第2話 ハピエン厨 VS カルト教団

その1

 朝四時の起床にも随分と慣れたものだ。前世とは比べ物にならないくらい、健康で文化的な生活を送れている気がする。精神が健全かどうかはさておき、少なくとも肉体の方は健全と言えるだろう。すくすく育ってくれてありがとう、烏有周。これからもよろしく頼みます。


「…………ふっ!」


 開眼。そして思考を振り切るべく、鋭く息を吐く。

 同時に相手の顔目掛けて蹴りを繰り出すも、不意打ちは容易く受け止められてしまった。背後からの奇襲だというのに、後頭部に目でも付いているのか。そのまま足首を掴まれるが、抱え込まれる前にこちらも軸足で跳躍。身体を大きく捻って回し蹴りを見舞う。


 それも空振りに終わるが無論、目的は攻撃ではない。回転により相手の手を振り解き、遠心力を利用して瞬時に離れる。


 ざっと五メートルは離れているだろうか。間合いが詰められる度、こちらもその分だけ遠ざかる。──大丈夫、動きはトレース出来ている。この距離を保っている内は、向こうの攻撃も届かないはずだ。


「俺も舐められたものだな」


 はず、なのだが。そもそもこの人を、人間と同列に語って良いわけがなかった。

 瞬間移動よろしく目前に迫る相手に、素で「うわぁ」と声が漏れる。この距離を一蹴りで詰めてきたのか、何という跳躍力。


 そして抵抗する間もなく(正確には抵抗する気力が失せた)襟元を掴まれ、気持ち良いほどの一本背負いを決められる。ここが硬いコンクリートだったら、第二の人生も即終了していたことだろう。しかし今は畳の上なので、少なくとも死ぬことはない。……だとしても、だ。


幼気いたいけな少女を投げ飛ばすのは、流石にどうかと思いますよ。師匠」


 それでも呼吸が詰まるほどの衝撃はある。腰をさすりながら見上げると、男性は忌々しげに鼻を鳴らした。武道家らしい、爽やかな見た目とは相反する態度である。


「先に手ぇ出してきたのはお前さんだろ。参拝中に襲う奴なんて聞いたことないぞ」


「だって師匠が、いつ如何いかなる時も気を引き締めておけーって」


「だからって神棚拝んでる時にやるな。お前は戦闘民族か何かか」


 そのセリフ、ツッコミ待ちと捉えて良いのだろうか。そっくりそのままお返ししたかったが、確かに武道を極める身としてナンセンスではあった。自省の意味も込め、大人しく言葉を飲み込んでおく。


「でもまぁ、あの回し蹴りは良かったよ。素人相手なら当たるだろうし」


「玄人相手なら?」


「あのまま足折られて引き摺り回される」


 容赦の“よ”の字も無かった。世紀末も良いところである。

 引きつり笑いを返す私に、師匠は大仰に息を吐いてみせた。呆れていると言い換えても良い。


「お前が戦おうとしてるのは、そういう奴らだろ。覚悟の上だと承知したのはどこのどいつだ?」


「別に、怖気付いたわけではないのですが」


 覚悟ならとうの昔にできている。そのために弟子入りまでしたのだ、今更後戻りなどしない。ただ単に、実感が湧かないだけである。


「何にせよ、実戦を積めないのは痛いですよねぇ」


「俺ぁ別に構わねぇよ?」


「命がいくつあっても足りないので勘弁してください」


 努めて平然を装うも、内心冷や汗が止まらなかった。この人に本気を出されたら、それこそ世界が滅亡してしまう。冗談抜きで。


 しばしの間見つめ合うも、先に視線を外したのは師匠の方だった。表情からどこか諦観の念を感じるが、勝手に失望しないでいただきたい。


 改めて帯を締め、ゆっくりと立ち上がる。見れば、相手は既に刀を携えており、つまり稽古の開始を示唆していた。「素直じゃないなぁ」なんて内心思いつつ、私もすかさず刀を手に取る。


 この師匠こと向坂さきさかみはると出会ってから、既に八年が経過しようとしていた。

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