第14話 あなたは何?

 職場であっても彼の美容院であっても、慧也はいつも上機嫌で美優に接してくれている。彼の信条なのか、本当に機嫌がいいのか。陽気でにこやかな彼は、美優の癒やしであった。

 髪型を綺麗に整えている慧也が、鼻歌でも出そうなくらいだ。

「こうへいくん元気?旦那さんも変わりないですか?」

 話す内容は当たり前に世間話や社交辞令だ。美容院ではごく普通の会話。

「元気ですよ。航平はね、この間保育園で・・・」

 息子の話題にはつい饒舌となる美優の話にも、愛想よく相槌をうつ。夫については話さない。

 また夫が週末に帰ってくるので憂鬱だ、などとは、心の中で思っていても絶対言わない。

 優しく優しく、美優の髪を整えている慧也が、珍しく眉根を寄せて苦笑する。

「美優さんは、本当に、我慢強い人ですね・・・。」

 その表情と言葉に首を傾げた。いつもの彼らしくない。

「そうかな?」

 なんでそんなこと言うの?

 とは、聞かなかった。

 その方がいいと、美優は思ったから。

 



 航平を寝かしつけると、まるで待っていたかのように夫が立ち上がった。リビングに戻ってきた美優に近寄り手を伸ばしてくる。その意図する事に怯え、恐怖した美優は一歩下がって相手を睨みつけた。

「何?話なら座って聞くけど。」

「やっと子供が寝たんだから、いいだろ。もう随分長いことしてないんだ。」

「セックスレスだって言いたいの?そうね、わたしとあなたはレス歴も長いわよね。あなたが単身赴任してからずっとですもんね。」

 秀紀は高圧的に見下ろす。

 小柄な美優から見れば、男の秀紀は大きくて怖い。詰め寄られれば、さっと逃げる。それが出来るのは、美優が機敏だからだが。

「俺は努力している。なのにお前のほうが拒否している。」

「だから何?」

 リビングを回り込んで、キッチンへ逃げた。

 その後を、ゆっくりと追いかけてくる秀紀。

 美優はシンクの前に立ち、洗い場に置いてあった包丁を手に持った。スポンジを手に取って洗う。別に今でなくてもいいけれど。けれど、秀紀の足を止める力がある。

「悪いのはお前だ。非はお前に有る。」

「・・・は?」

「俺達夫婦には問題が有る。このままではよくない。子供の教育にも影響する。」

「別に私は問題があるとは思えないけど。そう思うのはあなただけでしょ。わたしはこのままでいい。」

 丁寧に包丁を洗った後、まな板を洗った。その上に再び包丁を乗せる。

「お互いの認識にズレが有る。それが問題じゃないと言うのか?」

「・・・何が言いたいの?わたしにどうしろと?」

「お前髪型を変えたな?何を色気づいているんだ?男がいるんだろう。俺がいないと思って間男をくわえこんで、酷い嫁だな。」

 一瞬だけ、美優の表情が動いた。

 そして、小さく笑った。

「何を証拠に?」

 その言葉を聞いて、秀紀の顔が歪む。

「とぼけても無駄だ!お前が若い男に入れ込んでいることは調べが付いているんだ!!」

 声を荒げて、捲し立てた。

「俺の許可も得ず勝手に子供を保育園に預けて、仕事に復帰して。男と浮気したかったんだろう!!この浮気者が!尻軽女が!!」

 凄い剣幕だった。声の大きさに、壁が震えるようだ。

 その大声の瞬間だけ、美優は小さく肩をすくめる。顔を上げられなくなるが、それは、まな板の上で包丁をといでいるからだ。

 夫が言い切った後に、その隙をついてぼそりと言い返す。

「わたしが浮気者なら、あなたは何?単身赴任先で他の女と同棲しているあなたは不貞男で最低で、女たらしでいいかしら?」



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