第4話-2

 魔女が明け方に目を覚ますと暁星の民は微動だにせず佇んでいた。その周囲に狼や野犬と思われる足跡が無数にあったが、上位者にも魔女たちにも触れることすら適わずその場で朽ちたことを血の跡が示していた。

(おっかな。歩く災害って呼ばれる訳ね)

十六歳の少女が体を起こすと上位者も目を開いた。

ヨニが立てた光の槍は短くなっており、その長さが結界の寿命でもあると知ったクレイジーブーツはその場で羽根ペンを動かした。

「なるほど……」

月の瞳の剣士が塔の中に足を踏み入れると魔法は効力を失い砂となって消えた。ヨニは膝を落として少女の頭の上に影を落とす。十六歳の乙女が顔を上げると目の前には銀色の月が二つ並んでいた。

「……ねえ、どうして私なの?」

わからなかった。若い魔女なんて珍しくない。世界の半分は男で世界の半分は女なのだから、それ以外の人の方がよっぽど特別だろうに。

女という括りでは幾らでも紛れてしまう。

十六歳という括りでも埋もれてしまう。

自分の何が特別なのか、跳躍の魔女にはわからなかった。

「どうして?」

月の瞳は答えない。ただ静かに佇むだけ。

その瞳が伏せられ、整った薄い唇が古来からの儀式であるように少女の額に触れる頃、魔術師フォルカーも目を覚ましていた。

「……毎朝それか?」

「うん。“おはよう”って意味だと思う」

「ふうん……」

魔術師フォルカーはつまらなさそうに二人を見た。その気持ちが嫉妬だとフォルカー自身は気付いていたが、まだ幼い魔女には悟られたくなかった。魔女は上位者の行動を諦めたようにヘラッと笑った。

「アルフ起こすね。朝ごはんにしよ」


 森に陽が差し込む頃、魔女一行は並木道を歩いていた。西の森を抜けた頃から徐々に瘴気のある場所が見受けられたが、小さな瘴気は上位者ヨニの声なき歌によって霧散していた。


 魔女たちが隣町との境を越え森の終わりに差しかかると蜂が集う花畑が姿を現した。そしてその中に薬草を摘んでいる隣町の薬師たちの姿が見え、魔女は声をかけようと口を開けた。

「す……」

だが魔女の行動は上位者ヨニによって阻まれる。月の瞳の剣士は背後から年若い魔女に覆い被さるように覗き込むと柔らかい顎の先を摘んで持ち上げ、花のつぼみのような淡いピンクの唇を己の唇で塞いだ。

「ン!?」

驚いた魔女は剣士からバッと離れた。

「いきなり何すんの!」

つい出した魔女の大声で薬師たちは森の向こうから現れた四人組に気付いた。その中に白いローブの大柄な剣士を見つけると薬師たちは顔を青くしてその場から逃げ出す。

「本当に来たよ……!」

「ギルド長に伝えなくちゃ!」

顔を真っ赤にした跳躍の魔女の片割れと、真顔のままの剣士ヨニ。魔術師フォルカー位置的に何が起きたかわからず、全てを見ていた魔女の従者アルフは汗を垂らした。

「わっ、私のファーストキス……!」

上位者ヨニは乙女の真っ赤な顔に満足したのか初めて口の端を上げた。それが勝ち誇ったような表情に見えたためクレイジーブーツは沸騰した湯のようにカンカンに怒った。

「からかってんじゃないわよ!」

魔女は一人でズンズンと歩き出した。剣士ヨニはややご機嫌な足取りで乙女を追い、従者アルフとフォルカーは呆れつつその後を追った。


 魔女たち四人組が隣町の冒険者ギルドに着くと人という人がいなかった。時計の針は九時をすぎていると言うのにこれは妙だと気付いた魔女たちはゆっくりギルドの集会場に入った。案の定、受付には赤毛の書記官と年老いた元騎士のギルド長しかいない。跳躍の魔女クレイジーブーツは溜め息を一つ、受付の前に立った。

