理の不得意は人それぞれだし、スーパーのお弁当だって美味しいから。だが、サンドイッチ一個は仕事終わりのお腹を満たすには少なすぎないか?


「スーパーとかコンビニのお弁当って、そこまで代わり映えがないといいますか……味つけが濃いからか飽きてしまって、あまり食欲が湧かなくて……」


 スーパーのお弁当の中身はお惣菜の詰め合わせがほとんどであまりメニューは変わらない。コンビニは都度中身に変化はあるが、好みもあるだろうし値段も少し高めだったりする。


「理一さんが作ってくれたご飯が美味しすぎたのもありますけど……」


 俺が作ったお茶漬けやカレーを思い出したのか弥生ちゃんのお腹がぐぅ、と鳴った。


 これから毎日、弥生ちゃんは、自分の口に合わないお弁当を買い続けるのだろうか。それが辛くなってサンドイッチとかおにぎり一個だけの食卓なんて侘しいし、栄養面だって心配だ。

 なにせ、この間お腹を空かせて行き倒れていたんだから。理由は聞いてないけど。弥生ちゃんが古生物の話ばっかりするから聞きそびれていたんだ。

 そのうち、食事をするのが苦しいってなってしまったら可哀想じゃないか。食べることは即ち、生きること。美味しい物は明日の活力になる。


「ひとつ提案があるんだけど」


 食べるのが辛いなんて言ってほしくないんだ。


「夕食、作るよ」


 俺は、みんなを笑顔にできる料理を作りたいと思っていた元料理人だったんだから。


「これから毎日、弥生ちゃんにとびきりの夕食を作ってあげるから」


 見捨てられるわけ、ないだろ?





 突然の提案に弥生ちゃんは「ご迷惑ですから」と断りを入れてきた。だが、三葉虫の煎餅の如く全く折れない俺に軍配が上がった。


 今日のメニューはホワイトシチュー。

 だが、弥生ちゃんは珍しいことにスプーンにも手を付けず、その両手は膝の上に乗ったままだった。しかもなんだか泣きそうな顔をしてじっとシチューを見つめている。

 お茶漬けの時もカレーの時も、お腹をならしてガツガツ食べてくれたのに一体どうしたものか。


「これは……」


 ぼそりと弥生ちゃんが呟くと、神妙な面持ちで俺を見つめてくる。


「もしかして、お煎餅の報復ですか?」

「ん?」

「硬いお煎餅を食べられない理一さんを横目に、私がバリバリ食べてたの、根に持ってます?」


 俺、陰険な奴じゃないよ?

 寧ろ、残ったお煎餅全部トンカチで砕きつつ美味しくいただきましたが。それを弥生ちゃんに伝えると、安堵した顔をした後に眉間に皺を寄せて首を傾げてくる。


「じゃあ……どうして……」


 そう言ってまたシチューに目を落とし、口をキュッと結んでしまっている。

 食べないということは、苦手のものでもあったのだろうか。

 なんだか微妙な空気がわたしたちの間に流れている。ボタンを掛け違えたような、しっくりこない違和感だ。


 まぁ大人になってもやっぱり苦手な食べ物はあるものだ。だからこそ食べたくない気持ちもよくわかる。


「俺もさ、昔は牛乳が苦手だったんだ。ついで言うとセロリとグリンピースは今も苦手なんだよね」


 その言葉にキョトンとした顔で俺の顔を見つめてくる。


「理一さんも、牛乳が?」


 なるほど、弥生ちゃんは牛乳が苦手なんだ。


「まぁ苦手なものなんて誰にだってあるよ。無理する必要はないんだ。でもね、ちょっと食べてみたらどうかな?」


 でも同時に食べてみてほしいという気持ちがある。

 人の味覚は食べたものによって変化していくものだし、昔は苦手だったものでも、食べた料理によって好物に変わることだってある。


 知り合ったばかりなのに、ちょっと強引だったかな? たぶんそうだと思う。でも、これをきっかけに苦手な食材を使ったたくさんの料理が大好物になるかもしれない。


「元牛乳嫌いの俺が開発したとっておきレシピなんだ。味見だけしてごらんよ」


 ニッと笑ってそう言うと、覚悟を決めたのか弥生ちゃんは半信半疑な面持ちでうなずいた。


「い、いただきます」


 それから慎重に、おっかなびっくり、スプーンの先をシチューにひたした……。

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