あなたは、いった

『それでは、最後の一人となりましたが、一言お願いします』

『えっと、他の皆さんが立派な挨拶をする中で恐縮ですが、僕は最初、地球、あばよ! って言うつもりだったんです。それまであまりいい人生とも思えなくて、火星への移住プロジェクトに応募したのも、自棄になっていたようなものだったんです。でも、この二年、関わった多くの人が、このプロジェクトにかける思いを知り、僕もようやく、この18人の移民メンバーの仲間入りができた気がします。これまで僕を応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました』


 それが、彼が地球上で残した最後の言葉だ。

 私はスタッフルームで、中継放送された内容をぼんやりと眺めていた。

 昨日の夕刻まで、私は彼と一緒にいて、そしてその彼は帰らぬ人となる。


 火星移民プロジェクト。

 夢物語だった火星への移住プロジェクトは世界中で大きな熱を生んだ。

 多くの国家が、企業が、新しいフロンティアに向けて様々な活動を行った。

 第一期、最初のメンバーは10人。

 255日をかけて火星に到着した彼らは、運んだ機材を使って居住棟を設置し、太陽光パネルを展開し、地下の氷から水を精製し、農業プラントを稼働させた。

 そんなニュースは、世界中の人にとって大きな明るい話題となり、多くの人たちが様々な夢を見た。

 一年後に続いた第二期の募集人数は総勢60名となり、多くの募集があった。

 行ったきり戻れない移住プロジェクトだったから、片道切符、死地への決死行、遠征隊(厭世隊)などと呼ばれ、多くの批判や議論が世界中で発生したが、募集者の数は増え続け、三期目の100名を募集する際、私も含めた希望者は2万人を越えた。


 私は昔から宇宙が好きで、いつかは宇宙飛行士になりたかった。

 両親には反対されたけど、説得して三期目に応募した。

 正式なメンバーにはなれなかったけど、予備の人員として補欠合格した。

 予備のメンバーは希望すればプロジェクトの職員になれたので、私は迷わず希望し、そのまま三期の正式メンバーをサポートする部署に配属され、そして彼と出会った。


 彼は少しだけナイーブな、普通の青年だ。

 人付き合いが苦手で、いろんなタイミングが悪く、成功の道を進めなかったと聞いている。


「もうどうでもいいと思ってさ、最後に、宝くじを買うくらいの気持ちで応募したんだ」


 最初に会った日、彼はそう言って笑った。

 私も応募して落ちた。そんなことを話すと彼は言う。


「君はきっと、悲しむ人がたくさんいるから、落ちて良かったと思う」


 いい人だから、と褒めてくれたのだと思うけど、私は何故だか少し腹が立った。


「私は、このプロジェクトで人の役に立ちたい。私が行くことで誰かが幸せになるって、いつか証明してみせる!」


 その時は、自分が選ばれなかったこと、こんなやる気のない人が選ばれたことが悔しかった。

 三期はダメでも、続くプロジェクトには絶対に選ばれてやる! と誓った。 


 その後、選ばれた正式メンバーの多くが、少なからず世間や国家に対する不満を持つ人だと聞いたのは他の職員からだ。

 火星移民は進めたいけど、優秀な人財を過度に送り込むわけにはいかない。

 そんな言葉を聞いて複雑な思いを覚える中、プロジェクトは危機を迎える。


 一期目が火星に到着して八か月後、火星からの通信が途絶えた。

 すでに二期目の宇宙船は火星に向かっていて、ほどなくして航行中の二期目からの通信も途絶えてしまった。


 彼らに何が起きたのかすら、分からなかった。

 様々な状況が想定されたが、輝かしいはずのプロジェクトは責任のなすり合いの場となり、多くの国家と企業が離れていった。

 一部の企業が、一期と二期のメンバーを救助するという人道的な観点から支援を続けてくれたが、プロジェクトは大幅に縮小された。

 同時に、三期のメンバーから離脱者が溢れ、結果として残った18名が三期、いや、最後の移民プロジェクトメンバーになったのだ。


 そして、彼は今日、旅立った。




「私は今でも何が正しかったのか分からないんです」


 彼らを乗せたロケットが、軌道上の宇宙船とドッキングしたことを確認し、コーヒーラウンジへ移動すると、所長が窓から空を眺めていた。

 彼の隣に座り、独り言のようにそう呟いた。


「彼との接し方かい?」

「はい。最初は、悔しいとか羨ましいといった複雑な感情でした。こんな人生を諦めてしまったような人が、火星開拓って壮大な計画に選ばれるなんて……サポートしながら、彼が自主的に辞退しないか願う気持ちもありました」

「この計画は、何よりも感情の揺らぎが少ない人が選ばれたからね。無気力に感じたのも仕方ない」

「はい。閉鎖空間での対人トラブルはリスクになるから、コミュニケーション能力は少ないほうが適してると聞きました」

「それが、専門技能が優れているのに君が選ばれなかった理由でもあるな」


 所長は寂しそうに笑った。


「でも、一期、二期と連絡が途絶え、彼らが最後のメンバーになって、彼もさすがに諦めると思っていました。でも彼が諦めたのは計画じゃなく、地球で関わった人との関係だったんです」


 結局、彼は何を望んでいたのだろう。

 連絡の途絶えた移民団を助けたいのか、火星移民を熱望したのか、地球での生活をリセットしたかったのか、ただ、何もかもどうでもよかったのか。


「わたしは、彼が人間関係を諦めていたとは思えないな」

「そう……でしょうか?」

「彼が、まるで別人のようにやる気になったのは、この計画が最後だと明確になった時だ」

「そうですね、辞退者が続出したのに、それまでが嘘のように懸命になりました」

「恐らくな、彼は君を選ばせたくなかったんだと思う」

「私を?」

「辞退者が出た場合、サポートメンバーが補充されることが多い。もっとも今回は状況が違うからなんとも言えないが、彼はどうしても自分が行くことに拘っていたと思う」

「何の為に、ですか?」

「君もサポートメンバーに選ばれるだけあって、他人の気持ちには鈍感みたいだな。傍から見れば、彼の気持ちは痛いほど伝わったけど」

「彼の気持ち……」

「ここでは“誰のことも好きになってはいけない”から、彼は自分の行動で表したんだと思うよ」


 昨日の、彼の顔と言葉を思い出す。


『誰のことも好きと言ってはいけない、と』


 それは、言えない想いが存在するということだ。

 

 言えない恋心、そんな言葉が浮かんだ瞬間、彼との二年間の思い出が溢れる。

 彼との記憶に色彩が宿る。

 見えていた景色ががらりと変わる。

 思い出に支配された目頭が熱くなり、溢れ出る声を両手で抑えながら、彼を想って静かに泣いた。

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