「ギルドカードと依頼書です」

「お預かりします」

背の高い赤毛の婦人は魔術師ルーカスのように肩の位置で髪をすっぱり切り揃えていた。ギルド長はナッツヒールでも有名人だった。隣町ドラゴンロードはナッツヒールよりさらに小さい町で、町長がギルド長を兼任しても町中で買い物する時間が出来るほどのどかだったからだ。そんな小さな町に歩く災害と呼ばれる魔眼の上位者が現れれば、人々が恐怖におののくのは当然のこと。

(人払いも当然か)

「クエスト条件を満たしているので受理いたしました。こちらが報酬です」

「どうも。ポーションをいくつか売りたいんだけど買い取りは出来ます?」

「可能です。ギルド長と町長室へどうぞ」

「こちらです」

「どうも」

誰からも歓迎されていない。

予想していたはずなのにクレイジーブーツは人々の反応が恨めしかった。


 町長室を兼ねたギルド長の部屋は執務室という言葉がしっくり来た。広い部屋なのに半分以上を本棚が占め、使いかけの蔵書は横に広い机にいくつも積まれている。書類の束がくるくると紐で巻かれ積み上げられた窓辺の机は、本来なら花瓶を置いたり紅茶の支度をするための場所だった。

「雑然としていて申し訳ない」

「いえ、物が積んである部屋は魔女と魔術師には馴染み深いものですから」

町長兼ギルド長は客人たちにソファに座るよう丁寧に示した。上位者ヨニは当然と座ると魔女の腕を引き膝に乗せた。言い訳もだるい少女は位置をずらして町長に対し斜めに向き合った。広い羊毛のソファに四人が揃って腰を落ち着けると赤毛の書記官がワゴン引いて部屋を訪れ、旅人たちに紅茶を振る舞った。

「私はドラゴンロードの町長、冒険者ギルドの取り締まりもしておりますエドマンドと申します」

「お噂はかねがね」

「こちらこそ。まさか十三歳で魔術院を卒業した天才児、跳躍の魔女にお越しいただけるとは思いませんでした」

「前置きはいいです。お話があるなら先に聞きましょう」

まだ子どもだと思っていた少女が毅然と話すとギルド長エドマンドは肩をすくめた。

「何からお話しすればよいやら……。我が町はそもそも魔術師も魔女も数少なく、魔術について知っている者はそういないのです。ですから魔術の何が危険で何が安全なのかもわからず……。それゆえに全員家に閉じこもると言う愚行をおかしております」

「なるほど。別に、失礼だとは思っても愚かだとは思いませんよ。見知らぬ魔術師と見知らぬ魔女に近付かないと言う判断は間違っていません」

「も、申し訳ございません……」

エドマンドは座ったまま頭を下げた。まあ表面上でも謝ってくれたしいいか、と魔女クレイジーブーツは鼻を鳴らした。

「では本題を」

「はい」

「町長としてあなた方に依頼したいことがございます。我が町でも瘴気が溜まりやすい池や沼がございまして、それらを浄化していただけないだろうか? と言う依頼と……」

エドマンドは依頼書を机の上に置き、その横に二枚、三枚と紙を並べる。

「三つ?」

「はい。沼の近くには薬草の群生地があるのです。薬師が立ち入れないその場所での薬草の採取と、不足したポーションの補充にご協力いただきたい」

魔女はパーティリーダーである自分がまず全文を確認し、それから魔術師フォルカーに手渡す。

「瘴気の浄化、薬草の採取、ポーションの納品で三つね。それでこの金額なら悪くないだろ」

「そうね。じゃあ、早速行きましょう」

「え?」

あっさり移動しようとする主人たちに驚き従者アルフはつい声を上げてしまった。

「あっ。す、すみませんマスター」

「いいよ。疲れた?」

「疲れは……ええと」

「体調は正直に申告して。あとで倒れられると困るから」

「……あの、喉が乾いて、お腹が空いてしまって」

「わかった。すみません、部屋を一ついただけますか? その中で食事をします」

「かしこまりました。すぐご用意いたします」

「お願いします」


 魔女たちが与えられた部屋で装備を緩め体をほぐしていると、赤毛の書記官と食堂の娘らしきエプロンドレスの少女がワゴンを運んできた。書記官は部屋に入ってすぐ頭を下げると隣に立つ少女を示した。

