最終章グレー編

第32話 全ては動き出した

白系色素生物、ミカ将軍の死をイエルから伝えられた時、大大王ジレンは思わず倒れてしまった。移動要塞色魔殿の古くからのメンバーかつ、重要な腹心のミカを失ってしまった大大王の心境は察するに余りある。頬はこけ、あれほど長かった橙色の髭は色あせて縮れ、目には黒い隈が出来ている。いつのころからか、大大王のなりは日を追うごとにひどくなっていった。


「おお、ミカ将軍・・・なぜおまえが死んでしまったのだ・・・うっ・・・ぐぐぐ・・・」


胸の動悸が激しくなる。額にじんわりと脂汗が浮かぶ。目は泳ぎ、ろれつが回らない。”薬”が切れたのだ。


「イエル・・・イエルはどこだ・・・早く、早く・・・薬を・・・」

「お呼びですか、大大王様。」

「おお、イエル、は、早く、あ、あの薬をよこせ・・・!!」

「はい、こちらにございますよ。」


イエルが差し出した杯には黄色い液体で満たされた”薬”が入っている。色魔殿に最初に来た時にお近づきの印に、とふるまった”元気の出る薬”。しかしその実は、服用すればするほどその薬なしでは生きられなくなる麻薬であった。ミカに持ったのはこの薬の原液である。大大王には水で薄めたものを飲ませているが、それでも依存性が薄まったわけでは無い。しかも、色素生物は水分だけは物理的に吸収しなければならない習性を利用して、色魔殿の飲料水タンクにこの薬を混ぜ込んでいたのだ。知らず知らずのうちに、色魔殿はイエルなしでは生きられないような構造になっていた。


「イエル、イエルよ、今日の、薬は、量が、少ない気がする、もっとだ、もっと・・・」

「いけませぬ大大王様、この薬は一日最大3回まで。お言葉ですが、大大王たるものが決まり事を守っていただけなければ困ります。」


一日3回が限度なぞ当然真っ赤な嘘である。一度でも飲んだら依存の渦に沈んでしまうほどには、危険な薬なのだ。


「た、頼む、あと一杯、あと一杯だけ・・・その、薬が、ないと・・・余は・・・余は・・・不安で、不安で押しつぶされてしまう・・・」

「(大大王ともあろうものが、情けない・・・)ならぬものはならぬのです。」

「ご、後生だ・・・あと一杯、あと一杯・・・」


ブラックウィングが死に、ミカも死に、もはや大大王はイエル以外に頼るものがなくなっていた。イエルは人間時代に、よく道端で段ボールやらビニールシートにくるまって寝転がっている宿なしの物乞いを見かけたことがあるが、今自分の足に縋り付いてまで薬を欲するジレンの姿は、まさにそのイメージに酷似していた。もちろん、そんなことは口には出さない。すると、玉座の間にずかずかと色素生物たちが入ってきた。皆、目が血走って憔悴しきっている。


「い、イエル様・・・どうも最近、タンクの、調子が、おかしくて・・・なんか、悪いものでも、混ぜ込んだんじゃ、ないかって・・・」

「イエル様、今一度、点検をお願いします、明らかに、水の、味、おかしい・・・」


イエルは水タンクの点検を自分一人で受け持っていた。だからこそ、いとも簡単に薬を混ぜ込むことが出来たのだ。そして、どれくらい依存したかを確かめるために今日だけ薬を入れるのをやめたらこの通りだ。


「イエルよ、頼む、どうか、どうか」

「イエル様、お願いします、どうにかしてください。」

「イエル様」

「イエル様」

「イエル」


大大王含め、色魔殿にいるすべての色素生物が、彼にひれ伏していた。”計画”の第一段階は成功だ。このために邪魔者を手間をかけてまで始末したのだ。もはや誰もイエルを止められる者はいない。イエルはほくそ笑んだ。


「では大大王様、もう一杯薬をお持ちいたしましょう・・・その代わり、一つ、頼みごとを聞いてもらってもよろしいですかな。」

「薬を、くれるなら、何だって、聞いてやる、さ、さあ、申してみよ、何が望みだ?」

「それは・・・」


ややあって、長らくアステロイドベルトに係留していた色魔殿の色力式推進機関が、久方ぶりに稼働した。永い眠りから目覚めた色魔殿は、この太陽系の第三番惑星、地球に進路を取ってゆっくりと、しかし確実に近づいていく。イエルの願い事は、色魔殿を地球へと動かし、衛星軌道上に乗っける事。そして、全ての指揮権を自分に譲り渡し、地球側と総力戦をさせることであった。ジレンは当然承諾した。もはや、ジレンや色素生物の判断能力は薬によってことごとく破壊されていた為、だれも彼の提案に反対する者はいなかった・・・。


