第24話 月に踊る二つの影

真夜中の主役の座は満月へと戻った。そしてその冷たい姿を鏡のように映し出す、なみなみと水をたたえた大きなダム湖のほとり。そこへ黒燕は大きく羽を広げてゆったりと着地した。元々の黒い体をさらに夜闇が包んでいる為、らんらんと光る白い眼を除けば彼の姿は完璧にカモフラージュできていた。


イエルからの指示はとても簡単だった。貯水率が8割近くのダムを襲撃せよ。ただし、なるべくダム湖の中から破壊する事。水中にいれば奴はダムの決壊を恐れて積乱雲を発生させることが出来ず、隠れて対処することが出来なくなるからだとはいうものの、空中戦に特化した黒燕にとって水中での破壊工作など御門違いにもほどがあるが、彼はこれをすんなりと受け入れた。予め持ってきた水中行動用覆面を装着し、しずしずと湖面へと進んでいく。そして、頭まで完全に水中につかり、全身に浮力が働くのを確認したのちに、黒燕は大きく水中を蹴って遮水壁の方へと進みだした。


「いいか、もし何らかの動きがあったら絶対にダム本体から離れるな。ダムを盾にして動けば奴はうかつに攻撃できない。奴をあぶりだすまでは絶対にそばを離れるなよ。ダムの遮水壁に近づいたら連絡しろ。」


本当にそんなことで奴をあぶりだせるのかどうか、疑問点はないわけでは無かったが、これと言った明暗もない以上彼の指示に従って動くしかない。どうも自分はイエルの口車に乗せられてばかりだ。地球出身の裏切り者のくせに、新参のくせに。なんだってミカ先生はこんな奴に肩入れするのだろうか。だが、その不満を即座に口に出すほど黒燕も愚かではなかった。これらは全て手柄を立てて地位を上げた時にまとめてイエルにぶっつけてやる。そしていずれはミカ先生と肩を並べて、この戦争を勝利へと導くのだ・・・


そのためには、まず目の前の任務をこなさなければならないと、黒燕は気を引き締めた。真夜中を照らしつける月の光も届かないダムの湖底は流石の黒燕も覆面の暗視装置なしでは進むこともままならない。かつてこの湖の底に会ったであろう街の残骸と、所々に散らばっている「田子倉ダム建設絶対阻止」と書かれたことがかろうじてわかる錆びついた看板を横目に見つつ、しばらく行くとそこそこの大きさの「ずり山」が見えてきた。これは本来川を経由して海に流れるはずの土砂がダムという人工物に阻まれたことにより堆積したものだ。これが大きくなるとダムの貯水率に著しい影響が出る為、しばしば湖の水を抜いて掘り出す。これが見えてきたという事はダムの遮水壁はもうすぐそこだ。


黒燕はイエルに連絡を取った。


「イエル様、ダム湖の堆砂が見えてきました。遮水壁に接近する為、速度を落とします。」

『堆砂だと・・・?そのダムはつい一か月前まで堆砂の掘り出しを行っていたとデーターにはあるが・・・』

『ですが、疑似網膜でも映している通り大量に堆積しています。そう、丁度私のような大きさでもすっぽり隠れられるくらいには・・・』


黒燕は、自分の言い放った言葉でハッと気づいた。考えるよりも先に脊髄反射で足を前に蹴り上げてその堆砂から大きく後退する。そして、次の瞬間・・・


ジャキン!!


その堆砂から、数本の太くて長い針が黒燕がいた方向に向かって伸びてきた。針は黒燕の目と鼻の先まで伸びている。もしあと一歩引くのが遅ければあの針の餌食になっていたであろう。燕なのに「百舌鳥のはやにえ」にされるところだった。しかし、その大きな針をその疑似網膜に捕らえたことで、イエルの仮説は今ここに正しいと証明された。・・・やはり、奴は生きていたのだ!そして、堆砂の方から声が聞こえてくる・・・