「名乗り遅れて申し訳ございません。ギルド長の補佐をしておりますジェイドと申します。こちらは私の妹でエイプリルと申します」

ジェイドは長身でスレンダーな婦人。エイプリルは赤色が強い茶髪で歳はブーツと大して変わらない少女だった。

「は、初めまして魔女さま、魔術師さま!」

「申し訳ございません。若干人見知りなもので」

「気にしてませんからどうぞ」

「ありがとうございます」

エイプリルは緊張した手つきでお茶と軽食を並べた。年若い町娘は窓辺に立った白いローブの剣士を見たり、フォルカーやブーツの装備品を興味深そうに見つめた。跳躍の魔女は上位者に声をかけようと顔をそちらに向ける。ヨニはまた分かっていたと言わんばかりに魔女へと振り向いた。

月の瞳を露わにした魔眼の上位者を初めて見て、エイプリルは思わず「わあ」と感嘆の声を漏らす。

「あ、ご、ごめんなさい……!」

「いいのよ。でもああ言う人と違う目の時は直接見ないようにね」

「えっ!?」

「あれは魔法の目なの。お月様みたいで綺麗だからつい眺めちゃうけど、真っ直ぐ見ちゃダメよ」

「わ、わかりました!」

跳躍の魔女が微笑むとエイプリルは自分が何も知らない小娘に思えて急に恥ずかしくなった。

「わ、私はこれで。失礼します……!」

慌ただしく部屋を後にした妹の態度に姉ジェイドは溜め息をついた。

「申し訳ございません。蝶よ花よと育てた結果のご無礼をお許しください」

「構いません」

上位者ヨニは紅茶を口にする魔女の隣に腰掛けた。従者アルフは主人の頷きを得てベーコンサンドイッチを頬張った。ヨニは人目も気にせず魔女ブーツの頬や髪に口付ける。その様子を目にしながら書記官ジェイドは懐から四枚目の依頼書を魔女に差し出した。

「三つじゃなかったんですか?」

「これは表立って出来ない依頼です」

「なるほど。こちらが本命ですね」

「はい」

依頼者が匿名の形で提出された依頼書には「瘴気に冒された沼の奥に住む魔術師の捜索」が記されていた。魔女から手渡された依頼書に目を通した魔術師フォルカーはなるほどと納得した。

「こりゃ町長の名前じゃ出せんな。人に捜索依頼を出されるような魔術師ってバレたらそいつの沽券こけんに関わる」

「何卒よろしくお願いいたします」

「だってよリーダー」

「承知しました。お受けいたします」


 書記官ジェイドが部屋を出て行くと魔女ブーツもベーコンサンドを口にする。フォルカーは浮かせた紙と羽根ペンに捜索依頼を出された魔術師の詳細を記し、鳩に変身させると窓から放した。

「魔術師ウッツ、聞いたことある?」

「いや全く。地方出身の有象無象だろ」

「田舎者なら私もそうよ」

「たった六年で魔術院を卒業した天才を有象無象とは呼ばねえ」

「姉妹で協力したから早かったってだけよ」

「金と雑な論文で無理やり卒業する魔術師もどきもいる」

「はいはい、ありがとう」

ブーツは従者が物足りなさそうにしていることに気付き、自分の皿に残ったベーコンサンドを差し出す。

「足りない? あげる」

「あ、ありがとうございます。マスター」

「うん。いっぱい食べて」

跳躍の魔女はくっ付いて離れない上位者ヨニのためにティーカップを下ろし、彼にも配られたサンドイッチの皿を手に取ると諦めて剣士の膝の上に腰を下ろした。


「ひとまず沼に行こう。彼がどうなってるか分かんないし」

「そうだな」

 魔女一行はドラゴンロードの荒れた薬草畑を抜けより国境に近い森へと踏み入った。濃い瘴気を吸わないように布に浄化魔法を施し、従者アルフの口を覆ったクレイジーブーツは魔術師フォルカーと共にワンドを構え道なき道を進む。

