手を出さなきゃ有りなのか。

ちわみろく

第1話 お気に入りメンズ

 久我美優く が み ゆうは、本日、誕生日を迎えて三十路になる。

 三十代になったら、やると決めていたことが有った。

 髪を切ること。なんのことはない、職場にいるお気に入りの若いメンズが、

「ショートにしたら、似合いそうですね。」

 と言ってくれたから。

 結婚してから、いや、今の夫と付き合っていた頃からずっと長い髪だったのだけれど、手入れは大変だし季節は夏に向かって暑いし、一度ショートにしたみたかったのだ。

 今日は誕生日だから仕事を休んで(シフト休みだった)美容院に行こう。美容院に行くのも、久しぶりな気がする。もう数年行ってないのだ。

 飛び入りお初の美容院というのは、緊張する。場違いだったらどうしよう、なんて思ったりもするが、客なのだから、大きな顔して行けばいいのだ。と、ママ友の美波みなみが後押ししてくれた。

 大通りから一本路地を入った住宅地。その入り口の交差点に面した美容室は昔から営業していた。店の様子も長い歴史があるのではないか、という風情だったのに、昨年にリニューアルオープンして、モダンでシンプルな店構えとすっかり姿を変えている。

 確か、美優の職場で昨年定年退職した美濃部さんという女性が、よくここに来ていたと話していたことを思い出す。キリッとした厳し目の女性営業店員だったので、美優もよく叱られたのだ。今も通っているのだろうか。

 店舗のエントランスのドアに手を置くと、軽くドアが内側に開かれた。

「いらっしゃいませ。あれっ!久我さん、本当に来てくれたの!嬉しいな。」

 そう言ってパキっと音がしそうなほど軽やかに笑ったのは、お気に入りメンズである、榎本慧也えのもとけいやだった。

「慧也っくんっ・・・!え、まさか、本当に?」

「そうですよ。さあ、こちらへどうぞ。カットになさいますか?シャンプーはどうしましょ。今日はお初だから、シャンプーは無料でやっちゃいますよ。」 

「え、あ、はい、どうも、よろしくお願いします??」

「あはは!なんで疑問口調なんですか!久我さんって本当に面白いですよね。」

 営業スマイルで手際よく案内され、美優は促されるままに店内へ足を踏み入れた。 

 

 

 榎本慧也は昨年からアルバイトに来ている男の子で、美優らのようなパートのおばさんたちから大人気のである。

 美優は現在の店舗で働きはじめて7年くらいになるので、彼よりはベテランと言えるが、業務内容も微妙に違うから、余り先輩風を吹かすわけにも行かなかった。

 家電量販店である美優の職場の仕事は中々にハードだ。だが、それだけに報酬も悪くない。ちょっと油断して残業を繰り返せば、夫の扶養の範囲を簡単に出てしまうくらいだ。

 美優の担当は家電の中でも『白物』と呼ばれる商品なのだが、慧也はレジ係で主な担当を持っていない。

 美優がお客様に商品をご案内し、ご購入頂けそうならば、レジにお連れしてお会計を慧也たちレジ係が行う。だから、顔を合わせたり声をかけることは多いが、一緒に行動することは少ないのだ。

「久我さん、先程のお客様が久我さんのこと褒めてましたよ。」

 こんな風に、時々彼の方から声をかけることもある。

「本当ですか?なんて言ってた?絶世の美女、とか!?」

 ふざけてバカな冗談を言ってみるが、

「それは褒め言葉じゃないでしょ、ただの事実。」

 などとさらっと返され、赤面してしまう。

「お、おお〜・・・・。これは参った。」

 8歳くらいは若いはずの男の子にお世辞とは言えそんなことを言われると、オバサンの自覚を持つ美優も、二の句が告げない。

 そんな美優を見て、彼は、まるで若い女の子のようにコロコロと笑うのだ。





 

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