23.ダイヤを巡る攻防(1)

「ラウルのやつも隅に置けないな。こんな可愛らしいひとに慕われているなんて」

「そんな……。ご迷惑でないことを祈るばかりでございます」

「君に好かれて、迷惑に思う男なんて、きっと目か心の病を患っているんだよ。そんなやつがいたら、僕が名医を紹介して、仲介手数料をぶんどってあげるから、教えてね。報酬は山分けしよう」

「まあ、ドミニク様ったら……ありがとうございます」

「本心だよ。あ、紅茶、よければ飲んでね。お気に入りの銘柄なんだ。香りがいいでしょ?」


 大罪に憑かれているというドミニク・フォン・ヴェッセルス。

 彼と話してアリアが最初に思ったのは、ずいぶんとまともに見えるな、ということだった。


「色欲」に蝕まれて息を荒らげていた王妃やラウル、「暴食」に意識を乗っ取られて草を食みだしたヨーナスに比べれば、いたって穏やかというか、理性を保っているように見える。


(「強欲」が憑いてから日が浅いのか……それとも、ダイヤが小粒だから、大罪も分割されてるとか?)


 恥じらいがちに会話に応じながらも、アリアは冷静に、目の前の男を観察した。


 整った顔立ちに、人好きのする笑顔。派手すぎない品のよい装い。

 抑揚のある口調、大罪に憑かれてなお統制の取れた動き――いや、どちらかといえば、制御され、、、、すぎている、、、、、ように見える。


(こいつの笑顔は、完璧すぎる)


 アリアは密かに、警戒心を強めた。


 どんな人間だって、長く話せば話すほど、ちょっとした欠点や悪癖、鼻持ちならない態度が見え隠れするものだ。

 天才的に話のうまい人間だって、十話題を振れば、一つくらいは微妙な相槌を返してしまったり、間が空いてしまったりする。


 けれどドミニクにはそれがない。

 話題は常に淀みなく変わり、笑みは不自然さを感じさせない絶妙さで保たれ、相槌のタイミングも一度として外さない。


 彼の視線は、こちらが脅威を感じない程度に逸らされ、けれど要所要所でしっかりと相手を射貫いた。

 アリアが首を傾げれば、彼も一拍遅れて首を傾げ、アリアがソファに座り直せば、やはり彼も、ごく自然な間を開けてそれを追いかける。


 これを十分も続けられれば、人はたちまち、彼のことを好きになってしまうだろう。


(こいつ)


 相手の歓心を買う研究を続けてきた、アリアだからこそ直感した。


(人の心を操ろうとしてる。なんか、すごく嫌い)


 ドミニク・フォン・ヴェッセルスは、非常に支配欲の強い男であると。


 もしや、「傲慢」に心を染められてしまったマイスナー伯爵と同様に、ドミニクもまた、「強欲」に蝕まれたことで、性格が変わってしまったのだろうか。

 その気のない相手から関心を「引き出す」、好意を「奪う」、そのための手管を使っている姿がこれなのだとしたら、説明は付く。


(だとしたら、大罪は彼の魂に、相当深く食い込んでる。心して引き剥がさなきゃ)


 アリアはにこやかな笑みの下でそう覚悟を決め、ドミニク救済のための策を練り始めた。


『アリア、アリア。色男だからって話し込んでんじゃねえよ。さっさとずらかろうぜ』


 と、膝の上をちょろちょろと走っていたバルトが呼びかけてくる。


『さすがに、事前準備もなしに、いきなり指輪は引っこ抜けねえよ。ラウルの叔父っていうなら、ラウル経由で回収すりゃいい。なんか嫌な予感がするんだ、さっきの今で、無茶することねえよ』


 どうやらバルトは、完全に腰が引けてしまっているらしい。

 目の前に大罪があるというのに、発破をかけるどころか撤退を呼びかけるなんて、すっかり、ヨーナスやラウルの属する「無茶するな」隊に加わってしまっているようだ。


(考えてみれば、最近ずっとこんな調子だけど)


 いったいいつからバルトは、こんな弱腰になってしまったのか。

 宝石をすべて回収しないことには、精霊としての命だって危ういくせに、そんな調子で大丈夫なのだろうか。


 アリアがしれっと聞き流していると、バルトは苛立ったように尻尾をぴしぴし打ち鳴らした。


『おい、変なこと考えてんじゃねえぞ。止めてるんだからな。ここで危険に突っ込もうものなら、俺は怒るからな。ヨーナスも、あのラウルだって、絶対めちゃくちゃ怒るからな!』


