第2話 私の婚約者は悪役令嬢


 私の婚約者は悪役令嬢。

 そう伝えてきたのは婚約者の弟。



 自分の姉を『悪役』と呼ぶとは酷い。

 しかし訪問した際に彼から押し付けられた『じきそ状直訴状』なるぶ厚い書簡は、そのことを大真面目に論じていた。

 まるで私が婚約者を棄てることが既定路線であるかのように。


「なにを言っているのかわからないよ」


 受け取ったとき、確かに私はそう言った。

 その時は実際にわからなかったから。


 今はもう、わかっている。


 私の名はセルゲイという。

 コマナシスタン皇国のレドネフ王朝にて皇子ツァレーヴィチと呼ばれる身だ。

 弟君の言によると私は卒業パーティーラストチャイムという公衆の面前で、婚約者に横暴な振る舞いをするらしい。

 笑ってしまう、そこまで私が色恋に惑わされると? 私はこの国の第二皇子で、兄である皇太子ツェサレーヴィチの右腕になるべく幼い頃から研鑽してきた人間だ。

 それなのにそれら全ての努力を無に帰すような愚行を犯すのだという。

 随分と見くびられたものだ。

 腹心の従者に読ませてみたが、いつもはあまり表情を動かさない彼でも微妙な顔をした。


 ……本当はわかっている。

 書状を書いた弟君がいかに幼かろうとも、その内容は捨て置いて良いものではない。

 名が記されていなくても、その言葉が誰を指しているのかは明白だった。

 私の心には今、彼が言うところの『ヒロイン』が住んでいる。


『あなたがお姉ちゃんとのこんやくきしようと、ヒロインと幸せになろうと、ぼくには関係ありません。

 ただ、お姉ちゃんをぼくからとらないでください。

 お願いしたいのはそれだけです。』


 書簡はそう締め括られていた。


 一昨年、私の婚約者として選ばれたのはイネッサ・ジェグロヴァ公爵令嬢だ。

 幼稚園から同じクラスで育ってきた女性で、選ばれたことに疑問も異存も生じなかった。


 ジェグロヴァ嬢は理想的な婚約者だ。

 その家柄は古いものだが、かねてから右にも左にも反れずまさに中道で、皇太子を差し置いて第二皇子セルゲイを担ぎ上げようとする一派とも距離を取っている。

 兄は皇太子派閥の家の娘を娶った。

 私、セルゲイ自身は、なにも腹蔵のないことをその言動で示し続けなければならない。

 同じ学び舎で過ごし、その発言に偏りのないことを見てとれたイネッサ・ジェグロヴァ嬢は、私が心許せるのではないかと感じる数少ない女性でもあり、兄をたばかるつもりはないという私の態度を示せる相手だ。

 だからこれまで丁寧な交友を重ねてきたつもりで、それを無に帰すつもりはない。


 しかしその婚約者に対して、ここ数カ月不誠実な態度を取っていたことを認めなければならない。


『ヒロイン』……一年後輩であるヤニーナ・ポフメルキナ嬢のように真っ直ぐな笑顔を向けてくれない……そんな子どものような感情で、婚約者をいくらか避けていたように思う。

 その時点で、いかに自分が愚かな思考に陥っていたかを知り恥じ入る気持ちだ。

 そして『ヒロイン』が私の中に深く印象づけられていたことも同時に理解した。

 婚約があるわけではない未婚の男女が過度に親しく交わるのは、マナーとしても、社会通念上でもよろしくはないのだから、この状況は望ましいものではない。

 私は、義弟のレオニート君に感謝すべきだ。

 彼がこれを指摘できたということは、客観的に見て私の言動が不適切な状況まできていたということだろう。

 あまりの不甲斐なさに言葉なく筆を執る。

 理解のできなかった部分を淡々と書き出して封をして届けさせた。


 一日足らずで返信が届く。

 自分の嫌なところを直視するようで、ため息混じりに検める。

 いくつかの疑問が解消されて、更に新たな疑問が湧いた。


『お姉ちゃんはツンデレなんです。

 言葉の通りにとらえるとは浅はかの極みですね。

 お姉ちゃんが目をそらすのは、はずかしいからで、きつい言葉を言ってしまうのも照れかくしです。

 その後にひとりで落ちこむまでがワンセットです。

 そんなことも今までわからなかったなんて本当にあなたはおろかですね。

 さくっとヒロインの元に行って、ぼくたちに領地きんしん命令をください。』


『ツンデレ』……とは?


 また尋ねる前に、自らの目でいくらか確かめることにした。

 新年度すぐにはっきりとさせよう。

 長引かせてよい問題ではなかろうから。

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