「かなり酷いね」

「そこの月剣士はお前が瘴気に晒されてるのに反応しねえな」

「この場しのぎじゃなくて原因を断とうとしてるんじゃない?」

「あー、なるほど?」


 魔女一行は瘴気の根本原因である沼地に到着した。そこには魔術師の正装をした骸が白い骨をむき出しにして横たわっており、魔女たちは遅かったと溜め息をついた。

「あちゃ〜」

「ドジだなぁ……」

跳躍の魔女はワンドをしまい、傍らの上位者のローブを引いた。

「ここの浄化お願いしてもいい?」

月の瞳は魔女を見つめ返した。やはり言葉は通じないのだろうか、と少女はもう一度強く願った。

「お願い」

月の瞳が揺らめいた。

剣士は沼の直前まで魔女の肩を押して進むと、軽く腕を広げた。

「“愛のまやかしは憎しみよりもおぞましい。月は笑わぬ”」

少女の肩に手を置いた上位者は月の瞳で朝日に照らされた空を見上げた。

「“死にゆく者よ、何を急ぐ?”」

瘴気は晴れなかった。代わりに黒い霧は一箇所に集まり人の姿を取って歩き出す。それは町の北部を目指しよろよろとした足取りで進む。

「え?」

「ちゃんとお願いしたのか?」

「う、うん。やっぱり言葉は通じてないんじゃない……?」

「あの人型はなんだ? 歌も初めて聞いた単語だったな……」

「とりあえず追いかけよう」

「そうだな」


 瘴気の塊は町外れの小さな家を目指した。畑で薬草を摘んでいた乙女は人型に気付くときゃあー! と甲高い声で叫んだ。人型は女性に覆い被さる。焦った魔女が駆け寄ろうとすると上位者ヨニは少女の両肩を掴んで引き留めた。

「“彼は灰と亡霊、人の噂になるだけ。死を胸に抱かねば常世の春は遠い”」

「え?」

剣士は抑揚のない、歌ではない言葉で初めて少女に語りかけた。

月の瞳は伏せられ、跳躍の魔女はその場に縫い付けられたように動けなくなった。

「ちょっ……!」

町の女性は魔女と同時に駆け出していた魔術師フォルカーによって助けられた。フォルカーが打ち払った瘴気の塵を吸わないように女性を引き上げると乙女は魔術師の胸でわっと泣き出した。

「どうして私ばっかり!」

「ひとまず家の中へ案内してくれるか?」

乙女は涙ぐんで魔術師の言葉に頷いた。


「実は今日に限った話じゃないんです」

 茶髪に茶色の瞳の乙女は名をユニスと言った。どこにでもいそうな女性ではあるものの、町娘は磨けば宝石のように輝くであろう美貌を持っていて魔術師フォルカーはその地味なエプロンドレス姿がもったいないと感じた。跳躍の魔女は月の剣士のせいで動けなくなってしまったため従者アルフが主人の代わりに粗末な椅子に腰掛けていた。

「いつから襲われるようになった?」

「三ヶ月前から……。魔術師さまがいなくなった後で、町長さんが家の扉に魔除けを書いてくださったので今まではなんとかなっていました。今日みたいに真昼間に襲われることはなくて……」

「いつも日暮れか夜中?」

「は、はい」

「ふむ。日が傾かないと出て来れないのは魔物と一緒だな」


 ユニスの話を聞き終えて外へ出ると月の剣士ヨニと跳躍の魔女は忽然と姿を消していた。

「おいおい、迷子が増えちゃたまったもんじゃねえぞ」

だが従者アルフはその場に残った上位者の魔力に気付き、瞼を閉じてもう一度開いた。薄紫色の魔眼は妖しく煌めき青白い月の魔力を捉える。

「迷子ではないようです」

「あん?」

「ヨニ様は月の香りを残して行かれました。追いましょう」

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