 肩で怒鳴り立てるので、一般人ドミニクには精霊の姿が見えぬのをいいことに、アリアは埃を摘まむふりをして、バルトの尻尾を掴んで首元まで引き寄せた。


『ちょっ! おいこら!』


 騒ぎ立てる相棒のために、紅茶のカップを取り上げ、口元を隠しながら小声で告げる。


「ならバルトがあの男を呼んできてよ。あたしじゃ身動きが取れない」

『強引に会話ぶった切りゃ済むだろうが!』


 紅茶のカップを傾ける。

 さすが伯爵家、高い茶葉を使っていると見える。花のような香りだ。

 だが、ドミニクがなにかを仕掛けてくる可能性も視野に入れ、紅茶は飲む「ふり」に留めておいた。


 傍目にはゆっくりと紅茶の香りを味わいながら、カップの下で、アリアは早口でバルトに囁いた。


「無理よ、動けない。自然に見えるけど、巧妙に引き留められてる」


 これは半分言い訳で、だが半分は事実だ。

 ドミニクの話運びは如才なく、早口でも威圧的でもないというのに、「ではそろそろ」と切り出す隙をこちらに与えない。


 なんとなくだが、こちらがどれだけ強引に会話を打ち切ろうとしても、たとえばほかの話題を突き付けて、あるいは紅茶を引っかけてでも、彼はアリアをこの場に留めようとするのではないかと思われた。

 同じ手口を思いつくアリアだからこそ察知できる、それは独特な緊張感だ。


 彼がなぜこちらを引き留めるのかわからない。

 けれどなにか、彼には思惑がある。


 甥についた悪い虫を見定めようとしているのか、――それとも、「烏」の正体を勘付いたのか。


『でも……』

「早く。あんたが呼びに行くほうが早いでしょ」


 カップを傾けること、三回目。

 バルトは逡巡の末に頷いた。


『わかった。あいつの精霊力を辿るなら、俺のほうが適任だもんな。戻ってくるまで、くれぐれも無茶すんなよ』


 再三念押しして、するりと扉の下から消えてゆく。


(そういうの、巷じゃ『フリ』って言うんだけどね)


 アリアは視線を引き戻しながら、カップを下ろした。

 その拍子に、手の一部がネックレスを掠める。


(さて)


 位置を直すふりをして金貨を軽く握り締める頃には、アリアの意志は固まっていた。


(あのダイヤ、どうやってかすめ取ってやろうか)


 もちろん、ラウルが駆けつけてくる前に、仕事を終えるつもりだった。


 だって、目の前に狩るべき獲物があって、自分には狩るべき理由があって、どうしてのんびりと、他人の助力なんかを待たなくてはならないのだろう。


 そうとも。

 王に諸々の報告をするとは決めたが、べつに回収を中止するとは、約束していない。

 ヨーナスのためにもバルトのためにも、宝石は揃っていたほうがいいに違いなかった。


(おだてて指輪を見せてもらう、っていうのが自然かな)


 おずおずと紅茶の感想を述べながら、頭ではそんなことを考える。


 この顔で決める上目遣いと賞賛は、特に男性相手ではかなりの成功率だ。

 ドミニクが警戒心の強い人間であっても、指輪を見せびらかすことくらいはするだろう。

 話の流れ上、断る理由などないのだから。


 だが、指輪を首尾よく抜き取ったところで、「それじゃ」と立ち去れるわけもないだろう。

 この男を振り切るためには、昏倒させるくらいのことは必要そうだ。


(やっぱり鈍器? ああ、洗剤さえあれば、気絶なんて簡単にさせられるのに)


 悔しいが、バルトの言うとおり準備不足だ。

 ここは機を改めるべきだろうか。


 だが、せっかく大罪付きの宝石を見つけたのだ。

 せめて経緯くらいは聞き出しておきたい。


 彼はどうやってこの指輪を得たのか。

 もしそれが、誰かから最近贈られたものならば、きっとその人物こそが黒幕だ。

 正体がわかれば、この騒動は一気に解決にまで持ち込める――。


「ああ、楽しくてすっかり話し込んでしまったな。困った、日が暮れてきたぞ」


 と、ドミニクが思い出したように、窓の外を振り返る。

 彼は笑みの名残を残したまま、親しげにテーブルへと身を乗り出した。


「肝心の要件を果たしていなかった。ラウルのために朝露を持ってきてくれたんだよね。彼はまだ帰らないようだから、よければ僕が預かろうか?」

「まあ。お手を煩わせてしまうようで申し訳ないです……」


(はははこいつには泥のついたコートさえ預けたくないけどね)