「こんな夜中にダム湖で素潜りの練習か?弱点を補おうとするのは結構だが、いくら同じ鳥だからって燕はペンギンになれないんだぜ?よくてカワセミか、カモメか・・・」


堆砂が針を収めたと思うと、大きな砂塵となり、渦を巻いて湖面へと上り始めた。黒燕もその後を追う。


「待て!」

「どうせもうとっくに正体はバレてんだろう?だったらせめて湖の外で戦おうぜ。水の中だと羽がふやけちゃっていけねえや。」


渦巻く砂塵を追いかける為、湖底を大きく蹴って急速浮上する。その勢いで黒燕は湖面から空中へと飛び出した。ぬれた羽を大きく広げて、黒燕は「彼」を探す。


「どこだ!!どこだにいる!!姿を見せろ!!」

「全くせっかちな奴だねぇ・・・俺はここだよ。ここ。」


空中に舞うきらきらとした粒子は、巻き上げられた水しぶきではなく先ほどの砂塵であった。砂塵は水分を巻き込んで霧となり、そして互いに結合し、人型を形成する。そして、霧が晴れた時には空中にもう一人の黒系色素生物、いや、黒系色素生物の姿をした何者かが黒燕の眼前にその姿を現した。


「やはり生きていたか・・・ブラックウィング!」

「一応断っておくが、俺はこの姿を借りているだけの別人だ、ブラックウィング本人はとっくに死んでいる。」

「貴様のせいで・・・貴様のせいで、ミカ先生は、どれだけ苦しんだか・・・どれだけ辛い思いをしたか・・・」

『黒燕、はやる気持ちは分かるが、我々の立てた作戦が読まれていた以上戦うのは不利だ、撤退しろ。』


黒系色素生物の信頼を失墜させた敵が目の前にいるのに、このままおめおめと逃げ帰れというのか。黒燕は当然反発した。


「ここまで来たのです、やらせてください!!どのみち手柄を立てずには色魔殿には戻れません!!」

『ブラックウィングを炙り出した、それだけでも十分な手柄だ。奴はあの重光線にさえ耐えたのだぞ?言い訳なら俺がいくらでも取り繕ってやる、いったん体勢を立て直してからでも遅くは・・・』


ブチッ


どうやら黒燕は脳髄のRTRSを自分の判断で停止させたようだ。イエルが見ている立体映像には黒燕とブラックウィングの姿は映っておらず、画面いっぱいに「通信途絶」という表示が点滅を繰り返しているだけであった。


「通信を切ったか・・・馬鹿な奴め、おとなしく従っていればいいものを・・・要らん反骨精神など持つべきものではないな」


だが、この状況もイエルの計算の内に入っていた。そもそもこの作戦自体、どうあがいてもブラックウィングを炙り出した時点で黒燕は体よく始末される算段になっている。感情に動いた挙句にむざむざと殺されてくれれば手間が省けてそれでよし。しかし万が一にも生きていたブラックウィングを始末してくれれば回収地点に定めた月で出迎えるふりをして隙をつき始末するだけのこと・・・邪魔者は少なければ少ないほど良い。特に黒系、白系の色素生物は「計画」の遂行のためには優先的に始末せねばならない。


イエルの興味は既に黒燕からブラックウィングに化けていた「彼」に切り替わった。シアンとマジェンタが”黒く”なったのはおそらく奴の入れ知恵で間違いない。となると奴も色力についてそれなりの心得があるという事だ。分からないのはその行動だ。何故奴は、ころころと立場を変えるのか?奴はどのような意思をもって動いているのか?・・・奴は何を欲しがっているのか?分からないことが多すぎる以上、奴の存在自体がイエルの「計画」最大のネックであった。だがとりあえず奴が生きていたことを確認しただけでも大きな収穫だ。後は奴が黒燕を始末してくれるのを待つだけ・・・今のところは万事、予定通りだ。


今、事の成り行きを穏やかながら冷酷に見つめる満月のもとで、二つの影が空中で死闘を演じているのだろう。すべて己の意思で動いていると思い込んでいるようだが、君たちは用意された舞台で踊らされているだけに過ぎないのだ・・・この哀れな人形たちの舞踏を最後まで見届けることが出来ないのは残念だが、まだこれは前座に過ぎない、お楽しみはまだまだこれからだ。




イエルはそう独り言ちると、立体映像を映し出す端末の電源を落とした。何もかもがすべてうまくいっている現状に、彼は笑いを抑えるので精いっぱいだった。






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