・・・


色魔殿が動いた。まっすぐ地球へと向かってくる。とうとう奴らも腹を決めて総攻撃をかける気らしい。まだ世界七都市襲撃事件の傷も癒えないうちに、各国の衛星がとらえた色魔殿がその巨体をまっすぐに地球に向けていると知ったとき、その適切な対応策を持ちうる国が日本しかないと知ったとき、世界は恐怖で沈黙した。今、ニュースで流れている映像には、国連総会と言う名の日本にすべての責任を押し付ける魔女裁判が行われている。だが、もはや今となってはそれも茶番に過ぎない。その日本でさえ、国単位での色力研究を凍結すると言ってしまったのだ。


「全く、見ていられないよ・・・」


国営放送では国会での責任の押し付け合いの映像が。民放では誰が悪いかの悪人探しを自称知識人が好き放題討論しまくる特番を流している。すべて無駄な悪あがきである。そんなことをしても無駄であるという事はテレビの向こうの人も分かっているはずなのに。蒼井はテレビを消した。同時に、朝一番にニュースを聞いて買い出しにすっ飛んでいったクロハとマジェンタの二人が奥会津に帰宅した。


「蒼井さん!!ありったけの食用色素、買ってきましたよ!!」

「みんなこぞって食料品やら生活用品の買い占めの最中、食用色素を買い占めるなんて俺たちくらいだよなあ」

「店員さん、みなすごい不思議そうな目で私たちを見ていたものですから・・・少し恥ずかしくて・・・」


ビニール袋にこれでもかと詰め込まれた食用色素の半分は青、半分は紅。こんなこともあろうかと会津若松や喜多方、果ては郡山、福島、いわき等の都市のスーパーマーケット、コンビニエンスストア、ドラッグストアなどありとあらゆる場所で買えるだけ買ってきた。そして、一応色力がなくとも戦えるクロハ自身も、念には念を入れて、黒系物理色を簡単に補充できる「飲み物」を大量に買ってきた。


「く、クロハ・・・それ、本当に飲むの?」

「あたぼうよ、固形墨はちょっと硬すぎるし、食用竹炭は高すぎるし、結局これが一番コスパがいいのさ。」


そして、クロハは「良く書ける!書道用墨汁」と書かれたボトルのキャップをむしり取り、ごくごくと一気飲みし始めた。こんな光景が拝めるのはおそらくこれっきりだろうなと蒼井は困惑した表情で心中で独り言ちた。


「今度の戦いは、総力戦と言っても間違いじゃねえ。だがやろうと思えばいつでも仕掛けられたはずだ。どうして今になってそんなことをしでかした理由・・お前らならわかるよな。」

「・・・イエル、だよね。」

「ああ。この総力戦もおそらく何か裏があって仕組んだものと考えて相違ないだろう。」

「今度は、何を考えているんでしょうか・・・」

「流石に真意は分からねえ、だが、俺たちに今できることは、目の前の敵を倒すことだけだ。」


二人はその言葉に強くうなずいた。そして、無我夢中で食用色素を――クロハは墨汁を――朝ご飯と共に掻き込み始めた。体中に色力が満ち満ちてくると同時に、武者震いにも似たような感覚が、二人の体を支配している。対するクロハは口の中を時々うがいをしながら平静を保っている。だが、その座った目はある一点を見つめていた。


「・・・」


岐路井の頭を覗いたときに、人造色素生物、即ちに関する情報もついでに手に入れていたクロハであったが、それは土産ついでに掻っ攫った情報にしてはあまりにも重大すぎて、さすがの彼も煙草を6本も吸わなければならないほどの衝撃であった。だが、それを今伝えれば、たちまち彼女や蒼井はイエル、いや岐路井と戦うことをためらってしまうであろう。


「・・・クロハさん、どうしましたか?」

「あ、いや、何でもない。」


視線に気づいたマジェンタから慌てて眼をそらす。二人はやけによそよそしいクロハの様子を見て、顔に「?」の文字を浮かべている。彼自身、隠し事はしたくないし、したところでどうせバレるのは惑星風邪の件でよくわかったつもりではあったが、今回ばかりはその己自身で決めた決め事を反故にせねばならないほど、慎重にならざるを得なかった。


「(戦いが終わってから話しても遅くはない、あるいはいっそ墓場まで・・・いや、よそう。すべてはこの戦いが終わってから考えねえと・・・)」


クロハは、50本目の墨汁と共に雑念を一気に腹に流し込んだ。色魔殿はとうとう火星の近くまで来たという。いよいよ、色素生物とと地球側の雌雄を決する、最大の決戦が幕を開けようとしていた・・・





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