 警戒心もあいまってか、この時点でドミニクへの信用度はゼロだった。

 彼の外面は完璧だと思うのに、思うからこそ、本能的な嫌悪が先立つ。

 大罪に憑かれると、人はこんなに魅力を損ねてしまうものなのかと思えば、多少哀れのような気もするが。


 とはいえ、瓶の受け渡しは、指輪に触れるまたとない機会である。

 アリアは話に乗ることにした。


「ですが、もしご迷惑でなければ……」

「迷惑なんてあるものか。ラウルもきっと喜ぶよ。いやそれとも、直接受け取りたかったと悔しがるかな」

「あまりわたくしを調子に乗らせないでくださいませ。あの方に、そんな風に思っていただけるなら、天にも昇る心地ですわ」

「はは、いいねえ。そんなにラウルのことが好きなんだ」

「そ、それ以上、仰らないで……」


 歯の浮くような受け答えをしながら、瓶を手渡す。

 その瞬間、アリアは、あたかも今気付いたというように、ドミニクの手に向かって軽く目を瞬かせた。


「まあ。素敵な指輪ですのね。どなたかからの贈り物ですの?」

「ああ、これかい? 父が爵位を退いたときに、財産として受け継いだんだ。貴族が身につけるにしては貧相だけど、気に入っていてね。もう十年以上、ずっとこれしか付けてない」

「貧相だなんて、とんでもない。自身は主張しすぎずに持ち主を引き立てる、とても調和の取れた美しさですわ」


 ちなみにこれは、アリアが地味な女性を褒めるときの常套句である。


(父親からの遺産? なら、王様から最近贈られたものじゃないってこと?)


 賞賛の表情を浮かべながら、アリアは素早く思考を巡らせた。


 もしやドミニクのダイヤは、ヨーナスのアメシストと同様、黒幕の意図とは無関係に憑かれてしまったものなのだろうか。


 だが、ドミニク・フォン・ヴェッセルスといえば、現伯爵の懐刀。

 彼が王の忠臣として、精力的に政務に取り組んでいることは、社交界に入って日の浅いアリアでも知っているほどだ。

 となれば、彼もまた忠臣の一人として狙われたのかもしれない。

 ずっとこのダイヤを身につけているなら、改めて宝石を贈るまでもなしとして。


「わたくし、まさにこうしたデザインの指輪を探していましたの。あの……差し支えなければ、もう少し近くで見せていただいても?」

「そんなに褒めてもらえると、照れちゃうなあ。なにせこれは、僕の唯一の財産なんだ」


 にこっと微笑んで、ドミニクが指輪を撫でる。

 その瞬間、彼の鳶色の瞳が、ふと暗く淀んだ気がした。


「生まれつき抗えない嫡子との差……。どれだけ精力的に国に尽くして、家の権威を上げたとしても、僕が得られるのは、この屑みたいなダイヤだけ」

「え……?」


 差し出された手が、ぐにゃりと折れ曲がった気がして、アリアは咄嗟に瞬きをした。


 一瞬遅れて気付く。

 ドミニクの手が曲がったのではない、自身の視界が歪んでいるのだと。


「な――」

「紅茶は気に入ってくれたかな、アリア嬢。君って、本当に素敵な女の子だね」


 急に汗が噴き出す。体から力が抜け、まっすぐ座っていられない。


(なん、で……? 飲まなかったのに)


 ずる、と背もたれに身を預けたアリアのもとへ、ドミニクがゆっくりと回り込んできた。


「柔らかな亜麻色の髪。琥珀の瞳。華奢で、目が大きくて、猫みたいだ。笑顔もいいね。愛らしいのに、わざとらしくない。相槌も適切で、聡明そうだけど、控えめ。それに褒め上手」


 でもね、と、指輪の嵌まっていないほうの手を伸ばす。

 汗を滲ませたこめかみから、アリアの前髪を払ってやりながら、ドミニクは優しく囁いた。


「そんな完璧な子、君の年齢でいるわけないんだよ。いるとしたら、それは演技。君は紅茶を飲まなかったね。僕を警戒したから。警戒するだけの聡さと腹黒さが、君にはあった」


 ぱちぱち、とわざとらしい拍手をしてみせてから、ドミニクは手を伸ばし、アリアのカップを取り上げた。

 たっぷりと残った中身を見下ろして、ふっと笑う。


「でも残念。実はカップの内側に、興奮剤を塗りつけておいたんだ。香りとして揮発するタイプのね。ちなみに解毒剤は紅茶のほうに入ってる。君が素直に紅茶を飲むような、愚かで無害な女の子なら、こんな目に遭わなかったのにね?」

「…………っ」


 アリアは己の失策を悟った。

 毒を警戒したからこそ、紅茶は飲むふりに留めていたというのに、まさかそれが裏目に出るなんて。

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