第3話

 彼女の歩調に合わせて、歩く速度を少し落とす。二人の間に沈黙の時間が流れる。何か切り出そうと思っても、何も思い付かずにただひたすら台車を押す。

 しばらくして、桜の並木道が見えてきた。風が少し吹いていて、ひらひらと花びらが舞い散る様子に先日の彼女の姿が重なる。ついつい、見とれてしまった。

「綺麗……ですね」

 彼女が隣で吐息とともに言葉を洩らした。

「はい。サクラの命が短いことを知ってるからこそ、一瞬一瞬を大事にしようと思えるし、より日々が美しく感じさせてくれる花ですよね」

「本当に。……わたし、サクラが一番好きなんです。自分の名前でもあるし。実は、わたしの名前も桜の空って書いて、って言うんです」

「へぇ。とっても素敵な名前ですね」

 素直にそう思った。周りを魅了する所とか、名前にぴったりな気がする。彼女は僕の方を見て、一瞬目を見開き、すぐに嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます! 気に入ってるので嬉しいですっ。里中さんは下の名前はどんな字を書くのですか?」

「僕は、“逸らす”のに、樹木のです」

「かっこいいお名前ですね!」

 目をキラキラさせて、ぐいっと桜空の顔が近づき、二人の距離が一気に狭められた。

 突然の近さに戸惑い、少し後ろに体を反る。そのことに気づいた桜空が近付きすぎたと思ったのか、慌てて離れた。

「す、すみません……! つい、楽しくなってしまって」

 ほんのりと耳が赤くなっていて、可愛い。子供みたいに素直な人だと思った。

「あの……、よかったら敬語なしで、お話ししませんか?」

 さらに、不意打ちの上目遣いアタックを喰らう。少し潤ませた瞳で見上げてくるのは、反則ではないか。

「そ、そうですね。じゃあ、タメで話そう」

「わぁ、やった! 嬉しいっ」

 桜空は、思っていたよりも感情表現が豊かだ。素直に思ったことが全身で現れるので、分かりやすい。本当に嬉しそうに笑うから、僕まで嬉しくなってくる。

「あ、もうここで大丈夫だよ」

 話しているうちに、いつの間にか神社の境内まで来ていた。

「おーい、桜空ちゃーん!」

 参道を掃き掃除していた背の高い茶髪の男性が、僕たちに気付いて駆け寄ってきた。

ひいらぎさん! お疲れ様です。ちょうど楠花くすはなさんの所に五セットあったので、全部買ってきちゃいました」

 桜空が領収書を柊という男性に手渡す。男性はそれを受け取り、彼女の頭にぽんっと優しく手を置いた。

「買い出し、ありがとう。重いから、電話してくれてもよかったのに」

「いえっ。こちらの楠花さんでアルバイトしている里中さんが一緒に運ぶのを手伝ってくれて」

「ああ、そうだったんだ。手伝っていただき、ありがとうございます」

 柊が僕の方へ視線を向け、にっこりと微笑んだ。気のせいか、一瞬だけ柊の目付きが鋭くなったような気がした。

「いえいえ、仕事ですので。こちらこそ毎度ありがとうございます。――――じゃあ、僕はこれで」

 二人にお辞儀をして立ち去ろうとした時、

「ま、まって!」

 不意に腕を掴まれ、呼び止められた。

 振り返ると自分の行動に驚いたように固まっている桜空。

「え、あ、えと……。ま、またお店に行きますね!」

「はい。

 柊がいる手前か、桜空は敬語に戻っていた。僕も彼女に敢えて合わせ、敬語で返事をして微笑み返す。

 再び歩き出すが、今度はもう彼女に引き留められることはなかった――――。

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